森の人 Ⅳ
「悩み……ですか?」
「その前に、王子はこれを見たことがあるか?」
エルデンリードはそう言うと、懐から小さな短い金属の棒を取り出した。
滑らかな表面に微かな装飾が施された三十シールほどの杖。
一見それは、銀製品のようにみえる。
しかし銀製にしては微かに青みがかかっており、それは前世を含めて俺の記憶にある金属のどれとも違った質感に思える。
これというのは、杖を指しているのか?
それとも……。
俺は記憶の中を探り、ふと一つの予測に辿り着く。
「これはもしかして……魔法銀ですか?」
俺の返事と驚いた表情を見て、彼女は満足そうに微笑んだ。
「その通りだ。人がこれを目にする機会はあまりないと思うが。さすが王子は博学だ」
一般的に貴金属と呼ばれる白金、金、銀などのイオン化傾向が小さく、酸やアルカリに反応しにくい安定した金属。
それに対し、魔法に対して特定の反応を起こすといわれている魔貴金属というものがある。
魔法銀や金黒鉄など。
どれも話には聞くが目にしたこともない金属だ。
魔法銀は魔法と親和性が高く、とても軽い金属だといわれている。一方で金黒鉄は魔法に対する排斥力が強く、凄まじい硬度を持つらしい。
エルフの窯で精錬し、ドワーフのみが鍛えることができると言われる金属。非常に希少性が高く、それらで作られた品はとてつもない価値を生む。
始まりの竜が鉄の国にもたらした槌と金床が、金黒鉄でできているという。
魔法を付与された、魔法銀の剣が竜の鱗を紙のように切り裂いたという話もある。
もしかしたら目の前の杖も、名のある名品なのかもしれない。
「エルデンリード。失礼にあたるのかも知れませんが、それを触ってもよろしいですか?」
「もちろん。……騎士殿、よろしいか?」
彼女はそっと杖を差し出すと、カインはそれを受け取った。
彼が手にした瞬間、微かに表情が変わる。
それが俺に手渡された時、その理由はすぐにわかった。
「軽い……ですね。それに、不思議な触感だ。冷たくないっていうか……、温度を感じない?」
手触りは少しざらつくような感触、それはおそらく表面の処理によるものだろう。
見た目からイメージされるより、遥かに軽い物体。体感からおそらく、アルミニウム製中空材ほどの重さだろうか。
それより何より違和感なのは、確かに触れているなるにその温度を全く感じないということだ。
人が物に触れた時、大概その物体を温かいもしくは冷たいと感じる。
それはその物体と自分の間で、熱の交換が行われるからそう感じるのだ。
例えば相手の物体の方が自分より温度が低い場合、自分から相手へ温度が移動することになる。
この時、失われた熱量に対して肌は冷たいという信号を受け取る。
逆に相手の物体の方が温度が高い場合、向こうからこちらへ温度が移動してくることになる。
その場合は温かい、熱いと感じるのだ。
ではこの場合の温度を感じないというのは、どういう状態なのか?
一つは俺とこの物体の温度差が全く無いということ。もう一つは、俺とこの物体の間で熱の交換が全くされていないということだ。
平たくいえば、熱交換における様々な物理法則を、完全に無視している。
実は魔法銀というのは、アルミニウムやマグネシウム合金など、その類の金属ではないかと予想していた。
そして金黒鉄はダングステンや鋼などではないかと。
しかし手にした感覚からすれば、少なくとも熱伝導率の高いアルミニウムとは全く違う性質を持っていそうに思える。
もしこの物質が前世にあったのなら、あらゆる技術を千年未来へ進めるだろう。
「温度を感じない?はて、おかしなことを言うが……まあそれは良い」
「マリーの願いを断ったわたしに、協力しろというのですか?」
「その理由は理解できる」
どうやら彼女は、俺がマリーの願いを断った理由を理解しているようだ。
俺がマリーの願いを拒絶した理由。それは単に、優先順位の問題である。
俺がマリーの頼みを聞けば、それはカインやウィロットを危険に晒すことになる。
つまりそれは、俺がここを去ったマリーを優先し、カインやウィロットの意思を蔑ろにするということだ。
カインが先ほどからやたらエルデンリードに噛みついていたのは、おそらくそのせいなのだろう。
きっとカインには、俺はなんでも厄介ごとに自ら首を突っ込んでいくと思われているのだろうな。
俺自身そんなつもりはないのだが、そう思われているのなら反省しなければいけない。
「断った理由に心当たりがあるのなら、私がどう答えるかも予想できるのではないですか?」
「そう言わないでくれ。それなりにな、切実な話なのだ……」
エルデンリードは、ふと悲しそうな表情を見せる。
確かに大切な相談するのであれば、相 手を吟味したいという気持ちはわかる。
しかしあまり一方的なことを言われれば、再びカインが怒りだすかもしれない。
「もしわたしの悩みを解決することができたなら、わたしが差し出せる精一杯の礼を約束しよう」
「……それは、例えばこの杖が欲しいと言ってもいいのですか?」
そもそも先に魔法銀を俺に見せたということは、それを俺に差し出す気があるということだ。
同時に、先刻イリュストラと交わした会話が脳裏を過ぎる。
エルフには精霊の力を元にした、特殊な制約技術があるという。
精霊の雫
その多くは謎に包まれているが、物語に出てくるそれは様々な奇跡を引き起こすとされている。
その中に惚れ薬というものが含まれているなどという話は聞いたことがない。
しかし、存在するなら精霊の雫や神薬の中の一種なのかもしれないという思いもある。
イリュストラがその薬を使うことにはどうしても賛成し難い思いはあるが、彼女には穏やかに生きて欲しい。
そのためにどうしてもそれが必要というのなら、妹のような彼女の為に多少の論理は捻じ曲げてもいいかもしれない。
「もちろんだ。形がある物を差し出すなど、造作でもない。わたしの悩みは深く暗い。それはわたしにとってだけでなく、エルフ全体の問題だともいえる。人の王子よ、どうか我々の未来を照らして欲しい……」
そういう彼女の表情は、真剣そのものであった。
エルフはとても気位が高い種族だときく。
もしかしたらこれが、エルフとしての精一杯な態度なのかもしれない。
俺はカインに目を向ける。
俺の視線に気づいた彼は、特に表情も変えずにそっと視線を逸らす。
勝手な解釈かもしれないが、好きにしろと言っているようにも思えた。
それにしても魔法銀の杖と引き換えにできるほどの悩みとは、いったいどんなものだろうか?
微かに自分の中の好奇心が疼きだす。
そして、彼女の力になれるのであればなってあげたいと思う自分がいた。
「エルデンリード、私にあなたの悩みが解決できるかどうかはわかりません。囚われの身……というわけではありませんが、ここから好きに出歩くことも禁じられています。私にできることがあったとしても、小さな助言くらいでしょう。それでもよかったら、その悩みというのを聞かせてもらってもいいですか?」
彼女は一度、深く息を吸い込み、真っ直ぐな瞳で俺を見据えてこう言った。
「ありがとう、感謝する。わたしは……子を身籠りたい。どうか王子の力を貸して欲しい」




