6.誰よりも誇り高く
大広間の前に立っている二人の使用人が、両開きの扉の取っ手をひとつずつ掴んで大きく開いた。室内の賑わいが襲いかかってくる。
ルーファスの姿を目にした男性客は静まり返り、女性たちのため息があとに続いた。そしてミネルバに向けられるのは、探るような視線だった。
ミネルバは微笑んだ。自らが光り輝いて、大広間全体を明るくするのだと決意しながら。
「お美しい……」
「ああして並んでいると、ルーファス殿下にふさわしい女性はミネルバ様以外に考えられませんな」
ひそひそと囁き交わす人々の声が聞こえる。自分が人目にどう映るか心配だったが、少し不安が和らいだ。
ロアンたち護衛の五名が、晩餐会中も警護を続けるために大広間内に散っていく。
晩餐の席に着くと、ギルガレン家の人々に温かく迎えられた。長いテーブルの中央に二人並んで座る。ルーファスの右側が辺境伯夫人、ミネルバの左側が辺境伯の席だ。
ミネルバはそっと左に視線をやった。辺境伯の左側にソフィーの席が取られているのだ。彼女の顔には血の気がなく、避難場所を求めるような目でミネルバのことを見ている。
ソフィーは本当につらそうな表情だ。もちろんつらいに決まっている、婚約者に裏切られた直後なのだから。
ミーアとディアラム侯爵家の人々が出席していないことは、誰の目にも明らかだった。不品行な行いに関する噂はすでに広まっているだろう。
(ソフィーの隣がマーカス兄様の席であることが救いだわ。社交界の人々にとって、醜聞は最高に楽しい余興だから……)
向かい側に座っているのは、ギルガレン家とゆかりが深い貴族たちだ。近隣に領地を持つコールター侯爵家、ダーキン伯爵家、へリス伯爵家の当主夫妻と、社交界へのお披露目が済んでいる子息と令嬢たち。
もうひとつの長テーブルには三つの子爵家、二つの男爵家の当主夫妻とその子どもたちが座っている。
心優しいルーファスの意図が見えてくる。彼は本格的な社交シーズンの前に、ミネルバに知り合いを作りたがった。社交界で重要な人間関係──すなわち味方を増やせるようにと。
(ここには『公爵令嬢』がいない。グレイリング社交界の先頭に立つ女性たち、ルーファスの結婚相手に選ばれてもおかしくなかった人たちが)
公爵令嬢ならば、幼いころから皇族と接触していただろう。同じ公爵令嬢とはいえ、属国かつ小国出身のミネルバが選ばれた衝撃は大きすぎたに違いない。
彼女たちは驚き、戸惑い、なにより屈辱と怒りを感じているはずで、ミネルバのやることなすことにけちをつけてくる可能性が高い。先に侯爵家以下の人々の信頼を勝ち得ておけば、批判の矛先も鈍ってくるはずだ。
(がんばろう。私が不甲斐ないせいでルーファスの狙い通りにならなかったら、私は自分が許せない)
ミネルバは社交に徹した。七歳から未来の王妃として育てられたのだから、如才ない会話はお手の物だ。
近くにいる客たちが、作り笑いではなく心から楽しそうな笑顔を浮かべ始める。オリヴィア王妃が授けてくれた高い教養が大いに役に立ってくれた。
ソフィーと会話をするマーカスは、とても幸せそうに見える。「何という僥倖」という心の声が聞こえてくるようだ。
椅子から腰を浮かさんばかりに興奮しているとはいえ、マーカスは二度も男性に裏切られるという数奇な過去を持つ妹を守ってきた。彼ならば絶対にソフィーを傷つけない。
やがて食事が終わり、歓談とダンスの時間がやってきた。客たちが我先に、ルーファスとミネルバに声をかけて貰おうと群がってくる。
「ソフィー、微笑んで。私がずっと側にいるわ。この場を不快なものにはさせないから、私が皆さんとお話しする手助けをしてちょうだい」
ミネルバが耳元でささやくと、ソフィーの瞳が輝きを取り戻した。少し顔をひきつらせながらも、蜜に群がる蜂のような客たちに向かって微笑む。辺境伯令嬢としての誇りと意地は、まだ枯渇していなかったらしい。
「こちらはコールター侯爵のご息女のクララ様ですわ。クララ様は私が主催している読書会のメンバーですの」
「はじめましてミネルバ様、お目にかかれてとても光栄です」
ミネルバは微笑みながらうなずき、挨拶の言葉を返した。
ずらりと並んだ美しいドレスの女性たちと、次々に言葉を交わしていく。紹介者の仕事に集中することでソフィーは平静を取り戻した。
押し寄せてくる大量の情報を、脳内で即座に処理していく。彼女たちの名前、親戚あるいは友人関係などはすべて記憶した。
ルーファスのところへも、各貴族の当主たちが続々と挨拶にきている。彼はやはり生まれながらの皇子で、その立場にふさわしく振る舞っていた。
「……ねえ、ミーア様とディアラム侯爵家の人々が、ここにいないのって……」
「……婚約が台無しになったとか。まさか婚約者の妹と深い仲になるなんて……」
少し離れた場所で、さざ波のように会話が広がっている。ミネルバは笑顔を向けた。睨みつけるのではなく、目にたしなめる気持ちを込めるのだ。
世界最長の在位期間で、よその国々からことのほか尊敬されていたオリヴィア王妃から学んだ、上流階級のそのまた上に君臨する者特有の目の使い方。それはてきめんに効果を発揮して、噂話に興じていた人々が口を閉じた。




