神が振る賽子 Ⅷ
とりあえず俺は、ヘリオトロープが服を着ていたことにそっと胸を撫で下ろす。
「よくぞ来てくれた、ユケイ。感謝するぞ」
日の光の下で見る彼女は、肌や髪の色などを除けば本当にどこにでもいるかのような少女に見える。
「それで、俺は何をすればいいんだ?」
「先ずは一緒に森へ向かおう。我も馬に乗せてもらってよいかの?」
彼女はそう言うと、まるで抱っこをせがむ子どものように両手を広げた。
まさか彼女と一緒に騎乗することは想定していなかった。俺とカインは顔を見合わせる。
「どうした?よもや我に歩けと言うのではないじゃろうな?」
「……いえ。それではこちらへどうぞ」
一瞬カインが黙ったのは、おそらくヘリオトロープに歩けと言うか考えたのだろう。
しかし思い直したのか、彼はヘリオトロープに向けて手を伸ばした。
「ふむ。せっかく騎士殿のエスコートじゃが、我はユケイと話がしたい。よいかの?」
彼女はそう言いながら、再び俺に向けて両手を広げる。
俺は馬の2人乗りなどほとんどしたことがない。その数少ない経験も、子どもの頃に数度乗せてもらっただけだ。
一人で馬に乗ることは難なくできるが、それをするのは色々な意味であまり良いとは言えない。
しかし、俺も彼女に聞いてみたいことは山ほどある。
「カイン、いいだろうか?」
俺の問い方から、カインも望むことを察してくれたのだろう。
仕方がないと言わんばかりの表情と共に、「どうぞ」と短く言葉をつけた。
「ありがとう」
もしかしたらこのザンクトカレンにある間だけでも、多少は好き勝手させてあげたいと思ってくれているのかもしれない。
カインの了承を受け、俺は馬上からヘリオトロープへ手を伸ばす。
非力な俺でも、彼女の体はやすやすと持ち上がる。
今まで前世も含めて、少女と触れ合う機会は全くなかったが、この年頃の少女が持つ体重はそれくらいなのだろうか?
まるで子犬を抱き抱えたかのような感覚。それとも引き上げやすくするために、彼女が魔法か何かを施したのだろうか。
ヘリオトロープを俺の前に座らせ、背中越しに手綱を握る。そして俺たちはゆっくりと丘を降り始めた。
「ヘリオトロープは軽いな」
「女性の体重のことは口にするべきではないぞ?」
「そ、そうか。そういうもんだよな」
「ふふふ、騎士殿。お主の主人は変わったお人よのう。我が人間に見えておるようじゃ。牙も角も見えぬらしい」
「えっ!?カインにはヘリオトロープに角が見えているのか!?」
「……ユケイ様、そんなはずありません。皮肉で言っているのでしょう」
「皮肉?……あ、ああ。そういうことか」
人の間に伝わる伝承では、魔女には牙や角が生えていると言われていた。
中には尻尾があったり緑色の肌をしていたり、およそ人と思えない生き物だという記述もある。
彼女はそのことを知って、揶揄しているのだろう。
「……魔女と人間は同じ生き物なのか?」
「お主には同じに思えるのか?」
「少なくとも外見は変わらないように見えるけど……」
「変わったことを言うのぅ……。この真っ白な肌に真っ白な髪、赤い瞳を見ても外見が変わらぬと言うのか?」
「……色が違うだけじゃないか」
「……ふん。この肌と瞳を不気味がらぬとは、豪胆なことじゃ」
ヘリオトロープは真っ直ぐ前を見たまま、ボソリと呟いた。
そういえば、彼女の不自然に大きな麦わら帽子は日光対策なのかもしれない。
肌の白さが色素欠乏の影響だとしたら、日中に外を出歩くことはかなり体の負担になるだろう。
「その体で昼間に外を出歩くのはあまり良くないんじゃないか?」
「その体?」
「えっと……、体の色素が薄い人には日の光が毒になると聞いたことがある」
「……ユケイは優しいのう。香水草は白と紫の花じゃ。我の肌が白いのは、香水草が白いから以上の意味はない。白い花は日の光を受けても枯れぬじゃろう?」
「……そういうものなのか?」
「そういうものじゃ。魔女はそうと言われる力を持つ」
……つまり、箒に跨って空を飛ぶと言われるから空を飛び、様々な薬を作ると言われているから高い調薬の術を持つ、烏や狼に姿を変えられると言うからそうできるという意味なのか?
「それじゃあ、そのうち本当に角が生えたりも……」
「次代の魔女には、そういうこともあるやも知れぬ」
そうと言われる力を持つ……
それはおおよそ人の力で測れるものではない。もしそんな現象が存在するとすれば……
「……それは神と同じだな」
「ふふふ、魔女と神を同列に語るとは。罰当たりなことじゃ。さあ、おしゃべりはここまでじゃ。今から街道を外れて森に入る。枝に顔を叩かれて馬から落ちぬように気をつけるのじゃぞ。魔女は箒に乗れても馬には乗れぬ。そんな魔女聞いたことがないじゃろう?」
彼女はそう言いながら、白蛇のようにすらりと伸びる手を、街道から外れた森の中へ向けた。
「あ、ああ。わかった。俺も乗馬が得意ってわけじゃないんだ。ヘリオトロープも落ちないように気をつけてくれよ」
「やれやれ。やはり騎士殿の馬に乗るべきじゃったのう」
そう言いながらも、彼女は俺の馬から降りる素振りは見せなかった。
昼間に通る嘆きの森は、おおよそその名に似つかわしくないと思った。
本来森の中に分け入れば、藪や下草で真っ直ぐ進むのもままならない。
幼少期にウィロットとオルバートの森を遊び場にしていた俺は、秋に向けて森に入れば、オナモミやヌスビトハギなど、いわゆるひっつき虫に全身を侵され、みるも無惨な姿になるということを知っている。
しかしこの森は全体的に生命力に溢れておらず、その結果人間には過ごしやすく感じるほどだった。
「動物の気配があまりないな……」
「いないわけではない。厄払いの咒いがかけてあるから、身を潜めているだけじゃ。ユケイのようによっぽど鈍感な奴でなければ、人でも獣でもそうそう近づいては来られぬ」
「そんなことまでできるのか……。貴方のような魔女は他にもいるのか?」
「ふふふふ。ユケイ、人間がそれを聞くのか?つい先日も南方の街で魔女が火炙りになっておったではないか」
南方の街、おそらくそれは炎の国フラムヘイドだろう。砂に覆われた過酷な地であるフラムヘイドは、神に対する信奉が厚い。そしてヴィンストラルドやアルナーグでは禁止されている、魔女狩りという風習も残っていた。
「……その人は、本当に魔女だったのか?」
「其方らは魔女じゃない同胞を、火炙りにかけるのかね?」
ヘリオトロープが発する言葉の端々から、明確に人へ対する嘲笑が感じ取れる。
実際に彼女を見れば、果たして人の力で魔女をとらえるなどということができるのだろうかという疑問が湧く。
魔女が皆彼女のような力を持っているなら、人間なんかに捕まったりはしないだろう。
前世において、魔女裁判の名の下に多くの人が命を落とした。きっとそれと同じように、この世界でも愚かな行いが繰り返されているのだろう。
「……なぜ教会は、魔女をそんなに目の敵にするんだろう」
「それは子羊たちに聞くべきじゃろう?少なくとも我は教会など敵視しておらん。お前たちの神がそう言ったのではないかね」
「神などいない」
そう言いかけて、俺は言葉を飲み込む。
その一言は長い時間を共に過ごしたカインの前ですら、迂闊には口に出せない言葉だ。
神の奇跡が起こす魔法が存在するこの世界で、神の存在を疑う者はいない。
カインも熱心な信徒というほどではないものの、神の存在を肯定的に捉えている。
「ユケイ。我は其方を嘲つもりはない」
「いや……、愚かなのは事実だ……」
神の名を持ち出し、それをさらに争いの種にするなど愚か以外の何物でもない。
神がいるのなら、そんなことは決して許されないはずだ。
「……それでヘリオトロープ、目的の場所までは如何程ですか?」
気を遣ってくれたのか、カインが話題の修正を仕掛ける。
「もう間もなくじゃよ」
「……ところで、マンドレイクは何に使うんだ?」
「恋茄子はこの世にある生薬の内、最も貴重なものの一つじゃ。神薬と呼ばれるものは、だいたいこれが入っておる」
「この前言っていたあのレシピ……、騎士の首とかなんとかも、その神薬の一つか?」
「クックックッ、まあそうじゃの。あれは最も下卑た神薬の一つだが、最も需要のある神薬でもある。この薬は男色家である其方には無用じゃがの」
「だから男色家じゃないって……」
なぜこの手の誤解は、なかなか解消されないのだろう。
しかし、下卑たというからには精力増強材とか、もしかしたらイリュストラが求める惚れ薬的なものなのだろうか……。
「さてユケイ、そこの葛の蔦を取ってくれ。恋茄子は鉄の匂いを嫌う。刃物は使ってはならぬぞ、手で千切るのじゃ」
ヘリオトロープが指差す先には、太く成長した蔦状の植物、葛が生えていた。
葛の蔦は丈夫で、重い荷造りなどにも十分耐える強度がある。
正直俺の力で千切れるのか、不安しかない。
馬から降りようとするところをカインに止められ、代わりにカインが葛を千切り取ってくれた。
「ありがとう、騎士殿。ついでに葉を毟り、一本のロープにして欲しい」
カインはヘリオトロープの言葉にうなづきもせず、黙々と言われた通り作業を始める。
「よいか、ユケイ。恋茄子の採取方法を教えるからよく聞くのじゃ。まずはその葛で恋茄子と自分の体をしっかりと結ぶのじゃ。そして恋茄子の顔が見えるまで周りを掘り進める。必ず素手でやらねばならぬぞ?」
「素手か……。うん、わかった」
「顔が見えれば恋茄子はこちらをじっと見てくるはずじゃ。お主も恋茄子の目を見返して、目を逸らさずに一気に引き抜くのじゃ!」
「引き抜いて途中で千切れたりしないのか?」
「目をしっかりと見ておれば千切れはせぬ。すると恋茄子は凄まじい叫び声を上げる。その声を聞いたものは命を落とすじゃろう。人であれ、動物であれ、例外はない」
カインが手を止め割って入る。
「それではユケイ様は……!」
「安心せい、騎士殿。恋茄子の叫びは呪いの声じゃ。ユケイの耳には聞こえぬ」
「そ、それは間違いないのですか?」
「近づけば騎士殿にも納得できるじゃろう。そして、恋茄子は体に溜まった呪いを全て吐き出すまで叫びながら逃げ出そうとする。そこで処女のしとの登場じゃ!」
「……ヘリオトロープ、なんか楽しんでないか?」
「久しぶりに生きた恋茄子が手に入るのじゃからのう。で、しとを浴びせればすぐに動きを止める。決してマンドレイクを放してはならぬぞ?万が一手を放せば、恋茄子が動きを止めるまで延々と死をばら撒き走り続けることになる」
「それじゃあヘリオトロープ達はどうするんだ?」
「其方を恋茄子のところまで案内したら、声が聞こえぬ所まで離れておる」
「ユケイ様のそばを離れるなどできません」
「ユケイは安全じゃ。もしユケイを狙う者がおったとしても、恋茄子の叫び声を聞けば助かる術はない。むしろ、ユケイが恋茄子をとり逃がし、それが我らの方に向かって来ぬかの方が心配じゃ」
そんな話をしつつ森を進むと、周りの景色に変化が現れる。
所々枯れた木が目立つようになったかと思えば、ある所を境に全ての樹木が枯れているようになった。
剥き出しになった空には、渡り鳥の姿が見える。
「なんだ、この音は……」
カインが不愉快そうに呟き、まるで臭いものを鼻先に突きつけられたように表情を歪ませる。
しばらく進めば、樹木だけでは無く下草も全て枯れ果てた、死の大地に迷い込んだようだった。
「マンドレイクは地の精霊を吸いつくす。奴らの周りには草すら生えることはできぬ。ほっておけば、やがてここは嘆くこともできない死の森に姿を変えるじゃろう」
ヘリオトロープが指差す先には、うねうねと生き物のように葉を揺らす、紫色の不気味な植物が待ち構えていた。




