神が振る賽子 Ⅶ
「それは……、言葉通りの物なのか?」
「そうじゃ」
処女のしと、しとというのは「尿」という意味だ。
「……冗談で言っているんじゃないだろうな?」
「そんなことを言ってなんになると言うのじゃ?それが無理であれば別の物でもいいが、そちらの方が手に入れるのは難しいぞ?」
それが何か気にはなるが、ヘリオトロープがいうのであればそうなのだろう。
本当にそんなものが必要なのか疑いたくなるが、そういえば前世のネット百科事典で厨二病あふれるワードを検索しまくってた頃、マンドレイクの記事も読んだ気がする。
それは、抜いた後に逃げ回るマンドレイクの捕まえ方だ。
逃げ回るマンドレイクは、処女の尿か経血をかければ動きを止める。確かにそう書いてあった。
その記事とヘリオトロープが求めるものが同じとは限らないが、どちらにせよろくなものではない。
「ど、童貞の……じゃ駄目なのか?」
「お主は馬鹿なのか?」
「な、なんだよ、成分は一緒だろ!」
「黙って言われた物を用意するのじゃ。変な物を入れると、周りに危険を及ぼすことになる」
そう答えるヘリオトロープの表情は真剣だ。
「……それはヘリオトロープが用意してもらえないだろうか」
「ふふふ、我が処女だったとしても、それは使えぬ。人と魔女は別の生き物じゃ」
「いや、そういう意味で言ったんじゃないよ……」
「お主の身の回りに頼めば良いじゃろう?恋茄子は二匹おる。少なくとも二人分は用意するのじゃ」
一人分だけでも気が重いのに、二人分用意しろというのか?
そもそも俺は、ウィロットやティファニーが処女かどうか知らないし、もちろんそんなことを聞ける訳もない。
ルゥは修道女なのだからおそらくそうなんだろうが、ほぼ初対面の彼女にそんなことは頼めない。
「明日太陽が天頂に昇る頃、街を出て嘆きの森へ向かうのじゃ。我は丘の上でそなたを待とう。必ずくるのじゃぞ」
彼女はクククと小さく笑う。
「それと騎士殿、其方の主人を借りて申し訳なく思う。主人の安全はヘリオトロープの名にかけて保証しよう」
「まだ貸すとは言っていない!」
「そう嫌ってくれるな……。少なくとも我らは、人より嘘はつかぬ……」
ヘリオトロープはふと悲しそうな表情を見せる。
その瞬間だけ、なぜか彼女は年相応の少女に見えた。
そして彼女は手に持った羽をくるくる回すと、その姿は見る見るうちにカラスに変わり
、窓から空へ飛び立っていった。
月明かりが煌々と地面を照らす。夜の葡萄畑を渡る純白の姿は、教会画に描かれる光の精霊を思わせた。
「ユケイ様!」
カインの声は、微かに怒りを含んでいる。
「ご説明頂きたい!魔女の力を借りてまで手に入れたいものがあるというのですか!?」
「落ち着けよ、カイン。そういうわけじゃない」
「では何故!危険を犯してまで魔女との取り引きに応じたのですか!」
「それは、ヘリオトロープが言ってたじゃないか。この依頼をこなせるのは世界で二人だけだって。それはおそらく、俺と悪魔王のことだ。俺が断ればヘリオトロープは誰に頼むと思う?」
「それは……」
「そうだ。俺が依頼を断れば悪魔王に協力を求めることになる。実際に悪魔王がヘリオトロープの頼みを聞くかどうかは分からないが、俺は悪魔王が魔女に恩を売るなんてことさせたくない」
「……だからといって、ユケイ様が危険を犯す必要はありません」
「命の危険は無いって彼女は言ったんだ。それを信じよう」
「魔女の言葉を信じるのですか!?」
「魔女でも人でも、疑うのは最初に騙されてからでいい。それにさ、色々と宿題を抱えているんだ。魔女の協力を得られるなら助かることがあるかも知れない」
「人が良すぎます……。その宿題だって、ユケイ様がどうしても背負わなければいけないものではないでしょう」
「そうかも知れないけど……、みんな一生懸命生きてるんだ。力になれるならなってあげたい。俺以外が適役だと思う人がいるなら、俺は無理はしないさ」
「……私もウィロットも、ユケイ様のお節介に命を救われました」
「お節介は余計だろ?それに、俺の方が二人に助けてもらった回数はきっと多いよ」
カインはもう何も言わなかった。
重い空気が部屋に広がる。
「……夜明けまでまだ時間があります。もう少しお休み下さい。寝不足では馬に酔います」
「……うん。ありがとう、カイン」
カインは小さく頭を下げ、部屋から出て行った。
次の日の朝。
仕事に来たルゥに対してカインが真っ先に申し出たのは、部屋の変更だった。
彼は全ての窓に鉄の格子が施してある部屋を望んだ。
「どうしてそんな牢屋のような部屋が良いのですか?」
「防犯のためだ。昨夜部屋に、たちの悪いカラスが迷い込んできたからな」
「たちの悪いカラス?窓を閉めておけばよろしいのではないでしょうか?」
「ザンクトカレンのカラスは、その程度では足らない」
ルゥは興奮するカインを不思議そうに見るが、「かしこまりました」と答えて部屋を後にする。
窓に格子が貼ってある部屋などあるのかと思ったが、どうやら直ぐに手配されるらしい。
それが侵入者を防ぐ目的のものなのか、それとも中の人間を逃がさないためのものなのかはわからないが。
その結果、部屋の中身はだいぶ貧相になった。日当たりも南向きから北向きに変わってしまったが、それでもカインは満足そうだ。
俺としては窓から見える街と葡萄畑の風景が気に入っていたので少し残念に思う。
教会の北側には街が広がり、そのさらに向こうには大きな湖が見える。
「それにしても、あの魔女は『騎士の兜』が欲しいなどと言っておりましたが……」
「ああ、それは全て植物の古い呼び方だよ。昔は調薬のレシピが広まらないように、そういう言い方をしたんだ」
「なるほど……。しかし、ユケイ様のその博学は、いったいどこから来てるのですか?」
「ふふ、図書室のお悩み解決王子ってね」
「なんだか懐かしいお話をされてますね」
ウィロットがにこにこと笑いながら、お茶を淹れてきてくれた。
俺は子どもの頃、オルバート男爵の図書室に陣取り、お悩み相談みたいな遊びをしていたのだ。
その頃には既に、図書室のを全て読み尽くしていた。
「……すまんが、ウィロット。俺にもお茶を淹れてきてくれるか?」
「はい、もちろんです。カイン様が珍しいですね」
彼女はぺこりと頭を下げると、ぱたぱたと部屋の奥へ駆けていった。
ウィロットの姿が見えなくなるのを確認し、カインがこそこそと話しはじめる。
「で……、例のものはどうするのですか?」
「まあ、普通に頼むしかないと思うんだけど……。正直に言っていいか?」
「なんでしょう?」
「俺は小さい頃からずっとウィロットと一緒にいる。その、もしカインとウィロットにそういうことがなければ、彼女は、その、処女だと思うんだが……」
カインは「はぁ……」と、深いため息を吐く。
彼の視線は明らかに俺に呆れている。
「ユケイ様、そんなこと絶対にウィロットに言わないで下さい。彼女が悲しみます」
「え?それはどういう意味だ?」
「……いえ、いいです。とにかくその質問は絶対にウィロットにしないで下さい」
「う、うん。わかったよ」
「ウィロットは聞かずとも大丈夫でしょう。それより魔女は二人分と言っていましたが、どうなさるおつもりですか?」
「それは……、ティファニーに頼むしかないかなぁ……」
「……私は関わりませんので、好きにして下さい」
「冷たいなぁ」
返事の代わりに、氷河のように冷たい視線がカインから注がれた。
俺は結局、二人に頭を下げて件のものを分けてもらうようお願いするしか方法が思いつかなかった。
理由は深く説明できないとしつつも、実験に必要だということにする。
「嫌です」
「またですか……」
俺が二人に願いを伝えると、二人の返答はほぼ同時だ。
ティファニーは軽蔑した眼差しと共に間髪入れず断る。逆にウィロットの「また」という返答の意味が、俺には理解できなかった。
そんな言われ方をすると、普段からそれを求めているような誤解をされてしまう。
「いやウィロット、またってのはどういう意味だよ。俺は今までそんなこと頼んだことはないぞ?」
「ユケイ様が変な物を欲しがるのはいつものことじゃないですか。以前も馬のおしっことかコウモリの糞とか欲しがってましたよね。牛の血が欲しいって言ってたこともありました」
「……あ、ああ。言われてみれば確かにそうか」
「ユケイ様のおしっこじゃダメなんですか?」
「それで済むならそうしてるよ……」
「……わかりました。仕方がないです」
ウィロットはやれやれと言わんばかりに両手をすくませ、一人で部屋を出て行った。
平然とした様子だが、彼女の耳は真っ赤に染まっていた。
俺はそっとティファニーに視線を向けるが、その瞬間に「絶対にイヤです!」という返事が飛んでくる。
そして彼女もまた、部屋から出て行ってしまった。
「まあ……、そりゃそうだよね……。けど困ったな……」
「ユケイ様、わたしのでもよろしければ差し上げます」
部屋の隅で話を聞いていたルゥが、突然そう申し出てきた。
「えっ?本当に?」
「はい。それをご所望されるかたは時々いますので」
「そうなんだ……」
俺が知らないだけで、ヘリオトロープの言う通り使い道があるということなのだろうか?
ただ、これはこれで助かったともいえる。
修道女であるルゥだったら、処女である確認は取らなくていいだろう。
ティファニーから貰えていたとしても、その上処女かどうかを重ねて確認するなんてことは到底できない。
「それでは、どうすればよろしいですか?」
「あ、ああ。すまないが水袋に入れて持ってきてくれないだろうか」
「ここでしなくて良いのですか?」
「も、もちろんだよ。本当にすまないが、よろしく頼む……」
ルゥは小さく首を捻ったが、「わかりました」と一言残して退室した。
「……」
カインから哀れみの視線が向けられる。
「わかってるから、何も言わないでくれ……」
「何も言っていません」
「わかってるよ……」
しばらくして、顔を真っ赤にしたウィロットと平然な顔をしたルゥが戻ってきた。
ウィロットは革製の水袋を二つ手にし、俺と視線を合わせずぶっきらぼうに俺に渡す。
「……どうぞ」
「うん。ウィロットもルゥもありがとう……」
「えっと、これはどっちが誰のなんだろう?」
「ユケイ様、でりかしーって言葉知ってますか?」
ウィロットとカインから、遠慮のない軽蔑した視線を向けられる。
むしろウィロットがよくデリカシーなんて言葉を知っていたなと思うが、どうせ俺がどこかで使ったのだろう。
「そ、そうだよね。ごめん……」
ウィロットは俺の返事も聞かず、ルゥを残してスタスタと部屋を出て行った。
「ユケイ様、たぶんそちらのがわたしのおしっこ……」
部屋に残ったルゥが水袋の一つを指さそうとする。
「い、いや!いいんだよ!別にどっちが誰のだって関係ないんだから」
「そうですか?それでは……。わたしユケイ様男色家かと思ってましたが、そちらだったのですね」
極最近、誰かに似たようなことを言われた気がする。
「ルゥ……。会って間もない君にこんな失礼なことを頼んで大変申し訳ない。けど、勘違いしてるぞ?」
「いえ、お気になさらず。仕事ですから」
彼女は眉一つ動かさなかった。
しばらくして、俺とカインは二人きりでザンクトカレンを後に、嘆きの森へと馬を進めた。
軽装で特に荷物も無いため、馬の歩みは極めて軽い。
この様子では一刻かからずに丘の頂にたどり着くだろう。
途中の葡萄畑では、多くの人が収穫作業をしていた。
前世で多くの著名な画家がこの風景を絵画に残している。
実際にこれを目の当たりにすれば、そうしたくなるのが納得できるような、非日常な光景だと思う。
「二人だけで良かったのか?冒険者でも雇うかと思ったんだけど」
「冒険者を手配している時間はありません。……それにあの魔女が安全だというのであれば、おそらくそうなのでしょう。癪ではありますが、あれに優る人間がいるとは思えません」
「……まあ、そうだな。昨日のことも、あの野営地でのことも、ヘリオトロープは人が持てる力を遥かに超えている。……魔女は人間なんだろうか?」
「魔女は人間ではないと神官どもは言いますが……。昨夜、私が使おうとした灯りの魔法は発動しませんでした。おそらく魔女に邪魔をされたのでしょう。そして奴は詠唱もなく多くの魔法を操ります。……ユケイ様の言う通り、奴と悪魔王は合わせない方がよろしいのでしょう」
「すまない……」
やがて丘の頂へ差し掛かる頃、遠くに小さな人影、ヘリオトロープが見える。
もしかしたら彼女はまた全裸で現れるのではないかと危惧していたが、どうやらそれは杞憂に終わったらしい。
少女は真っ白な法衣に身を包み、大きな麦わら帽子をかぶっていた。
頂に佇む彼女は、背後に広がる青空のせいか、すっかりと過ぎ去った夏の忘れ物のように見えた。




