春を寿ぐ街道 Ⅱ
辺りはすっかりと闇に覆われ、疲れからか誰も重い口を開く者はいなかった。
そんな中、俺が乗る馬にそっと近づく人陰があった。
「ユケイ様、ほんとうに申し訳ありません......」
そう言って顔を伏せるのは、筆頭侍従のアセリア・オルバートだ。
侍従、つまりはメイドだが、王家に仕える彼女もまたれっきとした貴族の娘だ。
彼女とも付き合いは古く、幼少の頃に数年預けられたオルバート領。彼女はその領主の娘だった。
年は確か30になったくらいだっただろうか?筆頭守護騎士であるアゼルより少し下だったと記憶している。
長い銀髪を頭の上にまとめて普段は優雅なメイド服に身を包むが、今は馬上の旅だ。動きやすい騎乗服を着ている。
「気にすることはないよ、アセリア。どんなに確認しても、この道だからね、車軸が折れることだってあるさ」
俺はヒラヒラとアセリアに手を振って見せた。
出発直後だったらまだしも、もう何日も荷車は動きっぱなしだ。消耗品に近い車軸が折れたとしても仕方がない。
アセリアは確かに移動隊の責任者ではあり、資材の管理も彼女の仕事だ。しかし不測の事態は起きるもの。そんなことまで責任は問えない。
しかしそんな俺の甘い態度に、アゼルは眉間の皺をより一層深くする。
「確かにそうではありますが、日程は既に差し迫っております。ただですら遠回りの道を選んだのですから、もし期日までにヴィンストラルドへ到着しなければ、在らぬ疑いをかけられかねない」
「大丈夫だよ、アゼル。差し迫っているが、間に合う旅程だ。廻り道だが不測の事態が起こらない様に春を寿ぐ街道を選んだんだろう?」
特にトラブルに見舞われた訳では無いが、既に当初の予定よりまる1日遅れている。
アゼルの心配ももちろんわかる。車軸の取り替えは本当に大変だし、日が沈むまでに国境の町リセッシュに入れなければどんな危険があるかわからない。
今回は森が近くにないルートを選択しているが、平原でも日が沈めば世界は妖魔の縄張りになる。
さらにこれ以上日程が遅れれば、盟主国の王からどんな言い掛かりを付けられるかわかったものではない。
アルナーグはヴィンストラルドの属国で、俺の立場は羽根の様に軽いのだ。
そうこうしているうちに、あたりにはより一層夜の深みが増していく。
春とはいえ、日が沈めばあっという間に気温は落ちていく。
「仕方ありません、明かりをつけます」
「......あぁ、やってくれ」
一瞬だけアゼルは俺に気を使う様な視線を送り、左手にした指輪に魔力を込めた......のだろう。
「遥か高き精界の頂き、嶺絶影輝光の王よ。光に使えし四枝の眷属。我が命の糧をもって、闇の帳を払う祝福を与え給え……」
アゼルの指輪に光の精霊が宿り、あたりを照らしていく。
それを見て他の侍従たちも、それぞれ魔法の光を灯していく。
俺の乗っている馬が急に灯った光を嫌い、微かに足取りを乱す。
「......はは、こいつには少し眩しい様だな」
そう言って俺は、馬の首筋を軽く叩いた。
そう、馬でさえ眩しいのだ。
しかし、魔力の目を持たない俺にはアゼル達が灯した光は全く見えず、変わらず瞬く満天の星のみがあたりを薄く照らすだけだった。
魔力の目を持たないことによるバットステータス「魔力感知不能」は、この世界において致命的だった。
例えば夜道。供の者が魔法で明かりを照らしたとしても、その明かりを見ることができない。
そして魔力の目を持つ者であれば、その明かりから微かな熱を感じ取ることもできるだろうが、それも感じることができないのだ。
高い所から物が落ちる、火に水をかければ消える、風が吹けば埃が舞う。それと同じくこの異世界の中で当たり前に世界を構成する要素である魔力。俺は、それから一切の無視を食らっているのだ。
「アゼル、そんなことに気を使う必要はないよ」
「いえ、決してそんなことは……」
そんなことはもう慣れっこだ。
今更劣等感が一つ増えたって、どうということはない。
魔力が無いおかげで、今まで王族という立場であったにもかかわらず、好き勝手出来ていたのだ。
俺が産まれたのは、風の国と呼ばれるアルナーグ。
父である国王オダウ・アルナーグと当時第二王妃であったシスシャータの間に、第三王子として産まれた。
そして俺が物心つく前には既に魔力の目を持たないことが明るみになっており、母は第三王妃へと格下げ、俺と一緒に王城の隣に作られた離宮で生活をすることとなった。
アルナーグには4人の王子、そして一人の王女がいる。
第一王妃ユクルトの子供である兄達、第一王子のエナと第二王子のノキア。
第二王妃ヨークの子供である妹の第一王女、フラウラと第四王子、ノッセだ。
母は魔力の目を持たない俺を産んだため、生涯離宮へ幽閉されることになった。
再度魔力の目を持たない子を成さぬよう、第三王妃へ降格されたのも仕方がないことなのかもしれない。
しかし、なぜ一生あの離宮の中で暮らさなければいけないのだろう?
俺が魔力の目を持たないのは、俺に責任があるというのに。
幼少期の俺は地方貴族の元に預けられ、王都アルナーグに戻った後、王家の名誉を守るためか幽閉されることとなる。
とはいえ、俺にとっては離宮生活も満更でもなかった。
三食昼寝付きの、国王公認ニート生活だ。
書斎や工房も与えられ、俺は趣味にしていた研究や開発に没頭することもできた。
現代知識チートを使って、いろいろ世間に影響をもたらす発明もすることになる。
兄達は優しくもあったが、第二王子のノキアとはある日を境にその関係が修復不能なほど悪化することとなった。やがて彼は今は無き草原の国へ養子に出され、その姿を消した……。
魔力の目を持たないことによる離宮生活。
しかし、そこからこうやって出れたのも、皮肉にも魔力の目を持たないからだった。
世界に漂い始めた大きな戦争の気配により、更なる関係の強化という名目で宗主国から下された人質を出せという命令。その大役を担うのは、無能な俺が最適だったのだ。
要するに俺は、長く幽閉された末に人質として追放されたのである。
今から向かう地の国ヴィンストラルドには、大陸随一と言われる魔法の研究機関である「賢者の塔」がある。
もしそこで魔法を学ぶことができれば、あるいは、俺が魔力の目を持たないことが母とは無関係であることを証明できれば、いずれは母も離宮から救い出すことができるかもしれない……。
「ユケイ様!これをお使い下さい!」
パタパタと軽快な足音をたててウィロットが現れる。
彼女の手には明かりがついたランプが握られていた。
「ああ、ありがとう。ウィロット」
「はい!」
彼女は俺の身の回りの世話係、そして毒見役でもあるウィロットだ。
8才の頃、俺が預けられていた地方貴族の屋敷で、彼女は俺の前に毒見役として現れる。毒見をするには俺と同程度の年齢、同程度の体格であることが望ましい。俺の前に連れてこられた彼女もまた、8才であった。
それから今に至るまで、ずっと俺に仕えてくれている。そのせいか身分の違いはあるものの、どちらかというと幼馴染のような感覚がある。
彼女は俺にランプを手渡すと、自分が乗せてもらっていた荷馬車の御者台へ走って戻って行った。
ランプの灯りは大した光源にはならないが、その暖かみのあるオレンジの色と、微かに伝わる熱が、なぜかウィロットを思わせた。
しばらく道を進むと、荷馬車の方から微かに鼻歌が聞こえてくる。
馬の足音のみが響く夜道の中、その歌声はやたらと大きく響く。おそらくウィロットが歌っているのだろう。
「何を歌っているんだい?ウィロット」
俺はそう問いかけながら、彼女の乗る荷馬車に馬を近づける。
明かりが届く距離に近づくと、彼女は足をぷらぷらと揺らしながら何やら手遊びに興じていることがわかった。
「やだ、ユケイ様。聞かないでください」
「聞かないでって、この距離だから聞こえるのは仕方がないだろう」
「恥ずかしいです。あんまり荷馬車に近づくと危ないですよ。馬に蹴られます」
そういいながら、彼女はプイと視線を逸らす。
「ウィロット!お前はその馴れ馴れしい物言いを正せと何度も言っているだろう!配下のお前がそんな態度では、恥をかくのは主だぞ!」
俺とウィロットの間に、アゼルが割って入ってくる。
「アゼル様、わたしは田舎育ちの元農奴です。そんなこと言われても困ります」
ウィロットはそう言い返すと、やれやれと言わんばかりに肩を窄めて首を振った。
「そもそも仕事中に何を呑気に歌っているんだ!」
「……仕事中?ユケイ様、移動中って仕事中なんですか?」
そう言いながらウィロットは俺を見る。
「えっと……。どうなんだろう?」
困惑する俺に代わって、それに答えたのは筆頭侍従であるアセリアだった。
「ウィロット、当然それは仕事中です。メイドのあなたが主人の前にいるのに、仕事中じゃないわけがないでしょう?ユケイ様もしっかりして下さい。貴方が厳しくしないから、いつまで経ってもウィロットが正そうとしないのですよ?」
優しく毅然と諭す彼女の前に、俺とウィロットはしゅんと小さくなる。
「ユケイ様ももう少し気を張って下さい。安全な街道とはいえ何処に危険があるかわかりません」
「討伐遠征はもう終わっているんだ。街道に危険はないよ」
討伐遠征とは、春になり冬籠りから開けた妖魔や凶暴な害獣を騎士団が討伐して回ることを指す。
これがなされることによって、旅人は安全に旅をすることができるのだ。
「害をなすのは妖魔や獣だけではありません。戦が始まって以来、治安は悪化する一方ですから」
アゼルが言っているのは、野盗を指しているのだろう。
戦争は遠くの国で起こっていることではあるが、確かに治安の悪化は肌で感じている。
ゴブリンのような妖魔やオオカミのような獣より、最も警戒するべきなのは「人」なのだ。