赤毛の少女 Ⅸ
次の日九の刻が近づきつつある頃、俺はアゼルとカインを連れてバルコニーへ出た。
いつのまにか吹き抜ける風から春の気配は消え、空気は雨季の匂いを含み始める。
夕日に照らされたヴィンストラルドの街並みは、今日も変わらず美しい。
俺はいったい、何度この景色を見たのだろうか。
隣のバルコニーにはイザベラとローザ、そしてその護衛が佇んでいた。
イザベラは俺の顔を見ると、深々と頭を下げて言った。
「ユケイ王子、もう起き上がってもよろしいのでございますね。心配しておりました……」
「はい、イザベラ姫。ご心配をおかけしました」
「わたくしどもが手配した者が、ほんとうに恐ろしいことをいたしました......。 心よりお詫び申し上げます......」
数日ぶりに見た彼女は顔色も優れず、心なしか窶れた印象を受ける。
「......いえ、そのことはどうかお気になさらず。それより、少し顔色が優れないように見えますが......」
イザベラは赤く照らされた街を見て、深くため息をついた。
「はい...... 。わたくし本当のことを申し上げますと、少し疲れてしまいました。いったいいつまでこのような生活を続けなければいけないのでしょうか......」
それはそうだろう。
もう一カ月以上部屋に閉じ込められたままで、それがいつ終わるかも分かっていない。
長年アルナーグの離宮で幽閉生活を送っていた俺には、その辛さは身に染みてよく分かる。
「さあ、イザベラ様、お部屋で少しお休みなさいませ......」
ローザがそっとイザベラの腰に手を当て、彼女を室内へと誘う。
「それではユケイ王子、ごきげんよう……」
精一杯浮かべたイザベラの笑顔はいつものような華やかさはなく、住み慣れた部屋に戻る足取りは監獄へ入る囚人のようだった。
「ローザ婦人、少し話があるのですがよろしいですか?」
アゼルがローザを呼び止める。
不意の言葉にイザベラは足を止めるが、ローザに促されて護衛と共に部屋へ入っていった。
夕日に照らされたローザは、いつもと変わらずに穏やかな笑みを浮かべている。
スラリと伸びた体躯に絹のように滑らかな金髪、その笑顔に、俺はどうしても母の面影を見てしまう。
「どうなさいましたか?ユケイ王子……」
「少しお伺いしたいことがあります」
その瞬間、変わらない笑顔のまま、ローザはもう敵意を隠そうとはしなかった。
「シスシャータお姉様は、ほんとうに利発で美しく、わたくし達姉妹の自慢だったのです......」
彼女は俺の方をまっすぐ見つめながらそう言った。
その瞳には、明らかに狂気を纏っている。
「やはりお姉様のお子ですから……、頭の方はたいそうおできになるご様子で......」
アゼルとカインが一歩前へ進む。
「何故あのようなことを?」
「あのようなこととは何でしょうか?」
「今更はぐらかす必要はないのでは?」
ローザはふふっと笑った。
「……わたくしはユケイ王子を、ずっとずっと前から、殺してしまいたいくらいに憎んでいたのでございますよ?」
まっすぐに向けられる殺意。
今までに感じたことのないそれに、背中にゾクッと悪寒が走る。
「それは……、どうしてですか?」
「どうして?……どうしてとおっしゃるのですか?わたしは……、ユケイ王子と出会えたことに喜んでいるイザベラ様が、不憫でなりません。彼女はまだ世間をあまりご存知ではないので、 自分がなぜこんな所に連れてこられて、なぜ牢獄のような生活をさせられているのか……。それが全てユケイ王子のせいだということを知らないのです」
ローザはゆっくりと語り始めた......。
俺の母であるシスシャータ、イザベラの母であるアシスシート、そしてローザは、リュートセレンで並ぶ者がいないと謳われた美しい姉妹だった。
月の様な容姿、風の調べのような音楽を奏で、豊富な魔力に恵まれ、特にシスシャータの魔法の歌は、古の龍でさえ眠りにつかせると噂されていた。
そんな噂を聞きつけ、国内外の王侯貴族が三人を妻に求めて参じたという。
やがて長女のシスシャータはアルナーグ王家へ嫁ぎ、次女のアシスシートはリュートセレン王家へ嫁ぎ……、そして三女のローザは、ヴィンストラルド貴族を婿として迎えることが決まっていた。
「皆、とても幸せだったのです......とても。あなたが生まれたという報も、心の底から祝福しました。やがてイザベラ様が産まれ、わたくし達姉妹の幸せは、永遠に続くはずでした。......あなたに魔力の目が無いと、知れるまでは......」
俺は愕然とするしかなかった。
魔力の目を持たないという呪い。
俺と母を縛っていた呪いが、国を越えて別の家族にまで影響をしていたというのか?
「シスシャータお姉様は、本当に豊富で美しい魔力をお持ちでした。ですから、ユケイ王子が魔力を持たないというのであれば、それはアルナーグ王の責任でございます。決してお姉様のせいではない......。 しかし、王の力が蔓延るこの世、わたくしたち姉妹の声など、どこに届きましょうか......?」
魔力の目が無い子を産んだ咎をシスシャータのせいにされ、その矛先はやがてアシスシートへ向かった。
アシスシートは魔力の目を持たぬ子を産んだ者の血縁。
もしかしたら彼女の次の子は魔力の目を持たないかも知れない。もしくは、娘であるイザベラの子は魔力の目を持たないかもしれない。そんな噂が公然とつぶやかれるようになった。
もともと体が丈夫では無なかったアシスシートは、心労が祟りイザベラが物心つく前にこの世から旅立つ。
幼くして母を無くし、何も知らされていないイザベラはそのまま姫として育てられるが、少しずつ不遇の立場へ追いやられていったという。
そしてローザも同じ噂が原因で婚約を破棄され、亡くなった姉アシスシートの代わりとして一生イザベラと共に過ごすと誓い......、しかし今回の有事で、つまり俺と同じ理由で、ここの生活を強要されるに至ったのだ。
「……ですから、ここであなたにお会いできた時は、何という運命の巡り合わせかと思いました。きっと神が……、いいえ、アシスシートお姉様が、わたくしを導いてくれたのだと......」
「イザベラ姫の魔力には異常があったのか?」
「もちろんございません。美しいリュートセレンの魔力です。しかし、それに意味はありますか?あなたの父親が、自分の責任をわたくし達の血筋のせいにしたのです。そうしなければ、王子の無能はアルナーグ王家の血筋の責任になる」
無能の王子と言われた瞬間、アゼルが剣を抜こうとするが俺はそれを止める。
「ローザ、あなたの身の上には本当に同情する。申し訳無いとも思う……。しかし、他の方法は無かったのか?」
「他の方法?どんな方法があったと言うのですか?」
確かにローザ達の苦悩は耐え難いのかも知れない。
しかし、だからと言って無関係の人間を殺人者に仕立て上げるなんて。
「少なくとも、無実のリットを巻き添えにする必要は無い……!」
俺は怒りが込み上げる。その怒りはどこへ向いているのか自分でも理解出来なかった。
「少なくともリットは、ローザを尊敬してイザベラを慕っていた。彼はイザベラとローザを本当の親子のようだと、優しい目で語っていたんだ。そんな彼を騙し、殺人の道具に仕立て上げて庇うことなく処刑させる……。そんなこと、人が人にしていい仕打ちじゃない!」
「人が人にではありません。貴族が平民にですわ」
「同じ人同士だ!」
しかしそんな俺の言葉は、目の前の人間には一切届かなかった。
彼女はきょとんとした表情を浮かべ、やがて楽しそうに微笑む。
「ふふふ。ユケイ王子はおかしなことをおっしゃいます。良いではありませんか……、平民の命などどうなろうと……」




