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カソウ 私が生きたい場所で  作者: うーろ
半年が過ぎると
9/9

半年が過ぎると 3

***


 揺れる電車の中で、私はその写真を見つめていた。その写真に写る風景について、何も知らない人が見れば、風景を撮り損じたものだと疑わない事だろう。写真に映る光景の元の姿を知る私にとっては、その写真の意味合いというのは、ある種の教訓であった。人々の想いが、いつかは枯れてしまうことの証明にもなるこの写真を、私は消せないでいる。画竜点睛を欠く、という言葉が、その景色には似つかわしかった。


光には必ず、それより大きな影が必ず纏わりつく。まるでそういわんばかりの変わりようだ。その写真は、私がかつて訪れた展望台から、夜の街を映した写真である。その光景は私が中学生の頃に見たあの景色とは違って、煌びやかでなくなっていた。私の想い出にはキラキラと光るものがいくつかある。想い出は、宝石箱に納められた宝石だ。その宝石箱から、私の宝石が一つ、奪われてしまった。その夜景からは重要なものが欠けていた。


***


”もう一度あの夜景を見たら、母と同じように私は、そこに人々の想いを感じて、受け取ることができるだろうか”


それを確かめたいがために私は、大学生の時に再びあの山地へと赴こうと画策していた。2022年の夏。私は大学生4年生だった。就活の真っ只中だったけれど、自分の就きたい職なんてものは定まらず、それだけならまだしも、自分のアピールポイント、つまるところ自分の良いところなるものがさっぱりわからないでいて、就活は嵐の中の船のごとく、文字通り難航していた。


就活に向いてない性格だということは承知していたけれど、それでも、私が人と接するということにおいて─いや、学問もそれほどというわけではなかったんだけど…優秀でないとみるやいなや不遜な態度を取る面接官には腹が立ったし、その度に私はへこんで、少ない自尊心に砂をかけられては、また砂を払って次へ次へと面接と臨んだけれど、いよいよそれも難しくなっていった。


とは言え企業側も悪い返事ばかりではなかった。ただ、就活のノウハウを見様見真似で実行する…本来の人間性とは違う、あるいは嘘のようなもので薄化粧する私に対しての好意的な返事は、過大評価であるような気がした。本来はそれで喜ぶべきなのだろうけど…不得意な教科でたまたま高得点を取ってしまって、それが誉めちぎられてしまうような、そんな違和感を私は抱いていた。


本来の自分とは何なのか。もし、自分の中から良い個性を見つけ出すとすれば、きっとそれは良き想い出からだ。それは私にとって成功体験であったはずだし、それを分析出来れば、私の考えをまとめるいい材料になるだろう。だから中学生の時にあの光景を見て抱いた疑問を、大学生の私にぶつけてみようと思ったのだ。


大学生の長い夏休みを利用しての旅行にしようと思ったけど、周知の通り、中学生と大学生では夏休みの時期が違う。私が彼の地に足を運んだのは中学生の夏休みであった。時期が違えば、あのライトアップが催されていない可能性がある。だから私は、念のためにライトアップがやっているかどうかを中学校の夏休みの時期である7月の終わりに、美術館のホームページで確認した。9月の中旬ぐらいまでやってくれていると日程を決めやすくていいなどと思っていたのだが、そんな期待は全く的はずれなものだった。


ホームページには、美術館についての情報が記されていて、案内はいくつかの項目に分かれていた。


”当館について”

”新着情報”

”イベント・カレンダー”

”施設・案内”

”アクセス・周辺施設案内”

”お知らせ”

“お問い合わせ”


それらの項目はタブ状になっている。マウスのカーソルを合わせると、美術館のイベントの様子を納めた写真と共に、その項目の情報が画面上に大きく映し出される。大々的な催しものなので、その案内にすぐにたどり着けると思ったけど、ライトアップに関する情報は一向に現れなかった。


各々の見出しは、それぞれがライトアップに関係してると言っても差支えないので、項目を順に確認していったが、どこにもその情報はなかった。なんらかの理由があって、今年はやらないのかもしれない。そう思った私は、お知らせの項目にその旨の文言があるだろうと思い、その項目を覗いた。


”※2020年をもちまして ライトアップイベントは終了しました”


その文言は実に淡白に記されていた。まさか、なんで。ライトアップは2年前の開催を最後に終わってしまっていた。記されていたのは、ただ、終了した、ということだけだった。他の項目にライトアップのラの字もなかったのは、既に終了してしまったからであった。しかしながら、なんらその理由が書かれていないというのは、一体どういう事なのだろうか。


 良いものが廃れる理由はない。私はそう思う。スペインの世界遺産、サグラダ・ファミリアがその壮大な構想ゆえに、大昔に作られ始めているのにも関わらず未だに完成していないのは有名な話である。スペインの内戦で建造に関する詳細な資料が失われてしまったそうだが、職人たちが口伝で構想を共有していたおかげで、建設が中止されることはなかった。建立の期間は既に100年以上に及んでいるが、完成を待ち望んでいる人は多く、観光地としても脚光を浴びている。何故、今日に至るまでサグラダ・ファミリアが作られ続けているのか。それは続けることに意義があるからだ。あるいは今日まで続く伝統と呼ばれるものは全て、その意義によって存続している。


ライトアップイベントに意義を見出だした人は多くいたはずだった。それが形となって、あの見事な夜景を作り出したのではなかったか。


人と人との間隙を、光で満たして、埋めてって。そうして出来た光景を、私は二度と、見られない。


その事実は私の色褪せない想い出から色味を失わせていく。次第に、私の心ではなく、頭に沸き立つものがあった。疑問。懐疑。何故、ライトアップイベントが終わってしまったのか。


─やめてしまった理由に、例えば金銭的な問題とか、私には推し量れない複雑な理由がいろいろあるのかもしれないけど、少なくとも理由があるということを確認しなければ、私は釈然としなかった。


 私はお問い合わせの項目にマウスのカーソルを合わせ、美術館のメールアドレスを確認した。ライトアップが終了してしまった理由を問う旨のメールをしたため、私はそのメールアドレス宛にメールを送った。1時間程度で返信がきたが、その内容は素っ気なく、”お答えできかねます。”という内容だった。


答えられない、という回答に対して、私はなにやら違和感を抱かざるを得なかった。単に終わってしまっただけなら、新たに始まったイベントを理由にして、そのイベントを案内してもいいだろうし、例えば金銭的な理由ならば、包み隠さずいうこともさほど難しいことではないような気がする。その一言の意味するところ、裏を返せば、言ってはならない理由があるようにも思えた。


しかし、いくら考えても答えにたどり着くわけでもなく、ましてや再びライトアップイベントが開催されるわけでもない。わからない以上は、しょうがないことかもしれない。恐らく、美術館に出向いたとしても、係員は答えられないの一点張りになるだろう。私は途方に暮れてしまった。


***


ライトアップイベントは終了してしまった。という事実を目の当たりにして、私の計画は頓挫するかのように思えた。しかし実際には、私は2022年の夏、あの山地へと赴いたのである。


確かめねばならなかった。私の宝石箱から、宝石が消えてしまったことを。


 続けることに意義を見いだせなかった人々がいるのなら、やめてしまったことにも意義をこじつけることができるのではないかと、私はそういう思考を巡らせていた。失恋をして髪をバッサリ切ったり、友人と仲たがいを起こしてショッピングで鬱憤を晴らしたり、─私自身にその経験はないけれど…普段なら許されない行動を、正当化してもいい理由を見出すことは、自分に起きた不都合を忘れるためには必要なことだとも思う。


あの夜景が失われてしまって、どれだけの人が悲しんだのかわからないし、私がその景色を見て、どれほど悲しくなるのかもわからない。


そこにいかなければ、私は過去の綺麗な想い出にすがるようになってしまうだろう。あの夜景をもう一度見ることは確かに叶わないかもしれない。叶わないからこそ、失ってしまったと実感する。その時、私の中から、どんな感情が出てきて、折り合いをつけるのか。私の個性に対して問いを立てるのに、それは十分な問題であった。


***


 私が一人暮らしをしている場所から電車で約2時間。降りた駅で10分ほど待ち、駅からバスで40分。夜景は大体19時~20時に見られるので、日帰りも可能な道のりだ。スマホで目的地までの道のりのナビをセットし、以前買っておいたけど、ついに使わなかった新品のスニーカーを箱から取り出して、私は彼の地へと向かった。


 電車で地方に移動するのは初めてだった。利用する時は、学校がある都心から実家のある郊外までだったから、電車で移動するということは私にとって、エレベーターに乗って他の階に移動するぐらいの感覚であったけど、地方に向かうにつれて駅と駅までの間隔は長く、人はまばらになっていって、時間の流れがゆっくりになっているような気持ちがした。電車の窓の外の風景からは高いビル群の姿は消え、次第に緑の割合が多くなって、その時の私の時間感覚と相まって、感慨に耽るような思いがして─なるほどこれがノスタルジックと呼ばれるものなんだなと、妙に納得した覚えがある。


 バスに揺られている間も似たようなものだった。中学生当時は車に揺られながら山を登っていった。当時と違うことは、私は多少歳をとって、感じることの大体に、適切な言葉や考えを発せるようになったことだった。子どもの頃のレジャーでは、直情的でとりとめない思考に、身を委ねることができるものだ。大学生になった私は、それが始まるよりも前に、後のことを考えるようになってしまって、感情に身を任せることが難しくなっていた。子どもが泣くよりも前に大人は泣くことはできない。感情の短距離走に挑むのに、大人の身体は重すぎるということなのだろう。


***


 バス停から山頂までの道のりは、中学生の時に歩いた道のりとなんら変わらなかった。当時宿泊したホテルの前にバス停があって、そこで下車したからだ。未だ太陽は沈んではいないが、傾きかけている時間帯にバスの利用者は少なく、幾名かの人がそのバス停でバスを降りたけど、大体はホテルへと向かって、そのまま登山に臨む人は私を除いていなかった。


暦の上では秋といっても、近頃の夏はその勢力図を拡大する一方で、下手をしたら10月になっても、夏の軍勢のしんがりが、秋の追撃に抵抗しているかもしれないと、私は傾いた日に身を焼きながら、そう思っていた。それでも中学生の頃に感じた炎熱は、今よりもっと、体感的に熱かったような気がして、なぜそう思えるかと考えると、中学生当時はそれほど整備されていなかった山道までの道のりが、きちっとアスファルトで整備されていて、無機質な見た目に温度感を感じられなくなってしまったからだと、私は思うことにした。


ほどなくして私は山道を登り始めた。ロープウェイを使わなかったのは、想い出に浸りたかったからだ。私は一歩一歩と山道を進んでいく。中学生の頃より、多少身体が重くなったのか、道のりがあの時より険しいような気がした。もし、あの時と同じように家族で旅行に来たとしたら、きっと私は父の提案を素直に受け入れ、母に休憩しようと言っただろう。私は「でもやっぱり、お母さんは先に行っちゃうだろうな」と独り言を漏らして、私は自分の身体の現状に、多少のムチを振るいながらも、やはり私は道中のベンチに腰を下ろしてしまうのであった。


現在午後16時。夜景をみるのであれば、まだまだ時間に余裕はある。しかしロープウェイの往来をみると、上るよりも下るほうの人が多いように思える。やはり、夜景を目当てに来ている人は少なくなってしまっているのだろうか。ほう、と深いため息を私はついて、この深いため息が疲れによって出たものか、あるいは夜景がやはり見られないことを改めて自覚したことによって出たものか、と私は少し思案してみるのであった。私のため息は、秋夏の生暖かい風に乗って、木々へと紛れていった。



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