中山裕介シリーズ第5弾
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり――
「いやーー!!」「うおーー!!」
一一八五年四月二五日。赤旗の平氏軍五百艘と白旗の源氏軍八四○艘は、関門海峡壇ノ浦(山口県下関市)で対峙し、午の刻(正午)に両軍は衝突。世にいう『壇ノ浦の戦い』が開戦した。
源氏軍は陸地にも約三万騎が陣を張り、平氏軍の退路を塞いで岸から射掛けて来る。
だが、当初は海戦に長けた平氏軍が早い潮の流れに乗って次々に矢を射掛け、海戦に慣れていない源義経の軍を押して行く。
この戦況を見た平氏の総師、平宗盛(役、中山裕介)は、
「よし良いぞ! このまま源氏に我が軍の強大さを見せ付けてやり、義経など討ち取ってやるのじゃ!」
意気揚々としていた。飽く迄も今の所は――
このままでは不利である事を悟った義経(役、多部亮)は、
「皆の者、平氏軍の漕ぎ手を射るのじゃ!!」
案の定、大胆な命令を下す。
「恐れながら、戦闘員ではない漕ぎ手を射る事は戦の作法に反しまする」
家臣は驚愕の表情で進言するが、
「今の戦況を見てみよ! そのような悠長な事を申しておる場合ではない! 四の五の申さず漕ぎ手を射貫くのじゃ!!」
義経には馬の耳に念仏。この掟破りの戦略は当然、戦況に変化をもたらす。
平氏にとっては皮肉な事に、時を同じくして潮の流れが変わり、源氏軍が有利となってしまう。
「天は我が方に味方しておる。突撃じゃ!!」
義経はこれに乗じて怒涛の追い上げを見せ、平氏軍は漕ぎ手を次々に射られて行く事も重なり壊滅状態に陥って行く。
敗北を悟った平氏一門は覚悟を決め、次々と身を海へ投じ始めた。
この現状に死を覚悟した、今は亡き平清盛の妻、二位尼(役、大石景子)は八歳の安徳天皇を抱き寄せる。
思い詰めた表情の二位尼を仰ぎ見た安徳天皇は、
「一体どうしたのですか」
不思議そうに訊く。
「阿弥陀の浄土へ参りましょう」
「そこは何処にあるのですか?」
安徳天皇は尚も不思議そうな様子。
「この波の下です」
優しく微笑む二位尼、だが声は震えている。その様子に何かを察した安徳天皇は口を噤んだ。
二位尼は安徳天皇と三種の神器の一つである天叢雲剣を抱き抱え、
「海の底にも都はございます!」
声高に告げ海に投身した。
その光景を見ていた建礼門院徳子(安徳天皇の生母。役、チハル)は、
「わたくしも後に続きます。都でお会い致しましょう」
涙を浮かべて呟き、同じく海に投身する。
徳子に仕えている按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ。役、桐谷智衣美)は、放心状態で座り込んでいた。その部下である女性(役、沢矢加奈)は側に寄って按察使局伊勢の両肩に手を置き、
「按察使局伊勢様、わたくし達も後に続きましょう」
今にも涙を溢しそうな顔で言う。
按察使局伊勢は女性に支えられながら立ち上がり、欄干の所まで来ると、
「平家は未来永劫じゃ・・・・・・」
こう呟き部下の女性と共に投身した。
軍艦の奥で構えていた宗盛は、呆然としたまま欄干に移動する。
「いやーー!!」「うわーー!!」
威勢の良い源氏の武将達、敗戦が決まっても最後まで諦めずに戦おうとする平氏の武将達の喚声も、遠く夢見心地に聞こえる。母、二位尼。妹、徳子と叔父や弟が投身して行く姿、血で真っ赤に染まり、夥しい矢がたゆたう海上を見詰める目も虚ろ。
「・・・・・・毎夜の酒が飲めなくなる・・・・・・」
宗盛の頭にあるのは、敗北による悔しさでも絶望感でもない。御家が壊滅した事により、毎夜の酒池肉林の生活が出来なくなってしまうという憾みだけ。人は切迫した状況に陥った時、現実とは相反する日常を思い浮かべる事で逃避しようとするのかもしれない。これも、防御本能の一つではないだろうか――
「宗盛! その首討ち取ってくれるわ!!」
呆然とした頭でも義経の喚声は確かに聞こえた。
「うわあっ! 来るなっ! わしは嫌じゃー!!!」
我に返った宗盛は軍艦の中を逃げ回る。
しかし、最早これまで。宗盛は再び欄干に掴まり、意を決して投身しようとしたその時、背中に矢が刺さった武将の死体が血の海に浮かび上がった。
「ううううーうわあっ!!」
宗盛は思わず後退してしまう。
宗盛の姿を終始見ていた平氏軍の武将(役、宮根慎太郎)は、様はない事甚だしく思い嫌気が差していた。
「あの男が一門の総師なのか? あのような男が「平氏にあらずんば人にあらず」とまで言わしめた御家の当主なのか? 冗談ではない! 宗盛様!!」
「何をするのじゃ!?」
武将は宗盛を抱えると海へ投げ入れる。所が宗盛は両手足をばたつかせる為に沈まない。
そこへ義経の軍艦が近付き、宗盛は捕らえられてしまう。
「宗盛、お前は・・・・・・」
宗盛の姿を一部終始目撃していた義経は、唯々唖然とするばかりだった。栄華を誇った平氏一門の総師の情けない光景。戦に勝利した歓喜を忘れる程の虚しさ……。
平清盛が正三位に叙任されて以来、日本初の武家政権であった平氏政権は、ここに二五年の歴史に幕を閉じた。
正に諸行無常――
目を開けると、そこは壇ノ浦……ではなく、東京練馬区内にあるチハルのマンションのリビング。従って眼前に広がるのは海ではなく、真っ白な天井。
「何であんなドラマチックな夢を見たんだろう。しかも安い座組・・・・・・」
役者は全てプロデューサー、ディレクター、放送作家、交際している彼女である。
ソファに横になったまま、「夢の原因追求」を開始。仕事や旅行で下関市に行く予定はない。歴史番組の構成を担当している訳でもないし、壇ノ浦の戦いについてホン(台本)を書いた覚えもない。
「わっかんねえなあ・・・・・・」
起き上がってタバコを銜えると、
「ちょっと、吸うんだったら換気扇の所かベランダに出てよ!」
シャワーを浴びてTシャツ姿の彼女が登場。
「建礼門院徳子・・・・・・」
「は? 誰それ? 私はチハル。本名は(阪井)奈々だけど」
「あんた大丈夫?」とでも言いたげな、怪訝な表情。チハルは文京区のキャバクラでキャバ嬢として勤務している。本名と呼び分けるのが面倒なので、普段から源氏名のチハルと呼んでいる。
チハルは少し前までAVの企画女優(単体では売っていない女優)のアルバイトも兼業していたが、弟にバレて引退。
出会ったきっかけは、ピンチヒッターとして構成に参加した番組でAV女優を特集した時だった。他のスタッフと打ち合わせで撮影スタジオへ行き、撮影中の彼女にちょっといたずらをした。
捲りで覆われたパネルの後ろに全裸の女性が立ち、一般的には簡単なクイズが出題されて行く。不正解の場合は捲りが一、二枚ずつ剥がされて行き、正解数に応じてイケメンの男優、不細工、又は中年の男優とSEXをするという内容。
MC役のスタッフが、
「関ヶ原の戦いで徳川家康と対決した武将の名前は何でしょう」
とチハルに問題を出す。答えられない彼女に、オレはスケッチブックに「小栗旬」と書いてチハルに見せた。
「そんなアホな!」という答えだが、チハルはあっさり読んで見事不正解。腹のあたりの捲りを二枚剥がされた。
結果的には、チハルはイケメンの男優とSEXする事が出来たのだが、それだけ当時のチハルは「おバカキャラ」だった。しかも、憤ったチハルは撮影終了後、「お詫びにデートに誘え!」と推測不能な要求をして来る。それで遂行する事になったデート先は、オレが好きな日本史に関する石垣山一夜城(神奈川県小田原市)。それ以来、芳縁が続いているという訳で……。
「初デートに城跡なんてあり得ない!?」なんて意見が飛んで来そうだけど、オレはそういう一風変わった性質なので。
「平氏が滅亡する夢を見たんだよ。平氏に関係する仕事なんかないのにさっ」
「昔大河ドラマでやってたからじゃない?」
「そんな単純な理由かねえ・・・・・・っておい!」
チハルはオレの前に来て前屈みになり、テーブルの上に置かれた雑誌数冊の中から一冊を探している様子。彼女の服装は上はTシャツ、下はTバック――
「尻をどアップで見せるな!」
「見たくなきゃ見なきゃ良いでしょ」
「目の前にあれば見るっつーんだよ!」
短い溜息を吐く。うんざりしたのか、衝撃的な光景を見た後の空虚なのかは自分でも分からないが、タバコを持ってベランダに出た。
紫煙を吐きながら、昨夜の出来事を一つ一つ思い返す。
構成を担当する、深夜番組のスペシャルで放送するドラマの収録が終わり、主演の桐谷智衣美の楽屋を、多部亮ディレクターと、一緒に構成を担当している沢矢加奈さんとで訪ねた。
因みに、多部と桐谷は現在交際中。沢矢さんは目標を秋元康さんとする野心家……だが、これは夢とは関係ないだろう。
四人で会話をして、多部は途中で抜けたんだったな。三人になって確か――
「ねえ、前から訊きたかったんだけど、ユースケ君にとってのリスタートって何」
「また桐谷さんも唐突だね」
「私も聞きたい」
沢矢さんは破顔しているが――
「オレにそんな興味ないだろ・・・・・・まあリスタートっていうと、作家を目指した事だろうな」
「何で作家を目指したの?」
「平たく言えば、大学時代の失恋がきっかけだった」
「何か意外ですね」
桐谷と沢矢さんはにこにことしておられる。その真意は分からないけど――
「意外ってどういう意味だよ?」
「別に深い意味はないんですけど、ユースケさんが失恋で奮起するってイメージなかったから」
沢矢さんが不思議そうにオレを見れば、桐谷は訊いといて「アハハハハッ!」と笑う。
「オレだって人間なんだから人を好きになる事だってあるよ・・・・・・声優志望の人で、メアド訊いたんだけど体良く断られた。オレその当時何も志がなかったから、志がある人からすれば、オレと関係を持っても何にもならないって判断されたんだよ」
苦笑して回想し、推察した。
「それで奮起して、その声優志望の彼女に自分を知らしめたかったんだね」
「まあそういうとこ。所で沢矢さんはどうなの?」
「実は私も失恋がきっかけなんです。私の場合は不倫でしたけど」
「相変わらず凄い事をさらりと言うね」
呆れて笑うしかない。ライトにぶっちゃけた事を口にする。これが彼女の性質。
「ある日突然、「もう会うのは止めにしよう」って切り出されたんです」
「何かきっかけがあって?」
桐谷は興味津々。
「別に。奥さんにバレちゃったのかも。でも別れを切り出されたのが屈辱で、有名になって彼を見返したいって思ったんです」
なるほど。だから目標は秋元康さんって訳か――
「人って、自分が知らない内に、いつ何処で誰に影響を与えてるのか分かりませんね」
沢矢さんはしみじみと言った。
確かにそうかもしれない。影響を与えられたオレも、おこがましい話だが、誰かに影響を与えているのかもしれない。
本音を語り合ったつもりだけど、これも夢とは関係ないな。
「もしかしたら・・・・・・」
『多部さんがユースケさんを誘ってみようって言ってました』『ユースケさんは急にオファーした方が仕事を躍起になって遣る奴だって言ってました』
昨日、人気若手お笑いコンビ、オクシデンタルリズムに言われた言葉。
「これだ・・・・・・」
「一人で何ブツブツ言ってるの?」
チハルがタバコを銜えてベランダに出て来た。
「夢の原因が分かったんだよ」
「へえ、それで何だったの?」
「また多部と仕事するからだ」
「せっかく仕事が貰えるのにそんなうんざりした顔したら罰当たるぞ!」
「あいつに関する仕事だったらそれも覚悟の上」
「食いっぱぐれろ!」
チハルはあやすように微笑む。
「存外きつい事言うね」
四月中旬になり、オレが所属する放送作家事務所<マウンテンビュー>に、多部が勤務する制作プロダクション<ワークベース>から正式に仕事のオファーが来た。
作家が仕事のオファーを受ける時、今回のように制作プロダクションからの場合もあれば、放送局、番組サイドからと、特に決まった通例はないのだが……。
「多部君から仕事が来てるの知ってるよな?」
「多部からじゃなくオクリズの二人から聞きましたよ」
春と秋の改編期に合わせて仕事のオファーをする場合、緊急事態は別だが、普通は三、四ヶ月前には出されているもの。
しかし、多部は長年の付き合いでオレの引っ込み思案な性格を熟知しており、通常のルールを度外視した。うちの坂木舞社長もオレの性格は熟知している為、抗議するどころか快諾してしまう。
社長が「遣れ」と明言した仕事は、それこそ緊急事態でもない限り辞退出来ないのが不文律――
「良いなあお前は。仕事を振ってくれるディレクターが友達にいて」
「ありがたい事ですよね」
出任せ六五%。
「お前も大人に成ったな。それで今夜、多部君が打ち合せしたいって言ってるから、早速行ってくれ」
社長の「大人に成ったな」の言葉には、感慨と少々の不憫さが裏打ちされている気がしてならない。
オレに対して苦笑なのか微笑みなのか不明な笑顔を浮かべる坂木社長。口振りと服装は男だが性別は女。所謂トランスジェンダー。だから社長の前では「女ですよね」なんて言葉は口が裂けても言えやしないし言わない。
そして夜――
「何で打ち合わせ場所がここなんだ?」
眼前には、ヒップホップの音楽に嬉々として踊っている数多の男女――中目黒のクラブは今日も大盛況。
「あのう、VIPルームにいる友人から呼ばれて来たんですが、どうやったら入れますか」
側にいたウエーターに尋ねると、
「少々お待ちください」
ウエーターはインカムで何やら話し始めた。
使用中のVIPルームに出入り出来るのは、従業員でもオーナーと専属ウエーターだけだという。それだけプライバシーは厳重に守られ、幾ら中の友達との約束だと言っても、気軽に入れる部屋ではない。
暫くすると、VIPルーム専属らしきウエーターが来た。
「どのようなご用件ですか?」
「今VIPルームにいる多部亮さんに呼ばれた中山裕介と申します」
「確認して参ります」
専属ウエーターはVIPルームの方へ向かう。
ったく、面倒臭せえ所で打ち合わせを……。
ウエーターが多部に確認を入れ、やっとVIPルームに入るまでに二十分は掛かった。中に入ると少し薄暗く、天井にはシャンデリア、壁には金のオブジェと絵画が飾ってある。
数回しかVIPルームに入った事はないが、何処もこんな感じ。そして、この独特な雰囲気にはやっぱり慣れない。
「室岡さん、お久しぶりです」
「おう。態々悪かったな」
<ワークベース>の室岡社長も同席している。
他は多部と二人の女性――断っておくがナンパした人ではなく、今回構成に携わる番組『オクオビ』の女性作家である、膳所貴子さんと神野彩子さんだ。
「所で何でここで打ち合わせなんだよ? 高い料金払って・・・・・・」
「お前を歓迎する為に決まってるだろ」
「オレの提案なんだよ。金は気にしないでくれ。オレが身銭を切るから」
多部も室岡社長もにこやかな事。
「良いんですか、こんなご時勢に大きな身銭を切って。制作プロダクションも今大変でしょう。多部、お前が払えよ」
「いや、今日は社長に出して貰う約束になってるから……」
多部は苦笑いで返す。
「良いんだよ。たまには羽目を外しても」
室岡社長はそうは言いながらも、笑みには「痛い」といった「渋み」が滲んでいる。やっぱりな。制作費だって削減されてるんだし。それにしてもお二人さん、さっきのにこやかさは何処へ行った?
「それはそうと、今回の仕事、引き受けてくれるよな? 作家が一人急に抜けちゃったからさ」
多部の笑顔から察するに、オレが構成スタッフとして加わる事は既に決まっている様子。その「急に抜けた作家」というのは、お笑い芸人兼放送作家の男性。途中で抜ける理由は、最近になって「タレントの仕事が忙しくなって来た」からだそうだ。
この多部亮という男、AD時代からっ知っている旧交のディレクター。今のようにクラブや合コンで女性と触れ合うのが趣味というか生き甲斐みたいな奴で、業界では「チャラ男D」と呼ばれている。歳も業界歴も一年先輩だが、この男にだけは初対面の時から「多部」と呼び捨てにしている。特に理由はないが――
「遣りますよ。遣らさせて頂きます」
冗談でも「嫌だ!」と言ってやった方が良かったか――
「(鈴木)おさむさんや鮫肌(文殊)さんを口説き落とすんじゃないんだからさ。オレの為にVIPルーム予約したんじゃなくて、単にお前が来たかっただけだろ?」
「お前は流石だな。敵わないよ」
多部はそう言うと「キッキッキッ」と笑いやがった。憎たらしっ――
「そんな事より仕事の話ですよ。今月から(番組を)どうするんですか?」
「その話なんだけど、『オクオビ』の数字(視聴率)がスタート以来芳しくないのは知ってるよな?」
多部の顔は仕事モードに切り替り、さっきまでと目の色が違う。
「『オクオビ』だけじゃなくて、もう一本の冠(番組)もそうじゃん。向こうも困惑してるだろうな」
「まあ向こうもそうだろうけど、こっちも梃入れをする事に決めた。そこで、君にも知恵を絞って貰いたいんだ」
番組MCである、オクシデンタルリズムの大政功希と飯田孝秋の二人は、デビュー三年目にして深夜ではあるが冠を二本持っている売れっ子お笑いコンビ。高校で知り合った二人は大学時代に芸能事務所の養成所にも通い、養成所卒業後にデビュー。
その年の夏に、深夜のネタ見せ番組にて『♪ ズンチ! ズンズンチ!』と口でリズムをとりながら、身近な事や社会に対して毒突いて行く「毒舌ラップ」を披露して注目を集めた。
東京都が尖閣諸島を購入するとの報道が出た際は、
『♪ ズンチ! ズンズンチ! 尖閣諸島を東京が買う 石原都知事よ買うんだったら募金を募らず自腹で買え!』
こう歌っておりましたよ、天国の石原慎太郎さん――
結局、尖閣諸島購入資金となる寄付は十四億七三二七万円が集まったそうだが、二○一二年九月十一日、尖閣諸島は日本政府が二十億五千万円で購入し国有化された。嗚呼、野田内閣。あ~あ、民主党政権……。
話をオクリズに戻す。その後、二人共端正なルックスである事も手伝い大ブレイク。異例のスピード出世を果たし、デビュー二年目の去年四月、在京キー局THS(東京放送システム)にて、月曜から木曜日の二四時(午前零時)からの三十分枠で、初のMC且つ冠の『オクオビ』がスタートする。
メディアは二人を賞賛する一方、一部には「まだ早い。事務所は過保護にしている」と冷淡な目があった事も事実。その言葉は予期していたかのように、『オクオビ』の数字は関東地区で三、四%をうろうろし、半年後に他局で土曜二三時台にスタートしたもう一本の冠も同レベル。
冷淡な目を向けていたメディアは「それ見た事か」とバッシングを始めており、二人にとっては今が正念場だ。
「作家さんが一人辞めるって決まった時、多部さんは直ぐユースケさんの名前を出したんですよ」
「煽ったって急には何も出て来ないよお貴さん。僕はニューカマーですので」
オレの右隣に座る膳所さんは、作家仲間の中では「お貴さん」と呼ばれている。その理由は追い追い。
「でもユースケさん先輩ですから、色々とご指導ください」
お貴さんは普段は低姿勢なんだけど――
「まあ力を合わせて頑張って行きましょう!」
室岡社長と多部に挟まれた神野さんを見る。黙して語らず、タバコを吸いながら優雅に水割りを飲んでいた。この人、裏では「高ビー神野」と呼ばれている。その理由も、追い追い分かると思うけど――
ソファのクッションの隙間に手が触れた時、何か異物が入っている事に気付いた。抜き出してみると、使用前のゴム……。
クラブのVIPルームは何処も欲望剥き出しの空間――といったらクラブ経営者の人達に失礼だが、取り分け都心のVIPルームは、使用前のゴムよりもっと酷い場合がざらだ。
「使用後の物じゃなかっただけましか・・・・・・」
呟いてゴムをポイっと床に投げ捨てた。
三日後の金曜日、THS内6B会議室。オレにとっては『オクオビ』の初構成会議が始まる。
渡された資料に目を通そうと表紙を捲ると、ご丁寧にタイトルの理由が書かれている。そのまま「オクシデンタルリズムの帯番組」の略。説明されなくても予想は着くし、何の捻りも、なし。
「何で態々こんな事書くんだよ」
多部に訊くと、
「お前の資料にだけだよ。そのまんまのタイトルに思うだろうけど、二人にとって初の冠だし、オレ達が濃密なコンテンツを提供して、二人に職能を身に付けて行って欲しいっていう願いも込められてるから。ユースケにもその精神を持って貰いたくてな」
だそうだ。
「失礼しました。精進致します」
そういや番組スタート前、『疾風怒濤のオクリズが全国の深夜を駆け巡る!』ってな番宣CMが一、二週間終日流れてたっけか――
因みに番組が注目して欲しい点は、放送中ツイッターと連動していて、視聴者の呟きが画面下に表示される事。だが使えない呟きも当然多く、半分近くは作家が思考したものを、ニュース番組のテロップを打ち込む学生アルバイトが打ち込んでいるのが現実。
それらを踏まえると、多部の言葉もCMの惹句も番組の売りも、全てが皮肉に感じる。これからって時に何だけど――
「そんな浮かない顔してたら面白い企画なんか浮かばないって、前に言ったよね?」
後ろから両肩を揉まれ、びっくりして振り返った。
「っあ! 大石さん、ご無沙汰しています」
大石景子プロデューサー。THSバラエティ制作部所属の局P(放送局社員のプロデューサー)。ご一緒するのはBS番組終了以来一年ぶりだ。
直感を大切にし、確信を持つと決然とした態度で突進して行く性格のお方。現場や会議では常に明るく、アットホームな雰囲気作りを心掛けてくれ、オレ達スタッフにとっては姉貴のような存在だ。
「また宜しくね。期待してるから」
「そんな吹っ掛けないでくださいよ」
「なんたってユースケは多部のご指名だからな」
バラエティ制作部所属の内海チーフプロデューサーが、破顔して近付いて来た。二人共顔は微笑んでいるが目は真剣。
「一生懸命働かせて頂きます・・・・・・多分」
「多分って何よ!?」
大石さんがオレの右肩を軽く小突く。
そんな戯言を言っている内に、お貴さんや神野さん、もう一人の作家、宮根慎太郎君が席に着いていた。
オレを含め作家四人に、大石さんを含めTHSの男性プロデューサーと男性ディレクターが一人ずつ。そこに、多部が所属する<ワークベース>のプロデューサーが二人、多部を含め三人のディレクターとAD二人が揃い、やっと会議は始まる。
「コーナーを全体的に見直そうと思うんだけど、何かある?」
内海プロデューサーが全体を見回す。
大石プロデューサーが明るい雰囲気を醸してくれるとはいえ、番組の数字が低い事は現実。当然ながらスタッフは眉間に皺が寄りがち。よって、安寧秩序という訳にはいかない。
「『今日の一品』のコーナーは、情報番組を標榜とするからには残しておくべきでしょうね」
「今まではオープニングとエンディングで区々だったけど、もう頭に固定した方が良いね」
多部の提案に大石さんが被せる。
『今日の一品』は、オクリズがトーク中に、大政と飯田のどちらか一人がDVDや書籍など、お勧めの商品を紹介する。これ、言わずもがなオクリズがオススメする体の演出。他のレギュラー番組や舞台など、分刻みのスケジュールの今の二人に、DVDをゆっくり鑑賞している暇などない。
こっちが見付けたDVDなどをスタッフが鑑賞し、内容や印象に残ったシーンを資料にまとめて打ち合わせをして、二人はさも自分が観たかのように紹介するのである。
「一つは決まった。後はどうする?」
また内海さんが全体を見回す。
「お貴さん、今日はセレブ提案ないの?」
多部は微笑を浮かべ、サラリとした口振り。
「セレブ提案はいつも出て来る訳じゃないですから。ユースケさん何かないんですか?」
お貴さん、そんな美しい微笑みで無茶振りを……。
「・・・・・・そうですねえ、せっかくマスダさんがレギュラーでいるんですから、マスダさんをMCにしたコーナーを作ってみたらどうでしょう」
「なるほどお。彼は今までコメンテーターみたいな役割だけだったもんなあ」
内海さんは腕組をし、天井を見上げながら言う。
コブマスダ。オクリズと同じ事務所に所属し、十年先輩の芸人。オクリズ二人のサポート役を担って貰っている。
「マスダさん、MC出来るんですか」
お貴さんは尚も美しい微笑みを浮かべ、素朴に訊く。
「漫談を売りにする人だから出来るんじゃないでしょうか」
「へえ、あの人漫談が売りなんですか」
知らないで今まで構成遣ってたの?
「貴子ちゃん本当テレビ観ないんだね。放送作家をどんな気持ちで遣ってるか、ユースケ君にも教えてあげて」
大石さんは笑ってはいるが、諦めの笑み、にしか見えない。そしてオレに教えてくれる本音は――
「「ふあー」っとした気持ちで遣ってるんです。私」
「ナメとんのか!」と言ってやりたくもなるが、膳所貴子という人はこういう人。悪気は全くない。
だが、
「放送作家は何をする仕事」
試しに訊いてみる。
「会議に出たりホン(台本)を書く仕事ですよ」
微笑が破顔に変わった。
「ちゃんと知識はおありのようで・・・・・・」
「お貴さん、家は日本と海外合わせて何軒あるんだっけ?」
多部がにやつく。定番の質問なのだろう。
「多分四、五軒です」
「実家がお金持ちなのはよく存じてるけど、自分の家の数も把握してないの?」
「家に飽きるとホテルに泊まりますから、よく分かんなくなっちゃうんですよ」
「でも自分の家とは別じゃない」
お貴さんは破顔。大石さんは苦笑――
お貴さんの正体は、父親がIT企業の社長で、実家は富裕。だから「ふあー」となのかは知らないが、彼女にとって放送作家は、生業ではなくアルバイト――下手すると学校のクラブ活動感覚なのかもしれない。
「貴子ちゃんはお金持ちだけど、ルックスは大した事ないよね」
今まで口を噤んでいた神野さんが口を開く。
「彩子ちゃん毎回それ言うよな」
多部は呆れた笑み。この発言も、定番、なのだろう。
「だってそうじゃないですか。業界で私を超える美人に会った事がない」
「相当な自信をお持ちのようで。羨ましい」
皮肉六二%。でも傲慢にならない範囲ならば、何か一つでも自信を持つ事は良い事ではある。
「私、週五でエステに通ってるから、貴子ちゃんには負けてないと思います」
「そんなにエステに行かなくても、私はこの容姿を保ってますから」
高ビー神野とお貴さんによる売り言葉に買い言葉。
神野さんの正体は、超ナルシストな女。地元愛知県の放送局の情報バラエティ番組で、『美人さんいらっしゃい!』というコーナーがあり、五週連続勝ち抜くという経歴の持ち主。
「貴子ちゃんお金持ちなだけで男性経験少ないでしょ? 私は毎月三、四人はキープがいるんだよ」
「でも成就しない出会いだし、いつかは飽きられますね」
「何言ってるの!? 飽きられる事なんかない!」
お貴さんの発言は全体的にライトな口振りで、嫌味に感じない。
それに対し神野さんは高飛車の中に必死さも感じる。
「キープねえ……っま、男にも女にもそういう人はいるって聞いた事はあるけどな?」
多部と目が合い振ると、奴はにやにやして頷き、
「彩子ちゃんよりお貴さんの方が可愛いぞ」
小声で言いやがった。
「ちょっと聞こえてるんですけど!」
そりゃ聞こえるだろう。
「資料をメガホンにするな多部!」
注意してはみたものの、
「確かに神野さんみたいなルックスの人って、場末のキャバクラにいそうだね」
言っちゃった――
「何なの二人共! 私はそんなとこにいるレベルじゃない!!」
「オレは彩子ちゃんみたいなルックスの方が好きだけど」
宮根君は、やっと口を開けば告白か?
「あんたの同情なんか要らないわよ!」
激昂する神野さんに油を注いだ宮根君は、作家連中のみならず、スタッフの中でも少し浮いた存在。その理由は後程。
結局今日の会議では、オレが提案したコブマスダのコーナーに『マスダ塾』と仮タイトルが付けられ、穴場スポットからの出題や、パズルなどのVTRを観て、出演者の読解力を試すクイズコーナーとして大綱が決まった。
もう一つは、視聴者からの口コミ情報を、番組マスコットガールのオクガールが記者となり、Vやフリップを使って紹介する『オクナビ(仮)』が決まる。
視聴者からの情報とはいえ、ADやリサーチャーが東奔西走して集める事になるとは思うけど――
番組マスコットガールのオクガールは、大学生の読者モデルや、芸能事務所に所属するイベントコンパニオンの八人。全員オーディションによって選ばれた。出演中は全員名札を付け、雛壇に座っている。
会議終了後、内海、大石両プロデューサーから一服しに行こうと誘われた。
タバコを吸うスタッフは多部を含め他にもいるのに、何か告げられるな。六階にある喫煙ルームに入り、内海さんはタバコに火を点けるなり、
「今の番組、俯瞰してどう思う」
低いトーンで訊く。
「去年までは、着うたフルのランキングやDVD売上ランキングのコーナーがありましたけど、梃入れを繰り返して情報番組色は希薄化してますね」
「うん・・・・・・」
オレが態々指摘しなくても、チーフプロデューサーが一番よく分かっている。
「私も同感なんだけど、番組を存続させる為にはねえ・・・・・・」
大石さんは苦渋の表情。
企画が通り番組がスタートすればこっちのもの。しかし、それは数字が安定している場合のみ。数字が低ければ上から威令が下るのは通例。
「オクリズのギャラは二十万、三十万と上がって行くばかりだからな。あいつらはデビュー当時のギャラも一万円で、他の芸人よりも破格だった。だからスター意識が強いんだよ」
内海さんは面倒臭そうな口振り。
『最近になってやっと仕事を楽しめるようになったんです!』以前の飯田の言葉。『来月から宜しくお願いします!』同じく大政の言葉。
表層面だけを見れば、二人は実に謙虚に見えた。が、新人でもないのに素直に受け取り過ぎた、オレの敗北――
「あいつらは最近仕事の面でも食い違いが出て来てる。厄介だろうけど、そのつもりで構成に当たってくれ」
「私達も出来るだけ彼らのモチベーションを上げるよう努力するけど、ユースケ君にも現状を知って貰わないとね。手を取り合って何とかして行こう!」
内海さんも大石さんも立場上、無理やりボルテージを上げようとしているように見える。オレも後続しなければならないが、作家の仕事以外にも呻吟する事になるだろう。絶対に――
四月中旬の月曜日。オレにとっては『オクオビ』第一回目の本番初日。二一時にTHSに入り、打ち合わせも兼ねてオクリズの二人に挨拶する為、多部と共にタレントクローク(楽屋が並ぶフロア)に入った。
楽屋の前に立ち、貼り紙に目をやると……「A6 大政 功希様」。
「ちょっと」と言いながら多部の腕を引き、楽屋から離れる。
「見ての通りだろうけど、二人の楽屋って別?」
「そっ。見ての通り」
多部の投げやりな口振り。オクリズ二人の関係が、嫌でも推測出来てしまう。
「芸歴十年のコンビだったら別々ってのは分かるけど・・・・・・」
「三年目は早いって言いたいんだろ? オレもそう思うけど、本人達だけじゃなくて(オクリズ所属の)事務所の要望でもあるからしょうがねえじゃん」
やっぱ過保護なんだな――
ノックをして中に入り、
「今月からお世話になる事になりました、作家の中山です。宜しくお願いします」
丁寧に頭を下げる。
「ユースケさん待ってましたよ。こちらこそ宜しくお願いします!」
大政はにこやかに迎えてくれた。
「挨拶も終わったし、打ち合わせやろうぜ」
多部はホンを開き準備万端。オレ達もホンを開き、大政は多部の話を傾聴している様子で、赤ペンで要点を書き込んで行く。
打ち合わせがある程度終わった時、
「楽屋が別々になって長いの」
悪戯心で訊いてしまう。
大政の表情は曇り、多部は「バカ!」と言わんばかりの表情をした。
「先月からです。最近飯田とは仕事以外で目を合わせる事もないですから」
大政は飯田の顔を思い浮かべただけで、不機嫌そうな口振り。
「お互い距離を置こうって事か」
「オレはMCとか役者とか、タレントとしての仕事を極めて行きたいんですけど、あいつはそうじゃないみたいですから」
「コンビとしての一つの山だよな。でも(楽屋が)別々になって仕事が遣り易くなったんじゃないか?」
多部の表情は複雑。ここまで待遇を良くして仕事をなおざりにされたら、元の木阿弥になってしまう。
「気が散らない分、モチベーションを上げられるようになりましたから、ありがたいです」
「そうか。なら良かった」
大政は清々した笑み。それに対し、多部の笑みは皮肉が込められている、ように見えてならない。その笑みのまま、多部はジロッとオレと目を合わせた。「もう良いだろ?」と無言の圧力が伝わって来る。
大政の楽屋を後にして、飯田の楽屋へ向かう。
多部もオレも無言で廊下を歩いている中で、業界人として野暮な質問をしたと自責の念に駆られる一方、別の疑問が生じ、交錯し始めた。
それはそうと、二人の楽屋は随分離れている。「B2 飯田 孝秋様」。
「ユースケさんがスタッフに入ってくれたんなら、僕らも心強いです!」
飯田も破顔一笑してオレを歓迎してくれた。
「内海さんと大石さんからも同じような事言われたよ。MCまで吹っ掛けないでください」
オクシデンタルリズム。個別に会うと実に快活な青年達なのだが――
「結構な事じゃん。出演者からもスタッフからも愛される作家なんて徳じゃね?」
「そう思えばありがたい事だな」
お喋りはこのくらいにし、早速ホンを開いて打ち合わせ。飯田は大政とは違い、多部ディレクターの話に頷くだけで、ホンには何も書き込まない。全て暗記出来んのか? 脱帽するやら不可解やら。
「あいつ、オレの事何か言ってました?」
今度は飯田の方から切り出した。
「別に悪い事は言ってないよ。彼も仕事に対しては熱心なようだし」
「悪くは言わなくても、仕事のスタンスの違いは口にしたんですね?」
あっ! しまった……恐る恐る多部の顔を見ると、目で「バカ!」と訴えている。仕方がない。
「仕事のスタンスにそんなに違いがあるの?」
「オレはネタ作りとか、芸人としてもっと突き詰めて行きたいんです。「毒舌ラップ」だけじゃ直ぐに飽きられますから」
「飯田君ってネタ作り担当だもんね? そっかあ・・・・・・」
せっかくコンビで売れたのなら、それを足掛かりに芸人として向上心を持ちたい。芸人なら当然のスタンスだろう。
「オレがネタの話をしても、あいつ聞こえない振りして何食わぬ顔でいるんです。そんな奴と同じ空間にいれませんよ」
飯田は途方に暮れ、下唇を噛んだ。
彼の苛立ちも分かるが、人気を得た今の勢いに乗ってお笑い以外の仕事も積極的に承諾し、活躍の場を広げたいという大政のスタンスも分からなくはない。どちらも仕事をなおざりにしている考えではないだけに、その分対応が難しい。
飯田の楽屋を後にし、いざスタジオへ。
「野暮な事訊いたり言ったりしたけど、その代わり二人の考えと関係がよく分かったよ」
「内海さんも大石さんも数字の事よりも頭を抱えてるよ。楽屋を別々にしたいって言われた時も、オレ達は反対したんだ。何とか二人を折り合わせる策はないかって事務所とも話し合ったんだけど、成り行きに任せるしかないって言われた」
多部は溜息混じりに言う。
「丸投げされたって事?」
「こっちから見たらそんな恰好だけど、向こうも妙案はないんじゃね? 迎合は出来なくても、せめてある程度は折り合って貰わないと・・・・・・」
多部は敢えて先を言わなかったのだろう。
本番二十分前になり、オクリズやアシスタントの安藤真美アナウンサー、オクガールが前室やスタジオに入り始めた。オクリズの二人は本人達が言うように、目も合わせなければ言葉も交わさない。
やがて本番一分前になり、二人はカメラの前に並んだが、状況は同じ。そのままオンエアの赤ランプが光る。
「さあ今週も始まりました『オクオビ』。宜しくお願いします!」
「お願いしまーす!」
飯田、大政の順でカメラに向かって思いっきりな愛想を振りまく。
「段々暖かくなって大政君も春の装いだね」
飯田は黒のジャケットを着ているが、大政は白の半袖シャツ。
「もう遅いくらいだよ。オクガールなんか夏みたいなファッションの子もいるから」
男性コンビの中には、本番以外では会話をしない人達も珍しくはない。飽く迄仕事のパートナーとして割り切り、その方がモチベーションが上がるのだという。
が、オクシデンタルリズムはぎすぎすした関係。その状態で番組を続けられたら……オレの中で生じた疑問、多部が敢えて言わなかった気持ちは、二人の険悪さが画面を通じて視聴者に伝わるのではないかという危惧。週刊誌は二人の険悪さを書き始めているし、そうでなくても、視聴者はそのくらいの事は看破するから。
二四時二八分。
「はい、オッケーでーす!」
フロアディレクターからカットが掛かり、本番は終了。
「お疲れ様でしたあ」と挨拶が終わり、安藤アナやオクガール達と談笑する大政とは対照的に、飯田はそそくさとスタジオを出て行く。
雑誌のインタビューではお互いが、「お前が相方で良かった」と答えて仲が良いと装っているが、実際の二人はこんな感じ。この三時間半で、もううんざりして来た。
サブ(副調整室)からフロアに降りて、大政の姿を遠くから見ていると、
「二人の様子を見てどう思った?」
大石さんが何処となく切ない笑みを浮かべて近付いて来る。
「顕著な溝が生じてますね」
「男性コンビにはぎくしゃくした時期があるのは珍しくないけどさ、あれが一時的なものだったら良いんだけど」
「多分、そう簡単には終わらない」
「そんな事言わないの!」
「だって大石さんが一番感付いてるんじゃないですか? 遠くを見ながら微笑みを浮かべてましたよ」
「よく見てるね、本当」
大石さんと二人で笑い合う。
上質な番組を制作して行くには、スタッフ同士の仲も良好である事が大切ではある。その良好な状態が出演者、スタッフ一同に広がれば尚良いのだが、その日は遠し――
一ヶ月後の五月下旬の水曜日。数字は相変わらず低調なままで、オクリズの二人に生じた溝も深いままだが、それでも彼らなりに週四日の生放送を上手くこなしてくれている。
幸い大きないざこざもなく、溝の中にも一応の安定期といえるだろう。
今日水曜日は、最初の会議でオレが提案した、コブマスダのクイズコーナー『熱血! マスダ塾』をメインに放送する。マスダが塾長(MC)となり、オクリズと安藤アナ、オクガールが生徒となる。
一時限目は都内近郊の穴場スポットから、メニューやサービスの何処がユニークであるかなどを出題。二時限目は大学のミスやコレクターなどがスタジオに登場し、その道の極意から出題。あらゆる分野を学んで行く。三時限目は思考力クイズ。パズルやなぞなぞを出題し、生徒達の読解力を試す。
問題は全部で五、六問で、全問正解者には賞金二十万円が贈られるという、深夜番組としては破格の金額である。従って問題を作成するこっちも難易度を上げるのに必死だ。
「さあ、二時限目行くぞ皆」
「はーい!」
大政も飯田も今の所はコーナーを楽しんでいる。飽く迄今の所は――
「今日学ぶ極意はこちら!」
アタック音と共にモニターに表示されたテーマは――
「『ONE PIECE』ファン。週刊少年漫画雑誌やアニメ、コミックは当然の事、『ONE PIECE』が好き過ぎて様々なグッズをコレクションしているファンに来て頂き、『ONE PIECE』ファンの極意を学んで行こう」
「はーい!」
「芸能界でも結構ファン多いですよね?」
大政が振る。
「(明石家)さんまさんもファンらしいからな」
明石家さんまの名前を聞き、オクガールは「へー」とどよめく。
「さんまさんがファンって事がもう極意なんじゃないですか?」
飯田の発言に対しスタッフは、
「ハハハハハッ!」
高笑いの「演出」。
「それじゃ授業終わっちゃって奥で待ってる特別講師の立場ないから。それじゃあさっさと紹介するぞ。本日の特別講師、青山一朗先生です。どうぞ」
BGMと共に、青山さんが「宜しくお願いします」と挨拶しながらセット内に入って来た。
「こちらこそお願いします。早速ですけど青山先生は、いつ頃から『ONE PIECE』のファンなんですか?」
「そうですねえ。漫画雑誌で連載が開始される前の年に、読み切り作品が掲載されたんですけど、その頃からファンですね」
「どうだ皆。筋金入りのファンだぞ」
「凄いですね。二十年以上ですもん。じゃあ問題行ってください」
大政のボケに、
「早いよ。先生の話をもっと聞け!」
マスダは突っ込みを入れ、スタッフはまた「ハハハハハッ」の演出。
「三十分番組なんですから」
飯田はボケの要素が入った突っ込み。
「分かったよ。先生、失礼な生徒で済みません」
「いえいえ」
青山さんは明らかに苦笑い。
これが大学のミスであったらオクリズの食付きは凄まじく、ディレクターから巻き(進行を急ぐ)の指示が出される程。オクリズの二人も『ONE PIECE』が好きだとは聞いているのに、講師が中年男性だからなのか、食付きが今一。
「じゃあ問題出すぞ。青山先生お願いします」
「はい。『ONE PIECE』は一九九七年八月の某少年漫画雑誌三四号より連載が開始されたんですが、十周年を迎えた二○○七年八月に、限定商品としてあるグッズが発売されました。それは一体何でしょうか?」
「限定で?」
飯田が何やら勘考している、ように首を傾げる。
「そう。今となっては超レア物。ちょっと懐かしさを感じる商品ですよね?」
「そうですね。私の世代だと懐かしかったです」
「懐かしい?」
大政も同様。テレビではリアクションが同じようなものなんだけど……。
「なんだろう・・・・・・レトロな物って事なんですか?」
安藤アナは二人とは対照的に真剣に考えている様子。
「んー、レトロと言うまで古くはないけど、最近ではちょっと珍しいかな」
「原画!」
オクガールの一人が答えた。
「ああ、原画ではない」
「尾田(栄一郎)先生の私物?」
安藤アナも真顔で解答。だがちょっとズレている気が――
「私物でもない。商品」
マスダ塾長はそう言っているのに、安藤アナの答えを皮切りにして――
「尾田先生が穿いた靴下」
と大政。
「尾田先生が使った歯ブラシ」
飯田も続く。
「尾田先生の手拭きタオル」
大政よ、これはボケなのか?
「尾田先生の汗拭きタオル」
飯田は大政と張り合っているようにしか思えない。
投げ遣りに答えて行く二人にサブで観ているオレも、二人の態度には首を傾げてしまう。
「あれ、無気力に遣った方が面白いと判断したアドリブなのかな?」
「にしては目に余らなくね?」
多部の意見に賛成。後ろからでもモニターを観る目が険しい事が分かる。
「お前ら商品だって言ってるだろ! 尾田先生に謝れ!」
その通り。ギャグとはいえ失礼極まりない。ウケているならまだしも、スタジオもサブも冷めた空気。青山さんの笑顔も引き攣っている。
「大ヒント。『ビックリマン』でも同じ商品が出た」
「っあ! キャラクターシール?」
オクガールの一人が笑顔で答えた。
「正解! よく分かったな?」
「兄が集めてたんですよ」
やっと正解が出た所で、カートに乗せられた『ONE PIECE シール』がセット内に運び込まれた。分厚いファイルが四冊、奇麗にファイリングされたシールの数々。一つのキャラクターで数種類あるのだという。
「これだけ集めるのは大変だったんじゃないですか」
マスダの問い掛けに、
「今はネットのオークションじゃないと手に入りませんから、結構お金の面では大変でしたね」
青山さんは照れ笑い。
「一枚幾らくらいするんですか」
安藤アナの素朴な疑問。「金」の事かい!
「安い物だと三万くらいからあるんですけど、人気のあるキャラだと、高い物で十万くらいしちゃいますね」
失笑する青山さんを尻目に、大政がファイルに手を伸ばす。
「こんだけ沢山の量ですから、数百万行くんじゃないですか」
飯田の問い掛けに、
「五百万以上は遣いましたけど、背に腹は代えられませんから」
青山さんの表情が破顔に変わり、目を輝かせた刹那――モンキー・D・ルフィのシールをファイルから抜き出した大政は、素早くシールの紙を剥がしてマスダの白のYシャツの右胸にペタ……。
「おい、何するんだよ!?」
マスダが慌てて突っ込むが、
「あーー!」
「ハハハハハッ!」
オクガールとスタッフのリアクションも虚しい。大政の行為が突飛である事は誰もが分かっている。だが、この状況は高笑いで誤魔化すしかない。
「何やってんだよあいつ!」
多部が組んでいる足の左腿を『パシッ!』と叩いた。
「最悪だね・・・・・・」
大石さんも溜息を吐く。いつもは笑顔を絶やさない人も、流石にうんざりしているご様子。
「君の演出でしょ?」
立ち上がり、多部の両肩に手を置いた。
「そうなの、多部君?」
「あの人をブッキングさせるの大変だったじゃないか」
大石、内海両プロデューサーから矢継ぎ早に責められた多部は、
「オレは少し剥がして青山さんの様子を見てみようって言っただけですよ」
頭を抱えながら弁解する。
「そんな事言ったのか。じゃああれは大政の暴走だな」
内海さんは途方に暮れた様子でモニターを観て呟く。
内海、大石両プロデューサーと多部ディレクターが困惑する理由。『マスダ塾』で『ONE PIECE』ファンを特集する事が決まり、多部ディレクター達は、『ONE PIECE シール』を所有する複数のファンに出演交渉を行った。だが深夜の生放送という事もあり、中々承諾は得られない。一ヶ月近く難航した状態が続いた末、青山さんに行き着いて頼み込み、何とかブッキングまで漕ぎ着けたのだ。
「お前、これオレが悪戯したみたいになってるじゃねえかよ!」
マスダがYシャツをカメラに見せ付ける。
「せめて何か言ってからやれよ」
飯田は呆れて突っ込み、
「目まぐるしかったですね」
安藤アナは何か勘違いしているのか感心した様子。
「ルフィのシールが鮮やかだったから、先生の胸に貼ったら華が出るんじゃないかなあって思って」
「ハハハハッ」
含みのある笑みを浮かべる大政に対し、スタッフは苦笑してまごつくばかり。
「この一点だけ華があってもしょうがないだろう。先生済みませんでした」
マスダは丁寧に頭を下げた。
「良いですよ。また買いますから」
カメラが回っている手前、こう言ってくれてはいるが、笑みの中に怒りが感じ取られ、目も潤んでいるように見える。心中は紅蓮の炎に包まれているのだろう。
本番終了後、多部とオクリズの男性マネージャーは直ちに青山さんの元に謝罪に向かう。
オレは大政の楽屋を訪ねた。
「存外大胆な事するね」
「あんなの相方への当て擦りですよ」
大政は不敵な笑み。
「当て擦り? どんなリアクションを取るかとか?」
「そうです。笑いを極めたいんなら、この状況を笑いに変えてみろよっていう、オレからの挑戦状です」
「クックックッ」と笑う大政。
「そうは言ってもさあ・・・・・・」
芸人同士が私物を壊し合って笑いを取る手法はあるが、当然、あれは壊す方も壊される方も原理を理解しているからこそ成立している笑い。その手法に一般人を巻き込むのは酷だ。
その時、荒いノックと共に多部が顔を出し、
「大政、謝りに行くぞ」
「分かりました」
不機嫌なディレクターと面倒臭そうなMC。二人は楽屋を出て行く。
オレはそのまま帰るのも忍びなく、大政の楽屋に居座って本を読みながら待つ事にした。
約三十分後、戻って来た二人の表情は、ディレクターは正気がないのに対し、問題を起こした張本人であるMCは何食わぬ顔。
「「話が違うじゃないか!」ってもうカンカンだったよ」
多部は力なく椅子に座り込む。
「ご苦労様でした」
「でも謝って弁償はしなくて良いって言って貰えたんですから、良かったんじゃないですか?」
大政の全く悪びれていない口振りに、多部の目は険しくなり、「お前なあ!」と今にも立ち上がりそうになる。オレは素早く立ち上がり、多部の両肩を「まあまあ」と摩りながら、
「弁償しなくても良いから良かったって言う考えは違うだろ。人の物を邪険に扱ったっていう自覚がないのなら、お笑い以前に良識の問題だよ!」
思わず語気が強まり、苦言を呈さずにはいられない。大政は鼻から溜息を吐き、オレから目を逸らす。
「今は無理でも冷静になった時に自責の念が出てこないようじゃ、同じ過ちを何度も繰り返すだけだね」
言わずもがな、お笑いは只突飛な言動をとれば良いというものではなく、良識を心得た上でどう逸脱して行くかが基本だと思う。大政にお笑い論を語るのは釈迦に説法だが、今日のオクリズは二人共様子がおかしかった。
翌日の放送前に多部から聞いた話では、「ファンのコレクションを何だと思ってるんだ!」「演出にしては後味が悪かった」「尾田先生を侮辱した」などのクレームが、電話、メール、ツイッターを合わせて六百件寄せられたそうだ。
これを受け、本番前の打ち合わせでは、番組冒頭にオクリズから謝罪させる案も出たが、今の二人では変に憮然とした感じになる懸念もある為、結局、番組ホームページ上で謝罪文を掲載させる事に決まった。
「あれ、マジで遣る気なのかな?」
「マジですよ。うちの社長も気乗りしてましたから」
沢矢さんは破顔一笑。
六月上旬の土曜日の十七時過ぎ。オレは某局で打ち合わせ、沢矢さんもたまたま同じ局で会議があり、会議終わりに最上階にある食堂で落ち合った。
「話変わるけどさ、ここ目の前に東京タワー見えるし、今日みたいな日は気持ちが良いね」
「ほんと関係ない。確かに気持ち良いですけど」
この局の食堂にはテラス席もある。快晴の斜陽に照らされ、程良い清風が身体に当たる中、「ああ」と声を出しながら両手足を伸ばすと、沢矢さんに呆れて失笑された。
「お寛ぎの所申し訳ないですけど、夕起さんにコラムを依頼する任務、お願いしますよ」
「分かってるって」
オレ達が今話しているのは、オレが所属する<マウンテンビュー>と、沢矢さんが所属する<vivitto>がアライアンスして放送作家を特集したWEBマガジンを発行する事になり、その中で、作家は作家でも女性小説家の夕起さんにコラムを執筆して貰おうというもの。
夕起さんとは、同じ定時制高校に通っていた頃からの友人。そして、元人気風俗嬢という異色の経歴の持ち主。処女作である『DEPARTURE』が五万部を売り上げ、一躍人気小説家となり、情報番組などメディアへの露出が増えて行った。
オレが放送作家に成りたいと相談を持ち掛けると、自分が勤務していた風俗店の個室待機室にオレを「監禁」。「作家に成りたいのなら、ここで企画書を書け」と命令された。
オレはその命令を守り、個室待機室で企画書を書きまくった……訳でもなかったが、一応の努力は認められ、夕起さんは友人の女性放送作家を紹介してくれた。その縁で<マウンテンビュー>に所属する事になったのである。夕起さんは、オレが作家に成れたきっかけを作ってくれた恩人でもあり、頭が上がらない存在。
うちの坂木社長は夕起さんとオレの関係を知っている為、コラム執筆を依頼するお鉢を回したのだ。
「多分あの人の事だから、嫌だとは言わないとは思うんだけど・・・・・・WEBの雑誌かあ」
「ユースケさんまだ渋ってるんですか? もう具体的に企画は進んでるのに」
沢矢さんは笑みを浮かべてオレを睨みつける。
「往生際が悪いのは自覚してるよ」
「マウンテンビューさんとvivittoの作家だけに起稿して貰ったり密着するんじゃなくて、作家業界全体に協力して貰う方向ですから。後は作家スクールの情報も載せて、番組の裏側を知りたい人やこれから放送作家を目指す人には注目される事請け合いですよ」
「ああ、社長からもにこやかにプレゼンされたよ。先輩や同期の中にはブログやツイッターで宣伝してる人いるけどさ、電子書籍が広がって行く時代だね」
「出版は九月の下旬ですから、地道に丁寧に作って行くだけですよ」
「仰る通りだね……」
<マウンテンビュー>と<vivitto>の社長同士が酒を酌み交わしながら企画が膨らんだって聞いたけど、さてどうなって行くのやら――
沢矢さんと会ったその日の内に夕起さんに向け、
「直接会って相談したい事があるんですが、少々お時間を頂戴出来ないでしょうか?」
妙に畏まったメールを送った。
すると、
『良いよ。来週の土曜日に私のマンションで良かったら』
という返信。
早速時間を示し合わせ、一週間後の十四時過ぎに、目黒区内の夕起さんのマンションへ向かう。エントランスで鍵を開けて貰い部屋に入ると、
「いらっしゃい。久しぶりだね」
夕起さんはにこやかに迎えてくれる。
「三ヶ月くらい前にテレビ局の廊下で逢ったじゃないですか」
「でもそれからご無沙汰じゃん」
「まあそうですけど・・・・・・」
広い玄関と、夕起さんの白いブラウスにブラウンのスカート姿を見た刹那、「セレブ・・・・・・」と思ってしまう心。たったそれだけの事で、何て単純な頭……。
「ユウ君が私のうちに来るのって初めてなんじゃない?」
「・・・・・・そういやそうですね」
高校生時代は学校、社会人に成ってからは放送局やレストランバーなどの飲食店と、顔を合わせるのは常に外出中。一応、住所は教えて貰っていたがそれだけの事。尋ねて行ったり間取りを詳しく訊く事もなかった。
リビングに通され、
「どうぞ適当に座って。今コーヒー淹れるから」
「ありがとうございます」
白いソファに座り、前後左右を見渡す。白を基調とした十二畳はあろうかというリビング。六畳1ルームに住んでいるオレの自宅アパートとは比べるだけで滑稽だ。
「それで、相談って何なの?」
コーヒーカップを持って戻って来た夕起さんに、
「実は・・・・・・」
WEBマガジンを出版する運びとなった事から説明した。
「・・・・・・それで、夕起さんに是非、放送業界に関するコラムを執筆して頂きたいんです」
「そっか。出版はいつ?」
「九月の下旬です」
「まだ三ヶ月近くはあるんだ。放送作家の雑誌に小説家の私で良いの?」
「作家だけで作ると偏向した物になりますから、外部から見た人の一家言も必要だと思います。夕起さんだけじゃなくて、局アナにも何人かコラムを依頼してるみたいですから」
「確かに偏向しちゃうと画一的になるからね。良いよ、私で良かったら」
納得を得て承諾して貰った。これで任務は無事遂行。が、夕起さんはあまりに淡々とした口振りであった為、何か引っ掛かってしまう。
「ありがとうございます。承諾して貰った事は嬉しいんですけど、本当に良いんですか?」
「何が?」
「印税は分配制ですから、そんなに高く支払えませんよ」
「そんな事ユウ君が心配する事じゃないじゃん。私、お金で物を言う小説家にはまだなってないつもりなんだけど」
夕起さんはオレの目をジーッと見て念を押す。
「いや、そういうつもりで言ったんじゃないですよ」
っあ……金で物は言わない。その言葉を聞いて、ある計画が浮かんだ。
「それじゃあ商談成立って事で。九月までに四百字詰め原稿用紙換算で、約二枚分のコラムをオレのパソコンに送ってください」
「分かった。二枚分ね」
計画はここから。
「それと、この前逢った時、今乗ってる青のハッチバックを買い換えようって言ってたじゃないですか?」
「うん。まだ買い換えてないけど、それがどうかした?」
「あれ、オレに譲って貰えないですか?」
こう言った刹那、きょとんとしていた夕起さんの顔が失笑に変わる。
「五年以上も乗ってるよあれ。中古車販売店に行けばもっと新しいのが一杯あるよ」
「あの車にはオレにも思い出があるんですよ。作家に成る前に風俗店に「監禁」された時、あの車で連れ回されましたから」
「そんな事もあったね。アハハハハッ!」
「だからって言うのは変ですけど、出来たら三十万か五十万の間で売って頂けるとありがたい」
「そんなにいらないって。殆ど乗り潰した車だから」
「五年以上も乗った通俗的な日本車を何でそんなに欲しがるの?」と、夕起さんは口には出さねど、さもそう言いたげな表情。
でもオレにとっては、夕起さんから中古車を買う事も計画の一つなのである。
六月下旬の金曜日。『オクオビ』の会議前に夕起さんから、
『新しい車を買ったよ。明日が納車なんだけど、午前中に取りに来れる?』
とメールが入った。
直ぐに、
「分かりました。明日の午前中なら大丈夫ですから、納車前に取りに行きます」
と返信。
この前、車を売って欲しいとお願いした際、なるべく新車が納車される前に取りに行く事が約束だったから、丁度都合が良い日で良かった。
翌日の十一時前。約束通り夕起さんのマンションへ向かう。
「もっと新しい車は幾らでもあるのに、ユウ君は思い出を大事にする人なんだね」
夕起さんは少し呆れた笑み。
「まあ、それは否めませんけど。ワックスしてくれたんですね?」
「昨日洗車の序でにね。一応人に売る訳だから」
「ありがとうございます」
地下駐車場に駐車された青のハッチバックは、蛍光灯の明かりでも鮮やかな光沢を放っている。
「それじゃあ、頂いて行きます」
「どうぞ。大切にしてあげてください」
夕起さんから鍵が渡される。
売値は三十万から五十万でとお願いしたが、夕起さんは二十万で良いと言ってくれた。その額にプラスαオレの気持ちを上乗せして、結局二五万円で商談成立。
十九歳で免許を取得して以来、たまに事務所の車を運転する事はあったが、これで晴れて自家用車が持てた。
夕起さんのマンションを出発し、港区南青山の事務所に向かう車内で、気持ちは朗々とし、悦に入って失笑する事数えきれず。
七月上旬の木曜日。今日の『オクオビ』はゲストトークの三十分。
明後日に放送される、THS開局六○周年記念ドラマ『岡本太郎ものがたり』に出演している、若手女優の黒木絵理をゲストにブッキングしている。
言わずもがな番宣。数字が良い番組であれば、ドラマなどのプロデューサーや役者の事務所から、番宣をさせて欲しいとブッキング依頼が来るのであるが――
「向こうが番宣の為に来るっていうより、こっちが数字を貰う為に来て頂いたって事だな」
黒木は人気女優の枠に十分当て嵌る。
「まあそういう事。今回は我が内海チーフプロデューサーから直々に、絵理ちゃんの事務所に対して番宣ゲストに来て欲しいって依頼したんだからさ」
サブのディレクター席に座った多部は、覇気のない声で椅子を左右に揺らしながら言う。
「こら! 本番前に自虐的に皮肉らないの!」
大石さんは後ろから多部とオレの肩に手を置いた。
「オレも良い仕事するだろ?」
内海チーフプロデューサーはしたり顔で腕組し、仁王立ち。
「済みません」
良い年した大人二人が、冗談でもしゅんとした光景は何と滑稽な事か――
「全くもう」
大石プロデューサーは呆れながらも笑う。大石さんの笑顔には、いつも艶がある。この笑顔によって、他のスタッフも精神の均衡が保てているのだと思う。
やがて本番の二四時となり、オンエアのランプが点灯すると共にスタジオにはオープニングテーマが流れ、オクリズを映す1カメのタリー(カメラが回っている事を知らせる赤ランプ)が光った。
「さあ始まりました『オクオビ』! 木曜日はゲストをお呼びしてトークをメインにお送りします!」
「はい早速行きましょう」
番組はいつも通り大政の進行から始まったが、「飯田君の様子おかしくね?」多部に対して口にしそうになったが止めた。飯田は表情と口振りからして何か蟠っているような感じ。内海さんを始め、皆口には出さねど感付いているのではないか。
「では今日のゲストはこの方です!」
大政のV振りにより、
『結婚が駄目だったら私を養女にして!』
岡本太郎の養女、敏子を演じる黒木の1ショットからVが始まる。そのまま『岡本太郎ものがたり』の一場面を流しながらナレーションへ。
スタジオでは黒木がセット内に入り、オクリズと挨拶を交わしながら黒木を真ん中にし、三人はソファに座った。今日のスタジオはこの三人だけで、安藤アナやオクガールはいない。
『今夜のゲストは今注目の若手女優、黒木絵理さん。昨年、映画『CRAZY GIRL』でレッドリボン助演女優賞を受賞した実力派。オクリズの二人、今夜は彼女の素顔を存分に暴いちゃってね!』
「さあ今のVTRにもありました通り、今夜のゲスト、明後日夜九時から放送される『岡本太郎ものがたり』にご出演される、黒木絵理ちゃんです」
大政の紹介で黒木は「宜しくお願いします」と、はにかみながら会釈し、スタジオ内に割れんばかりの拍手が起こる。
「宜しくお願いしまーす」
「この透明感が良いですね」
飯田は無表情で誉める。やっぱ何かおかしい――
「いや、そんな事ないです」
黒木は右手を左右に振り、はにかんで笑う。
「ナレーションにもありましたけど、素顔を暴くというか、色々とお話を伺いたいんですが、今だいぶ緊張してますか?」
「もう心臓バクバクしてます」
大政と黒木のトークに、スタッフが例の「ハハハハハハッ!」の演出。
「あんまりバラエティの出演経験ないんじゃないですか?」
「そうですね。滅多にお声が掛からないんで」
飯田の無表情さに黒木は何か警戒するような感じ。
「まあ、今日は肩肘張らずに楽しんでください」
ここまでは、一応問題なし。
「よくグラビアアイドルでデビュー当初はバラエティに出まくってたくせに、三、四年経ったら役者の方に行ってバラエティを踏み台にする子いますけど、数年経ったらバラエティには一切出演しないっていう風にはならないでくださいね」
飯田の発言。疳の虫の悪さを本番にまで持って来やがったか――
「止めとけ! そんな当て擦り」
「私は踏み台なんて考えてませんよ」
黒木は苦笑して返すが、その後も飯田は――
「そう言いながら廊下で擦れ違った時に無視なんかしないでくださいよ。お願いしますね」
「止めとけもう!」
「ハハハハッ!」スタッフの演出も効果、なし……。毒舌芸人がよく口にするギャグの類ではあるが――
「あの口振り毒舌ギャグのつもりか?」
「ギャグっていうより日頃の鬱憤を当て擦ってるようにしか聞こえなくね?」
多部に共感。
飯田は薄笑いを浮かべ、逆撫でする挑発的な口振り。黒木は何とかにこやかに受け流しているが、あの態度は相手が誰であり非礼極まりない。
「飯田君にカンペ出すように言って」
大石さんも切迫している。
「そうですね。おい、飯田に言い方に注意しろってカンペ出せ」
多部がインカム越しにフロアディレクターに指示を出す。
「じゃあこの辺で本題に参りましょう。まずはこちら」
画面にタイトルが表示される。
「「実力派若手女優 黒木絵理の自宅を初公開!」という事で、自宅の写真を撮って来て頂きました」
「はい。ちょっと恥ずかしいんですけど」
「そうですよねえ。ちょっと無理をお願いしましたけども、一枚目はこちらです」
白を基調とした六畳程のリビングの写真。
「奇麗に整頓されてますねえ」
「はい。お掃除が趣味みたいなものなんで」
「この企画も後少ししたら打ち合わせの段階で袖にされるんでしょうね」
飯田よ、カンペを無視しないで頂きたい……。薄笑いさえ見せず、低いトーン。最早笑いの要素はゼロ。それどころか、マイナス――
「だから止めとけ!」
「ハハハッ」。頼みの綱はスタッフの高笑い――
「打ち合わせで「自宅の写真を」とか言ったら、「あんたら頭おかしいんじゃないか?」とか言われてね」
「……」
遂に黒木は無言。
「皆さんそんな事ないですからね!」
大政は笑顔を作ってはいるが、口振りからは切迫が伝わって来る。二人の間に座る黒木も戸惑いの笑みさえ消え、困惑。
「テレビの横のラックに置いてるのは香水ですか?」
大政は何食わぬ顔を装って進行を続ける。
「そうですね。香水と、後はアロマセットです」
「香水も結構数がありますよね?」
「その日の気分によって変えるんですよ。香水とかアロマを」
「ああなるほど。落ち着きますもんね、アロマって。ここにも一つ欲しいくらいですよ」
「ハハハハハッ!」。大政の言葉に、黒木を始めスタジオ、サブのスタッフも吹き出す。
「本当は健気な子なんだよね、大政君って」
大石さんは笑顔を残したまま、オレと目を合わせた。
「飯田君も同じなんじゃないですか? 本当は」
「そうなんだよ。二人共、(番組)スタート当初はあんな感じになる事はなかった」
内海チーフプロデューサーだけは途方に暮れ、溜息を吐く。
「ではどんどん参りましょう。続いてはこちら」
画面に表示されたタイトルは――
「「実力派若手女優 黒木絵理のデート服」これもですね、事前に写真に撮って来て頂いてます」
「これも一、二年後にはNGなんでしょうね」
飯田の忌々しそうな顔。君、お笑い芸人なんじゃないのかい? と思っていると――
「お前さっきからいい加減にしろよ!」
大政は遂に険しい顔付で吐き捨てる。我慢の限界に達したようだ。彼も、最早突込みではない。
「だってそうじゃねえかよ! もうちょっと売れたらあれもNGだこれもNGだって、結局バラエティはいつも踏み台にされんだよ!」
「あいつら何押っ始めちゃってんだよ!」
モニターを見詰める多部が立ち上がる。
内海さんが舌打ちして苦々しい顔付になり、大石さんも深い溜息を吐いて頭を抱えた。
「それと今遣ってるコーナーとは関係ねえだろ!」
「澄ました顔で進行しやがって、お前も腹の中で忌々しく思ってんだろ!」
「お前もMCのくせに何偉そうな事言ってんだよ!」
大政は立ち上がり、飯田の胸倉を掴んだ。只今、THSではオクシデンタルリズムの喧嘩を生放送中……。
「おいCM入れろ!」
内海チーフプロデューサーが叫び、ジングル(CMに入る前のBGM)も入れずにCMに入った。スタッフがオクリズの間に入って喧嘩を止めようとするが、
「デート服ってどうせテレビの為に作り込んでるに決まってんじゃねえか! そんなの見たって話す事なんかねえだろ!!」
飯田も、
「そこを膨らませるのがオレ達の仕事だろ! そんな事も分かんねえでMC遣ってんのかよ!?」
大政もアドレナリン大量分泌。
黒木は驚愕と困惑などが交錯しているのだろう、泣き出してしまった。しかしそこは女優。電波には乗っていなくても、カメラに収められている事は何処かで意識されてるんでしょうて――
その証拠に、
「おい3カメ! 何絵理ちゃんのアップなんか撮ってんだよ!?」
多部は煩雑そうな口振りで突っ込む。こんな事態でも、楽しむ奴は楽しむ。っか。
「今は『NG大賞』なんか遣ってねえぞ!」
多部、泣きの突っ込みをもう一発……っていうかこれ、NGじゃねえし――
それも然る事ながら、
「お前ら本番中だぞ!! 何考えてるんだ!?」
フロアに降りた内海さんの怒声がスタジオ全体に響く。が――
「お前とはもう遣ってらんねえよ!」
「こっちだって願い下げだ!」
飯田、大政の二人は血圧が上がりっぱなし。
「CM明けまで三十秒です!」
TKの女性スタッフがサブのマイクを使い、フロアの内海さんに知らせる。
「おい飯田、お前スタジオから出ろ!」
内海さんに吐き捨てられ、飯田は一瞬、大政を睨み付けてスタジオから出て行く。
「大政、後はお前一人で進行しろ……ごめんね絵理ちゃん。大丈夫?」
当然の如く、内海さんの声にはもう覇気がない。大丈夫な訳ねえだろ。MCがガチ喧嘩したんだから――
「私は大丈夫です」
黒木はそう言うしか、ないだろう。強張った表情の中に憂いが感じられる。
「CM明け、取り敢えず謝れ」
内海さんはそう言うと、
「分かりました」
大政の返事が終わらぬ内にサブの方へ歩き出した。
そしてCM明け――
「はい。黒木さんとのトークを続けさせて頂きたいんですが、先程はお見苦しい所をお見せしてしまいました。本当に申し訳ございませんでした」
大政は神妙な顔付で深々と頭を下げ、「フーッ」と溜息を吐いて座った。溜息を吐きたいのはこっちも同じだよ!
番組の目玉であるツイッターを確認すると、「絵理ちゃんがかわいそう」「いくら番宣だからって、何もこんな番組に出ることなかったんじゃねえの?」黒木を擁護する呟きから、「オクリズも終わったな」「何であんな人たちが冠番組持ってるんだろうね」「とっとと消えろ!」オクリズに対する辛辣さ、罵詈雑言な呟きが目立つ。まるで自分に送られているようで悪寒が走る。
パソコン画面を覗き込んでいると、
「こんなの使えないね」
大石さんに後ろから声を掛けられた。
「そうですね……」
多部がオレ達に近付き、
「今日はもうツイッターはいいでしょう」
切なそうな口振り。無言で頷く大石さんも、今にも涙が零れそうな切ない表情。
スタジオは二人の喧嘩によって黒木のデート服の件はカットとなり、最後の項目であるドラマ共演者の証言Vが流されている。
因みにデート服には、映画と遊園地デートのバージョンがあったのだが、事前打ち合わせも含め、全て徒労の終わり――
「今VTRにありました通り、黒木さんはかなりのお笑い好きだという事で」
「そうですね。結構お笑いの方が遣ってる番組とか観るの好きです」
黒木は何とか笑顔を作っている。
「じゃあ好きなお笑い芸人かコンビの人達がいる訳ですね?」
「はい。います」
好きなジャンルの話なんだろうが……痛々しい。
「まあそうですよね。因みに今は何て番組に出てますか?」
大政は振りを始めるが――
「オクリズ……うん? 何だっけ?」
おいおい、自分が出演している番組のタイトルも把握してないのかい――
「『オクオビ』です。そこはお願いしますね」
「ハハハハッ」。スタッフの演出にも覇気がない。
「では改めてお訊きします。好きなお笑い芸人は」
「千原ジュニアさんです!」
「兄さーん!……」
声高に言いながら、大政はソファからずり落ちた。
「先輩だから言い辛いけど黒木さんのマネージャーさん! どういう教育してるんですか!?」
「ハハハハハッ」。お情けの笑い。定番なギャグだけど、さっきあんな喧嘩を見せられて「オクシデンタルリズム」と言う訳がないだろう。それに――
「今のギャグ観て笑ってる視聴者いるんですかね?」
投げ遣りなオレの口振りに、
「笑っても苦笑だろうね」
大石さんはモニターを見詰めたまま答える。
「好きな芸人も三位から発表する筈だったんだからな」
多部は溜息を吐いてボールペンをテーブルに投げつけた。スタッフがげんなりとしている番組を、視聴者が面白がる訳がない。
スタジオでは、
「それでは最後に、黒木さんから改めてドラマのお知らせです」
「はい。明後日の夜九時から『岡本太郎ものがたり』が放送されます。我が道を貫いた天才芸術家、岡本太郎さんの人生を描いたドラマです。凄くユニークな方で、親しみを持って貰える内容に仕上がっていると思います。ぜひご覧ください」
本番中に起きた「事件」をちゃらにするようなエンディングに入った。今日の番宣で、数字を上げる事に一役買うとは到底思えない。こんなに後味の悪い本番は初めてだ。
前に生じていた疑問、二人の険悪さが画面を通じて視聴者に伝わっているのではないか。それが最悪の形で現実となってしまった……。オクシデンタルリズムの二人、あんたらは自分達の番組を自分達で潰したんだよ!
「はい以上でーす! お疲れ様でした!」
甲高い声はフロアディレクターだけ。他は皆しんみり。
「多部君、飯田君の様子を見て来てくれる」
大石さんの言葉を聞いて咄嗟に、
「オレも行くよ」
自然と口と身体が動く。様子見だったらプロデューサーやディレクターに任せておけば良いのだが、差し出がましくても何処か放っておけない。
二人で足早に廊下を歩き、「B2 飯田 孝秋様」の楽屋に入る。
「お前は沈着な奴だって思ってたけど、存外そうでもなかったんだな」
多部の口振りは百パー幻滅。
「オレも同じだよ。あんな感情的に、増してや本番中にああなるなんてね」
「済みません……」
飯田は一見しおらしくはしているが、目を見るとまだ血走っている。
「何であんな態度に出たんだよ」
多部は一番気になる事を苦々しく訊く。
「五月の放送で大政が「ONE PIECEシール」の一件を起こした時、あいつ、あれはオレへの当て擦りだって後輩に得意げに言ってたみたいで、それを後輩から聞いたんですよ。だからお返しに。これからもMC遣って行きたいんなら、この状況で上手く取り仕切ってみろよってね」
大政の時も然り、全く悪びれる様子は、なし。それどころか張り合う度合いは増すばかり、どっちもどっちとしかいいようがない。
「当て擦りによる当て擦りかよ……第一あんな喧嘩腰じゃベテランだって円滑な進行なんか出来ねえよ」
多部はうんざりを通り越して呆れている。
「結果的には「シール事件」の二の舞にしかならなかったんだよ。君達にとっては当て擦りかもしれないけど、人を巻き込んで迷惑を掛ける事実は度外視してるよね?」
「お前達は芸能人である前に社会人失格だよ!」
多部が苦々しく言い放つ。この言葉が利いたのか、飯田の目からやっと血走りが消え、あれこれ勘考しているようだ。
『コンコン』とノックと共に大石さんが顔を出す。ムッとした中に意味深な微笑を浮かべている。
「飯田君、絵理ちゃんに謝っといた方が良いんじゃない?」
「行くぞ」
多部に促されて飯田は無言で立ち上がり、楽屋を出て行く。
自分からは提案せずにスタッフから謝罪を促される光景。大政も然り、ディレクターがプロデューサーに変わっただけ。
只、前回と違うのは、プロデューサーもディレクターもMCも、背中に脱力感が漂っている事。
後で多部から聞いた所によると、
「今日は本当に申し訳ありませんでした」
「申し訳ありません」
「……済みませんでした」
大石、多部、飯田の順で頭を下げ謝罪を受けた黒木は、
「もう気にしていませんから」
と笑顔で受け入れてくれたそうだ。
が、男性マネージャーからは、
「そちらからオファーして来たんですよ。いい加減にしてくださいよ!」
と釘を刺されたという。
「あいつ(飯田)は一回しか頭下げなかったけど、大石さんとオレは平伏しっぱなしだったよ」
多部は疲れ切っている。
「内海さんは電話で謝罪?」
「ああ、本番直後に向こうの事務所に電話してたよ。あの人も平伏しっぱなしで」
「そっか……」
だが、電話謝罪だけで済む訳もなく――
翌日の会議。
「午前中から事務所に呼び出されて、こっ酷く抗議されて来たよ」
内海チーフプロデューサーはのっけからうんざり顔。無理もない。黒木の事務所に直々に出演オファーをしたのに泥を塗られ、尚且つ呼び出しまでくらったのだから。
「向こうの社長は「あんたのとこは事前に打ち合わせもしないのか!?」って憤然としてて、出演者の管理も出来ないようじゃプロデューサー失格だって言われた」
内海さんは目先を下に向けて溜息を吐く。
「向こうの憤慨は当然だよね。依頼されたから応じてあげたのに、タレントがあんな扱いされたんだからさ。社長が言うように、飯田君の様子を察知出来なかった私達は、プロデューサー失格だね」
大石さんの顔付には、切なさと忌々しさが交っている。
「オレ達ディレクターも同罪ですよ」
多部も然り。
「呼び出されたのは事務所だけじゃないんですよね?」
お貴さんは控えめな口振りながらも顔は興味津々。
「あんたちょっとは察しなさいよ」
高ビー神野が珍しく適切な事を言う。
お貴さんは放送作家を「ふあー」という気持ちで遣っているから、同業者を察する心よりもミーハー心の方が勝るのだろう。
「うちの社長が昨日の放送を観てたらしくてさ、へこんで戻って来たら今度は編成局長からのお呼び出しだよ」
「私も一緒にね」
内海、大石両プロデューサーは、苦笑するしか……ないだろう。
二人の話によると、
「あのドラマはうちの(開局)六○周年記念なんだぞ。十分に分かってるだろ!?」
男性編成局長は息巻き、目も顔も赤みを増していたという。
「承知しています。申し訳ありませんでした!」
「私達の不行き届きです。済みません!」
内海さんと大石さんが平伏すと、
「社長もあの放送を観てカンカンだ。喧嘩を視聴者に届ける為に電波を使わせてる訳じゃないぞ。今度あんな状況になれば(番組を)即打ち切る!」
編成局長からの最終警告。
「ご尤もです」
「はい……」
内海さんも大石さんも反論の余地はなかった。
「プロデューサーっていう生業に就いて結構経つけどさ、こんな苦悩を抱えて遣る仕事なんだって、遅ればせながら痛感してるよ」
「同感。良い勉強をさせて貰ってるって、前向きに捉えて行くしかないよね」
内海、大石両プロデューサーの苦笑再び。でも今は明るさを感じるので安心した。
右隣に座るお貴さんがオレの方に顔を近付け、
「大石さんってポジティブな人ですよね」
小声で言う。
「そう。あの人のおかげで周りの士気が高まってるんだよ。それに甘えてばっかりじゃいけないとは分かってるんだけどさ」
オレも声を落とした。
「そうですよね」
お貴さんは純粋そうににこっと笑い、オレも自然と笑顔になる。
両プロデューサー始め、会議室全体がポジティブな雰囲気に包まれようとしていた時――
「昨日の放送でクレームって何件来たんですか?」
オレの左隣に座る人、高ビー神野の発言。さっきはお貴さんに察しろと言っておきながら……。
「全部合わせて約九百件」
多部が失笑する。
「前回の「シール事件」よりも多くなるよなあ、あれじゃ」
「これが皆激励になれば良いんだけど」
大石さんの口振りは百パー希望だろうし、身を粉にする所存なんだ。
「神野さんだって空気読めてなくないですか?」
笑みに冷笑を含ませたお貴さん。確かに同感だが――
「何なのその顔? バカにしてるよね?」
高ビー神野の血圧が上がり出す。
「別にバカにはしてないですけど、社会通念とかを押し付けて来る人に限って、案外非常識なんだなって思ったから」
お貴さんは平常心。バカにはしてないと言いながら、皮肉はたっぷり。でも大綱は捉えているのではないか。
「人を非常識呼ばわりしないでよ! 何よインテリぶって」
「そんなイライラすると美しいお顔も台無しですよ」
「やっぱバカにしてるでしょあんた!」
「だからしてないですって。一人で苛立ってるだけじゃないですか」
この二人の温度差。右側にはそよ風が吹き、左側には疾風が吹き荒れている。この場合、真ん中に座る者はどういう顔でいればより正解なのか……。
「二人共、まだ会議の序章なんだから。ここで一旦終わり!」
声高に止めに入る事が正解だろうと判断した。というより、「お前が止めんかい!」という雰囲気を察しただけ。
「僕の携わる番組の女性作家はバトルを起こす事が多くて、賑やかですよ」
百パー皮肉。そうなる傾向が本当に多いから。
「ミスター珍事」
多部……。
「ミスターちんみたいに言うな!」
B21スペシャルのミスターちん。一九八○年代後半から九○年代前半に青春を謳歌した方ならば、よくご存じなのでは――
「さっ、本格的に始めようか!」
声高に宣言する内海チーフプロデューサー。ではあったが――
「そういや午前中に大政君からメールがあったんですけど……」
宮根君――
「これから始めようって内海さんが言った時に何なの?」
「お前こいつの話ちゃんと聞く気かよ?」
多部は明らかに面倒臭そうな口振り。オレも宮根君に対しては「面倒臭っ」と思わなくもないが……。
「話し始めちゃったんだから聞かざるを得ないだろ。少々お時間を頂きます」
作家を代表して内海さんに向かって言うと、
「優しい奴だなお前は」
微笑を浮かべて返された。
「それだけが取り柄なんですよ、こいつは」
多部はにやにやしやがって、憎たらしいったらありゃしない。
「うっせえチャラ男D!」
それはそうと、内海さんからは許可を頂いたので、
「で、大政君からは何て送信されて来たの?」
じっくり伺いましょう――
「昨日の本番が終わった後、先輩と後輩を呼び出して、歌舞伎町にある深夜営業の定食屋に行ったそうなんです」
「にこにこして改まって言う事か? 只の夜食じゃねえかよ」
多部はオレと目を合わせて「ほら見た事か」と、目で訴える。
「ここからが面白いんですって」
「ハードルを上げて大丈夫かよ……それでどうなったって?」
「聞かざるを得ない」と言ってしまった手前、今更「割愛しましょう」とは言えない。
「定食屋のメニューを全部注文して先輩に奢らせたんですって」
「……終わり?」
確かに、オクリズが所属する事務所には、先輩は絶対に後輩に奢らなくてはならないという不文律があるらしいけど。
「何か微妙だよね」
大石さん始め皆も失笑。
「え、面白くないですか? 定食屋のメニューを端から全部頼んだんですよ?」
宮根君は立ち上がり、言葉に熱を込めるが……。
「だからそれ聞いたよ。それを聞いてこの反応なんだよ!」
「まあ静かな笑いがお前らしいけどな」
多部の一言で皆はやっと声を上げて笑う。
周りの反応に対し、
「微妙ですかねえ……」
宮根君は大いに不服。
「ほら宮根君、納得行かないだろうけど座って。お時間ありがとうございました。始めましょう」
これ以上続けても彼は納得しないし埒が明かない。宮根君が首を傾げながら座った。
「『熱血! マスダ塾』なんだけど、もう一工夫加えたいと思うんだ。何かないかな?」
内海さんが今日の議題を発表する。
「一工夫ですか……」
「こんな時にこそセレブ提案頼むよ」
例によって多部はさらりとした口振り。
「セレブ提案は……」
ないんだな。ん? 訥弁なお貴さんの姿を見ている内に、オレの悪戯心に火が点く。
「お貴さんのセレブ提案があるんなら、宮根君の「大爆笑提案」ってのはないの?」
多部に言ってみると、
「ああ、あるある」
ニヤリとして、案の定食い付く。
突然振られた宮根君は満面で「えっ!?」と訴える。声さえ出ない程、驚愕しているご様子。
「ほら、さっきの挽回だよ。大爆笑提案をお願いします」
自然とにやついてしまう。完全なる高みの見物。
「大爆笑って……そんな無茶振り」
満面で困惑を表現する宮根君。でも、立てと言われてもないのに徐に立ち上がる。
「だから……プラスαがあるともっと面白くなると思うんですよ」
「その会議なんだよだから!」
「今までの流れを聞いてたか?」
多部に続きオレにも突っ込まれ、
「……はい」
宮根君は真剣な顔で答える。宮根君の正体は、超天然者。彼は大学生の頃にバンドのベース兼ボーカルをしていたそうで、メジャーデビューを目指して励んでいたが、残念ながら実現には至らずバンドは解散。気落ちしていた折、知人の紹介で男性放送作家と出会い、作家事務所に所属する事になった。
放送作家と成った四年前は企画書の書き方さえ分からなかったというが、最近になって漸く仕事にも慣れて来たとは聞く。
「やっぱり若い若い者が……」
宮根君は再び言葉に熱を込め始めたけど、
「若い若い者?」
「若者で良いだろ」
オレも多部も言いながら吹き出してしまい、それは宮根君以外の全員に伝染する。
「ですから若者がエキサイトするようなものを入れたら良いと思うんですよ。フフンッ……」
「エキサイトは良いけどフフンッって何だよ?」
「大爆笑提案で自分が笑ってどうするの?」
多部とオレの指摘が、
「いや本当にそうだと思うんですよ」
宮根君には聞こえないのか?
「オレ達の言葉をスカすな!」
多部が少し声高になった為か、
「失礼しました」
神妙となる宮根君。
「別に謝れって言ってるんじゃないよ。何で笑ったの? って訊いてるの」
宮根君はきょとんとしているが、会議室は笑いに包まれる。彼は不服だろうけどこれで良いのだ。宮根君のようなキャラは、プロデューサーやディレクターに顔と名前を覚えられ易く、それをきっかけに仕事を貰えたりする。
「あの……エキサイトするような罰ゲームを加えるっていうのはどうでしょうか?」
「結局オレ達の質問には答えない訳か」
多部は諦めて失笑する。
「クイズを出す塾長に対して一矢を報いるって事か。全問正解者には賞金二十万だから、罰ゲームがあればマスダさんは正解させないように必死になるだろうし、逆にオクリズ達は罰を受けさせようと思って、コーナー自体は白熱するかもしれませんね」
「提案は無難だし大爆笑もなかったね」
高ビー神野、それは言わないでおいてあげなさいよ。
「罰ゲームはマスダさんの私物をボコるっていうのはどうですか?」
にこやかな顔して、お貴さんのセレブ提案は突飛だ。
「簡単に言うけどさ、この前も「シール事件」があったばっかりだし、それにHRT(放送倫理調査会)が黙っちゃいないよ」
内海さんはチーフプロデューサーとして懸念を示す。それに、某局では「罰ゲーム」という言葉すら、番組内で使う事を禁止しているご時勢。
「正にそうですよね。昔のバラエティにはそういうシーンもあったみたいだけど」
「九○年代の後半から放送倫理の規制は厳しくなる一方だから」
大石さんは優しくお貴さんを諭すような口振り。
「そういう事。昔は現実化出来た企画が今は出来なかったりするんだよ」
「へー……」
お貴さんの口振り、子供が納得した時のような感じ。恐らく彼女はHRTの事すら知らないと思う。そんな序論の知識もない人でも成れる職業、放送作家。そこが良いとこ? 悪いとこ?
「口を開けば突飛な事ばかり。やっぱり貴子ちゃん作家に向いてないんじゃないの?」
「神野さん……」
あんたが言うなよ。
「でも私は一つ提案はしましたよ。向いてないって言うんなら、これぞ放送作家っていうお手本を見せてください」
「力量拝見と行きたいね」
ヤッベ! 心の声が出てしまった。恐る恐る左隣の神野さんと目を合わせると、
「ユースケさんも貴子ちゃんの味方なんですか!?」
時既に遅し、目が血走っている。
「どっちの味方とかじゃなくて、これは釈迦に説法だけど、人が提案して駄目だった企画に肉付けして再度提案する。そうやって団結して行くのが作家の仕事だろ!」
思わず語気を強めてしまう。神野さんは一瞬気後れした表情を見せたが、直ぐにムッとした顔付に変わり、
「分かってますよ、そんな事」
オレから目を逸らす。
「だから釈迦に説法だって前置きしたじゃねえかよ」
「でもユースケが言った作家の基本論を彩子ちゃんは忘れてたじゃん。それはそうと、お貴さんは会議室にいるだけで花になるからさ」
「こら多部!」
「今の話の流れ上関係ないじゃない」
大石さんの言葉に、内海さんは「ハハハッ!」と高笑い。
「ちょっと多部さん、今日のははっきり聞こえたんですけど」
高ビー神野の血圧が再び上昇中。
「貴子ちゃんの何処が良いんですか? 私の方が全然イケてますけど」
「相変わらず確言するね」
言葉も然る事ながら、表情も尊大さ全開。
「それは神野さんが勝手にそう思ってるだけじゃないですか」
「勝手にじゃなくて現実にそうだからよ!」
「何を根拠にしたらそう思えるんだろう」
半笑いのお貴さん。オレも笑いたいがここは我慢。何故なら高ビー神野の……、
「さっきもそうだったけどその顔何!? 言いたい事があるならはっきり言いなさいよ!」
プライドを逆撫でするだけだから。
「だから前から言ってるじゃないですか。私は神野さんには負けてないって」
「寧ろ段違いだぞ」
多部は別の方向を見ているが、
「止めとけ!」
楽しそうな顔しやがってこの野郎!
「段違いって、当然私の方が上って事ですよね?」
高ビー神野の挑発的な目。多部をそう見縊らない方が良いと思うけど。
多部がジロッと神野さんと目を合わせる。
「彩子ちゃんがお貴さんに勝つにはね、毎晩風呂上がりに……」
「毎晩風呂上り?」
笑ってしまうが、なーんか突飛な予感が、
「エッチな写真を送るぐらいな事しなきゃ無理じゃね?」
的中……。
「何ですかそれ!? ちょっと酷くないですか? 今の」
高ビー神野はオレの左腕を若干強く掴み、哀れみを求める。普段からは考えられない、何とも珍しい言動。
「今のはデリカシーなかったね。大丈夫。毎晩写真送んなくても下着姿で一回抱いちゃえば勝つと思うから」
「フフフンッ……」
お貴さんを始め、皆も吹き出してしまう。
「お前もデリカシーないじゃねえかよ」
多部の言う通り。頭に浮かんだ言葉を瞬時に口に移動させた、オレのペナルティー発言。
だが、前から彼女は、「ユースケさんキャバ嬢と付き合ってるんですってね? 百パー浮気されてますよ」とか、オレがADの女性と談笑していた時には、「随分楽しそうですね。ADの女の子レベルが似付かわしいですよ」と、蔑んだ口振りと笑みを投げ掛けて来た。大して一緒になった事もない先輩に対してだ。
神野さんは冗談のつもりなのかもしれないが、ADの女性に対しても失礼極まりなく、高飛車な言動が鼻に付きっぱなしだ。だからというか、これぐらいの反撃はしても宜しかろうて。
「多部さんと同じじゃない! あんたも嗤ってんじゃないわよ!」
「だってユースケさんが暴言吐くのって、珍しくないですか?」
「良識があるようで結構ぶっ飛んでんだよ、こいつ」
尚も嗤うお貴さんと多部。
「ぶっ飛んでるのはユースケさんだけじゃなくてあんた達全員よ!!」
「おい先輩もいるんだぞ。あんた達って何だよ?」
「多部、今更常識的な事を言うな。冗談だって冗談。皆も神野さんが美人だって分かってるからイジるんだよ」
フォロー百%。言葉に心なんか微塵もなし。
「今頃そんなフォローしないでよ!」
神野さんは目を潤ませて会議室を出て行く。
「高飛車の悔し泣きか……」
「あーあ、泣かせちゃった」
「大石さん笑いながら責めないでくださいよ。っていうか僕だけが悪いのかい?」
「止めを刺したのはユースケだよ。でも大丈夫だろう彼女は」
「そうね。強かだから直ぐに立ち直る」
内海さんも大石さんも、心配している素振りは全くない。プロデューサーでさえ、彼女の高飛車さには手を焼いているのだろうて。
会議は何事もなかったかのように再開されたが、結局、神野さんは最後まで戻って来なかった。
「何処に行ったんですかね」
大石さんに尋ねると、
「トイレだよ」
確信のある答え。
「あんな所に数時間も?」
「怪訝に思うだろうけど、前にもあったんだよ」
若干呆れた口振り。多分、一、二回じゃないな。
「ちゃんと謝った方が良いですかね?」
謝る気なんか全然ないのだが、プロデューサーを眼前にしては、一応ね。
「そっとしときな。女は感情が高ぶってる時はそっとしておくのが一番」
「確かにそうですね」
高飛車な人は「ごめんなさい」という言葉がお嫌いだから。
それにしてもこの番組、プロデューサー、ディレクターを始め、作家も、お貴さんや神野さん、宮根君と個性的なスタッフが揃っているのに、どうして数字を取れる企画を生み出せないのか?
それと、序論の知識もない、それどころか世間からドロップアウトしたような人が集まる放送作家、そしてテレビ業界。好き勝手いうオレもそうだが、そこがこの業界の良いとこ? 悪いとこ? それとも無難? 様々な疑問が交錯しつつ、THSを後にした。
後半は下巻に続く――