神が振る賽子 Ⅹ
俺たちはマンドレイクの自生地を後にし、再び森の外を目指す。
「カインの馬に乗った方がいいんじゃないか?臭いだろう」
「其方は魔女相手に変なことを気にするのう?我はそのようなことは気にせん」
「ヘリオトロープが平気でも俺が気になるんだよ。女性を汚すわけにはいかない」
「……騎士殿の主人は、いつもこうやって女子を手籠にするのか?」
ヘリオトロープの言葉を聞いて、カインがブフォっと吹き出す。
「……なんだよ、カイン。早く否定するべきじゃ無いか?」
結局ヘリオトロープは、どれだけ遠慮しても悪臭漂う俺と同じ馬に乗りたがった。
「……で、その報酬というのは何でも良いのか?」
「我にできることであればな。其方が正当な対価であると思う範囲内で際限はない」
「知識が欲しいとか、何かに協力して欲しいとかでも?」
「構わぬが、恋茄子の価値と同等な知識とは、いったいどれ程のものじゃろうかのう」
ふむと言いながら考える素振りを見せるヘリオトロープ。
これは魔女との取り引きだ。
俺がなし得たことと等価以上の物を求めるべきではない。
マンドレイクの価値は同じ大きさの金と等しいという話だが、それは全て俺自身がマンドレイクを採取をした場合だ。
今回俺は最終的な採取を担当しただけで、マンドレイクの発見からその採取方法まで、全て提供されたもの。
俺が最後の大切な役割を担ったのは間違いないが、その労力が全体のどれくらいの割合を占めるかはわからない。
しかし彼女の言葉の意味は、過剰な請求も遠慮もせず、自分が正しい対価だと思う物を言えということだろう。
「……例えば惚れ薬を作って欲しいと言えば、それは可能だろうか?」
「……随分とくだらない物を所望するのじゃのう」
「い、いや、俺が使うわけじゃない。頼まれ仕事だよ」
「別に隠す必要もなかろう。男は須くそういう生き物じゃ」
「何も隠していない。……惚れ薬なんてもの自体、存在するのか?」
「作れなくも無いがの。恋茄子もその材料の一つじゃ。どれくらいの効果を求めるかで価値も大きく変わるし、生薬ゆえ調合して数日の内に使わねば効果は現れぬ」
それはそうか。
生薬は天然に存在する動植物や鉱物を加工して作られる。
西洋薬と比較すればその安定性は低く、日が経てば当然腐敗もするし劣化もするのだ。
「どれくらいの効果か……。それは聞いてみないとわからないな。そもそもそれでは持ち帰ることすら難しそうだな」
「なんじゃ?随分と諦めがよいのう?」
「ああ……。俺自身、あの人にそんな薬を使って欲しいとは思っていない」
イリュストラがそれをどうやって使うつもりなのかは分からないが、できればそんな物に頼って欲しく無いという思いがある。
教会の司祭である彼女に、黙って魔女の薬を渡すということもできない。
しかし、彼女の為にどうしてもそれが必要であると俺が納得できれば、それを渡すことを躊躇うつもりはない。
どのみちそれが必要になるのはまだ先のことだ。そう結論を急ぐ必要はないだろう。
「よし。それじゃあ今日手に入れたマンドレイクの、五分の一を俺に欲しい」
「五分の一?随分と控えめじゃの?」
「本来なら半分を請求したい。けど、俺のミスで一匹を駄目にしてしまった」
「それは其方のせいではあるまい」
「いや、いいんだよ。五分の一でいい。だが、俺はマンドレイクの使い方も保管する方法もわからない。だからそれは俺が必要になる時までヘリオトロープが預かって欲しい。そして、それが必要な時に適切な状態で俺に返してくれ。その手間賃も含めて五分の
一だ」
「ふむ……、そういうことか」
ヘリオトロープは馬上で小さな腕を組み、何やら考える素振りを見せる。
その仕草はまるで、精一杯背伸びをして大人ぶる少女のように見えた。
「妥当な報酬じゃろう。よい取り引きじゃ」
彼女は俺を見上げ、にっこりと笑う。
ヘリオトロープの了承を得られ、俺はとりあえずほっとする。
現代ほど金の価値は高くないが、五分の一でも何百万という金額になる。
一日の仕事と考えれば破格だ。
それにマンドレイクを彼女に預けることで、魔女とのパイプを繋ぐことができるだろう。
もし魔女の力を借りたくなった時、預けたマンドレイクを元に新たに交渉するという方法も取れる。
もしかしたらマンドレイクを使ってイリュストラの為に薬を作る未来があるかも知れないし、それ以外にも何か有用な薬品の材料になる可能性もある。
有用な薬品……。
ふと俺の頭を、エルデンリードの姿が過った。
「ヘリオトロープ、一つ聞きたいのだが、子を作りたくてもできない場合、何かマンドレイクが役に立つことはないだろうか?」
「ふむ……。恋茄子は強い精力剤にもなる。殿方や姫をその気にさせたり、性をつけることはることはできるじゃろう。しかし子を孕むかどうかは別の問題じゃ。それは全て、神が振る賽の目次第だろう」
ヘリオトロープが神という言葉を口にしたことに対し、微かな苛立ちを覚える。
こんな万能とも思える魔女ですら、神の機嫌を伺えというのだろうか?
「……ヘリオトロープほどの魔女ですら、神の気まぐれに付き合えと言うんだな」
「なんじゃ?其方は神が嫌いなのか?」
「い、いや……。そういう意味じゃないんだ。そう、俺が言いたかったのは、まだ幼い……というか、子を成す準備ができていない体を身籠らせることはできないだろうか?という意味だ」
「……なんじゃ、男色家ではないと言っておったが、そういう趣味か。どおりで我の裸体に反応するわけじゃ」
「そんなわけないだろ!!」
「クックック、隠さんでもよい。一夜くらいであれば付き合ってやらんでもないぞ?」
「頼むから誤解しないでくれ。エルフの知り合いに頼まれたんだよ」
「ああ、エルフか……」
ヘリオトロープの表情に、微かな影が落ちた。
「奴らに久しく新しい子ができたという話は聞かん。そう考える者が現れてもおかしくないじゃろう。しかし、其方は教会の世話になっておる割に、教会が嫌う者との付き合いが多いようじゃのう?」
「たまたまあそこにいるだけで、教会の世話になってるわけじゃない」
「どおりで……。ユケイ、其方は神などいないと思うておるじゃないかの?」
見透かされて心臓が一つ、強く鼓動するのを感じる。
「……そういう訳じゃない。けど、ヘリオトロープは俺の目のことを『真実の目』と言った。今まで俺は、この目で神を見たことが無い」
ヘリオトロープは俺に馬を止めるように言うと、身軽に馬から飛び降りる。
「ふむ、なるほどのう……」
彼女は意味深に呟く。
気がつけば俺たちは、街道の目の前まで来ていた。
「……今まで多くの種族がそうだったように、既にエルフもゆるやかに絶滅に向かっているのかも知れぬ。そして、其方のような考えの人間が生まれたのであれば、神や魔女でさえ滅びに向かっているのじゃろう。……しかしのう、忘れるなユケイよ。それでもこのままでは、最初に滅ぶのはお前たち人間じゃ」
「それはどういう……」
「其方は先程、神は賽を振らぬと言いたかったのじゃろう?」
「……そうだ。もし神がいるのなら、神は賽子など振らない」
「それは違う」
ヘリオトロープは俺たちに背を向け、ゆっくりと森の奥へ歩き出した。そして去り際に、彼女はこちらを見ることなくこう言った。
「……この世で唯一、神だけが賽を振るのじゃ」
そして彼女は、嘆きの森の闇の中へ溶けるように消えていった。




