6.待ち時間
「血の繋がった姉から婚約者を奪うなんて、俺の倫理観からしたらありえない。もし現実になったら、ソフィーは精神的に大きなショックを受けるだろうなあ」
マーカスが唇をとがらせた。
「めちゃくちゃ珍しいケースってわけでもないですけどね」
ロアンが肩をすくめる。
「ミーアっていう女に多少の分別があることを、神に祈るしかないですね。昨日の夜と今日の朝、僕とジェムさんで城の調査をしたじゃないですか。そのとき使用人たちの話を聞いたんですけど、あの女には上等な脳味噌はないっぽいんですよね。自分さえよければ、他人のことは知ったこっちゃないってタイプらしいです」
ロアンの言葉に、やはり壁際に控えているジェムがうなずいた。
「城の警備は万全でしたし、浄化の必要性もありませんでした。別宅はさらに危険性が下がりますし、ロバートという人物が災いに巻き込まれたとは考えにくい。急病や怪我で行き倒れていたら、必ず人目についているはずです」
彼らはどこに行っても、浄化の必要性の有無を調べるらしい。たとえ警備が行き届いていたとしても、呪いはどこに潜んでいるかわからないからだ。
この仕事は誰にでも勤まるものではない。浄化能力を持つロアンが建物内の様子を探り、ジェムがそのサポートをするのだ。
エヴァンら三名は、警護対象であるルーファスとミネルバを一般的な脅威から守っている。その間ロアンとジェムは周囲を監視し、呪いを近づけないようにする。彼ら五名はルーファスのもう一対の目であり、耳にもなっているのだ。
「ロバートは自らの意思で動いているということですね……」
ミネルバはうつむいて、左手の薬指できらめいているトパーズを見つめた。
「もし千里眼を使おうか迷っているなら、まだその必要はないぞ」
ルーファスがこちらの思考を読んだかのように言葉をかけてくる。
「人は異世界人の力を『そういうもの』だと受け入れるが、同じ世界の人間の特殊能力には警戒の目を向けてくる。それでなくともミネルバの能力は利用価値が高いから、乱用するのは危険極まりないんだ」
「そうですよ、千里眼がもったいないです。汚い言葉ですみませんが、ロバートってのはクソ野郎です。使用人たちの話じゃ、結構な遊び人らしいですよ。自分の領地の屋敷で、美人の侍女や下女にちょっかいかけてるって。いまごろミーアのベッドを温めてても、驚くにはあたりませんね」
ロアンが口元を歪めた。
「呪いがないか調べるついでに、使用人たちの様子も探るじゃないですか。そっちは医者であるジェムさんが表に立つんです。無料で健康相談ができるとなると、役職が下の使用人ほど口が軽くなるんですよ」
「使用人同士の情報網ってのは侮れないからな。しかしどうかしてるぜ、あんな美人を婚約者にしておきながら。世間には見る目のない男が多すぎる!」
マーカスが息を弾ませて言った。
ルーファスがため息をついて椅子の背にもたれ、長い脚を組む。
「ロバートのことは使用人も総出で探しているだろう。もし不快な事実が判明したら、ソフィーはつらいだろうが……彼女が不幸にならないように、私も知恵を出すつもりだ」
ミネルバの心の中には希望と不安が混在しているが、ルーファスの言葉に心がほぐれていくのを感じた。
「もし彼が塔にいるのなら、使用人たちがみんな辺境伯に忠実だというわけではないということね」
「手引きした人間がいるだろうからな。何百人も人を雇っていれば、自分の欲望を満たすために嘘をつく輩は必ず紛れ込む。ミーアが悪賢くて腹黒い娘だとすると、使用人に金を握らせるだろう」
「こんなに大きな城なら、きっと秘密の通路もあるでしょうね。警備の人たちの目につかずに、別宅から移動できるような……」
「ああ、もちろんある。何しろここは国境だからな。緊急時に密使を送り出したり、脱出するための通路だ。しかしそれを知るのは辺境伯とその妻と子、そして皇族だけだ。ソフィーはそれをロバートに教えるような愚行を働いてはいないだろう。もし彼が塔で発見されたとしたら……」
冷酷な光がルーファスの瞳に浮かぶのを見て、ミネルバは背筋が寒くなった。
(ミーアが馬鹿げたことを次から次へとしていないことを祈るのみだわ。ロバートも、婚約者の妹に手を出すような男ではないと思いたい)
ミネルバは膝に両手を置いて、誰かが報告をしにやってくるのを待ち続けた。
じっとしていられない性分のマーカス、自然体のロアンがお喋りに興じている。彼らがいなかったら、のろのろと過ぎる時間に耐えられなかったに違いない。
時計の針を眺めていたとき、ドアの向こうから男性の悲鳴のようなものが聞こえた。それから、どさっという音。ミネルバははっと息をのんだ。
ロアンが小走りで扉を開けに行く。
「ソフィーお嬢様、ルーファス殿下へのご報告は私がいたしますので、どうかお部屋にお戻りを……っ!」
叫んでいるのは辺境伯の執事だ。ミネルバは弾かれたように立ち上がり、混乱状態のまま走って廊下に出た。
「ソフィー!」
ミネルバは悲鳴を上げた。ソフィーが廊下の床にくずおれていた。両手をついて、大きく体を震わせている。
ミネルバはひざをついて、ソフィーの顔を覗き込んだ。
「ミネルバ様……」
ソフィーがあえぐように言った。彼女の顔は恐ろしいくらいに青ざめている。
「お父様が、散策は中止になったって……ロバート様が塔にいたって……」
ソフィーは呆然とした、自分の身に何が起こったのかわからないという顔つきだ。
やはり最悪の事態が起こってしまったのだ。ミネルバは頭がくらくらした。次いで怒りが湧いてくる。
ソフィーのうつろな表情に、かつての自分の姿が重なった。惨憺たる結果に終わった過去が思い出されて、ミネルバの全身から冷たい汗が噴き出した。