森の人 Ⅱ
そしてイリュストラは、その作戦の詳細はまだ秘密だと俺に言って部屋を去る。
彼女の後ろ姿には悲壮感は全く感じられない。
それは幼い彼女がまだ現実を理解できていないのか、その作戦というのに絶対の自信を持っているのか、それとも王家の血が彼女に覚悟をさせているのか、俺にはわからなかった。
しかし最後に、その作戦のためだろうか、俺にある薬を作って欲しいと頼んでいった。
「惚れ薬なんて、そんなもの存在するのですか?」
彼女を見送り、カインがぼそりと呟く。
「名前は聞いたことあるけど……。あるとしても、それは魔女が作る神薬かエルフが作る精霊の雫じゃないかな。どちらも教会が禁忌として使用を禁止してる薬だ」
「エルフ……ですか。エルフなんてほんとうに存在するんですか?」
「エルフはいるに決まってるだろ?……俺は会ったことないけど。魔女は……いないのかもしれない」
「魔女はいるのではないですか?魔女の話はよく聞きますし、フラムヘイドでは魔女裁判が行われています」
魔女裁判……。
魔女裁判の有無が魔女の存在を証明するのなら、前世にも魔女がいたことになる。
この世界で広く信仰されている宗教は一つだ。
もちろん様々な土着の神は今でも信仰を保っているのだろうが、それは個別の話である。
しかし同じ神を祀る宗教でも、白竜山脈の北と南でその解釈が大きく異なる。
バルボア教皇を筆頭に信仰される山脈の北側、当然それには俺たちも含まれるのだが、それは『神』を主軸とする一神教だ。
それに対し、南部では火の国フラムヘイドを筆頭に、同じ神を祀っているにも関わらず多神教に近い扱いがされている。
南部では神に付き従う使徒、つまり前世でいうキリスト教における天使も、神であるという解釈がされている。
一般的には多神教の方が異教に対して寛容になるものだ。しかしこの世界においては南部の方が異教に対する排斥感が強く、カインが言う通り魔女裁判の噂もよく流れてくる。そして、エルフやドワーフなど亜人種に対する偏見も強いという。
そしてその二つは、度々対立することがある。
「惚れ薬なんてどうするつもりなんだろう?人の心なんて変えられないんだから、だったら、自分の心を変えるように努力するべきじゃないかな……」
「そうでしょうか……。わたしには自分の心を変える方が難しいです」
ウィロットが机の上のティーセットを片付けながら、ぼそりと呟く。
彼女はしまったと言わんばかりに、ポロリと口から出た言葉を後悔している様子だった。
「どうしたの?」
「……なんでもありませんよ」
そう答えて背を向ける彼女は、それ以上は触れるなと後ろ姿が雄弁に語っていた。
コンコン……
不意に部屋の扉がノックされる。
ミコリーナが慌てて扉へ向かった。
扉の方では、賢者の塔の衛兵らしき者と話す彼女の姿が見える。
「ミコリーナ、どうしましたか?」
カインが彼女に声をかける。
「はい。あの……衛兵の方が……」
「えっ!?ユケイ様にアルナーグから使者が?」
カインはそういうと、俺の顔を見た。
アルナーグから使者?
俺がヴィンストラルドに来ておよそ4ヶ月が過ぎようとしている。
その間に手紙のやり取り、特に商会を任せてあるバルハルクやテティスとは頻繁にしているが、人が訪ねてくるというのは初めてだ。
「はい。通行許可証も、正規にアルナーグで発行されたもので間違いないそうです」
ミコリーナに代わって対応したウィロットは、そういうと首を傾げた。
「使者の名前は?」
「エルデンリードと名乗っているそうですが……」
彼女の表情を読み解くと、その名前に心当たりはなさそうだ。
カインに目配せをすると、彼もわからないと言わんばかりに首を左右に振る。
「アゼル様をお呼び致しましょうか?」
「いや、いいよ。通行許可証が正規のものなら、別に疑う必要もないだろ?」
俺の答えに、カインは不満気だ。
「国からの使者ならば、事前に連絡があると思います」
「本来ならそうだけど、このタイミングなら多分グラステップ亡命政府についてのことじゃないかな。それなら便りを出すより、直接来た方が早い」
カインは何か言いたげではあるが、使者との距離を十分に取ることを条件に渋々了承をした。
カインの言う通り、通常は使者が来る前に一報が届く。
しかし、亡命政府の発表は電撃的だった。
先触れを出す余裕がなかったとしても不自然ではない。
ただ少し気になるのは、エルデンリードという名に誰も心当たりがないことだ。
「エルデン……リード……」
それは今は使われていない言葉で、「古い御伽話」という意味を持つ。
「ウィロット、それじゃあ使者を案内してきてくれ」
「はい、行って参ります」
「通行許可証が本物かどうか、くれぐれも確認するんだぞ?」
「わかってます」
カインが付け足した言葉へぶっきらぼうに答えると、彼女はぱたぱたと部屋を後にした。
「ミコリーナ、もしかしたら君に聞かせられない話があるかもしれない。今日はもういいよ。ありがとう」
「あ、はい……。失礼致します」
ミコリーナは少し寂しそうな表情を浮かべ、部屋を後にした。
ほどなくウィロットは、一人の女性を連れて戻ってくる。
「ユケイ様、お連れしました。あの、通行許可証は本物なんですけど……」
ウィロットの答えには困惑が色濃く現れている。
「どうした?ウィロット」
ウィロットは返事の代わりに、エルデンリードが持ってきた許可証を俺に渡す。
これがどうかしたのだろうか?
特に変わったところは見受けられないような気がするが、そもそも俺はこれを詳しく見たことがない。
それよりも俺が気になったのは、エルデンリードの容姿だった。
輝くような銀色の髪は、まるでそれ自体が鈍い光を放っているように見える。
彼女はまるで物語から出てきた様な眉目秀麗さで、年齢はおそらく二十歳にいかないくらいだろうか。しかしそれは彼女の落ち着いた雰囲気がそう思わせるのであって、見た目だけで判断すればもっと若いのかもしれない。
露出はないものの体のラインがはっきりとわかるタイトな服装で、男性なのではと思えるくらい胸の膨らみは少ない。
その出で立ちは冒険者のようで、一見すると国からの使者には全く見えない。しかしその身のこなしや堂々とした態度は、それだけで使者であることを納得させる雰囲気を纏っていた。
そして、彼女が手にしている布に包まれたもの……。
かける言葉を失っている俺に、彼女の方が先に口を開く。
「よろしいですか?」
その声は間違いなく女性のものだ。
「ああ、失礼……。アルナーグからはるばるよく起こし下さいました。急ぎのようだが、どうなされましたか?」
「ふむ……?」
俺の返事を聴くと、彼女は手を顎に当て何かを考え始めた。
その敬意を全く払わない態度に、カインの表情がどんどん曇っていくのがわかる。
「いろいろ誤解があるようですが……、まあいい。わたしの名はエルデンリード。友に頼まれて、貴方にこれを返しにきた」
「返しに?」
そういうと、彼女は手に持った物を俺に渡そうとする。
カインが慌てて間に入ると、その包みを受け取った。
カインはその重みを確かめると包みを開き、それを確認するとハッとした表情をした。
「……これをいったい何処で手に入れたのだ」
カインの声の音調が、相手を威嚇するように一段下がる。
「人間というのは相変わらず礼儀というものを知らないな。会話をするのにお互いの名は必要ないというのか?」
彼女はカインの威嚇を気にすることもなく、俺に向けて真っ直ぐな視線を送りそう答えた。
「……失礼しました。わたしはユケイ・アルナーグ。風の国アルナーグの王子です」
「ああ、なるほどそういうことか……。彼女も人が悪い」
彼女はふうとため息をつくと、首を左右に振った。
美しい銀髪が、細波のように揺れる。
「1つ誤解を解かなければいけない。わたしはアルナーグの使者を名乗った覚えはない。……とはいえ、誤解をさせたのはその娘に渡した証のせいなのだろう」
俺は再び通行証に目を落とす。
「関所で何か証明書を見せろと言われた時、たまたまこれを見せたらすんなり通してくれたので、ついあやかってしまった。誤解の原因がこちらにもあるというなら謝罪する」
「あの……ユケイ様。わたしこの通行許可証に見覚えがあります。これ多分……、わたしたちがアルナーグから持ってきた時に使った許可証です……」
ウィロットは自信なさ気にそう言う。
俺たちが使った許可証?
俺は少し考えを巡らし、一つの可能性を思い浮かべる。
ああ、そういうことか……。
続いてカインが彼女から受け取った包みを解きその中の物を机の上に置いた。
そこには見慣れた革張りの本と小さな布袋、そして一枚の羊皮紙が現れた。
それは間違いなく、かつて侍従であったマリーがこの部屋から持ち去った品々であった……。
「エルデンリード、これをどこで……、いえ、その前に一つ確認させてください。貴女は……人間ではありませんね?」
エルデンリードは手を側頭の髪の中へ入れると、何かを外すような動きを見せた。
そして手を戻すと、銀色の髪を押し退けて、先端が尖り長く伸びた耳が現れる。
「……わたしは深き永遠の森の民。エルフだ」




