半年が過ぎると 2
***
「どういう景色がいい景色だと思う?」
母は私に、そう問いかけた。
私は中学生の時に、家族旅行で避暑地として有名な山地を訪れた。山の麓から宿泊予定のホテルまでは車で40分ほどで、蛇のようにぐねぐねした道を進んで登っていくと、精霊か古代生物が住んでいそうな大きな湖があり、そのほとりに湖と荘厳な山並みを臨むホテルがあった。
その日の午前中は市内の美術館に立ち寄った。その土地の伝統と風土を学び、それから霊験あらたかな山地に赴いた方がオツだろうという父のプランだったけれども、伝統やなにやらよりも、美術館での催し物のアート体験に家族で参加し、ステンドグラスを作っている最中、材料のガラスを不注意によっておせんべいのようにばりっと何枚か割ってしまった父のあまりの不器用さ加減に笑ってしまったことの方が印象に残った。アート体験は家族連れが多く参加していて、皆もれなく四苦八苦していたのだけど、母はとても器用だから、手早くそして見事にステンドグラスを作ってしまって、余った時間で係の人と話して、この地域についていろいろ話を聞いているようだった。
美術館を出る頃には太陽が真上に上っていた。その家族旅行は夏休みが始まってすぐのことで、その日は体が溶けてしまいそうな暑さだった。山の麓の道の駅で昼食をとったとき、食後のデザートにと頼んだ売店のソフトクリームが、暑さで表面が溶けて、コーンとの間にバニラの池を作ってしまったくらいだ。炎天下、地上の熱さは、太陽の仕業だ。今から山を登って、あれに近づいて行くことに正直ちょっと抵抗があった。けれどその抵抗とは逆に、山の奥地へと進むにつれ気温はみるみる下がっていって、湖に着く頃には今が夏だということを忘れてしまうくらい涼しくなっていた。
標高が高くなれば気温が下がることを、当時中学生だった私は、知識としては知っていた。授業でやったばかりだったから、具体的な数字も覚えていた。標高が100m上がるごとに気温は0.649度下がる。湖は標高1000mの所にあるので、麓の気温と比べると6度下がったことになる。その気温の変化は私にとっては初めての体験で、それは私を奇妙な気持ちにさせた。まるで未知の世界に入り込んだような──と考えたところで、私の頭には「不思議の国のアリス」のタイトルが浮かび、こういうところなら野ウサギとかいるのかな?なんて、周りが建造物だらけの都会で育った私は、目の前の自然に対して思いを馳せるのであった。
ホテルから徒歩40分で着く展望台は絶景が拝めるポイントとして有名で、夕暮れ時はもちろんのこと、昼間、夜、それぞれ違った景色が楽しめる。展望台まではロープウェイで行くこともできるけど、滅多に来られない場所なのにロープウェイで登ってしまっては味気がないという母の提案により、私達はホテルから徒歩でその場所に向かうことにした。展望台までの道のりは思った以上に険しく、運動部だった私でも息を上げながら登り、気温が下がって引いた汗もじわりと肌から滲んだ。
「簡単には夏を忘れさせてくれないなぁ」とぼやいたのは父である。普段運動をあまりしていない父は、その道中で4回ぐらい「休憩しよう」と息を切らしながら提案したけれど、私の記憶では休憩したのは一度だけだった。というのも、母は学生の頃、山に登ることを目的とした山岳部という珍しい部活に所属しており、山に登るのに慣れていて、息一つ乱さずに、まるでアメンボがスイスイと水面を動くかのように、山を登っていってしまったからだ。母、私、父の順で一応の列を最初は作っていたけど、段々とその列が崩れそうになるので、背後から聞こえてくる父の提案に応じる余裕はなかった。母は普段気を細かに配ることのできる人だけど、遅れる父を気にかけなかったというのは、母が父に対して「少しは運動しなさい」というメッセージを暗に込めていたのではないかと今では思っている。
結局、展望台に着くまでに1時間ぐらいかかってしまった。展望台から見る夕日というのを目的に登ってきたので、時間には余裕をもって出発したけれども、あと10分もすれば日が山間に沈んでいく時間になっていて、展望台は既に、夕日を目当てにした何人もの人で賑わっていた。ここまで来る道中でロープウェイが登っていくのを横目に見ていたので、それなりの人数はいるだろうと思っていたけど、そこには私の予想よりもずっと多くの人がいた。その人数の多さは、求めるものの価値の高さを物語っている。中には三脚を立て、自前のカメラでその瞬間を収めようという人もいるくらいだった。よほどの景色なのだろうと私は心が躍っていた。
きっとこれからみる景色は私の見た景色の中でも一番のものになるのだろう。
そう思っていた時に、母は私に問いかけた。どんな景色がいい景色なのか、と。
綺麗な景色?と私が返すと、母は、夕日楽しみだね。と私に返した。
太陽が山々に沈みかける。空と山並みの境界に太陽がさしかかるとまばゆい日光は遮られ、こちらから見える山肌の緑葉が色を濃くする。山嶺から伸びる影は橋のようにも見え、それは湖の端にかかり、徐々に湖を覆っていった。未だ陽の当たる水面はゆらゆらと光を弾いている。影は湖の丁度半分を覆った。影で覆われている部分は静かでいるのに陽の当たる部分は賑やかでいる。それを見た私は、甘いものと苦いものを同時に口に放り込んでしまったような気分になった。けれども私の口からは、そんな神妙な情景を目の当たりにしても、簡単な賛美の言葉、「綺麗」という言葉が漏れたに違いなかった。
「凄くいい景色だね。」
私は母にそう言葉をかけると、母は頷いた。それから影の橋は、ゆっくりと湖を全て覆って、これから夜が訪れることを物語っているかのように、湖に静寂をもたらしたのであった。
「さっきのがいい景色?」と私は半ば答えであることを確信して母に聞くと「もちろん」と母は返した。
「でも、景色の楽しみ方は、他にもあるんだよ」と母は言った。
その展望台からは、麓の街並みも一望できる。湖とは反対側なので、日が落ちてから街は薄暗くなってしまう。
母は、街の方向をみて、その時を待っていた。私は、母の言う、いい景色とは夜景の事だと思ったけど、ネオンの明かりなどは、見慣れているものなので、特別感動などはしないだろうと、少なくともさっき見たもの以上の景色ではないだろうな、と思っていた。
しばらくすると、街に明かりがほつほつと灯り始めた。
「いい景色っていうのはね、もちろん目に映るものが綺麗であることもそうなんだけど…ほらあそこ見てて」
母が指をさす方向には大きな建物があった、あそこは多分、午前中に私達が訪れた、美術館だったと思う。目の前の手すりに手をかけ建物を見ると、ぱっと明かりが灯った。その建物の光が灯ると、その周りの建物が呼応するかのように明るくなった。
「え、なんで?」私は驚いた。なんで?の後には”わかったの?”という言葉が続くはずなのだけど、その時は母が一瞬、魔法を使った?ようにも見えて、自分が発した言葉がまだ途中であることも、そんなことはどうでもよくなっていた。母は、ふふふ、と笑って、私をはぐらかしているように見えた。
ぽつりぽつり、と光が灯っていき、それは街全体に広がっていって、薄暗かった街は、見事な夜景へと変貌した。まるでそれは、夜空に次々と上がっていった花火が、光の残像を残して、空が光で満たされていっているようだった。
「いい景色ってのはね、それを見て私たちが、何かを想像して、受け取ったものより多くのものを感じられて、それを受け入れられるものなんだよ」
母はそう言って、夜景を楽しんでいた。何故母がライトアップのタイミングがわかったのかは、旅行から帰って美術館のパンフレットを何気なく読んだ時にわかった。「○○展望台から見る夜景」として紹介されていたのは、その美術館がライトアップの中心として明かりの灯される事と、ライトアップが行われる時間、その取り組みについてだった。取り組みについてはインタビュー形式で語られていた。
’’美術館のライトアップは美術館独自のものですが、夏の時期には近隣住民の方がこのライトアップに合わせて、イルミネーションを自作するんです。皆様のご厚意によって、我々の取り組みは、ありがたいことに、ここまで認知いただけるようになりました。’’
そのインタビューを受けていたのは美術館の館長であって、その顔を見て、私は納得をした。その人は母が話していた係の人だったのだ。きっとアート体験の時に、今から私達がどこに行くかということを彼に話して、母はライトアップの事を知ったんだと思う。
“受け取ったものより多くのもの”とは、きっと、あのライトアップへの、人々の想いだったのであろう。母はあの光景に人々の想いを重ねたのだ。
また、いつか行けたらいいな、と私は思った。もう一度あの夜景を見たら、母と同じように私は、そこに人々の想いを感じて、受け取ることができるだろうか。
***
“NIZIGURE”と呼ばれるこの場所は、私のお気に入りの場所だ。この世界の案内人となった私はショウ君をここに連れてきた。ここは、現実では確実に存在しない光景をみられる場所だ。
どこまでも続く紺色の水面に私達は立っている。見上げると、そこには蒼穹が広がっている。俯瞰して見れば、きっと私達は蒼い球体の中空に浮いているように見えるだろう。水面と空の境目は、太陽から伸びる光の反射によって視覚的に保たれている。そのお陰で、私達は水面の上に立っている、ということを認識することができた。このままでいれば、単に私達は海原の上に立っているだけなのだけど、時間が経つとその様相が変わってくる。太陽が傾き、それは夕暮れとなって紺色の水面に赤みを与え、命を宿す。
「…見ててください」
私はそう言うと、じっとその時を待った。もしかしたら、かつて母がライトアップを待った時は、こんな気持ちだったのかもしれない。
足元の水面がゆらゆら揺らめいて、その揺らめきが突起状になり、私のくるぶし辺りまで上がっていく。やがてそれは小さな丸い形を成した。
“泡…”
ショウ君が称したのは”泡”だった。しかしその性質は現実の泡と似ているけど違う。いくつもの”泡”がゆっくりと空に昇っていく。その泡は完全な透明ではなく、若干の色味を帯びているのがわかる。それは薄い色、という意味ではない。コーヒーに少量のミルクを落として、ミルクが完全に溶けきったとしても、ミルクはその存在の主張を忘れることはなく、私達にミルク入りのコーヒーだということを気づかせる。それと同じように、目を凝らせば、青、赤、橙、紫…と様々な色達が、その泡には内包されていることがわかる。
泡は時間をかけて次第に大きくなっていく、気球が空へと上がるためにバルーンを膨らませていくのを、スローモーションにしているようだ。
そしてその泡達はやがて、空で弾けて、数本の線になって私達に降り注いだ。
っ、っ、音として聞こえる最低限が私の耳に届く。足元の水面はその音とリンクして、わずかな波紋を広げた。雨─。色味を帯びた泡は、弾けて雨になった。その無数の線は一つ一つ色が違って、まるで私達が虹の中にいるかのような、そんな気分にさせる。次第にその線は多くなっていって、色味がハッキリとして、雨が水面を打つ音は大きくなり、それは、言うなれば虹のカーテンのようになっていった。
“雨が激しくなってきましたね”
「そうですね、でもこれが面白いところなんです。この場所の名前”NIZIGURE”っていうのは、虹と夕暮れ…」
私がこの景色が好きなのは、”何かを想像して、受け取ったものよりも多くのものを感じられる”と思っているからだ。景色が現実離れしていて、演出に趣向が凝らされている。単純に綺麗というだけでも気に入られる要素があるのに、この景観を楽しませようとする作者の意図が、この”NIZIGURE”という名前に秘められている。作者はこの場所で起こることを名前に記しているのだ。
“時雨ですか”
ショウ君はすぐにその言葉に隠されたもうひとつの意味を言い当てた。”NIZIGURE”とは、”虹”と夕”暮れ”を掛け合わせて作られた名前であるけど、実は’’時雨’’という意味も併せている。このトリプルミーニングに私は全く気づかなかったのだけれど、以前一緒に訪れたsaicaが「…時雨」と呟いていて、それで私はやっと気づいたのだった。他の人と来た時には、皆、景色の感想だけしか言わなかったから、気づいたり気づかなかったりするものなのだろう。
この光景をみた人は、その光景について話し合うだろう。生まれた泡がパチンと割れてしまう儚さ、沈みゆく夕日が水面を照らす切なさ、虹色の雨がその勢いを増していく時の力強さ。その時���、場所の名前に隠されている3つの意味は、会話を弾ませるためにはいい薪になる。この場所を作った人は、それを見てくれた人々の姿を想像している。その意図が伝わったから、私はこの場所が好きなんだ。
ショウ君の顔をみると、しなやかな毛並みが雨を弾いていた。虹色の雨粒と夕日によって、それらはキラキラとしていた。そのキラキラと光るもののなかには、一際大きなものがあった。それは雨粒ではなく、ショウ君の瞳だ。よく見ると瞳は微妙な色合いで、青とも緑ともとれる色合いだった。たしか、こういう色を碧と書くのではなかったか。私が不思議そうに瞳を覗き込んでいると、ショウ君がこちらを向き目があってしまった。
私は咄嗟に目を反らして、たじろいでしまった。聞いたことがあるのだけど、海外の人は視線が合うと相手に好印象を与えようと、ニコッとするらしい。もちろん私はそんなことはできないのだけど、できるできないよりも、私は自分がショウ君の瞳を凝視していたことをショウ君に知られるのが恥ずかしくって...と思ったのだけど、それは理屈のひとつだ。獣と目が合う、というのが思いの外、怖かった。その防御反応として、目を反らしたのもあって、行為の一連の動作はやや大きく素早く行われて、不自然な動作になっていたかもしれない。
だから私は、その不自然さをごまかすために、口を開いた「そっ、そのアバターってなにか思い入れがあるんですか?」と。この質問ならアバターを凝視していた理由が、アバターそのものにあると思われるだろう。
”これは、飼っていた犬に似ていたので”
「そうなんですね!わっ、私も動物飼ってますよ!」
こういう会話をすれば、自然と飼っている動物の話に話題は移る。
「どういう子なんですか?」
”人懐っこくて、鼻先に指を当てると、嬉しがってじゃれてくるんです”
「それはかわいらしいですね。うちのフニは黒くて…」
”ふにさん?”
あっと思った。フニの姿を思い起こしていたら、名前が出てしまった。それは私と同じ名前なので誤解を招いてしまう。
「あっ、飼っている猫の名前なんです、フニっていって…私の名前はフニからとってて…」
と言ったところでショウ君は私にぐっと近づいて
”僕もそうなんです 僕もペットの名前からとってます”
と言ってきた。
こんな偶然ってあるんだな、と私は驚いた。その事実に私はより一層ショウ君に対して親近感が湧き、私は積極的にフニの特徴などを話しをした。ペットを飼っている人同士は、やはりペットあるあるみたいなものがあるから、話が弾んだ。
”私にとって"
"親友と同じぐらい大事な存在だった”’
最後にショウ君がそう言って、その言葉に重さを感じた私は、ペットに対する愛情とは、親友に対して感じる友情と並ぶほどになるんだなと思った。
”他にはどういった所が、このゲームにはあるんですか?”
「他には...」
遊べる場所などはあるけれど、saicaが後で合流すると言っていたし、そういう場所にいくのならば、saicaと合流してからの方がいいと思って、私はいつものチャットルームにショウ君を招くことにした。