表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

91/187

7.心が通った夜

 ソフィーに約束したとおり、その後の歓談は不快なものにはならなかった。

 ミネルバはダンスを踊るとき以外は終始ソフィーの側にいたし、マーカスも彼女を守ろうとする意識が強かったからだ。大雑把な性格のマーカスが、妹以外の女性に細かく気を遣っているのを見たのは初めてだった。

 ルーファスの援護も心強かった。各家の当主たちとの会話では、彼が巧みに会話をリードしてくれた。

 愛おしげに見つめてくるルーファスと、その視線を受け止めるミネルバ。二人を見つめる女性たちが顔を火照らせ、うっとりとため息をつく。照れくさくはあったが、会場内の視線をソフィーから逸らすことができたのはありがたかった。


「ルーファス殿下が、あんなにお優しい表情をなさるだなんて……」


「ミネルバ様はお美しいだけではなく、才気がおありになりますもの。殿下のお心をとらえた理由がわかりましたわ」


「本当にお似合いだわ。おとぎ話の王子様とお姫様のよう……」


 客たちは思い思いに踊りやおしゃべりに興じている。銀の盆を持った使用人たちが、全員に琥珀色の液体の入ったグラスを配って回った。締めの乾杯のための、グランドリア産の高級酒だ。

 ギルガレン辺境伯がグラスをかかげる。


「ルーファス殿下とミネルバ様の輝かしい未来のために、祝杯を交わそうではないか。我らが皇弟殿下と、美貌と才知を兼ね備えた未来の妃殿下のために、乾杯!」


 客たちもグラスを高くかかげた。祝いの言葉が大広間中に広がり、人々の笑顔がはじけた。グラスの酒を飲みほしたルーファスが、ミネルバの腰に手を添える。彼のほうへふわりと身を寄せて、ミネルバはやりきったことに対する満足感と充足感を覚えた。

 いとまごいの時間となり、客たちが名残惜しげに別宅へと戻っていく。最後のひとりが立ち去った瞬間、ソフィーの様子に変化が生じた。

 灰色の瞳からひと粒、ふた粒と涙がこぼれる。全身から力が抜けたのか、彼女はぐったりと床に身を沈めた。


「ソフィー!」


 辺境伯夫妻が同時に叫び声をあげる。しかしソフィーは疲労困憊して顔もあげられない。慌てふためく辺境伯はかける言葉が見つからないようだし、若い義母もどうしていいかわからないらしい。

 ミネルバはひざまずいて、ぎゅっとソフィーを抱きしめた。いまの彼女には、ささやかなぬくもりが必要だと思ったから。


「長い一日だったわね。本当によく頑張ったわ。ソフィー、よかったら私の部屋へ来る?」


 少し心が落ち着いたのか、ソフィーがミネルバを見てうなずく。辺境伯夫人があからさまにほっとした表情を浮かべた。


「ギルガレン辺境伯、いまのソフィーに必要なのは休息です。私の部屋で落ち着かせますから」


 有無を言わさぬ力を込めた目で、ミネルバは辺境伯を見上げた。


「は、はい。どうかソフィーをよろしくお願いします」


 辺境伯が頭を下げる。ミネルバはうずくまっているソフィーを立ち上がらせた。肩を抱いて導いてやると、彼女は素直に歩き始めた。

 エヴァンが静かにあとをついてくる。ルーファスはたまらなく優しく、包み込むような視線で見送ってくれた。

 ソフィーが手ずから季節の花を飾ってくれた客間に戻り、二人して大きなベッドに腰を下ろす。人払いをした方がいいと思ったので、エヴァンは扉の外に、二人の侍女には続きの間に待機してもらうことにした。

 ソフィーがはらはらと涙を落としながら、ベッドに仰向けに倒れ込む。ミネルバもベッドに寝そべり、泣き続ける彼女をじっと見つめた。


「……ミネルバ様は凄いですね。尊敬せずにはいられません。心が綺麗で、強靭な精神力を持っていて……。私は駄目だわ、ミーアもロバートも憎くて、心がぐちゃぐちゃ……」


「あなたはまだ衝撃から立ち直れていないのだから、それで当然よ。人生が悪い方に大きく変わった日に、平静でいられるわけがないわ。私だってそうだった」


 ミネルバは胸に手を置いて、大きく深呼吸をした。


「私がどうだったか、聞いてみたい?」


 まだ涙が止まらないソフィーが、ミネルバのほうを向いてうなずく。

 彼女を元気づけられるのだったら、いくらでも話してあげよう。どんなに汚い思い出でも、喜んで語ろう。

 ミネルバは静かに口を開いた。いまでも昨日のことのように思えるときがある、フィルバートから婚約破棄を言い渡された日のことを。


「私の場合は、ソフィーとは少し事情が違うわ。相手のほうからきっぱりと婚約破棄を言い渡されたの。あの日、彼がその手に抱いていたのは異世界人の少女で──彼女が降臨した日からそうなるかもしれないと思っていたけれど、やっぱり衝撃だった。信じられないほど傷ついた」


 ミネルバはまた深呼吸をした。ソフィーは黙ってこちらを見つめている。


「私たち、7歳と11歳で婚約したのよ。王太子妃になることが私のすべてだった。泣きたい気分だったけれど、泣き方なんて忘れてしまっていたわ。淑女は感情を表に出してはならないと、王妃様から厳しくしつけられたせいね。泣きわめきたかったのに。激しい怒りをぶつけたかったのに。よくも私の人生を滅茶苦茶にしたわねって、大声で叫びたかったのに」


 苦い思い出が蘇ってくる。フィルバートとセリカの前で取り乱したくなくて、ミネルバは動揺しているそぶりすら見せずにいた。


「一生呪ってやるって言ってやりたかったわ。結局口には出さなかったけれど、心の中では地獄に落ちろって思ってた。いますぐに床が割れて、二人を消し去ってくれたらいいのにって」


 ミネルバは小さく笑った。ソフィーはひと言も聞き漏らすまいと耳を傾けている。


「それからの一年間は、人生で最もつらい時期だったわ。社交界から追い出され、悪意に満ちた噂を立てられて。家族は私に次の相手を見つけようと、涙ぐましい努力をしてくれた。ようやく常識を持ったまっとうな青年が見つかったと思ったら、なんと最初から騙されていたのよ。その人は平民の使用人を妊娠させていたの。私を子どもの名目上の母にして、彼女との愛を貫くために殺すつもりだったんですって。天才的な思いつきじゃない?」


「ひどい……」


 ソフィーは息をのみ、続く言葉を失った。


「フィルバートもセリカも、ジェフリーもリリィも憎かった。命果てるその瞬間まで恨んでやるって決めてたわ。そんなことを思っているなんて、家族の前ではおくびにも出さなかっただけで……つまり、その、私も普通の人間なのよ。いまのあなたと同じ気持ちだった」


 ミネルバは口を閉じて、鼻をすすった。


「思い出したら泣いちゃいそう! でもね、人を欺いて幸せになんてなれないわ。彼らはみんな、無分別な行為の報いを受けた。ミーアもロバートも、あなたをどんなに苦しめたか思い知るべきだし、その報いを必ず受けると思う。そしてソフィー、あなたは絶対に素晴らしい人生を送れるわ」


 ソフィーの顔をじっと見つめて、ミネルバは確信に満ちた声で言った。


「ねえソフィー、これからは私のことを敬称抜きで呼んでもらえない?」


「光栄なことですけれど……畏れ多いですわ」


「お願い、ミネルバって呼んで。私、あなたともっと親しくなりたいの」


「はい……それでは、ミネルバ。私もあなたと仲良くなりたいです」


 それからしばらくの間、二人はベッドの上で丸くなって会話を続けた。

 ソフィーの口元に笑みが浮かぶ。この様子なら、涙もじきに止まるだろう。それでも今日のソフィーは疲れ切っている。女官の話を持ち出すのは明日にしようと、ミネルバはそっと心でつぶやいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ