神が振る賽子 Ⅳ
「ユケイ王子殿下、遠路はるばるよくお越しいただきました。私はこのザンクトカレン大聖堂を預かります司教、コンストと申します。よろしくお願いいたします」
案内された部屋はそう広くなく、中央に置かれた年代物の円卓がそのほとんどを占有していた。正面に座った男が立ち上がり、仰々しい態度で俺に挨拶をよこす。
赤色の生地に金糸の刺繍が施された法衣。
それは彼が司教であり枢機卿でもあることを表していた。
「コンスト猊下、お会いできて光栄です」
「殿下のご活躍はエヴォン猊下より色々と伺っております。私もお会いできるのを心待ちにしておりました。先程は神官たちが失礼をしました。殿下は敬虔な信徒であると聞いていたのですが、お付きの騎士殿は違ったようです。こちらの法を押し付けて申し訳ありませんでした。しかし、大切な主人を護るためにはそうでなくてはありません。神をも恐れぬ勇敢な騎士殿、其方も歓迎します。ようこそ、ザンクトカレンへ」
エヴォンをさらに一回り太らせたようなコンストは、博愛精神をたっぷりと讃えた笑顔で両手を広げた。
俺が敬虔な信徒?やはりエヴォンからはそう伝わっているようだ。
そんなことより、この男の尊大な態度はいったい何だというのだ?
他国の王子に敬意を払う必要がないという意味なのか?それとも司教とはそれ程の立場だというのか。
側からカインの血管がブチブチ切れる音が聞こえてくる。正直よく我慢をしてくれていると思う。もしここにいるのがアゼルであれば、きっとすでに怪我人が出ているだろう。
「どうぞそちらへおかけ下さい」
俺は勧められるがまま、席についた。
本当は末席を用意されたことに文句を言うべきなのだが、教会から無害であるという認識を勝ち取るためにはそんな細かいことを気にしている場合ではない。
俺が席へ着くと、円卓の椅子それぞれに司祭らしき人物たちが着席していく。
「実は、ユケイ殿下の信仰心を見込んでお願いがあります」
俺の信仰心を見込まれたら答えは全て「ノー」になるのだが、ここはおとなしく「私に出来ることでしたら何なりと……」と答える。
「それでは……。先日ヴィンストラルドで、司祭の一人がユケイ殿下のお力で止まった心臓が動いたという奇跡を目撃したと言っていました。これは事実でしょうか?」
「……それは事実ではありますが、誤りでもあります」
「と、いいますと?」
「まず止まった心臓が動いたというのは事実です。しかし、それは私だけの力ではありません。あの時神の奇跡を施してくれた司祭殿、精霊の加護を施してくれた賢者の塔の研究員、そして私も含め、全ての力があって初めて行えた治療です。奇跡ではありません」
「治療?……奇跡ではないと?」
「はい。実際に止まった心臓が再び動くのは稀です。しかし、怪我や病気ではなく、ショックによって止まった心臓には一定の効果があると思います」
俺の言葉に、室内は微かに騒めく。
話の内容もさることながら、俺が奇跡ではないと言い切ったことに不満を持っているのだろう。
「……神の奇跡がなければ起きなかったのでしたら、それは奇跡と呼ぶべきではないですか?」
「今回は体内の毒を取り除くために神の奇跡が必要でした。しかし、場合によっては神の奇跡を使わなくても同じ治療はできます。逆に、精霊の加護を使わなくてもいい場合もありますし、場合によっては私の処置が必要ないこともあります」
まあ正直奇跡だろうとなかろうと、そんなことはどうでもいいのだが。
しかしこれが軌跡だとなれば、その手柄を神のものにしたいという魂胆が見え隠れしている。
「その話は今は後で良い。……ユケイ殿下、殿下にお願いと言うのは、その止まった心臓が動き出す技術を教会に提供して欲しいのです」
当然それは言われると思っていた。
答えはもちろん「イェス」だ。
かつて俺は、アルナーグでこれを広めようとして、教会のせいで失敗していた。これで少しでも不幸なことが減れば、そんな喜ばしいことはない。
教会が率先して広めてくれるなら、願ったり叶ったりだ。
むしろそんなことでわざわざザンクトカレンまで呼び出すなんてと思ったが、この街に来ることは俺の悲願でもあった。
これで教会との関係が多少でも改善されるなら、結局いいことずくめだと言える。
「はい、もちろんです。この技術は心肺蘇生法と名づけました。是非とも教会でも活用してもらいたいと思います」
俺の返事に、周りから小さく「おお……!」と歓声が上がる。
「ユケイ殿下、感謝致します……。神もきっと殿下の行いを賞賛するでしょう。今後その御業は教会でのみ行うとして、心肺蘇生の奇跡と呼びましょう。ユケイ殿下も決して他の者に明かさぬようお願いします……」
「……は?それはどういう意味ですか?」
「ご安心下さい。殿下には十分な謝礼を用意します」
「いえ、そういうことを言っているのではありません……!」
周りの司祭たちは、困惑した表情を浮かべる。
俺が何を言いたいかが伝わっていないようだ。
「ああ……、ユケイ殿下はまだご存知なかったですね……」
「ご存知ない……?何をですか?」
「実は先程、早馬にてとんでもない報が伝えられました……」
やはり大聖堂の外に繋がれていたのは伝令の馬だったのだ。
「……内容を伺ってもいいですか?」
「実は先日、王都にて刻死病の治療が成功したそうです……」
「刻死病の治療が成功?」
それは、つまり……
俺は大声で叫びたくなるのを、必死で抑える。
刻死病の治療が……成功?
抑えても湧き上がる感情に、俺は表情を見られまいと顔を伏せる。
刻死病の治療が成功した。
治療が成功した治験者、それはもちろんミコリーナのことだ。
俺と刻死病の関係性をたどりづらくするため、顕微鏡を使っての原因の特定以降は治療には極力関わらないようにしてきた。
当然それがどの程度まで進んでいるのかも知らされていなかったのだが、俺がザンクトカレンへ向かって旅立った数日後、それが完了したということだろう。
そう、ミコリーナは遂に、刻死病を克服したのだ!
そうか、それは確かに俺たちの出迎えなどしている場合ではない。
そういうことなら彼らの小さな非礼なんて全然気にならない。もっと早く言ってくれればとすら思う。
刻死病の治療は、教会の重要な収入源になっていたのだ。
教会で治療しても確実に再発するため、一度発症すれば生涯教会に寄付金という名の治療費を取られ続けなければいけない。
それが根治できるとなれば、いったい教会にとってどれほどの損害になるだろうか。
コンストの机に置いた手が震え、その振動が俺にまで伝わってくるようだ。
「数ヶ月前から刻死病の根治について、いろいろと噂が出ていました。しかし、あれは多くの人の命を犠牲にした悪魔の人体実験だ!教会としては、そんな治療を認めるわけにはいかない!」
感極まって、コンストは拳を振り上げ机に叩きつける。
ドンという鈍い音が室内に響き、俺以外の席につく者が萎縮するのが分かる。
他の参加者の態度を見る限り、どうやらこの教会は完全にコンストの独裁になっているようだ。
しかし……、おかしい。
今コンストの目の前にいるのは、その刻死病の根治のきっかけを作った張本人なのだ。
だが、彼の怒りは俺に向いているようには見えない。
もしかして、この件に俺が関わっているのを知らないのか?
確かにその情報は極力漏れないように配慮はしてもらっていた。
しかし、少なくともエヴォンは知っていたはずだ。
エヴォンから俺の情報が回っていないのか?いや、彼等は俺が敬虔な信徒であることはエヴォンから聞いていると言った。両者の間で情報が取り交わされているのは疑いない……。
「殿下、何かお考えのようですが、思うところがおありですか?」
「あ、はい。……なんでもありません」
「教会としては今回発見された刻死病の治療は禁術とします。今の時点ではそのことは世間に広まっていません。我々も情報を漏らさぬよう注意してください」
……は?こいつは何を言っているんだ?
「……禁忌とはどういう意味でしょうか?」
「……なるほど。殿下はアルナーグから来られたのであまりご存知ではないのですね。刻死病は昔から、治療のために残虐な人体実験を繰り返してきました。教会は何度もそれに反対しましたが非道な行いは繰り返され、多くの犠牲者を出しています。このようなことを繰り返さぬため、神の僕である我々は人道に反した実験による治療を認めるわけにはいかないのです!」
……なるほど、彼らの言い分も筋が通っている。
おそらく伝令が届いてから、必死で刻死病の治療に反対する理由を協議していたのだろう。
確かに非道な人体実験があったということは、俺も資料で目にしている。今回の結果だって、俺たちだけの成果ではなくそれら多くの犠牲の上に成り立っていることは間違いない。
しかしだからこそ、その犠牲を無駄にしないためにもようやく辿り着いた治療法を手放すなんてあってはならない。
かと言って、残虐な実験自体を肯定してはいけないというのはコンストの言う通りだ。
ただ残酷であれ医療はそうやって発展してきたし、それは未来への課題であり問題を同じにしてはいけない。
そもそも教会は、刻死病による寄付がなくなることを危惧してそう言っているだけだ。
そうでなければ、心肺蘇生法を他に漏らすななどと言うわけがない。
刻死病で稼げなくなった分の寄付を、これで取り戻そうという思惑が見え見えなのである。
「あれの治療法が見つかるなど、全く由々しき事態だ」
苦々しく言葉を吐き捨てるコンストに、周りの者たちもうんうんと賛同をする。
「全くです。実験が失敗し、また新たな被害者が出ればそんなこと止めさせられたのですが」
いかにもコンストの太鼓持ちらしき男が、そう漏らした。
その言葉に、俺の血が騒めくのを感じる。
湧き上がる巨大な怒りを、なんとか押し留める。
こいつらは一体何をいっているんだ?
ミコリーナが刻死病のせいで、どれほど大変な目にあっているか。
ミコリーナの父は刻死病で命を落としており、日に日に近づく死の瞬間を彼女はただ見守ることしかできなかったこと。
生まれ育った村では治療ができず、家族を捨てて単身ヴィンストラルドまで仕事に出なければいけなかったこと。
彼女の努力と才能のおかげで司書という仕事に就くことができたにも関わらず、その給金のほとんどを教会への寄付に使わなければならなかったこと。
そして数日おきに治療をしなければいけないから、長期で城を出ることができず、もう何年も家族に会えていないということ。
それでも彼女は生きているだけましなのだ。
なすすべなく命を落としていった人が、無数にいるのだから。
こいつらは本当に聖職者なのか?
どう見ても私服を肥やすことしか考えていない、豚どもに見える。
あまりの言葉に俺は思わず立ち上がりそうになるが、すんでのところでカインに抑えられる。




