赤毛の少女 Ⅲ
「マリーです。よろしくお願いします、ユケイ王子殿下」
そう言うと、マリーはぺこりと頭を下げた。
「うん、よろしく頼むよ。ウィロットに色々と教わって欲しい。あと、『殿下』はつけなくていいよ」
「はい、かしこまりました。ユケイ王子」
マリーはウィロットより2才年下だが、彼女と比べると……、いや、年齢の割にだいぶ落ち着いた性格のようだ。
ローザの言う通り受け答えもしっかりしているし、貴族に混じって生活する程度の常識も理解している。
かつてウィロットは、皆の前で俺を呼び捨てにして大目玉を喰らったことがある。マリーにはその心配は無さそうだ。
それでもカインからの警戒は解ける気配は無く、常に剣に手をかけているのが凄く気になる。
「ウィロットの仕事は減るかもしれませんが、私の仕事は増えそうですな……」
そう呟きながら、アゼルはカインとマリーを見比べて、重い息を吐いた。
「それではマリーさん、まずお掃除のことからやっていきますね」
「はい、ウィロット様。よろしくお願いします」
ウィロット様と呼ばれた彼女は、とても恥ずかしそうに見える。
ウィロットは俺に仕えた長さでいえばアセリアに次ぐ古株なのだが、身の回りの侍従で後輩と呼べる人ができたのは初めてのはずだ。
ウィロットは張り切ってマリーに教え、マリーもとても素直に話を聞いている。
ローザが言った「心根が良ければいずれ形になる」というのは、このことなのだろう。
マリーは多少変わった雰囲気を持つ女だが、とりあえず怪しげな動きはない。
当面の間、お茶などの口に入れる物の準備、着替えみたいに極端に接近して行うような世話は控えるということだ。
それも仕方がないだろう。不用意に俺に近づこうものなら、カインがどういう行動に出るかわからない。
問題は多少あるが、これで少しはウィロットの負担が減ってくれるといい。そしてマリーがある程度の仕事を覚えてくれたら、休みを取らせてあげたい。
俺とは違ってウィロットは街に出ることを禁じられているわけではないのだ。とはいえ、右も左もわからないヴィンストラルドの街へ一人で行かすというのも心配だが。
夕刻になり外の空気を吸おうと、アゼルを引き連れバルコニーへ出る。カインは室内で、マリーから一時も目を離そうとしない。バルコニーにはいつも通りイザベラとローザ、そして彼女たちの護衛の姿があった。
「少し賑やかになったみたいですね」
そう言うと、イザベラはクスクス笑った。
確かにそうかも知れない。パタパタ歩くウィロットに教えられたマリーもまた、部屋の中をパタパタと動き回る。そして、定期的にカインの怒鳴り声が響くのだ。
「はい、そうですね」
俺は自然と苦笑が漏れる。
「あ、そうだ。ローザさん、ありがとうございます。仰る通り、マリーは物覚えもよく、とても真面目に仕事をしてくれます」
「それは何よりでございます……」
ローザはにっこり微笑む。
「そうですわ、ユケイ様。明日、街の広間に市が立つらしいのですよ。メープルシロップってご存知ですか?」
「えっ?メープルシロップ?」
知っているもなにもメープルシロップはアルナーグの特産の一つで、その生産にはウィロットやアセリアの生家が深く関わっている。そしてウィロットが俺に仕えるようになったきっかけの物であり、彼女の大好物でもあった。
「わたくしも大好きなのですが、リュートセレンでは冬にしか食べられませんの」
メープルシロップは冬から春にかけて生産されるが、それがリュートセレンに流通するのは秋の大規模武装商隊遠征の時になる。実はそれには俺やアセリアが関わっているのだが、とりあえずここで言う必要はないだろう。
「ローザもメープルシロップがとても好きなので、市に行ってもらおうかと思ってますの。よろしかったら、そちらの侍従の方もご一緒にいかがですか?」
「ああ...... 。それはとてもありがたいのですが......」
ウィロットもヴィンストラルドに来てから居館を一歩も出ていない。息抜きも兼ねて行かせてあげたいのはやまやまだ。
しかし現状、食事や着替えの仕事を教えられていないマリーだけでは、部屋を回すことができない。
はっきり言えば、少しぐらいウィロットがいなくても、俺自身は何とでもなる。しかし、アゼルからしてみればそれは到底許容できないだろう。
ふと横を見ると、そこには部屋の中にいたはずのウィロットが、目を潤ませて見上げていた。
「聞こえたのか?」
「はい...... 。何故だかとてもハッキリと聞こえました......」
「メープルシロップ、食べたい?」
「潤いが欲しいです……」
そんなに大きな声ではなかったのに、よく聞こえたものだ。なんだよ、潤いって。
これが地獄耳というやつか?
「……アゼル、どうだろう?」
「そうですな。マリーだけではまだまだユケイ様にご不便をおかけします。いいとは言えません」
きっぱりと言い切るアゼルに、ウィロットは「そうですよね……」と力なく頷く。
アゼルの口ぶりから、彼は意外とマリーを疑っていないことがわかった。
本心で言えば、食事や着替えの手伝いなんて一切いらない。ディストランデに来る前は、全部自分でやっていたこと。今の俺の立場がそれを許してくれないだけなのだ。
「イザベラ様、少しよろしいでしょうか?」
黙って話を聞いていたローザが、イザベラに言う。
「ええ。どうしました?ローザ」
「はい。それでしたら、わたくしのところの通いで来て頂いてます侍従をお貸ししてはいかがでしょうか?そうすればウィロットさんも市へ行けます。もちろんその分の給金は負担して頂きますが。お部屋の作りも同じですから、十分役に立つと思います」
「まあ!それはとても良い案ですわ!」
突然の提案に、俺とウィロットは顔を見合わせる。
「いやそんな...... 。面接でもご迷惑をおかけしたのに、そこまでしていただくわけには......」
「あら、わたくし達は従兄妹ですもの。それくらいのことはさせて下さいませ!それに、せっかく口うるさいローザがいないのですから、わたくしも身の回りを減らしてのんびりしたく思います」
「イザベラ様......」
ローザの声に、イザベラは悪戯っぽく笑って肩をすくめた。
「もしウィロットさんがよろしければ、一緒に市へ行きませんか?侍従同士親睦を深めるのもよろしいかと思いますし、わたくしも1人で出歩くよりは楽しいかもしれません」
ローザはにっこり笑った。
「アゼル、どう思う?」
「そうですね……。いずれはウィロットを街に使いに出したいと思ってました。街を知る者がいないので躊躇していましたが、ローザ婦人が同行して頂けるなら心強いかも知れません」
「ああ、確かにそうかも知れない」
メープルシロップを手に入れるだけなら、わざわざウィロットに買いに行かせなくても方法はある。
しかし、これは又とない機会なのではないだろうか?
部屋の模様替えの一件から、ウィロットも十分ローザを慕っているようだ。彼女が同行してくれるなら安心してウィロットを外出させることもできるし、きっと良い気分転換になるだろう。
マリーにも他の侍従の働きぶりを見るということは、良い経験になるにちがいない。
「それではローザさん、ウィロットをお願いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、喜んで」
それから俺たちは、日が沈むまでいろいろなことを話し合った。
そしてイザベラは部屋の中へ入っていく。
最後にバルコニーに残ったローザは、ぽつりと……、しかしはっきりと俺に向けて呟いた。
「ほんとうは...... 。イザベラ様が市へ行きたいのですよ......」
確かにそうだろう。俺はまだここに来て2週間ほどだが、イザベラ達はもうひと月以上になる。
しかもその後の扱いが一切判らず、いつ帰れるかの目処もたたないのだ。
俺はまだいい。
イザベラはこのままここに閉じ込められていたら、結婚もできない。
ふとアルナーグに残して来た母のことが頭をよぎる。
リュートセレンから来た2人の姫が、アルナーグの離宮とヴィンストラルドの居館、場所は違えどこうして閉じ込められている。
そしてその2人とも、俺との血縁を持つ者だ。俺に出来ることは、何かあるのだろうか。
辺りは夜の闇に、ゆっくりと染まっていく。
そんな中、去り際のローザの瞳には、何か鈍い光を見たような気がした。




