2.ソフィーとミーア
祭りを楽しんだあとに向かったキルガレン辺境伯領は歴史のある土地で、壮大な山並みと大きな湖が美しかった。建築物のほとんどが白い壁と赤いレンガの屋根で、青い空に見事に映えている。
ミネルバは馬車の窓から風景に見とれ、吐息を漏らした。
「絵のように美しい町ね。初めて見る景色なのに、不思議と懐かしい雰囲気があるわ」
「帝都デュアートから見れば遠く離れているが、古くから交易が盛んに行われていた場所だからな。一般の人々も豊かで、大きくて美しい家を建てた。キルガレン辺境伯は古い建築物の保護に力を入れているし、町の人々もこの街並みに愛着を抱いている」
ルーファスの言葉を聞きながら古い建物を眺める。辺境伯とその家族との対面を前に緊張していた心が、次第に落ち着いてきた。
日が落ちるころに到着したのは、やはり赤レンガ造りの堂々たるお城だった。四方には尖塔が、まるで威嚇するように高くそびえている。
車寄せから玄関まで赤い絨毯が敷かれ、大勢の使用人たちがランタンを持って両側に並んでいた。こざっぱりとした揃いの制服を着ている従僕や侍女たちの先に、キルガレン辺境伯と家族たちが待ち受けている。
「ルーファス殿下、ようこそお越しくださいました。そしてミネルバ様、あなた様をお迎えできたことは大変な名誉でございます。ギルガレン家一同にとって、今日は嬉しい晴れの日となりました」
ルーファスの手を借りて馬車から降りると、ギルガレン辺境伯は両手を広げてそう言った。
「私の家族を紹介させてください。妻のコーデリアと嫡男のロムニーです」
「お会いできてとても嬉しく存じます。ルーファス殿下とミネルバ様を我が家にお迎えできるなんて、これほど素敵なことはありませんわ」
品があり洗練された美女が一礼する。彼女は腕の中に、まだ1歳くらいの小さな男の子を抱いていた。
大柄な辺境伯はミネルバの両親と同年代に見えるが、小柄な辺境伯夫人はどう見ても二十代後半。事前に資料を読んで、彼女が後妻であることを知っていたので驚きはない。
ミネルバは軽くひざを曲げてお辞儀をし、招待されたお礼を述べた。
「それから長女のソフィーと、次女のミーアです」
辺境伯の言葉と同時に、二人の娘が前に進み出る。彼女たちはルーファスやミネルバ、それから後ろにいるマーカスや部下たちに深々とお辞儀をした。
ソフィーとミーアが体を起こす。
ランタンに照らされたソフィーを見て、ミネルバは「清らかな人」という第一印象を抱いた。
白くて透明感のある、陶器のように滑らかな肌。やはり白に近いプラチナブロンドの髪が、真っ直ぐに腰まで伸びている。灰色の瞳が優しげに輝き、いかにも由緒正しい貴族の家に生まれ育った淑女という雰囲気だ。
身にまとうドレスは華美ではないが洗練されていて、腕のいい仕立屋が作ったものだとひと目でわかる。
妹のミーアのほうは「可愛い」という形容詞がぴったりの娘だった。
くりくりした琥珀色の瞳が生き生きと輝き、目の覚めるような赤毛が人目を引く。ドレスは少々大胆なデザインで、華奢な姉よりも丸みのある胸を強調している。
ギルガレン辺境伯は愛おしそうに娘たちを見て、ひとつ咳ばらいをした。
「旅の疲れが出ておいででしょう。まずはお部屋にご案内いたします。明日は近隣の貴族も招いて、盛大な歓迎会を開きますのでね。皆様にはゆっくり休んで頂きませんと」
ミネルバたちは辺境伯に導かれて、玄関までの階段を上っていった。使用人たちの手で、両開きの扉が勢いよく開かれる。
「ミネルバ様は、ソフィーとミーアがご案内いたします。お前たち、しっかりおもてなしするのだぞ」
「はいお父様。ミネルバ様、お疲れになったでしょう。お部屋の準備ができていますわ」
父親に促されて、ソフィーが美しい声で言った。気持ちをなごませる穏やかな声だ。
ミネルバは堂々とした態度を崩さないように気を付けながら「ありがとう」と微笑んだ。
ふとマーカスを見ると、わずかに鼻の穴を膨らませてミーアに視線を向けている。それに気づいたのか、ミーアの目がきらりと光った。あれは値踏みをする目だ。
数秒ののち、ミーアはつんとあごをそらした。そして、マーカスを素通りしてミネルバを真っすぐ見つめてくる。ミネルバは内心でため息をついた。マーカスの心が砕け散る音が聞こえてくるようだ。
従僕や侍女たちが慌ただしく動き、ルーファスやマーカス、部下たちや使用人たちをそれぞれの部屋へ案内していく。
ルーファスが目線で「またあとで」と伝えてきたので、ミネルバはうなずいて見せた。
「ミネルバ様、どうぞこちらへいらっしゃって。私、ミネルバ様にお会いする日をワクワクしながら待ち望んでいたの。ミネルバ様ご自身について、いろいろと知りたくって」
愛想よくまとわりついてくるミーアに、ミネルバは礼儀正しく振る舞った。
バートネット公爵家から連れてきた侍女たちと一緒に、ランプの光でまばゆく照らされる廊下を進んでいく。少し後ろから、護衛のエヴァンが静かについてきた。
「夕食はルーファス殿下とご一緒に召し上がれるように準備しております。当家の侍女が入浴の準備もいたしますので、お好きなタイミングでお申し付けくださいね。ほかにも何か御用がありましたら、どんなささいなことでも遠慮なく呼び出しのベルを鳴らしてくださいませ」
ソフィーの親切な言葉に礼を言い、ミネルバは廊下に置かれた調度品や絵画を観察した。どれも贅を極めているが、歴史よりも新しさが感じられる。おそらく、後妻となったコーデリアが思い切った模様替えをしたのだろう。
淑やかに歩くミネルバに、ミーアがちらちらと好奇心に満ちた瞳を向けてくる。
「ミネルバ様がルーファス殿下と出会って、恋に落ちたことは、グレイリングじゅうの噂の的なの。最初の婚約者を、娼婦みたいな異世界人に奪われたんでしょう? でも結果的にすべて上手くいったのよね、ちっぽけな小国でひどい状況にあったのに皇弟妃の地位を掴んで、めでたしめでたしだもの。私だったらほくそ笑んじゃう、婚約破棄されてラッキーって。本当におとぎ話みたい!」
「ミーア!」
ソフィーが目を丸くして、ミーアに厳しい視線を向けた。
「なんてことを言うの。それに、その言葉遣いはなんですか。私たちとミネルバ様は対等ではないのよ。衝動のままに口を開くなと、何度言えばわかるの」
立ち止まったソフィーに叱責されて、ミーアも目を丸くした。全員が足を止めた中で、ソフィーが深々と頭を下げる。
「ミネルバ様、大変申し訳ございません。ご気分を害されて当然です」
ミーアは目を細めてソフィーを見つめている。それは、姉に向けるには意地悪すぎる表情に思えた。
「……ごめんなさいミネルバ様。悪く言うつもりだったわけじゃなくて、とってもお幸せねって言いたかったの」
お辞儀をして謝罪したミーアは、しょげている顔つきに変わっていた。
「いいのよ、気にしていないわ」
遠慮のない好奇の目や過去の話題を出されても、気後れするつもりはなかった。もっとひどい嘲笑をされたとしても、動じない方法は心得ている。
(でも、このミーアという娘は思慮が浅く、軽率で向こう見ずなところがあるようね。必要以上に仲良くなるのはやめておこう)
姉のソフィーのほうは、ミネルバの過去を話のタネにして面白がる人物ではなさそうだ。
申し訳なさそうにしている彼女と当たり障りのない会話を続けながら、ミネルバは自分のために用意された部屋に向かった。