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才の無い貴族と悪魔王  作者: そんたく
滅びに向かう種族
120/133

神が振る賽子 Ⅰ

「なぜ直ぐにそれを言わなかったのですか……!すぐ追えば、魔女を捕らえられたかも知れないというのに」


 次の朝。俺の下に興奮した神官が現れたのは、朝食を食べ終えた直後のことだった。

 俺は結局、魔女の件を部隊長に打ち明けることにしたのだ。

 俺の印象ではヘリオトロープはいわゆる悪人とは思えなかった。

 しかしこれから数日間エヴォンと合流するまで野営地に留まる部隊のことを考えると、俺たちとはおそらく常識が違うであろう魔女の棲家を隣にすることを放置できないと判断したからだ。

 昨日の短い邂逅だけでも、魔女の力は群を抜いていることがわかる。

 もし魔女というのが噂どうりのものであった場合、俺が守るべきなのは人たちだ。

 とはいえ、この神官のように闇雲に魔女を捕らえると騒ぎ立てる人にも共感はできないのだが。


「だからそんな状態じゃなかったと言っているでしょう」

「とはいえ、王子殿下は朝を待たずにその後すぐ私どもに話すべきでした!」


 何とか敬語は保っているが、神官は真っ赤な顔をして明らかに苛ついている。

 立場を忘れて掴みかかってきそうな勢いだ。

 流石に見兼ねたカインが、言葉を挟む。


「神官殿の言うことはもっともですが、立場を弁えて下さい」

「立場?立場……ですか。確かにおっしゃる通りです、失礼しました。……それで王子殿下、魔女に何か契約を持ちかけられたり、約束を交わしたりなどはしておりませんね?」


 俺は昨日のやり取りを思い返す。ヘリオトロープに一つ質問をして、彼女の質問に一つ答えた。これって契約に当たるんだろうか?

 あとは彼女を見逃すことを借りにするというのは、約束っぽくはある。

 いや、この場合ヘリオトロープの話を兵に伝えるというのは、見逃すという約束を破ることになるのか?

 どちらにせよ、それらは契約とも約束とも言えるような気がする。しかしここで「はい」と答えれば、更に面倒なことになるのは目に見えている。


「いえ、特にそのようなものは交わしていません」

「……そうですか」


 神官は微かに疑いの目を向けてくる。

 鋭いのかそもそも人を信用しない性格なのか。

 その後神官は、いかに魔女が狡猾で恐ろしいか、そして醜くて言葉巧みに人を騙して堕落させるかというのをこんこんと俺に語った。

 気づかない間に約束を交わしたことにし、契約で相手を縛る呪いをかける。

 何だか前世でもそんな感じの詐欺を色々聞いたような気はする。

 しかし神官がいう魔女像が、昨日俺が会ったヘリオトロープと重なるとは思えなかった。

 そもそも野営地の人間数十名をたった一人で無力化して見せる魔女だ。

 危害を加えるつもりがあるのなら、とっくにやっていると思う。

 少なくとも彼女はあの場で、俺を騙すようなそぶりはなかった。そしてあの純白の狼は美しいと感じたし、少女の姿は可憐だと思った。

 神官の言う通り約束や契約にこだわっている感はあった。しかし契約で俺を縛るなどはせず、むしろ自分から進んで「借り」を差し出してきたのだ。


「しかし、なぜユケイ王子には魔女の呪いが効かなかったのでしょうか?」

「……それはきっと、神のお力によるものでしょう」

「おっしゃる通り、それはそうでしょう。エヴォン枢機卿猊下から伺っておりますが、王子殿下はとても信仰熱心なかただと伺っております」


 エヴォンが俺を信仰熱心だと言った?

 そんな風に思われることをした記憶はないのだが、どこをどうすればそうなるのだろうか。

 イリュストラから何か聞いたのか?

 思い悩む俺を横目に、カインが助け舟を出す。


「神官殿、出立の準備もあります。主人には私からもしっかり言い聞かせますから、今日のところはお戻り下さい」

「おっしゃる通り。それでは騎士殿、くれぐれもお願いします」

「はい。神のお導きがありますように」


 神官はカインが胸に手を当て頭を下げた様子を見て、満足そうに立ち去った。


「ふぅ……。助かったよ、カイン」

「助かったじゃありません!どうしてユケイ様はいつも教会に目をつけられるようなことをするのですか!」


 その後に待っていたのは、ウィロットが怯えるほどの説教であった。

 まあ、昨日の出来事をこんな形で知ることになったカインにしてみれば、当然の怒りだろう。

 結局出発時間直前まで、カインにたっぷりと絞られることになる。


 結局この野営地は使われずに解体されることになった。

 確かにあんなことを起こせる魔女が近くにいると分かれば、エヴォンをここへ泊めるわけにはいかないだろう。

 エヴォンの旅程にどのような変化があるかはわからないが、俺たちはそのままザンクトカレンへ向かう。


 森を行く街道は途中から緩やかな坂に変わり、木々の姿がまばらになる頃にはすっかり峠道になっていた。

 道は何度も折り返しながら、緩やかに頂へ向かって続いている。

 それでも馬への負担は大きい。

 ウィロットとティファニーは途中まで同じ馬に乗っていたが、今は別々の馬を用意してもらっていた。


「ウィロット、大丈夫か?」

「ぜんぜん大丈夫ですよ、ティファニーに教えてもらいましたから。きっとユケイ様より上手に乗れますよ」

「ははは、どっちでもいいよ」


 俺たちの会話を、横からティファニーが不思議そうに眺める。


「お二人は仲がよろしいですね」

「え?うん、まあ、そうかな?」

「わたしだけじゃないですけどね。ユケイ様は誰にでもすぐに心を許しちゃいますから、わたしは心配です」


 ウィロットの言葉にカインが反応する。


「お前の距離感のなさの方がよっぽど心配だ。何かあった時に迷惑を被るのはユケイ様なんだぞ」

「わたしはちゃんと相手を見てますから。大丈夫です」


 えへんと胸を張るウィロットだが、正直彼女の言動にヒヤリとさせられることはしょっちゅうだ。


「ただ、教会との接し方はもう少し用心していただきたいと思います」

「あ、ああ、分かってるよ。悪かったって」


 カインが朝の話を蒸し返そうとする。

 しかしそれに追い打ちをかけたのはティファニーだった。


「あの……、ユケイ王子殿下は教会がお嫌いなのですか?」

「いや、そんなことないよ。魔女のことを言ってるなら、あれは不可抗力だ。俺が生まれたアルナーグでは、魔女のことなんて話も聞いたことなかったんだ。グラステップにも魔女はいたのかい?」

「わたしは会ったことはありませんが、昔荘園でエスティア様のお母様から魔女のお話をよく聞いていました」

「そうなんだ。それはどんな?」

「あの、それは……、夜更かしすると魔女の使いが攫いにくると……」

「ははは。それは子供を寝かしつけるための常套句じゃないか」

「それでも、わたしも兄も、エスティア様も怖くて眠れなくなってしまって、一緒に手を繋いで寝たんです……」


 懐かしそうに過去を語るティファニーの瞳には、深い悲しみが浮かんでいるように見える。


「えっと、エスティア様のお母様っていうのは?」

「亡くなった国王の、妹君です」


 ということは、エスティアは国王の姪にあたるということだ。

 そして真偽の程は別にして、アウレリウスは国王の孫に当たる。

 とは言っても王太子の子ではないので、王位継承権がどちらが高いかと言われれば微妙なラインだ。

 贔屓目なしに言えば、男子であるアウレリウスの方が若干上位だと言えなくもない。


「……ティファニー、一つだけ聞いてもいいかな?」

「何でしょうか?」

「グラステップ亡命政府というのは……、エスティア様が望んだことなのだろうか?」


 彼女の手綱を持つ手に、グッと力が入るのがわかる。


「それは……わかりません……」

「……そうか、そうだよね。ごめん、変なこと聞いて」

「けど、わたしが知っているエスティア様は、地位や富を欲しがるかたではありませんでした……」


 人は変わることもある。

 しかし、俺はエスティアに数回あっただけだが、ティファニーのいうことはその通りのような気がした。


 その後しばらく沈黙が続き、その中で馬の足音だけがリズミカルに時間を刻む。

 やがて空が広がり、俺たちは丘の頂上付近に差し掛かったことが分かった。


「あれ?ユケイ様、なにか匂いがしませんか?」


 ウィロットはそういうと、リスのように鼻を上に向けてヒクヒクとさせる。


「匂い?」


 そう聞いて昨夜のヘリオトロープの甘い匂いが頭をよぎるが、その後すぐに俺の鼻口を刺激したのは、全く別の匂いだった。

 微かに甘酸っぱいような、そして土と何かが焦げるような匂を含んだ風が、丘の向こうから風に乗ってふんわりと漂う。


 視界が急に開ける。秋の気配を孕んだ少し肌寒い風が、山道で火照った俺たちの熱を優しく拭い去る。


「わぁー!綺麗!」


 ウィロットが声を上げる。

 丘の上からは国境の街、ザンクトカレンが一望できた。

 草の絨毯を纏った先、幾重にも連なる緑色の生垣が見える。

 それらは低い石垣で区切られており、どうやら何かの畑のようだった。


「ユケイ様、あれって何ですか?」

「何だろう?お茶畑……じゃないよな。ティファニーはわかる?」

「はい。あれは葡萄畑です」

「ああ、葡萄畑か……!」


 先程かいだ甘酸っぱい匂いの正体は、この葡萄畑なのだろう。


「ユケイ王子殿下、あれがザンクトカレン教会です」


 ティファニーが街の中央を指差す。


「あれが……」


 よく見ると畑で働く多くの人の姿も見えた。

 収穫の前なのかそれぞれの葡萄畑は様々な色を持ち、街道を中心に真っ直ぐに畦を作っている。

 その奥に佇むオレンジを基調とした素焼き粘土(テラコッタ)の屋根瓦が並ぶザンクトカレンの街並み。中央に位置する雄大なザンクトカレン大聖堂とのコントラストは、まるで一枚の絵画のような雄大さと美しさを持っていた。

 なるほど信仰とは、こうやって獲得されていくのだと実感する。

 神の存在を意識しない俺でも、この雄大な景色には特別なものを感じてしまう。


 ザンクトカレンの街は大きかった。ヴィンストラルドと比べれば小さいが、アルナーグと比べると一見どちらが大きいかわからない程の大きさだ。


 俺たちはゆっくりと丘を下り、葡萄畑へ徐々に近づいていく。

 葡萄の木は皆背が低く、俺がイメージする前世のそれとは違う姿だった。

 それもそうだろう。この時代の葡萄はまだ品種改良が進んでおらず、実は小さくて酸味が強い。

 ここで収穫される葡萄のほとんどは葡萄酒に加工され、残りの干し葡萄にされ直接口にすることは稀らしい。


「ユケイ様、あそこ……」


 ウィロットが何かに気を取られたかと思うと、俺に呼びかけながら畑の一角を指差した。


「あれは……何やってるんだろう?」


 ウィロットが指し示す方へ目を向けると、数人の人が集まり何かを言い争っているように見えた。

 髪をすっぽりと布で覆った女性が両手で顔を覆い、おそらく泣いているのだろうか。中には二名ほど神官らしき姿も見える。

 しばらくその集団に目を向けていた時。


「あっ!」


 ウィロットが声を上げると同時に、畑の一角から火の手が上がる。


「何だ?火をつけたのか?あの畑はまだ収穫前に見えるけど……」


 あの場に集まった面々は、もう言い争っている様子は見えない。

 しかし女性は依然として泣き続けているようだった。

 よく見れば、他にも焼かれた畑の跡のようなものがちらほらあることに気づく。

 丘の上で嗅いだ微かに焦げ臭いような匂いの正体は、これだったのだ。


「ティファニー、あれは何か知っているかい?」

「いいえ……、申し訳ありません……」


 彼女は困ったような表情で首を左右に振った。


 不意に隊列の後方がざわざわと騒ぎ始める。


「なんだ!?」


 カインが俺の前に立ち、後方に警戒を向ける。


「伝令!早馬です!道を開けて下さい!」


 緊張した声が聞こえる。それと同時に隊列が2つに割れ、その間を2頭の騎馬が駆け抜けていった。


 行き先は当然ザンクトカレンだろう。

 騎馬の腕章には赤と白の二重線が入っている。

 それはあの二人がヴィンストラルドから来ていることを表していた。

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