切子硝子 Ⅱ
部屋に通された男は台車によって運ばれたガラスを、一枚一枚並べていく。
窓枠の大きさにばらつきがあるのだろうか、職人のような無骨な手とは裏腹に、彼の手つきは慎重で丁寧だった。
「そのガラスはこの街で作られた物なのか?透明度が高くて良いできだね」
急に話しかけられた男は体をビクッと硬直させ、丁寧に立ち上がり頭を下げた。
「はい、仰せのとおりです……」
「あ、邪魔をしてすまなかった。続けて下さい」
男はもう一度深々と頭を下げると、チラチラとこちらを伺いながら作業を再開する。
不用意に話しかければ邪魔になると分かっていたはずなのに、うっかりやってしまった。
男が持ってきたガラスは一片が30シールほどの正方形で、職人の技術のおかげかとても透明度の高いものに見えた。
この世界のガラス加工は吹きガラスが主流で、大きな板ガラスを作ろうとすれば莫大なお金がかかる。
まずはガラスの塊を吹いて円筒形の瓶を作り、それの一片を切り開いて展開させるのだ。
トイレットペーパーの芯に切れ込みを入れ、四角の紙を作る要領だ。
そのため製造の過程でガラスに波打つような歪みが出たり気泡が入ったりするのだが、彼が持って来たガラス板には歪みなどは見えない。そうとう品質が高いものだろう。
男は几帳面な性格らしく、丁寧に並べた板ガラスを、慎重に枠の中へ嵌めていく。
まあ、慎重にもなるだろう。あんな30シール四方ほどのガラスでさえ、割ってしまえば簡単に弁償できる金額ではない。
そこから半刻ほどで作業は終わり、取り付けられた窓を見て何故かカインが非常に満足そうな表情を浮かべていた。
「ありがとう。少し話を聞いてもいいかな?」
「はい。なんでしょうか」
「えっと、名前は?」
「ロルシュと申します」
「ありがとう。ロルシュはガラス職人なのかい?」
「……いいえ。わたしはこの教会の従僕です」
「切子ガラスの職人について何か聞いたことはないかい?」
「切子ガラス……とはなんでしょうか?申し訳ありません、存じ上げません……」
「そうか……。もし教会に出入りするような切子硝子職人がいるなら、紹介してもらえないかと思ったんだけど……」
「教会にとってガラスは神聖なものですので。ガラスに傷をつけるような職人が、教会に出入りすることは無いです……」
なるほど、そういう考え方もあるのか。
切子硝子はガラスを削って模様を刻む技術だ。
教会がガラスを神聖視するのであれば、彼の言い分はその通りなのかもしれない。
「ありがとう、ロルシュ」
俺はチップと情報量代わりに銅貨数枚を持たせ、男を部屋から見送った。
「これで夜中に奇妙な客が来ることもないでしょう」
鉄格子だけではカインは満足していなかったらしい。
しかし先日ヘリオトロープが室内に現れた時、窓はしっかりと閉じられていたのだ。ガラスが嵌められたくらいで、彼女が本気で入ってこようと思えばきっと容易いのだろう。
まあ、そんなことを言っても仕方がない。
とりあえず俺は満足げなカインを温かく見守った。
次の日。
天気は昨日とは打って変わり、雲ひとつない晴天が広がっている。
風は夏の気配をすっかりと消し、心なしか甘酸っぱいような香りを運んでくる。
街を散策できるなんていったいどれくらいぶりだろうか。
浮かれたくなる気持ちはあるが、カインは当然緊張した面持ちである。当然室内の警護と違い、彼の負担はとても大きいものになる。
だからというわけではないが、今日の外出はルゥが同行することになった。
ザンクトカレンでは、教会の関係者が同行していればトラブルに巻き込まれるということはほとんどないらしい。
正直見知ったメンバーで行動できた方が気が楽なのだが、少しでもカインの負担が減らせられるのであれば仕方がない。
そして俺たちは、連れ立って職人街へと向かった。
職人街は活気に満ち溢れていた。
辺りに漂う火の匂いと鼻をつく香辛料のような香り。
立ち並ぶ煙突からは白い煙が立ち上り、抜けるような青空にいく筋もの白い線を描いていた。
職人街は表通りと比べれば人の姿こそ多くはないが、鉄を叩く音や吹子の音、糸車が回る音に木槌が振り下ろされる音など、様々な音に満ち溢れていた。
見慣れない俺にとっては、どこを見ても新鮮に映る。
心の中がさわさわとくすぐったいような、踊りたくなるような不思議な感覚に囚われた。
「ユケイ様、楽しそうですね」
「……うん。楽しいよ」
そういうウィロットも、とても楽しそうに見える。
「あれって……なんだろう?」
俺の目についたのは、とある工房の軒先にぶら下げられていた黄色の飾り房と鉄製のトングのように長い柄を持った鋏だった。
よく見ると、辺りの工房には軒先に様々な物がぶら下げられていた。
「あそこの工房は鎖をつるしてるな」
目に入った工房の軒先には、赤色の飾り紐が吊るされていた。そしてその隣に、古びた鎖がぶら下がっている。
ルゥは俺が指差した方をチラリと確認する。
「あれはその工房が何を取り扱っているかを表しているんです。鎖は鍛冶屋、あの大きな鋏みたいなのはガラス工房、鳥の羽根は仕立て屋です」
ルゥは答える。
「飾り紐は?」
「それは教会の御用工房の証です。紐の色によって格付けがされています」
「ああ、そういうことか……」
言われてみれば飾り紐が吊るされている工房は、どれも立派な造りの建物だった気がする。
御用達になれれば、それなりにメリットがあるのだろう。
「えっと、頂いた地図ですとあそこがオルゼンさんのガラス工房だと思います」
ウィロットが指差す先には、確かに軒先に大きな鋏を吊り下げた工房が見える。
どうやら飾り紐はないようだが、その工房は他の御用達の印をぶら下げた工房と比べても遜色ない立派な作りをしていた。
オルゼンガラス工房。
そこは俺がアルナーグで営む商会の主力商品の一つ、ガラスペンを製造している工房だった。
営むといっても運営のほとんどを共同代表であるバルハルクとテティスに任せているのだが。それでもアルナーグで有数の商会であり、ガラスペンやメープルシロップを初め、アルナーグの主要産業の流通と販売の一角を握っているのだ。
商会でガラスペンの販売を始めて、今年で六年くらいになるだろうか。工房主であるオルゼンとはアルナーグで一度だけ会ったことはあるものの、この工房を訪れるのは初めてだった。
「ユケイ様、わたしは外で待っています」
工房に入ろうとする直前、ルゥが突然そう申し出る。
「えっ?どうして?」
「どうしてと言われましても……、わたしの役目は送り届けることです。中に入る必要はありません。何か不都合がございますか?」
「いや、別に不都合はないけど……。ここら辺は裏路地も多い。女の子を一人で外に待たせるわけにはいかないよ」
「お優しいんですね。けど大丈夫です。修道女に危害を加えようとするものは職人街にはいませんので」
それはそうかもしれないが……
誰か会いたくない人でもいるのだろうか?
しかし彼女は教会に言われて俺たちの動向を探っているのかと思っていたのだが、違うのだろうか?
実際にここでの話は他者に知られたくないものもある。
彼女が進んで席を外してくれるというのであれば、助かると言えば助かるのだが……
カインにそっと目配せをするが、特に何も反応はない。
好きにさせろという意味だろうか?
「……うん、わかった。それじゃあ先に教会に戻っていてもいいよ」
「いいえ、外でお待ちしてます」
彼女の意志は硬そうだ。
「じゃあ、危ない目に遭わないように気をつけるんだよ」
「はい。ありがとうございます」
彼女はペコリと頭を下げる。
俺たちはルゥ外に待たせ、工房の中に入った。
石造りの壁に囲まれた工房の内は、焼けた砂と職人たちの熱気に満ち溢れていた。
天井から吊るされた鉄のフックには細工途中のガラス器がいくつもぶら下がっている。
職人たちは黙々と吹き竿を回し、額に大粒の汗が浮かぶと同時に真っ赤になったガラスの塊がガラスの瓶へと姿を変えていく。
職人の一人が先程軒先で見た大きな鋏をガラス瓶に入れる。まだ熱いそれはすんなりと切り開かれ、あっという間に一枚のガラス板へと姿を変えた。
熟練の職人の技に目を輝かせていると、頭を丸く剃り上げたガタイのいい男が、俺たちを見咎めた。
「旦那、約束はしていなかったと思うが?気軽に中に入られては困るんだがね」
その声と姿は記憶があった。
以前会った時より少し肥えたようだが、その男は間違いなく工房主のオルゼンだ。
「連絡もせずに突然尋ねて申し訳ない。久しいな、オルゼン」
俺の言葉を聞いて、彼は怪訝な表情で俺を見る。
しかし、すぐに俺の正体に行き着いたようだ。
「ぼ、ぼっちゃん!?アルナーグのぼっちゃんですかい?」
「もう成人したんだ。坊ちゃんは止めてくれよ」
「は、はい、失礼しました。けど、いったい急にどうしたんですかい?姉御からは色々と大変なことになっていると聞いてましたが……」
「うん、まあ色々と大変なこともあったけどね。けど、やっとここに来ることができたよ」
姉御とはテティスのことだろう。
オルゼンはとても驚いてはいるが、どうやら俺のことは歓迎してくれているようだ。




