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7.腕の中で

「あの日に、ああいった形で指輪を渡したことは後悔していない。でもロアンに茶化されてしまっただろう? リベンジするときは雰囲気とか演出にこだわりたくて、あれからずっと考えに考えて……情けないことに、どうしたらいいかわからなくなった」


 ルーファスは手の中の小箱をじっと見つめた。


「恋愛小説を読んでも、周りの人間にアドバイスを求めても、いいアイデアが浮かばなくて。言い訳かもしれないが、こんなに人を好きになったのは初めてなんだ。心から愛していることを言葉や贈り物にして伝えることが、ここまで難しいとは……」


 ルーファスの顔がじわじわと赤くなり、やがて首や耳まで広がっていった。

 素晴らしい指導力や統率力がある人なのに、恋愛面は奥手なところが可愛い──そんなことを考えて、ミネルバも頬が熱く火照るのを感じた。


「どんなシチュエーションにするか考え抜いた結果、ミネルバには派手な演出よりも『くつろげるひととき』が必要かなって思ったんだ。何もない時間にこそ、何か得るものがあるような気がして。少し離れた場所に準備をしているから、そこへ移動しよう」


 ルーファスがミネルバの手を握り締める。そして庭のさらに奥へと導いた。二人の背を押すように心地よい風が吹く。

 しばらくすると大きな池が見えてきた。湖と言ってしまってもいいくらいに大きい。真ん中に島があり、アーチ状の橋がかかっている。ミネルバは水面に反射する光に目を細めた。

 橋を渡りきると、ミネルバは目を見張った。美しく手入れされた灌木の向こうに、可愛らしい天幕が立てられている。

 ルーファスが入り口の垂れ幕を引いた。天幕の壁は色鮮やかな織物で、足元にはふかふかの絨毯。薄いマットレスが置かれた一角には柔らかそうなクッションが積み重なり、低いテーブルの上にはピクニックバスケットが置かれている。


「秘密基地みたいだろう? 身の回りの世話をする者はいないが、誰にも邪魔されずにゆっくりできる」


 ルーファスに目線で促され、ミネルバは靴を脱いで天幕の中に入った。いくつかのカーテンで仕切られた空間には、簡易的な手洗い場や食料貯蔵庫などの設備があった。


「すごいわ……まるで家みたい。生活に必要なものが何でも揃っているのね」


「ああ、その気になれば何日でもここで暮らせる。でも、私たちに許された時間はせいぜい夕方までだな」


「まだ昼前よ。十分すぎるくらい時間があるわ」


 ミネルバの腕をやさしく引っ張っり、ルーファスは「ここに座って」と囁いた。

 ソファ代わりらしいマットレスに横座りすると、ルーファスが正面に腰を下ろす。あぐらをかく姿が新鮮で、胸が張り裂けそうにどきどきした。


「じ、自分でこういった状況を作っておいてなんだが、正真正銘の二人っきりだと思うと、やっぱり緊張するな」


 ルーファスががしがしと頭を掻きむしった。

 彼も自分と同じくらいどきどきしているのだと知って、ミネルバは胸がいっぱいになった。

 二人してしばらくの間黙っていたら、ルーファスがそっと手を伸ばしてくる。


「少し疲れた顔をしているな。この二週間、予定を詰め込んでしまってすまなかった」


 ルーファスの指先がミネルバの頬に触れた。


「私は元気よ。たしかに盛りだくさんの日々だったけれど、すべて私のためだったってわかってる」


 ミネルバは笑って答えた。

 自主的に睡眠時間を削ったりもしたけれど、気分は爽快だ。アシュランで辛い日々を過ごしただけに、活躍の場を与えられたことが嬉しくてたまらなかった。


「君は私にそっくりだな」


 ルーファスの顔が突然ほころんだ。


「ジェムによく言われるんだ。頑張りすぎだ、少しは休めと。仕事熱心なのはいいことだが、もっと寝ろと。でも、自分では無理をしている自覚が全くない」


「ついさっき、ソフィーにも似たようなことを言われたわ……」


 ミネルバは頬が紅潮するのを感じた。ルーファスが手のひらで頬を撫でてくれる。


「本当に無理をしていたつもりはないの。でも、ちょっとだけ睡眠不足なのは認めるわ。宮殿に入れば伝統にのっとった儀式がいくつもあるから、やり切れるか不安になって……。もしもルーファスのご両親が、私を気に入ってくださらなかったらと思うと……」


「父も母もきっと、ミネルバのことが好きになるよ。むしろ気に入られすぎて大変なことになると思う」


 ルーファスはそう言って、両腕を大きく広げた。まるで「おいで」と言うかのように。


「だから緊張するなと言っても、無理な話だよな。というわけでこれから、とことんミネルバを甘やかそうと思うんだ。どちらかが疲れていたら、どちらかが手を差し伸べる……これから先、ずっとそういう二人でありたいから」


 ルーファスがミネルバを引き寄せる。自分がどうすべきかわかっていたので、ミネルバは彼の胸に頭をあずけた。大きくて男らしい手が背中を擦ってくれる。


「気持ちいい……」


 包み込むように抱きしめられて、ミネルバは思わず吐息を漏らした。最初は速かった鼓動が、しだいに穏やかになっていく。

 たくましい腕の中は、世界で最高の場所だった。至福を感じながら、ミネルバはしばらくの間ルーファスの腕に抱かれていた。


「仕切り直しの件なんだが」


 ミネルバの髪に顔をうずめ、ルーファスがつぶやく。


「何度練習しても顔が真っ赤になってしまって。緊張しすぎて、誓いの言葉を途中で噛んだり。指輪をいったん返してもらうのも、間延びしている気がするんだ。だからこうして抱きしめたまま求婚したいんだが、どうだろう?」


 ミネルバはルーファスの背中に自分の腕を回した。


「いいアイデアだと思うわ」


 ルーファスのたくましい胸が、呼吸のために上下する。


「ルーファス・ヴァレンタイン・グレイリングは、ミネルバ・バートネットを愛しています。私は決してあなた以外の女性を愛さない。死ぬまで全力であなたを守り、必ず幸せにします。だからどうか……私の妻になってください」


 衣服を通して、ルーファスの心臓が激しく打っているのが感じられた。


「はい、喜んで。私もあなた以外の愛を求めません。あなたのいる場所が、これからは私の家です」


 二人同時に息を吐く。そして、抱き合ったまま二人同時に笑った。完璧に調和していて、ひとつの塊になったような気がする。

 ルーファスの腕の中ほど気持ちのいい場所を、ミネルバは知らない。求愛の言葉を聞くのに、これ以上の場所は無いだろう。いい匂いがするし、すごく力強くて安心感がある。

 ルーファスの手がミネルバの髪を優しく撫でてくれた。それから背中も撫でられて、小さな子どもみたいにゆらゆらと揺らされた。知らないうちに蓄積していた心労が軽くなっていく。


「いままでもこれからも、ずっと愛してる。結婚式まで時間がかかるのが悔しいが、二人で最高の幸せを築いていこう」


「うん……」


「ずっとこうして抱きしめているから、眠くなったら寝ていいぞ」


「うん……」


 ミネルバの返事は、吐息の混じる小さな声になった。ぬくもりにまぶたが重たくなってきて、だんだんと気が遠くなっていく。

 宮殿に入ったら、こうして二人っきりになる機会はしばらく訪れないだろう。それなのに、眠気に抵抗できそうになかった。


「大好き……」


 全身でルーファスの熱を感じながら、ミネルバはゆっくりと眠りに落ちていった。

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