香水草の魔女 Ⅴ
「とりあえずユケイには、エヴォンの要請を受ける形でザンクトカレンへ行ってもらいたいんだ」
「ザンクトカレン……ですか?」
俺はイルクナーゼの言葉に一応不満気な顔を作ってみる。
「ああ。そこでいろいろと集めて欲しい情報があるんだ。わかってると思うけど、あんまりのんびりともできないからね」
「情報を集めるなんて、専門の人に任せた方がいいのではないですか?」
「もちろんその筋も当たるさ。ユケイはエヴォンに恩を売るついでにやってくれればいい。彼に恩を感じるなんて殊勝なことができるかどうかわからないけどね。予算はたっぷりエヴォンに用意させるから、好きに使っていいよ」
とりあえずこれで大手を振ってザンクトカレンへ行けるということだ。
まさかずっと憧れていたザンクトカレンへ、こんな形で行けるようになるとは思っていなかった。しかも予算までつけてくれるなんて、正直かなりありがたい。
教会の式典やらイルクナーゼの話やら不安な点も多々あるが、これを逃してはいつ次のチャンスがあるか分からない。
「私に何をしろと言うのですか?」
「聞く気になってくれて嬉しいよ。正直もっと渋るかと思ったんだけどね」
「いえ……、それは……」
「いや、余計なことを言ったね。すまない。……それで、ザンクトカレンにはグラステップから流れてきた人が沢山いる。そこでアレックスという人の情報を集めて欲しい」
「アレックス?」
あれ?アレックスって確か……
俺はエスティアにそっと視線を向けると、彼女はあえて作ったかのような無表情を浮かべていた。
「彼については分からないことが多いんだけどね。グラステップの騎士で、王女警護隊の一員だった男だ。最後に草刈りの魔導書を持っていたのは彼だという噂がある」
「……イルクナーゼ王子、話を進める前によろしいですか?」
アゼルが割って入る。
「なんだい?」
「ユケイ様が行くというのを止める権限は私にはありません。ただ、そもそも教会と距離を置くために賢者の塔に入ったのです。当然、ユケイ様の安全には万全を期して頂けるのでしょうな?」
「まあそうだね。俺がせっかく教会と距離を取ったのに、散々目立つことをしてくれたのはユケイだけどね。もちろん道中の危険は一切排除するよ。向こうでもユケイが余計なことをしなければ安全は保証できる」
余計なことを言うなよ……。
目立つこととはどれのことだろうか?
いろいろと心当たりはあるが、まず間違いなく心肺蘇生の件だろう。
アゼルはこちらを睨んでいるが、とりあえず無視をする。
「……道中の安全というのはどの程度のことを仰っているのですか?」
「……騎士殿はどれくらいいれば安心かな?」
「私の体は今こんな状態です。残念ながらザンクトカレンまで同行することは出来ないでしょう」
「そうなのか……!?」
「今の状態では、私が行けばかえって足を引っ張ることになります」
「しかしそれでは……」
「カインもウィロ……、カインはもう立派な従者になりました。私がいなくても大丈夫でしょう」
今ウィロットの名前を言おうとして言い直さなかったか?
彼女もそれに気がついたのか、見えないが俺の後ろで頬をパンパンに膨らませている気配がする。
「……ですから、せめて中隊程度は用意して頂きたい」
「中隊か……、ずいぶんと大仰だねぇ」
中隊とは、編成にもよるがだいたい百から三百名程の部隊になる。
敵地であるならともかく国内で中隊規模の警護となると、それこそ国王や王太子レベルの警護だと言えるだろう。
「それを用意できないと仰るのであれば、私は首を縦には振れません。北方に向かえば向かうほど治安は悪くなります。ザンクトカレンは国境の街。グラステップが不安定の今、アルナーグの王子を移送するのにはそれくらいの用意はして頂きたい」
「それくらいと言っても、俺が行くとなってもその規模の軍を用意するかどうか分からないよ」
「ならばよろしいのではないですか?それとも、ヴィンストラルドの王子殿下には護衛を出せて、アルナーグの王子には護衛を出せないと言うおつもりですか?」
「ふぅ……、騎士殿はなかなか厳しいことを仰る。わかったよ。少なくとも移動の警備は万全にすることは約束しよう。それで異論はないね?」
「後はユケイ様の判断です」
「結構。……それじゃあエヴォンにも、人の客人を余計なことに巻き込んだ報いを受けて貰おう」
そういいながら、イルクナーゼは口の端をニヤリと吊り上げる。
「ユケイを使うことには申し訳なくは思っているさ。しかし教会の機嫌を取っておくのは必ずキミの役に立つはずだ。ヴィンストラルドで奴らには力はないが、神の使徒には国境がない。教会に目を付けられたのは自業自得だと思って、諦めるしかないね」
「はい……」
「あと、魔導書を探していると言うことは内緒だよ?エヴォンはもちろん、アルベルト兄さんにもね」
俺はイルクナーゼに「何故?」と言いかけるが、その言葉を飲み込んだ。
どうせ聞いても本当の答えは出てこない。
「はい」とだけ短く返事をすると、彼はそれ以上何も言わなかった。
竜の遺産。それはつくづく呪われているのだなと思う。
俺もかつて、アルナーグに伝わる竜の遺産である「止まぬ風」を巡って、兄ノキアと対立をした。
そしてグラステップでは草刈りの魔導書を巡ってエスティアとアウレリウスが。そして、もしかしたら俺とノキアも再びそれを手にしようと争うこととなるのだろうか。
「それじゃあユケイ、出発の準備はしておいてくれよ?意外とすぐに旅立つことになるかもしれないからね」
「しかし式典というのはまだ二ヶ月ほど先なのではないですか?」
「早くついた方がキミもいろいろ助かるだろ?」
なんだ?イルクナーゼは俺がザンクトカレンに行きたがっていることを知っているのか?
……ああ、そうか。
ティファニーを通じてその辺の情報は筒抜けなのかもしれない。
結局俺は、またもやイルクナーゼの手の上で転がされているということか。しかし予算まで付けてくれるというのなら、みんなに危険が及ばない程度だったら協力してもいいだろう。こちらも利用できる限りは利用してやる。
賢者の塔の生活もなかなか興味深かったが、ザンクトカレンはガラス工業の街だ。
いろいろとやってみたいことは沢山ある。
予算ももらえるのだから、向こうで短期間工房を借りることもできるかもしれない。
そうすれば二ヶ月なんてあっという間だ。
実は体温計だけでなく、ガラス製品で試してみたいと思っていたものもある。
そのための資材も買い集めたいが、出発までに間に合うだろうか?
早速今日から手配しないといけないな。
その予算はもう使ってもいいのかな?向こうで使うものだから、きっと大丈夫だよな?
「ユケイ、聞いているかい?」
「あっ、すいません」
「どうやら楽しく過ごせそうだね」
傍には、呆れた顔のアゼルが立っていた。
それからすぐに俺たちは解散し、賢者の塔へ向かう馬車へ乗り込む。
「アゼル、せっかくここまで付いてきてくれたのに置いていくことになってしまって……。行くなとは言わないのか?」
「いつまでもユケイ様をあのような場所に閉じ込めておくわけにもいきません。望むなら、行くべきでしょう」
「アゼルは残ってどうするんだ?」
「自分で馬に乗れるようになれば、すぐに追いかけます」
「そうか……。無理はしないでくれ……」
ふっとアゼルの表情が緩む。
「ずっとユケイ様に付いてきましたが、少しだけお休みを頂きます。決して無理をなされぬよう。イルクナーゼ王子やエヴォン王子に踊らされてはいなりません」
「肝に命じる……」
「あと……、ノキア様のことは王子が気に病むことではありません」
「……ああ」
「カイン、ユケイ様を頼む。決して迷うな」
「はい……」
そしてアゼルは、ウィロットの頭に手をポンと乗せた。
「ユケイ様に迷惑をかけるなよ」
「かけません!」
ウィロットの頭からぽっぽと蒸気が立ち上る。
「ウィロットは最後までユケイ様のそばにいてやってくれ……。お前はそれだけでいい……」
「ちゃんとお世話をするから大丈夫です!アゼル様はわたしたちが帰ってくるまで、大人しく休んでて下さい!」
そしてアゼルはそのまま、城へと帰っていった。




