切子硝子 Ⅸ
「オルゼンさんの話によると、確かに一時期グラステップのガラス職人がザンクトカレンに身を寄せていたそうです」
ティファニーはそう話し出すが、彼女の表情は明るくない。
草原の国グラステップは、彼女の故郷だ。そこから多くの難民が生まれているという事実は、やはり辛いものなのだろう。
「一時期っていうのはどういうこと?」
「オルゼンさんは関わっていないので細かいことは知らないそうですが、グラステップの職人とガラス工芸組合の間で、何かトラブルがあったみたいで……」
「ああ、なるほど……」
草原の国と鉄の国との争いは、多くの移民を生んだ。
特に鉄の国の支配下となった地域からの流出が多く、ヴィンストラルド、リュートセレンはその多くを友好的に受け入れている。
しかしそれは国単位の話であって、地域ごとで見ればその限りではない。
この国は十分に理性的だが、経済的に裕福ではない地域においては流入する人々を支えるほどの生産力がなく、仕事の取り合いになることもある。
ザンクトカレンは十分に寛容で豊かな街だ。それでも流入する職人に対しては、新たな技術の革新となる場合もあれば脅威になることもあるだろう。
そういえば誰かが言っていた気がする。教会にとってガラスは神聖なもので、それに傷をつける切子はあまり好まれないと……。
「あれ?」
「どうなさいましたか?」
「ああ、なんでもないよ。それで、グラステップの職人たちはどうしたんだろう?」
「ザンクトカレンを出て、他の街に移ったんじゃないかって仰っていました。ガラス製品を取り扱っている商店でも、切子硝子は今は商っていないそうで……。まだザンクトカレンに残っている人がいるかもしれないですが、商売はしていないと思います」
「そっか……」
トラブルとは何があったのだろうか?
しかしそれが本当なら、この街で切子硝子職人を探すのは難しいのかもしれない。
「冒険者ギルドはどうだった?」
「兄に関する情報はまだ何もありませんでした……」
「うん、わかった……。ありがとう」
「ただ、最近グラステップからの冒険者が増えているみたいです。もしかしたら兄も……」
「お兄さん見つかるといいね」
「はい、ありがとうございます」
ふと兄ノキアの顔が過ぎる。
俺がアレックスを探すのはイルクナーゼからの命ではあるが、ティファニーの気持ちは十分に察することができる。
心の底からティファニーの願いが叶えられればいいと思う。
しかし冒険者が増えているというのは、彼らも移民としてこの街にやってきているのだろうか?
グラステップは冬になると多くの地域が雪に閉ざされる。
妖魔の出現はぐっと少なくなるので、もしかしたら妖魔狩りを生業としている冒険者が南下してきているのかもしれない。
兄のことを心配しているのか、ティファニーの表情は暗く沈んでいる。
以前兄から届いた手紙には、「グラステップで傭兵のようなことをしている」と書かれていたらしいが、傭兵のようなとはどういう意味だろうか。
職を追われた騎士が冒険者になったり傭兵団に所属したりというのはある話だ。
しかし、中には野盗に身を落とすということも珍しくはない。
グラステップの情勢が不安定になる中、一刻も早くアレックスの消息を掴みたいところだろう。
ガラスを叩く雨の音が激しさを増し、吹き付ける風がガタガタと窓を揺らす。
ルゥが言う通り、氷の花が雷雨を呼んできたのだろうか。
遠くの方で空が光り、しばらく間を置いて雷鳴が轟く。
雨はまるで滝のような勢いになっていた。
吹きつける雨粒が窓ガラスの表面を流れ落ち、まるで水中から外を眺めるような景色だ。
「……あれ?」
何だろうか、窓の外に微かな違和感を抱く。
「ウィロット、少し灯りを点けてくれないか?」
「あ、はい。すいません、すぐ点けます!」
厚い雲のせいで、室内は昼間と思えないほどの暗さになっていた。
室内をパタパタと駆け巡りながら灯りをつけるウィロットとティファニーを見ると、指を弾くだけで全ての燭台に一瞬で火を灯してみせたヘリオトロープの異常さが改めて際立つ。
俺は再び視線を外に向け、外の景色にじっと目を凝らした。
「どうなされましたか?」
カインが不思議そうに俺を見る。
「何だろ? 少し目眩がする……、違うな……」
「目眩ですか?」
そうだ。外の暗がりに何かがあるのではなく、外が歪んで見えるのだ。
窓の外に取り付けられている鉄格子が、まるで熱を持った飴細工のようにぐにゃりと歪んで見える。
ガラスを流れる雨が、外の風景を歪めて映しているだけなのか?
俺は数歩窓に向かって足を進めるが、足取りに変わったところはない。
「ユケイ様、雷が落ちるかもしれません。危ないですから窓には近づかないで下さい」
心配したカインが、俺を止めようとする。
この教会には大きな塔が二つある。
一つは荘厳なステンドグラスを持つ礼拝堂の塔で、もう一つは今俺たちが使っている居住区がある塔だ。
どちらも周りの建物と比べれば抜きん出て高く、確かにこれでは雷を呼び寄せることもあるだろう。
「大丈夫だよ、カイン。雷はまだ遠い……」
俺がそう言いかけた瞬間。
不意に視界が、真っ白な閃光に塗りつぶされる。世界を一瞬で焼き尽くすかのような、圧倒的な光の暴力。
同時に「バリバリバリバリ!」という、世界を引き裂くような轟音が部屋全体を震わせた。
「うわ!」
塔全体が激しい衝撃に震え、閃光にやられたせいか視界にはチカチカと光の残像が焼き付いた。キーーーンという甲高い耳鳴りが響き、静寂の世界に放り込まれたかのようだ。
カインが俺の元に駆け寄り、ぱくぱくと口を開く。
「――!! ―――! ――――!?」
必死の形相で何かを叫んでいるようだが、耳鳴りが酷くて何を言っているかわからない。
ティファニーはその場でしゃがみ込み、ウィロットは心配そうにこちらを見ていた。
おそらく落雷が、塔を襲ったのだろう。
窓のすぐそばにいた俺は光と爆音を直に受けたようだ。
少し肌がピリピリするが、特に外傷はない。
「あ、ああ、大丈夫だ、カイン。怪我とかはしていないから……」
耳鳴りは止まないが、とりあえず慌てるカインを手で宥める。
「俺は大丈夫だ……。ウィロット、ティファニー、怪我はないか?」
「……は…、だい……ぶ、です……」
ティファニーが答える。
ウィロットからは返事はないが、見たところ負傷しているようには見えない。
不思議そうに「あー、あー」と言いながら首を傾げているところを見ると、俺と同じように耳をやられているのかもしれない。
建物に落雷を受けるなんて、この世界に来て初めての経験だ。
いや、前世でもそんなことはなかったかも知れない。
火災の可能性とかはあるのだろうか?雨が激しく降り注いでいるので、その心配はないのかも知れないが。
部屋の外を確認しようとした時、ティファニーが俺を呼び止めた。
「ユケイ王子殿下!」
彼女の声ははっきりと耳に届いた。
耳鳴りが回復してきたのか、それとも彼女の声がそれほど大きかったのかはわからない。
彼女に目を向けると、驚きの表情で外を指さしている。
「ど、どうしたの?」
俺は言われるまま、指差す方へと視線を向けた。
「えっ!?」
俺は目に映った光景に、しばらくの間理解が追いつかなかった。
「な、なんですか、これ!?」
「これはいったい……」
ウィロットやカインの口からも困惑が漏れる。
ティファニーの指は、真っ直ぐ外に向けられている。
いや、彼女が指差していたのは、鉄格子が嵌められた窓そのものだった。
その窓には雷の衝撃のせいだろうか、無数のヒビが入っている。
そのヒビはまるで、精巧に作られたステンドグラスのような、大輪の花の紋様を浮かび上がらせていた。




