枢機卿 Ⅲ
ヴィンストラルド国王、バイゼル・ヴィンストラルドには、三人の王妃と四人の王子、そして二人の王女がいた。
彼女は第三王妃の娘、イリュストラ・ヴィンストラルド。
ヴィンストラルド王家の中で一番年が若い者の中の一人だ。
なぜ「若い者の中の一人」などという回りくどい言い方をするのか?それは、彼女が双子だからだった。年は今年で十になったと記憶している。
「お初にお目にかかります、イリュストラ王女殿下。あの……、えっと、イリュストラ猊下とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
猊下とは、枢機卿に対する敬称だ。
イリュストラは一瞬ぽかんとした表情を浮かべるが、すぐにはっとしてくすくすと小さく笑った。
「いやですわ、ユケイ王子殿下。それははやとちりというものでございます。わたくしまだ枢機卿の任は拝命しておりませんの。わたくしのことはもっと気軽にお呼び下さいませ」
「はい、ありがとうございます、イリュストラ姫。それでは私のことも同じようにお呼び下さい」
「ええ、ユケイ王子。わたくしたちは傍系同士ですわ。仲良くしてくださいませ」
イリュストラはそう言うと、再びにっこりと微笑む。まるで小さな花が咲いたような、そんな笑顔だった。
「イリュストラ姫のお話は伺っておりましたが、まさかこの様に可憐な姫君だとは思いもしませんでした」
「ま、まあ、ユケイ王子……。そのようなことおっしゃらないで下さいませ……」
彼女は顔をうつむかせると、頬を真っ赤に染めた。
俺は一般的な社交辞令のつもりだったのだが、予想以上の初々しい反応に少し狼狽えてしまう。
同時に、頬を膨らませたウィロットのジトっとした視線が俺に絡む。
傍系同士、それは彼女の言う通りだ。ヴィンストラルドもアルナーグも、共に第一王子が王太子として内定している。つまり、王太子と母が異なる俺もイリュストラも、もう既に傍系と言える。
「あの、それでイリュストラ姫。本日はどのような御用向きで……?」
「いやですわ。そんな深い意味などございません。わたくしはユケイ王子とお近づきになりたいと願っただけでございますわ。本当はもう一人ご紹介したい者がいたのですけど、体調を少し崩しておりまして……」
イリュストラは悲しそうな表情を浮かべる。
教会の関係者か何かだろうか?
彼女は「深い意味はない」というが、おそらくそれだけということはないはずだ。
でなければ王女自らがわざわざ出向く様なことはしない。
こうして午後のお茶会は始まった。
大きな丸い円卓が用意され、その三方に俺とティナード、そしてイリュストラが座る。
彼女の趣味なのか円卓は白一色に飾られ、それぞれ三人の前には梅によく似た甘い香りを放つ白い花が飾られていた。
「ところでユケイ王子、ないしょばなしの秘宝は使われますか?」
内緒話の秘宝とは、特別な会話が外に漏れないようにするため、音の伝わりを遮断することのできる魔法が込められた道具だ。
「いいえ、必要ありません」
「あら、そうですか」
内緒話の秘宝、沈黙の宝珠、いろいろな物が存在するが、どれも俺には予定通りの効果を発揮しないのだから無意味だ。
給仕に関してはティナードが用意した、いや、おそらくイリュストラが用意した者たちが全面的に行なってくれるようだ。
ウィロットはそれに関して胸を撫で下ろしたようだが、それでも彼女には毒見という大役が残っている。緊張のせいか、まるで周りが見えていない様子だった。
それはカインも同じで、俺のすぐ後ろに付き従いながらも過剰に警戒している気配がひしひしと伝わってくる。しかしマリーに関しては特にいつもと変わることはなく、彼女の度胸はいったいどこで鍛えられたのだろうと疑問に思う。
「ユケイ王子、今日はこちらを用意させましたの。今やヴィンストラルド貴族のお茶会には欠かせませんわ。当然ユケイ様もご存知かと思いますが」
イリュストラはそう言いながら、メイドから小さな小瓶を受け取ってテーブルの上に置いた。
透明なガラス製の容器に入った琥珀色の液体。おそらくあれは、メープルシロップだろう。
「あっ!」
それを目にしたウィロットが、思わず声を上げてしまう。皆んなの視線が一斉に集まると、彼女は小人のように小さくなり「申し訳ございません……」と、答えた。
「イリュストラ姫、彼女はメープルシロップに目がないのです。声を上げてしまい申し訳ありません」
「まあ、そうでしたの。わたくしもとても好きなのですよ。それでは後ほど、メープルシロップを届けさせていただきますわ」
「お姫様……!ありがとうございます!」
ウィロットはまるで女神を見るような視線をイリュストラに送っている。
「あら?そちらの侍従のかた……」
イリュストラは何かを言いかけると、じっとウィロットを見つめる。
「は、はい!ウィロットと申します!ユケイ様の毒見を務めています!」
ウィロットが唐突に始めた自己紹介を見て、イリュストラのメイドたちは嘲るようにくすくすと小さく笑う。
「ごめんなさい、ウィロットさん。なんでもありませんわ」
そう言うと彼女はにっこりと微笑む。
その後はお茶やお菓子を楽しみながら、和やかにお茶会は進んだ。気になるところと言えば、会話のほとんどが俺とイリュストラだけで、ティナードは相槌を打つのみなこと。そして時折、イリュストラがウィロットやマリーに向けて、何やら凝視するような視線を送ることだった。
「……それではイリュストラ姫は、枢機卿になられるということでしょうか?」
「そうですわ。ただ、枢機卿になるためには司祭の職を五年務めなければなりませんの。わたくし八才の頃から司祭に任命されていますので、あと三年で枢機卿になることができますわ」
「八才で司祭になられたのですか!?それは大変なことも沢山あったでしょう」
「いいえ、そんなことはありませんわ。皆さん大変よくして頂いております。それにわたくしは双子でしたので、教会に入ることに誰も反対はしませんでしたわ」
「ああ、なるほど」
彼女はそう言うと、切り分けた焼き菓子のほんのちいさな一切れを口に運んだ。
この世界の神が双子であるため、双子の一人を教会に預けるという風習があった。
実際のことを言えば、貧しい家に双子が産まれた場合、急に増えた二人の子供を養うと言うことは難しい。そのために多く発生した口減しのための悲劇を、教会が引き受けるようになったのがその起源だ。
しかし、いくら双子が宗教的に特別な存在だとしても、八才で司祭というのは普通だとは思えない。
当然国王からや、地の国が持つ大教会、ザンクトカレン大聖堂からの後押しもあったのだろう。
前世では、例えばキリスト教の司祭になるには25才以上の独身の男性と決まっている。
しかし、なぜ幼い彼女が枢機卿の地位を目指すのだろうか?
その後もお茶会は続き、次々と出されるお茶菓子に、毒見のウィロットは至福の表情を浮かべる。
イリュストラの連れている毒見とは違い、彼女の素早い食べっぷりはイリュストラもティナードも絶賛するところだった。
そして、彼女たちの毒見係もウィロットが素早く食べ物を口に運ぶので、その後に安心して毒見をしていたように見える。
しかし、だからこそ気になったのはイリュストラの食べっぷりだった。
次々と出されるお茶受けを、彼女はそれぞれ一口づつは口にするものの明らかにその量が少ない。小鳥の餌を啄むようなその食べっぷりは、明らかに毒見のウィロットの方が沢山食べているのではないだろうか。
心なしか顔色も少し悪くなっているような気もする。
「イリュストラ姫、お気分が優れないように見えますが、よろしいでしょうか……?」
「ええ、恐れ入ります。だいじょうぶですわ。お菓子が美味しくて少し食べすぎてしまいました」
食べ過ぎた?そんな風には見えなかったが……。
「それよりユケイ王子。王子は枢機卿には興味はありませんか?」
「枢機卿に興味……というのは、どういう意味でしょうか?」
「ええ。アルナーグ王家ではお父上であらせられますオダウ・アルナーグ王が枢機卿を兼務されていると聞きます。王と枢機卿をいつまでも兼務されるのは、国のためにも教会のためにも、あまり健全であるとは思えませんわ」
「それは……、確かにそうではありますが……」
イリュストラの言うことは確かに正しい。枢機卿は年に一回以上はバルボア教皇の元で仕事を行わなければならず、それが行えないアルナーグ王はその代わりに多額の献金を行うことになっている。
しかしそれは、そもそもそういうシステムなのだ。各国の王族に一名以上枢機卿を任命し、国からの献金を受けて教会を運営する。
「いずれはどなたか王家の中で枢機卿を引き継がなければなりませんわ。でしたら、ユケイ王子がなられてはいかがでしょうか?」
「えっ!?私が枢機卿に?」
突然の申し出に、俺は思わず声を上擦らせてしまった。
いや、そもそも俺は魔力の目を持たない。それはつまり神の奇跡といわれる行為を行うことができないのだ。
そんな人間に務まるとは思えない……し、根本的に興味がない。
「どうして私にそんなことを思うのですか?ご存知かどうかわかりませんが、私は魔力の目を持っていません」
「もちろん存じ上げていますわ。けど、ユケイ王子はとても寛容で高潔な精神をお持ちだとか」
「それはなんのことでしょうか?」
「ティナードから聞きましたわ。王子の命を狙い毒を飲ませた貴族の罰を取り下げるように嘆願をしたと」
「ああ、その件ですね。イリュストラ姫、それは……、損得を考えた結果です。そのように寛容や高潔と呼ばれるようなものではありません」
「あら、そうですの?残念ですわ。けど、いずれはどなたかが国王様の枢機卿を受け継がなければなりませんわ」
確かにその通りだ。俺には兄弟が四人いる。
兄のエナとノキア、妹のフラウラと弟のノッセ。
ノキアの行方が知れないので、彼以外の誰かがいずれその役目を引き受けなければいけないのだが……。
「イリュストラ姫、せっかくのお申し出ですが、それは私の国では父王が決めることなのです。王からの命令がありましたら喜んでお引き受けいたします」
「まあ!それは素敵ですね!」
「はい。その時はイリュストラ姫、私にいろいろと教えて下さい」
「はい!ぜひユケイ王子と一緒にお仕事ができることを祈っていますわ」
彼女は嬉しそうに笑うと、頬を赤く染めた。
しかし、それでも彼女の顔色は決して良いとは思えなかった……。




