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6.サプライズ

 カサンドラが何をしてくるにせよ、最終的な対応を決断するのはミネルバだ。しかしソフィーやシーリアという味方がいるのは本当に心強い。

 二週間の旅で、他にも味方は増えたと思う。出会った令嬢たちからも、自分に対する畏敬の念を感じ取った。もちろん、ルーファスの婚約者だからよくしてくれたことを忘れてはいない。

 それでも友情を分かち合うことはできた人がたくさんいる。宮殿に入ったら、すぐに感謝の気持ちを手紙にして送るつもりだ。


(ベンソン侯爵家で二晩過ごしてから、三日目の早朝には帝都デュアートへ出発……注目される心の準備をしておかないと。宮殿に入ったら、私の時間は私のものではなくなる)


 本や伝聞から学べることには、どうしても限界がある。実際に経験を積んで学んでいくしかない。アシュランで十年間王太子妃教育を受けたとはいえ、グレイリングの流儀をすべて知っているわけではない。


(いまのうちに、できる準備はすべてしておかないと。まずは要職についている方たちのお名前と、ご夫人やお子さんの略歴を復習して。それから……)


 ベンソン侯爵家の賓客として最初の夜を過ごし、二日目の午前中になった。

 ミネルバは客間の机に向かって、高位貴族の略歴を記した書類や、宮殿に到着する日の予定表とにらめっこをしていた。


「ミネルバったら、また睡眠時間を削ったでしょう」


「そんなことないわよ、十分寝たわ。元々私は睡眠時間が短くても平気な体質だし」


 若干怖いソフィーの声に、ミネルバは明るく答えた。そしてまた机の上の書類に注意を戻す。


「あなたの真面目さや、ひたむきに努力する姿はとても好ましいけれど……」


 ソフィーがため息をついた。ぱたんと革のバインダーを閉じる音がする。


「明日の細かな予定を確認するのはおしまいにして、本日のメインイベントを開始しましょう」


「え、もう? 今日は午後から、ベンソン侯爵家が帆船を作っている作業場を見学させてもらうのよね。もう着替えないと間に合わない?」


「実はね、予定が変わったの。もっと素晴らしいイベントが準備されているのよ」


 ソフィーの瞳が謎めいた輝きを放つ。ミネルバは小首をかしげた。


「外に出ればすぐにわかるわ。衣装は今着ているもので十分だから、室内履きを外履きに替えれば準備完了よ。そのドレスに合わせるなら、踵は低い方がいいわね」


「え、だってこれ普段着よ!?」


 ミネルバは慌てて立ち上がり、自分の着ている服に目を落とした。上質な生地を使ってはいるが、ウエストをあまり絞っていないゆるやかなドレスだ。


「そっちの方がいいのよ。さあ行きましょう、ルーファス殿下をいつまでも待たせてはおけないわ」


 ミネルバは首をひねりながら、柔らかな室内履きを脱いだ。そして踵が低めの外履きを選んで足を入れる。

 ソフィーはにんまりと笑うと、バインダーを脇に挟んでミネルバの背中をぐいぐいと押した。

 旅行中は様々なもてなしを受けてきたが、どんな計画かはっきりしないのは初めてだ。

 不安を覚えるものの、ミネルバは腹をくくって歩き始めた。客間の前で待機していたエヴァンが静かについてくる。


「どこに行くの?」


「このお屋敷の庭よ。何があるかはまだ秘密」


 廊下の奥の扉にたどり着く。扉の向こうは日の当たる庭園だった。入念に手入れされた立派な庭だが、待っていたのは静寂だけ。何らかのイベントが準備されている気配は感じない。


「ここから先はミネルバひとりで行って。花壇の真ん中の小道を真っすぐに進むの。芝生が広がった場所に出たら、つる植物で屋根を覆われたあずま屋が見えるわ。そこでルーファス殿下が待っているから」


「私ひとりで……」


 ミネルバは小さくつぶやいた。この二週間というもの、どこに行くにも護衛のエヴァンかロアンが付き従う生活だった。宮殿で暮らすようになったら、余計にプライバシーなどないだろう。


「貴重な時間よ、ゆっくり楽しんできて。さあ早く早く、私はやることが山積みなの。お茶会の計画を立てて、手筈を整えないと。それでなくとも余裕のない日程なんだから!」


 ミネルバはうなずいた。エヴァン以外の護衛たちの姿は見えないが、どこかで注意深く見守っているに違いない。

 一歩前に足を踏み出し、深呼吸をして、また進んだ。この小道の先でルーファスと二人きりになるのだと思うと、どうしても背筋が震えてしまう。 

 ベンソン侯爵家の庭は壮麗だった。庭を見ればその家の状況がわかるというが、ただ綺麗なだけではなく歴史を感じさせる。シーリアがかつて自分の実家のことを「わりと歴史の長い侯爵家」だと言っていたのを思い出した。

 小道の先には薔薇のアーチがあり、美しい絨毯のような芝生が広がっていた。あずま屋の柱に背中をもたせかけているルーファスの姿が見える。


「ミネルバ」


 ルーファスの唇が笑みの形になる。彼もまたシンプルな服装だった。飾り気のない黒いシャツに、やはり黒い長ズボン。長身でたくましく、スタイルのいい体がよけいに際立って見える。


「急に予定を変更してすまない。本当は最初から、旅行の最終日は自分たちのために使うつもりだったんだ。以前にした約束を果たしたくて」


 約束と言われても、咄嗟に何のことか思いつかなかった。ミネルバが目をぱちくりとさせると、ルーファスはポケットを探って何かを取り出した。

 ルーファスの手の中にあるのは、青いベルベットの小箱だった。それを見て、ミネルバは思わず息をのんだ。


「それ、婚約指輪が入っていた……」


「ああ。事が済んだら必ず仕切り直しをしようと約束しただろう。いまからそれをしたいんだが、賛成してもらえるだろうか」


「ルーファス……もちろんよ」


 サプライズの経験はあるが、これほどの幸福感を味わうのは初めてだ。ミネルバは心からの賛成の気持ちを込めて、満面の笑みを浮かべた。

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