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才の無い貴族と悪魔王  作者: そんたく
滅びに向かう種族
110/133

香水草の魔女 Ⅰ

「それじゃあティファニー、それをお湯の中にゆっくり沈めてみて」

「はい……」


 ティファニーの目の前に置かれたカップから、ゆらゆらと湯気が立ち昇る。

 彼女は俺が作ったそれを手に持つと、お湯の中に恐る恐る沈めていった。


「あ……。ユケイ王子殿下の仰るとおりになりました。目盛りがどんどん上がっていきます」

「うん。とりあえず実験は成功かな?」

「これはどのような仕組みなのでしょうか?」


 ティファニーは俺が作った温度計の試作品を見て、不思議そうに声を上げた。

 鉄製の板に溝を掘って水銀を流し込み、その上にガラスを被せて膠で接着した物だ。

 彼女は一応俺の助手という名目でこの部屋に派遣されている。

 エルデンリードの件は話してないが、突然始まった奇妙な実験に、彼女は否応なく付き合わされることになった。

 もちろん彼女の本来の業務は俺の監視であるのだが、元々賢者の塔に所属する研究者だけあってこういうものにも興味があるようだ。

 ウィロットもカインも、だいたい俺が作る物に関心を持ってくれない。

 多少でも興味を持ってくれる彼女の反応は、新鮮で正直嬉しくもある。


「えっと、この筒の中の液体は、温度によって体積が大きくなったり小さくなったりするんだ。だから温めれば目盛りは増えるし、冷やせば目盛りは減るってこと」

「まるで魔法みたいです」


 前世で「高度に進んだ化学は魔法と見分けがつかない」という言葉がある。魔法が存在するこの世界においては、それは逆の意味で捉えられるのだろう。それでも魔法が見えない俺にとっては、この言葉は少し複雑な気分にさせる。


「……で、これは何に使える道具なのでしょうか?」

「えっと、温度の高さを調べるための道具……かな?」

「温度の……高さ……?」


 ティファニーは俺の説明に、いまいちピンときていないようだ。

 温度計は科学の発展に必要不可欠なものである。厳密にいえば、温度に数値を割り振るという概念が。

 とりあえずこれはエルデンリードへ送るための体温計の試作品として、なんとなく作ってみただけなのだが。

 最終的にはちゃんと仕様を整えて、ザンクトカレンの職人に作ってもらうつもりだ。

 そのためにまずは、設計を考えなければいけない。

 しかしここで俺一人があれこれやっても、知識と技術が伴なわないのだから成果は上がらないのかもしれないが。


 それでも、作ってみてわかったことは沢山あった。

 実際にやってみて思ったのは、水が凍る温度を0度、沸騰する温度を100度にするというのは実に合理的だということだ。

 温度計を作ってみれば、今の時代においてそれ以外に絶対的な基準を作ることは出来ないということが分かる。

 あと、基礎体温計を作るのは非常に難しいということも理解できた。

 温度計であれば1度単位のメモリでいい。

 しかし体温計であれば最低でも0.1度単位の目盛りが必要になる。

 生理周期によっておこる体温差は、だいたい0.3度から0.5度程度しかない。それを計測するためには、この温度計では精度が全く足りないのだ。

 目盛りを詳細にするには計測に使う水銀の量を増やせばいい。しかしそうすると測定にかかる時間が長くなってしまう。

 時間がかかるということは、測定結果にばらつきが出やすくなるということだ。

 さらに今の作りでは背面の鉄が外気温や手の温度を拾ってしまい、正確な測定ができていない。

 問題点はそれだけではない。

 温度を正確に測るために、液体部分には水銀を使うのが最も適している。

 しかし水銀は毒性が強いので、誤って体内に入れてしまわないように配慮が必要だ。

 基礎体温は、一般的に口の中に体温計を入れて測らなければいけないのである。


「鉄だと酸化したら水銀と反応して腐食してしまう。できれば全てガラスで作るのがいいな。俺が直接ザンクトカレンへ行って、いろいろ見て回れれば一番だけど……」

「ザンクトカレンですか?」


 興味深げに温度計を覗き込んでいたティファニーが、俺の声を聞いてパッと顔を上げた。


「うん。知ってる?」

「はい、ザンクトカレンはグラステップとの国境の街ですから。わたしがここに来た時もザンクトカレンを通ってきました」

「ああ、そういうことか」

「はい……。グラステップが占領された時、グラステップから避難してきた人の多くは今もザンクトカレンで生活していると思います。そういえば、グラステップにもいろんなガラスを加工する職人がいました」

「そうなの?」

「はい。ザンクトカレンはガラス製品が有名ですが、工芸品はグラステップで作られているものも沢山あります。切子硝子とかグラステップの特産品でした」

「切子硝子……?」


 切子硝子というのは、ガラス面に切れ込みを入れて装飾をする技術だ。

 江戸切子や薩摩切子のように、前世でも高価な美術品として扱われるものもある。


「切子硝子か……!もしかしたら使えるかもしれない!」

「先程の鉄の板の代わりに、切子硝子の溝を使って同じように作ってみるのはいかがでしょうか?ガラス同士でしたら重ね合わせた部分を溶接することができるかもしれないです。切子硝子以外にもいろいろな工芸品があったと思います」

「そうか。……うん、確かに!そうだ、それでいけるかも!」


 俺は思わずティファニーの手をとってしまう。

 理想は毛細管ガラスと言われる細くて中空のガラス管を作ることだがそれは難しいだろうか?

 いや、もしかしたらザンクトカレンへ行くことができれば、何か見つかるかもしれない。


「ティファニー、すごくいいアイデアだ!ありがとう!」

「い、いえ……。わたしはユケイ王子殿下の助手を仰せつかっていますから……。仕事をしたまでです……」

「そうだ、体温計が完成したらティファニーの名前を付けよう。ティファニー式体温計だ」

「そ、そんな!わたしは案を出しただけです!そもそもの仕組みはユケイ王子殿下がお考えになられたものですから……」

「その切子硝子を作れる職人も、ヴィンストラルドに来てるんだろうか?」

「はっきりと知っているわけではありませんが……。グラステップが亡くなった時、多くの人がヴィンストラルドとリュートセレンへ渡ったと聞きました。ガラス職人たちは同じガラス製品が盛んなザンクトカレンに逃げていてもおかしくないと思います」

「いつまでお二人は手を握っているんですか?」


 ウィロットがわざとらしく大きな咳をはらい、俺とティファニーの間に割り込んだ。


「ユケイ様は王子様なんですから。そういうことはやめて下さい。()()()()ですよ」

「……そんな言葉どこで覚えたんだよ」

「ユケイ様に教えていただいたんです」


 不機嫌そうなウィロットの声。


「なんだよ急に。アセリアみたいなことを言って……」

「アセリア様とアゼル様に変わってユケイ様の教育をするのは、わたしの役目です」


 ウィロットはそれだけ言い残し、ツンとして部屋の奥へ戻っていく。


「あの、王子殿下……。わたしの名前を付けるというのは本気でお考えですか?」

「どうして?」

「わたしの家族は戦争で行方不明になっています。もしわたしの名前が付くものがあれば、家族への知らせになるのではと思って……」

「ああ、なるほど。確かにそうかもしれない。正直体温計が完成しても、普及するのはまだまだずっと先になると思う。それでも多少でもティファニーの力になれるなら、ぜひそうしよう!」

「はい……、ありがとうございます……」


 彼女はそう言うと、深々と頭を下げた。


「ユケイ王子殿下は、他の貴族様とは少し変わっていらっしゃいますね」

「ああ、俺は子供のころずっと田舎で過ごしてたからね。そのせいかもしれない」

「貴族様は平民の手柄を奪っていくものだと思っていました」

「そんなことしないよ。まだまだ君の力を借りたいところはいっぱいあるんだ」


 まだ組み上げていないが、おそらくティファニーが言う方法が現在考えられる中で一番現実的な物だろう。

 あとは切子ガラス職人をどうやって見つけるかだ。

 俺自身が動けないなら、アルナーグの俺の商会の誰かに行ってもらうしかない。

 ザンクトカレンまで行くのであれば、武装商隊遠征カロヴァナ・アルマークが行われる時期、つまり冬まで待たなければいけない。

 毎年アセリアがそれに同行するのを楽しみにしていたが、今年は謹慎が解けないだろう。

 その場合、『眠らない』という二つ名を持つテティスに依頼することになる。

 商隊組合(ギルド)組合長(ギルドマスター)であるテティスなら、十分役目を果たしてくれるだろう。


 あれこれ思案を巡らせている時、来訪者を告げるノックの音が不意に部屋のドアから飛び込んできた。


 ドンドンドン!


 いつもと比べ、格段に不遜な音。

 それだけで来訪者がろくでもない用事を持ってきたことが推測できるようだ。


「は、はい!ただいま!」


 ウィロットが慌ててドアへ駆け寄る。

 ドアがゆっくり開かれると、その向こうには、複数の兵士に守られた、白い法衣を召した人物が立っていた。


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