一ヶ月が経ち 2
その声は雷鳴のように辺りに響いた。私の目の前で上げられた声であるはずなのに、それが誰のものなのか、私には一瞬わからなかった。私は今まで彼女がはっきりと拒絶の意を示すところを見たことがなかったし、そんな態度を彼女が取ることを想像だにしなかったからだ。驚きに息をするのを忘れてしまった私は、僅かな硬直の後、声の主はsaicaであることを理解する。
「…あっ、あぁ驚かせちゃいましたか!…ごめんなさい!私、びっくりしちゃってつい!」
と、saicaは我に返ったかのように、その場を取り繕う。しかし、その言葉は彼女の先程の反応の衝撃を払拭するには不十分であるのか、撫でようとした相手は中身がなくなってしまったかのように呆然と立ち尽くしている。私達以外の近くのプレイヤーの雑談の声がざわざわと聞こえるのが、余計にこの場においての静寂を際立たせるようだ。静寂は、私の鼓動の音を早めていっている。次第に私は焦り始める。現実よりも平和的なこの世界で、現実と同じような気まずさなんて、ないほうがいいに決まっている。この状況をなんとかしようと、私はとにかくなにか言葉を発しなければならないと思った。
「あの…彼女は私の友達な…んですけど、今日はちょっと体調がよくないって言ってて…」
saicaの反応について、とっさに言い訳にもなっていない言い訳を私は話した。体調が悪いなんて彼女は言っていなかったけど、思い付くその場を取り持つ嘘がこの程度のものだったのだから、私は私の想像力の乏しさと機転の利かなさが嫌になる。これでは場が余計に混乱するかもしれない。
「…そうなんですよねぇ、わたし、ちょっと今日体調がよろしくなくて」
そう続けたのはsaicaだ。その言葉を聞いて呆然としていた相手はようやく口を開き「そうですか、ゆっくり休んでください」と、立ち去る口実ができたといわんばかりの定型句を並べ、そそくさとその場を立ち去った。結果的には私の嘘によって、その場は収まった事になったのだろうか。あのプレイヤーは、できればこの場から離れたかったはずだ。私に話を合わせたsaicaの機転により、あの人は立ち去る理由を作ることが叶ったのだ。
***
プレイヤーが立ち去った後、私達は黙りこくってしまった。数十秒であったと思う。この時間は私にはとても長く感じられた。saicaはよく話す人だから、その場が静まり返ってしまうことなんてないに等しい。その姿はまるで、沈まない太陽だ。彼女の傍らにいつもいた私だからこそ、その時間が長く重たく感じられたのだと思う。
saicaになんて声をかければよいのだろう。さっきのプレイヤーの行為はsaicaにとってそれほど嫌なことだったのだろうか?単に驚きのあまり、過剰な反応をたまたまとってしまっただけかもしれない。さっきのことは触れずに、全く関係のないことを話してしまう方が親切というものか。
…こんなことをぐるぐると考えている時間が、沈黙をより長くしているんじゃないか。今さっき”saicaの体調が悪い”なんて機転の利かない嘘をついた私が、今さら気を利かそうなんて、身の丈を知らないにも程がある。私の肺から吐き出される息が、全て言葉になってくれたのならと思う。この沈黙はsaicaにとって嬉しいものじゃないはずだ。”あの”と口に出すだけでいい。それだけなら私にもできるはず。
「あの」
沈黙の中に落とされた声は、私の声ではなかった。口火を切ったのはsaicaだ。
「ごめんね、びっくりさせちゃったでしょ?」
気を遣うべきは私なのに、逆にsaicaに気を遣われてしまっている。私はその問いに肯定するべきか否定するべきかわからず、「大丈夫?」という言葉を返す。平気、と答えるsaicaであったが、その真偽のほどはわからない。私はそれ以上の言葉を紡ぐことはできず、会話の糸はそこでまたしてもそこで切れてしまった。
「別なところで話さない?」と、この状況をみかねてか、saicaは部屋へと移動することを提案した。私の思考は堂々巡りで、オーバーヒート寸前だった。電池で動くおもちゃが、電池切れ間際にぎこちなく動いてみせるかのような危うさが、その時の私にはあったかもしれない。「そうだね」と口にする私のその声は、自分のポンコツさに嫌気が差して、消え入るような小さい声になっていたと思う。
***
場所の移動は、この世界では一瞬だ。UIを操作し、目的地を選んで、僅かな時間のロードを挟んだら、目的地についている。私は先程のsaicaの反応について、考える時間が多少欲しかった。だから、彼女には、飲み物を用意してから行くね、と伝えておいた。先程のやり取りに緊張を感じていたからか、用意していた飲み物で喉を潤しても、すぐにその潤いが乾いてしまって、実際に私の喉はカラカラだった。
飲み物を用意している最中、私はsaicaの今までの振る舞いを思い起こしていた。saicaはおしゃべりで、彼女の周りには人が集まるけど、先程のようなスキンシップをsaicaがされるところを私は見たことがない。また、saicaが誰かに触れるという場面にも遭遇したことがなかった。
考えてみれば、それは不自然なことである気がする。陽気で気さくな人物というのは、体に触れるということをコミュニケーションの一環として、自然にできそうなものである。初対面の人と握手をしたり、落ち込んでいる人の肩を叩いたり。またそれをよしとしているのであれば、されることも同時に許容しているということになると思う。自分がされて嫌なことを他人にするというのは、よっぽど傲慢で自分勝手な人物にしかできないだろう。saicaは少なくとも、急に触れられることは嫌な様子だった。であれば、saicaが誰彼構わず触れて仲良し、といった行動を取らないのは、納得できる。
ただ、彼女が誰にもそういうスキンシップをとらないかと言えばそうではない。私達が二人きりのとき、saicaは時折私に触れた。私も触れ返したりするけど、その時に嫌がる様子はなかった。単に個人の慣れの問題なのだろうか?
…saicaがわざわざ場所を変えて話そうと言ったのは、さっきの反応の理由を話してくれるからかもしれない。誰しも表面に出ないだけで、苦手なものや、してほしくないことはあるはずだ。私ももしかしたらsaicaに嫌われるようなことをしてしまうかもしれない。それを未然に防ぐためにも、私は話をきちんと聞かなければ。
***
飲み物を用意し終えた私は、HMDを被り、部屋に移動する。saicaは私の来るまでの間、部屋にあったパズルをいじっていたようで、完成間近のパズルが、テーブルの上に置いてある。「おかえりー」という声に、私は「ただいま」と返して、私は彼女の正面の椅子に腰を掛けた。普段二人きりでいるときには緊張なんて感じないけれど、今日ばかりは、それを感じずにはいられず、私はそわそわとしてしまう。仕方なく私は部屋の隅々まで視線を泳がせ、緊張を紛らわせる。部屋には私の身長よりも大きい動画プレイヤーがあり、それには以前教えて貰ったsaicaのお気に入りの動画が流されていて、私は泳がせていた視線をそこにとどめた。ほどなくしてsaicaがいじっていたパズルは完成し、saicaはすたすたと私に歩み寄った。私が椅子に座っていても、彼女との身長差は解消されず、saicaはその身長差を埋めるために、まるで子どもが遊園地のアトラクションの身長制限を確認するときのように私を仰ぎ見る。いよいよだ。saicaは何を話すのだろう。
「フニちゃんの写真、撮ってきた?」
予想外の言葉に、へ?と私は気の抜けた声を出してしまう。私の呆けた様子をみて、saicaは「忘れ物、取りにまた帰ったんだよね?」と続けた。この前、実家に帰った時に時計を忘れてしまい、取りに再び帰った。saicaがフニの写真を所望していたこともあり、写真もその時に撮ってきたのだった。まさか今、その話題を出されるとは思ってもいなかったので、拍子抜けしてしまった。
ちょっと待ってて、と彼女に伝え、スマホを取り出し、撮った写真をsaicaに送る。かわいいね、と写真を見て彼女は言うけれども、写真に映っているのはフニの横顔である。できれば正面を向いた写真を撮りたかったのだけど、フニはカメラを向けられるのが嫌なのか、写真を撮ろうとすると、どこかへ行ってしまったり、そっぽを向いたりした。そんな写真でもsaicaは満足している様子で、撮り損じたような、フニのどんな横顔や、後ろ姿、ブレた写真でも、彼女は”いい写真”と評価した。
saicaは、何事もなかったように私と接している。今日あったことは、大したことではなかったのだ。きっと、そうだ。無用な心配だったのだと、私は胸をなでおろす。ひょっとしたらsaicaは本当に体調が悪くて、ああいうことに対処できる余裕がなかったのかもしれない。
「フニちゃんの首輪の鈴、三つついてるね、どうして?」
「あぁそれは…」
首輪の三つの鈴について、どうして?という質問を受けることを私は想定していなかった。確かに、それが当たり前なのは、私と両親の間だけだった。もう何年も前になるけど、おじいちゃん、おばあちゃんが家に来たときに、フニの首輪にぶら下がる三つの鈴を不思議がっていて、その時に説明したぐらいで、それから説明の機会がなかったものだから、それは自然なもの、という認識が私の頭に根付いていた。
「これはね、お父さんとお母さんと、私とで、一つずつ鈴を選んで、首輪につけたの」
***
フニが我が家に迎え入れられたのは、なにより私たっての希望によるものだった。小学生の頃のクラスメイトの話題は、漫画やアニメの話題が多かったけど、飼っているペットの話も同じぐらい多かった。うちはペットを飼っていなかったので、クラスメイトのペットの話を聞いて、可愛らしい動物と一緒に生活できることが私は羨ましいと思った。だけど、それよりももっと強い思惑があったのを、私は今でもはっきりと覚えている。もし私がペットを飼ったとしたら、クラスメイトとペットの話ができると思ったのだ。漫画やアニメの話題とは違い、ペットの話は飼い主個人の話も当然混じってくる。そうしてペットの話も交えて私の話ができたのなら、話した子達と仲良くなれると私は信じていた。だから私は両親にペットが欲しいとねだった。
「みんなとペットの話がしたいの」
─それはとても無責任な発言であったと思う。生き物を飼う動機が、生き物そのものにない。当時の私はそれがどれ程身勝手な考えであるか、知らなかった。母から「だめ」という一言を貰い、私はやはり子供だからその理由がわからず、だだをこね、泣きじゃくった。そんなことをしても、生き物を飼うということを決定的に勘違いしている私に、生き物を飼うことが許されるはずはない。
だけど、しばらくしてから母は、一転してペットを飼うことを私に許した。なぜ許す気になったか、なんて、子供の私は考えることもせず、あるいは必死にお願いをした成果だと、短絡的に考えて、とにかく嬉しいという事実をただひたすら堪能していた。
フニが迎え入れられてから、一緒に遊んだり、世話したりと、私は飼い主として当然の事をした。端からみればそれは、ペットと飼い主の関係性としてなんら問題なく見えたはずだ、だけど、その関係では”フニを飼う私”が重要で、関係の内側はいびつなものであっただろう。
***
それは休日の朝だった。私がリビングでフニにエサを用意していると、しゃん、という小さな音が聞こえた。その音が気になり音のする方を向くと、そこにはフニがいて、何やら首輪にぶら下がっていた。どんぐり程の大きさの、やけにピカピカとして眩しいそれは、鈴だった。前日までは、ついていなかったものだ。
「それね、お父さんがつけたみたいなの」
朝食の用意をしている母がそう言った。母は手を止め、リビングにあるキャビネットから何かを取り出し、フニに近づいていく。
「フニとはこれからずっと一緒にいるからね。お父さんはフニに似合う鈴をお店で真剣に悩んで選んだって言ってたよ…お母さんが似合うと思うのはこっちかな」
そう言って、母がフニの首輪につけたのは、父が用意した鈴よりも少し小さな鈴で、揺らしてもあまり音がならなく、鈴というよりは、お守りのような、そんな装飾だった。
「猫って、鈴の音を嫌がるらしいの、あまり大きいと負担になるかもしれないし、これだったら、邪魔にならないでしょ?」
それは、母にとってはごく当たり前の事だったんだと思う。母とフニとの関係で、母にとって重要なのは、フニなのだ。母の選んだ鈴は、その気持ちを証明するに足る配慮を備えている。そして父も、不器用ながらもフニに対する愛情を表現している。私は、どうしてそんなことをする必要があるのか、わからなかった。それでも、私には父と母が正しいことをしていることが直感的にわかった。この相反する二つの私の思惑は、父と母にはできる事、という事実だけを浮き彫りにして、私に”寂しさ”と一言にまとめてはいけない感情を抱かせた。フニの首輪にぶら下がる二つの鈴が小さく音を鳴らす度、私はそこに足りない物と、私自身に足りないものを、想像せずにはいられなかった。