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才の無い貴族と悪魔王  作者: そんたく
滅びに向かう種族
111/133

香水草の魔女 Ⅱ

「よくもまあ、王族たる者がこんな所で生活できるものだ」


 その男は服の袖で口を押さえ、あからさまに顔を歪めて言った。

 肉が余った頬に神経質そうな細い目。その出立ちと言動から、俺は初対面であるこの男が誰か、一瞬で理解することができた。


 質の良さそうな真っ白な生地に金糸で刺繍が施されたローブ。

 そのローブの胸元には交差する鍵の左右に格子状に配置された緑の房飾り(タッセル)の紋章が刻まれている。

 この世界で、これが刻まれたローブを纏うことを許されたのは三十一人だけだ。


 枢機卿(すうききょう)


 バルボア教皇を主とする三十一人の忠実な使徒。

 教会の権力構造で、教皇に次ぐ地位を持つ人物だ。

 枢機卿は国を跨いで在職し、バルボア教皇がいるリュートセレンだけでなく、教皇の影響力が及ぶ各国に複数人配置されている。

 俺が生まれたアルナーグにも二名の枢機卿がおり、ヴィンストラルドにも十名弱の枢機卿がいたはずだ。

 その中の一人が、今俺の目の前に立っている。


「お初にお目にかかります。風の国アルナーグのユケイと申します。エヴォン・ヴィンストラルド王子殿下でしょうか?」

左様(さよう)だ」


 不満気な態度で返事を寄越すエヴォン。

 俺はすぐに、彼の不機嫌な理由を察した。


「失礼しました。エヴォン猊下(げいか)とお呼びすればよろしいでしょうか?」

「うむ、よいだろう」


 そう言うと、彼は満足そうに鼻を鳴らす。

 猊下というのは枢機卿に対する敬称だ。

 つまり彼は、自分を王子ではなく聖職者として扱えと言っているのだ。


 エヴォン・ヴィンストラルド。

 地の国ヴィンストラルドの第二王子。

 第一王子のアルベルトが最近三十歳になったと記憶している。エヴォンは当然それよりも年下なのだろうが、精悍なアルベルトに比べるとその怠惰な体つきは、むしろ彼よりも老けているように見える。


 しかし、この国の人間は皆が皆、事前の打ち合わせをせずに現れる。

 王子だとしてもアルナーグの田舎貴族にはその様な礼儀は必要ないということだろうか。

 さらに教会の人間がいきなり賢者の塔に乗り込んでくるとは、賢者エインラッドは知っているのだろうか?


 エヴォンは従者に目配せをすると、従者はベルベットで造られた豪華な文台に乗せられた巻物を差し出す。

 彼は勿体ぶった仕草でそれを開くと、俺に向けてそれを読み上げた。


「ユケイ・アルナーグ王子。其方にザンクトカレンで行われる教会の式典に参加するよう命ずる」

「……は?」


 俺は思わずカインと顔を見合わせてしまった。


「本来式典は私が参加する予定だった。しかし司教は其方の派遣を望んでおられる。私の代わりにザンクトカレンに行ってこい」 


 もしかしたらエルデンリードが持ち込んだ羊皮紙の件で何か情報が漏れたのかとも思ったが、どうやらそれは杞憂だったらしい。

 しかしこの男は、いきなり何を言っているのだろうか?

 俺が教会の式典?話が全く見えない。

 しかしこのタイミングでザンクトカレンに行けということか?

 そんな偶然があっていいのだろうか?


「それは……、イルクナーゼ殿下はご存じなのですか?」

「イルクナーゼ?なぜあいつが関係するのだ?」


 俺とイルクナーゼのことを知らずにここへ来ているのか?

 俺はイルクナーゼに保護をうけ、言い換えれば彼に雇われてここにいることになる。

 確かに、これは千載一遇のチャンスだ。

 とはいえ、イルクナーゼの許可を得ずにエヴォンの話に乗ることはできない。


「申し訳ありません、エヴォン猊下。私はイルクナーゼ殿下の庇護を受けています。エヴォン猊下の命をお受けすることはできません。そもそも、わたしはこの塔から出ることを禁じられています」

「……そうなのか?」


 エヴォンは傍の文官らしき男に顔を向けるが、その男は狼狽するばかりで明確な答は返せないでいる。

 彼は手を組み顎に当て、しばらく何か思案したかと思えばニカッと笑った。


「それは心配せずともよい。これは私からの命ではなく司教からの招致だ。司教からの招致、これは即ち神からの招致。謹んで受けるがよい」


 司教というのは名前は覚えていないが、ザンクトカレン大聖堂の司教のことだろう。

 ヴィンストラルド国内の教会権力の中で最上位に値し、彼もまた枢機卿だ。

 つまりエヴォンの上司にあたる人物ということだろう。

 王族であるにも関わらず、教会権力に従属する。これはまた随分と分かり易い人物が出てきたものだ。

 俗に言う狂信者というやつだろうか。

 お陰で、短時間でこのエヴォンという人物の立ち位置を理解することができた。


 第一王子のアルベルトが軍部を掌握し、第三王子のイルクナーゼが賢者の塔を抱きかかえる中、第二王子のエヴォンはおそらく教会と深い繋がりがあるのだろう。

 しかし、教会の力が強いフラムヘイドやリュートセレンとは違い、このヴィンストラルドにおいてその権力はあまり強大とは言えない。

 しかも先の話から察するに、深い繋がりというよりは教会に利用されているのではと思える程だ。

 それぞれ違った才覚を見せた第一、第三王子と比べると、この第二王子には明らかに何かが足りていないように思える。

 そういえば先日国王と謁見した時、アルベルトとイルクナーゼの姿があったにも関わらずエヴォンの姿が見えなかった。つまりはそういうことなのだろう。


 司教に呼び出されようが神に呼び出されようが、どちらにせよ俺にはその命令に従う決定権がない。

 正直なところ、せっかくこの工房という環境を手に入れたばかりだ。自由に外出できないのは不満だが、まだこれといった研究ができていない。

 ザンクトカレンへ行けるのは是非もないが、エヴォンの言葉に従ってノコノコと出向けば、当然イルクナーゼの不興を買うだろう。

 賢者の塔から追い出されたのでは元の子もない。

 それに刻死病の根治も終わったわけでは無い。大部分は俺の手から離れたが、その研究は賢者の塔で行われている。その為にもここを離れる訳にはいかないのだ。

 当然返事は「否」なのだが、教会は特殊な組織だ。なるべく穏便にことを進めたい。


「司教様のお呼び出し、大変嬉しく思いますし身に余る栄誉です。しかし、私は先程申し上げました通りイルクナーゼ様の庇護を受けた身です。イルクナーゼ様の命以外、お受けすることはできません。申し訳ありませんが……」

「ふむ……」


 そうつぶやくと、エヴォンは短い指を顎にあて、何か考える素振りを見せる。


「それはつまり、イルクナーゼの庇護を離れてわたしの庇護に入りたいということか?」

「そっ、そんなことは申していません!」


 いったいどこをどう解釈すればそうなるのだろうか。

 イルクナーゼを説得してから出直せと言いたかったのだが。


  はっきり言って、俺は教会が好きではない。宗教そのものに懐疑的だと言ってもいいだろう。

 それに彼の人となりを見る限り、決して尊敬に値する人物には見えない。

 決してイルクナーゼに好意的なわけではないが、彼は理性的で打算の下にまともな折衝ができる人物だ。

 (したた)かな彼の元にいれば上手く利用されるかもしれないが、それでも彼はこちらへの利益を配分するのを躊躇わない。

 エヴォンの下にいると理不尽な苦労を押し付けられる未来が目に見えている。聖職者とはそう言うものだ。

 ザンクトカレンへは行きたいが、その結果賢者の塔へ戻れなくなってしまえば本末転倒なのだ。

 いや、さっきの俺の言葉を最大限好意的に解釈すればそうなるのか?

 俺がここにいるのは、様々なバランスを取った結果なのだ。

 そんなことは到底出来るはずもない。


「まあよい。ではイルクナーゼに話を付けてこよう。どのみち直ぐに旅立つことになる。準備を進めておくように」

「……」


 返事をしかねている俺を見て、エヴォンはニカッと笑って見せた。


「安心しろ。イルクナーゼは俺の弟だ。弟は兄の言うことを聞くものだよ」


 そう言って、エヴォンは大きな足音を立てながら部屋を後にした。


「なんだったんだ……、いったい」

「どうやら少し困ったところがある方の様ですね」


 カインは重いため息を吐く。


「そうでしょうか?だいたいの貴族様はあんな感じです」


 ティファニーはエヴォンが出て行った扉を眺めながら呟く。


「……ユケイ王子殿下は、ザンクトカレンへ行くことは気が進みませんか?」

「いや、行けるなら行きたいと思ってる。けどエヴォン王子の命で行くっていうことは無いだろうね。どうしたんだい、ティファニー?」

「いいえ、なんでもありません……」


 そう言う彼女の表情は何かを押し殺したように見え、まるで曇りガラスのようだと俺は思った。


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