森の人 Ⅶ
「つまりそれらの問題を解決できれば子はできるということか?」
エルデンリードは俺にそう問いかけた。
「いえ、それでも必ずできるとは言えません。あとは神のみが知ることです」
「ふっ……。王子でも神の名を口にするのだな」
彼女は小さく笑う。
「そのためには、いくつかの道具を作らなければいけません」
「それはわたしにも作れるのか?」
「いえ、まだこの世界に存在しない物を作らないといけないので……。とりあえず、体温計が必要です」
「体温計?体温を計るということか?」
「そうです。平常時の体温はだいたい一定ですが、子を産める頃の女性だけは一定の周期でごく僅かに上がったり下がったりしているのです」
「ほう。そうなのか?」
エルデンリードは興味深げに、俺の話に耳を傾ける。
「ですから、それを記録すれば月経の時期や子を身籠りやすい時期をある程度予想できるはずです」
「それって、月のものがいつ来るかがわかるっていうことですか?」
ウィロットが横から会話に割り込んだ。
「いつ来るかがわかるんじゃないよ。もうすぐ来るかもしれないというのを予測できるんだ」
「だったら、わたしも知りたいです。っていうか、みんな知りたがるんじゃないですか?」
「そうかな?」
「そうですよ」
体温計の原理は簡単だが、今の時代に作るには非常に高度な技術が必要になる。
さらに生理周期を測る基礎体温計は、普通の体温計と比べてより細かく正確に計測できなければいけない。
しかしもしかしたら、俺がかつてガラスペンの制作を依頼したザンクトカレンの職人であれば可能ではないだろうか?
「ザンクトカレンか……。あまりいい思い出はないな……」
街の名を聞いて、エルデンリードの整った眉間に皺がよる。
それもそうだろう。
ザンクトカレンはガラス工芸が非常に盛んな都市だ。そして、地の国ヴィンストラルドの中で最も宗教色が強い街でもある。
街の中央にザンクトカレン大聖堂が鎮座し、そこに作られたステンドグラスの荘厳さは教会総本山であるバルボア大聖堂を凌ぐと言われていた。
そもそもザンクトカレンでガラス工芸が発達したのが、教会で使うガラス製品やステンドグラスを一手に製作しているからでもある。
そして教会は、エルフを一方的に敵視しているのだ。
「私は好きにここを離れることはできませんが、ザンクトカレンには少しだけ伝手があります。すぐにとは言えませんが、体温計をいつか必ず作りましょう」
「そうか。感謝する……」
「ユケイ様、わたしにも欲しいです」
「うん。もちろんウィロットの分も用意するよ」
「やった!」
ウィロットはそう言って無邪気に喜ぶ。
実際に温度計は様々な使い道がある。
俺のためにも作っておいて役立つこともあるだろうし、販売を考えてもいいだろう。
何よりウィロットが喜んでくれるなら、それだけで十分とも言える。
「あとは薬草で……、いえ、薬草に関しては私よりエルフであるあなたの方が詳しいでしょうね」
「そうだろうな。しかし王子の知識は、およそ人の時間で蓄えられる量を超えていると思えるが?」
「そんなことはありません。買い被りです」
実際前世の知識は膨大だ。
彼女の言うことには間違いはないのだろう。
とりあえず俺は、月経の周期を正確に記録することを勧めた。
人間のようにひと月で巡るものではないので、その確認には長い月日が必要となる。
しかしそこに定期的な周期が存在するなら、同じような悩みを持つエルフたちにとって大きな助けとなるだろう。
あとは俺が知る限りの知識を、エルデンリードに伝えた。
とは言っても、俺が伝えたことは科学的に研究されていなくても人の間で経験として理解されていることだ。
そもそも、エルフという種族は子孫を作るための知恵が不自然に遅れているのではないだろうか?
もっともエルフのように長寿な種族が人間のように子孫を増やしていけば、世界はあっという間にエルフだらけになってしまうのだろう。
後は、どうしても手に入れたい物は妊娠を確認するための手段だ。
それに関しては俺には全く力になれそうにない。
妊娠検査薬のようなものが開発できればいいのだが、前世でもそれが世に出回ったのは二十世紀の終わり頃だ。
今の世でそれを作り出すのは不可能だろう。
「……では、私に一年時間をください。それまでに体温計と、他に何か助けになりそうなことを考えておきますから」
「すまぬな、王子よ。言うまでもないが、当然見返りは用意しておく」
「ええ、期待しておきます」
そして俺とエルデンリードは、互いに笑い合う。
「王子の望みとはこれか?」
彼女は俺が返した杖をチラリと見せる。
「そうですね……。それも興味があるのですが、実はとある薬を探しています。エルフには独自の製薬技術があると聞きました」
「薬を?王子ほどの者がどのような薬を望むのだ?」
「あの……、それはまた、今度でいいです」
「遠慮はするな。王子は十分わたしの力になろうとしてくれた。正直言って、わたしは人間という種族があまり好きではない。しかし王子はそれを差し引いても、十分好ましく思う。よく見れば可愛らしい顔をしているではないか。人間にしておくのがもったいない」
視界の端で、ウィロットの頬がブスッとエアバックのように膨らむ。
「さあ、言ってみよ。できるのであれば、わたしも王子の力になりたい」
エルデンリードは目を輝かせ、俺の目を真っ直ぐに見据えた。
「あの……、それでは……」
「なんだ?」
「惚れ薬を……」
部屋の温度が一気に下がり、エルデンリードの目から急速に光が失われていくのが分かる。
「……随分と俗な物を所望するのだな」
彼女の表情から、俺の評価が一気に墜落していく様が見て取れた。




