消されたピースに描かれたもの
舞踏会の日から四日が経った。
軽症だったイザベラとその侍従はもちろんウィロットも一命を取り留め、体調も順調に回復へ向かっている。
最初は城の医務室に入っていたがそこを三日で引き払い、今はこの部屋の使用人室にて療養を続けている。
ウィロットの身に起きたことは広く知れ渡り、それを耳にしたミコリーナは空いた時間に俺の侍従を買って出てくれた。
「ミコリーナ!わたしはもう大丈夫ですから!自分の仕事に戻ってください!」
「そうはいきません。ウィロットは休んでいて下さい?ユケイ王子殿下もそうおっしゃっていますよ。お世話はわたしがしっかりさせて頂きますから大丈夫です」
「ユケイ様のお世話は、わたしにしかできません!」
「そんなことはありません」
言葉どおりウィロットの顔色はすっかり元に戻り、見る限り調子も良さそうに見える。
彼女の回復が早いのは、何よりあの時教会の神官が施した解毒の奇跡のおかげだ。
解毒の奇跡は全ての毒を無効化するわけではない。実際に寄生虫を原因とする、ミコリーナの刻死病には全く効果を発揮しなかったのだ。しかし、どちらかといえば自然界に発生する毒物とは相性が良かった。
たとえ心配蘇生で心臓が再度動き出したとしても、体内に毒が残っていれば治療にはならない。
駆けつけた神官が十分な実力を持っていたのも幸運だったと言えるだろう。
しかしあの時居合わせた人には、解毒の奇跡の効果は現れず、雷の魔法と心配蘇生で息を吹き返したように見えたかもしれない。
「ミコリーナ、刻死病の方は上手くいっているのかい?俺はその件には深く関わらないほうがいいと言われているが、きみが辛い目に遭っていないかだけが心配なんだ」
「はい。最初は教会の人たちは協力的ではありませんでした。けど、途中でイリュストラ姫殿下が便宜を図って下さいまして……」
「イリュストラ姫が?」
「ユケイ王子殿下へのお礼だと仰っていました」
「そっか……」
「はい。今はとても上手くいっていると思います。時々大変な時もありますが……。きっといつか、刻死病は命を落とす病気ではなくなると思います」
かつては無気力にも見えたミコリーナの目には、今は強い輝きが宿っているのがわかる。
彼女の身を使って治療の実験が行われているのだ。辛いことも当然あるのだろう。
しかし彼女はそんな素振りを一切見せない。
いつかきっと、ミコリーナは死の病を克服するだろう。
「そうだね。早く病気が治って、ムジカ村に戻れるといいね」
俺の言葉を聞いて、ミコリーナはポカンとした表情を浮かべる。
「ユケイ王子殿下、何をおっしゃっているのですか?わたしは王子殿下に一生の忠誠を誓ったのです。一度村に帰ることはあるかもしれませんが、必ず戻ってまいります。病気が治ったら、ユケイ王子殿下とご一緒させて下さいませ……!」
……そうだった。
あの後色々なことがありすっかり忘れていたが、ミコリーナがそんなことを言い出していたことを……。
ハッとする俺に、ウィロットは呆れてため息をつく。
「ユケイ様ってそういうとこありますよね……」
「そういうとこってどういうとこだよ」
「人の好意を受け取らなかったり、無視したり」
「べ、別に無視はしないだろ?」
「それじゃあ単に鈍感なだけですか?」
「ウィロット、不敬だぞ」
いつも通りカインがウィロットを嗜めるが、心なしかカインもどうでも良さげに見える。
「それでユケイ様。結局薪に毒を仕込んだ人は、鉄の国のスパイだったってことですか?」
「……そうだね。イルクナーゼ王子たちはそのことに気づいていて、その証拠集めをしていたらしい。けど、まさかあの時に暗殺をしようとするなんて、そこまでは知らなかったって」
「それじゃあ、もし盗み聞きをしていなければわたしやイザベラ姫は死んでいたのかもしれないですね」
「……まあ、結果的にそういうことになるかな……」
そもそも舞踏会に参加しなければ、あんな事態は起きなかったわけだが。
しかしその場合は、俺たちが別の手段で攻撃されていたのかもしれない。
「ユケイ王子殿下……。ウェッドランド伯爵といえば、わたしでも聞いたことがあるくらいのヴィンストラルドの名家です。なぜ鉄の国と通じるようなことをしたのでしょうか……」
「伯爵には逃げられてしまったからね。その理由はわかっていない……」
とはいえ、なぜウェッドランドがヴィンストラルドを裏切ることになったのか?それについては心当たりがある。
ここからは俺が見聞きした話に、推論も混じるのだが……。
ウェッドランド伯爵は以前グラステップの国境と隣接した領地を持ち、辺境伯として大きな力を持っていた。これは先代の話である。
そして現ウェッドランド伯爵が爵位を受け継いだ時、あの悪魔王による戦争が始まったのだ。
やがてグラステップは崩壊。鉄の国ライハルトから領地の一部をウェッドランドが奪還し、そこがグラステップ分割領となる。本来であればそれに貢献したウェッドランド辺境伯がそれを統治するはずだ。しかし、その分割領には新たな領主が置かれることになった。
ウェッドランドは当然不満を抱くだろう。
国境線が変わったことにより分割領を治める貴族が辺境伯となり、それに伴いウェッドランド辺境伯は伯爵へと位を下げることとなる。
独自に軍隊を持つことが許されているのは、伯爵位の中では辺境伯だけだ。
ウェッドランドが編成した軍は解散となり、それに伴う数々の特権も取り上げられることとなった。
豪華な馬車には竜が止まるという諺がある。
とどのつまり、勢力を持ちすぎた貴族に対する仕打ちといったところだろうか……。
前世でも地方の一辺境伯が、列強を打ち倒し大国の礎になった例がある。
つまり、ヴィンストラルド王家はそれを恐れたのだ。
しかし、そこまでされればウェッドランドがヴィンストラルドに敵愾心を持つのも当然だ。
反感を煽るだけ煽り、裏切りの芽が生えれば領地を取り上げる。
敵国に通じるのは当然良くないが、ヴィンストラルドが伯爵に行ったことも真っ当だとは思えない。
「ユケイ様が狙われた理由はわかったんですか?」
「それは……、わからない」
あの時盗み聞きした内容から考えると、おそらく伯爵たちも暗殺の成功を期待していたようには思えない。つまり、俺の従者に危害を加えてなんらかの警告を与えようとしたといったところだろうか?
それとも、彼が言った「化け物のような力」が関係しているのだろうか……。
「伯爵には逃げられてしまったんですよね?」
「そうだね。もともとあの場で伯爵を捕まえようと準備していたわけじゃなかったからね。当然暗殺の計画のこともイルクナーゼたちは知らなかった。俺が派手に動き回ったから、結果的に伯爵の悪事を明るみに出すことになったけど、あの時首を突っ込まなければ暗殺が成功していても彼の仕業だったとは気づかれていなかっただろう。むしろティナードは俺が勝手に動き回るのを止めようとしていた。彼にしてみれば、犯人不明で暗殺が進行してくれた方が都合が良かったのかもしれない。そうすれば、伯爵をまだ泳がせ続けることができたわけだから……」
「それでも逃してしまうなんて。情けないです」
「……うん、それはそうだね。けど、伯爵が怪しいと思っていたのはほんの一握りの人だけだったらしい。それに、あの時の会場は例の件でそれどころじゃなかったからね……」
あの時の舞踏会場は、二つの事件を目の当たりにして混乱状態にあった。
一つは俺がウィロットに行った心配蘇生のせいで。
そしてもう一つは、時を同じくして会場で発表されたあることのせいで……。
思い返せば、舞踏会の出来事は不可解の連続だった。
結果的に、俺はウェッドランドの企みを見抜きウィロットの命を救うことができた。
しかし、あの場で進行していた企みは、それで全てだったのだろうか。
俺とエスティアとの邂逅は、ほんとうに偶然だった?
偶然というには、あまりにも整然とピースが並びすぎている気がする。
心に残る数々の違和感の正体は、いったいなんだろう……。
「……そういえば、エスティア様からティファニーに伝言を頼まれてたっけ」
その日の午後、ティファニーが工房へ現れた。
決して晴れやかとは言えない彼女の様子、それもそうだろう……。
「ティファニー、舞踏会で発表された例の件、きみの耳にも入っているかい?」
「……はい、もちろんです。わたしはグラステップの民ですから」
「そっか。そうだよね……」
そう答えながら、彼女は複雑に表情を変える。
「どうしても疑問があるんだ。きみはイルクナーゼ王子と賢者エインラッドの会話を偶然聞いて、エスティアが舞踏会に出ると知ったと言ったね?」
「仰るとおりです」
「俺もよく知らなかったけど、ヴィンストラルドの貴族はほとんどの人が内緒話の秘宝を持っていて、日常的にそれを使っているらしい。イルクナーゼ王子やエインラッド様も、当然そうだろう」
「……はい」
「内緒話の秘宝で隠された会話を聞き出せるのは、世界中探しても俺か悪魔王くらいだろう。きみは、本当にその話を偶然盗み聞きしたのかい?」
「それはほんとうです!」
彼女はぎゅっと拳を握り、俺の目をまっすぐに見据えた。
嘘をついているようには見えないが、俺にそれを見抜く力はない。
本当だとしたら、彼女も俺と同様にイルクナーゼに踊らされたということだろうか。
エスティアから頼まれた伝言が思い浮かぶ。
『子供の頃遊んだ洞穴の、英雄の墓のお詣りを頼みます』
一見なんの変哲もない頼み事に聞こえる。しかし、彼女はそれをティファニーに伝えるように再三念押しをしていた。
もしかしたら、そこに何か重大な意味が隠されているとしたら……。
しかし、エスティアがティファニーとその兄を案じていたのも事実だろう。
少なくとも、俺がこの伝言を伝えない理由は見当たらない。
「エスティア様からの伝言を伝えていいかい?」
「はい……、ぜひ教えて下さい」
彼女の表情は真剣だ。
「エスティア様は、ティファニーときみの兄のことを心から心配していたよ。伝言の内容は……」
俺は伝えられた言葉と、エスティアの様子を可能な限り正確に伝える。
ティファニーは俺の伝言を聞き、まるで海綿に水が染み込むようにじっと言葉を受け止めているようだった。
「ユケイ王子殿下……。この伝言を、誰か他の人に話したりされましたか?」
「いや、話してないけど……」
「どうかお願いです。このことは、絶対に誰にも話さないでくださいませ……」
彼女の悲痛な表情に、俺は「わかった」と答えるしかなかった。
あの舞踏会の日。
もしかしたらあそこが、世界が進む道を決定的に変えた場所なのかもしれない。
舞踏会の場でヴィンストラルド国王から発表された宣言。
それは、エスティアを王女としたグラステップ亡命政府を、ヴィンストラルド国内で樹立するというものだった。
亡命政府の樹立は、グラステップ王家を拠り所にするグラステップの民からすれば、未来の希望になる宣言なのかもしれない。
しかしそれは、実質的に地の国ヴィンストラルドが鉄の国ライハルトに向けて宣戦布告したことと同じ意味を持っていた。
それはやがて、ヴィンストラルド、リュートセレン、アルナーグと同盟を結ぶ三国も巻き込み、大陸全土に争いの炎を撒き散らすことになる。
そして俺が行った心配蘇生。
刻死病の件も含め、今まで医療を担っていた教会の威信を傷つけ、賢者の塔との対立を不可逆的なところまで進めることになる。
そしてもう一つ。
俺が犯した決定的な失敗。
ティファニーは、エスティアの伝言は決して誰にも漏らすなと言った。
しかしあの時点で、俺はそれを既に第三者に漏らしていたのだ。
内緒話の秘宝を破れるのは、俺と悪魔王だけ。そう思っていた。
それほど内緒話の秘宝には絶対的な信頼があるのだ。
しかし一つだけ、それを突破する方法があったのである。
無くしたパズルのピースがある。
そこに記された絵を、見ることはできない。
しかし、そのピースを囲む周りのピースが揃っていれば、それがどのような輪郭をしているかは理解できる。
あの日の俺とエスティアの会話は、内緒話の秘宝によって秘匿されていた。
しかし、その効果が及ぶのはエスティアの言葉だけで、俺の言葉は周りに聞こえているのである。
つまり俺の言葉さえ聞けば、例え内緒話の秘宝を使われていたとしても、エスティアが何を喋っているのかを類推することができるのだ……。
俺がこの事実に気づくのは、まだ先のことだった。
そして世界は、ゆっくりと動き出す。
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