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6.セリカの言葉

『少しだけ……少しだけ時間をちょうだい。疲れている上に空腹で、怪我だってしてるのよ? こんな状態じゃ体が動かないし、まともに考えられない……』


 セリカの目から涙があふれ、すっかり化粧のはげた頬を伝った。たしかに彼女の手足には、血がこびりついた傷痕がいくつもあった。

 ロアンが国王夫妻を浄化したとき、誰かが激しく苦悶する声を聞いた気がしたが、やはりセリカに呪いが返っていたのだろう。


『まったく弱い女だ。それでなくても足りないものだらけなのに、何をするにも文句ばかりつける』


 従叔父は冷ややかな顔でセリカを見つめた。はたから見ているミネルバでさえ、背筋が寒くなるような顔だった。血も涙もない冷血漢という言葉が思い浮かぶ。

 あからさまな非難の言葉を投げつけられて、セリカがおびえているのがわかる。しかし彼女の瞳には違う感情も浮かんでいた。ミネルバの目には、それは怒りのように見えた。


『私の力が足りないのがいけないんでしょ、こんなことになったのも、すべて私のせいなんでしょ。あなたは最初から、私の出来の悪さが気に入らなかったものね』


 セリカがすすり泣き、小さな体を震わせた。

 ミネルバは自分が目撃している光景に衝撃を受けていた。

 この空間を支配しているのは、明らかに従叔父のほうだった。あのお茶会の日のように自信に満ちあふれ、輝かんばかりの笑みを浮かべていたセリカはどこにもいない。


『たしかに異世界の神は、あまり多くの望みを叶えてはくれなかった。しかし手に入る限りの禁書を仔細に読み込んでも、召喚に応じたのがお前だけだったのだから仕方がない。少なくともお前は、こちらの世界の生命体とは違う。重要なのは、こちらの世界の人間に異世界人の魔力と闘う術がないということだ』


 従叔父の視線が祭壇に移る。ミネルバは懸命に意識を集中した。リリィが座り込んでいる祭壇には、半分近く溶けた蝋燭が何十本も並んでいる。もうすぐ日暮れだが、明かりに困ることはなさそうだ。


『国王夫妻にかけた術が破れたのは、捧げ物が足りなかったせいに違いない。やはり小動物の命程度では駄目なのだ。セリカ、お前だって魔力を補完したいだろう? リリィの血に加えて、さっきお前が流した血も役立てよう。この世界の人間が震えあがるほどの力を手に入れよう。自分のしたいことだけやって生きていきたいのだろう? 誰からも文句を言われない特権が欲しいのだろう?』


『それは……もちろん欲しいけれど。でもいまはそんなことより、フィルに何が起きたのかを調べたい。フィルはきっと、グレイリングの人たちに捕えられてしまったんだわ。私が彼にあげたのは、勇気を与える護符のはずよね? あなたの言う通りに作れば、フィルの身を守ってくれるって言ったわよね? さっきからあなた、ちっともフィルのことを心配している感じじゃないわ。自分の主人の様子がわからなくなったのに、黙って見過ごすつもりなの?』


『私がフィルバート様のことを気にしていないと? まさか、そんなはずがないではないか!』


 従叔父が媚びへつらうような声を出し、薄い笑みを浮かべた。しかしその顔は主人の身を案じる臣下としてはあまりに非情で、平然としすぎている。


『仕方がない、少しだけ時間を与えよう。その間に空腹を満たし、体を休めるがいい。リリィにかけた魅了魔術はそのままにしておけ。この城塞の設計ならば、襲撃者の侵入に対してそれなりの時間が稼げる。何よりここは、私とお前しか知らない秘密の部屋だからな。誰にも見つけられるはずがない』


 従叔父は自信たっぷりに言った。


『いいかセリカ。次に作るのは、過去に前例がないほど大きな召喚陣だ。フィルバート様が捕えられたとしたら、屈辱以外の何物でもないが──上手くいけば、お前の手であのお方を救うことができる。アシュランの人間もグレイリングの人間も、見る影もない姿で地べたに横たわるだろうよ』


 セリカに背を向けて、従叔父が鉄の扉に歩いていく。彼が出ていくと、室内に沈黙が垂れこめた。

 セリカを気にかけながら、ミネルバは素早く室内を偵察した。そこにあるものはまったく普通ではなかった。言葉で言い表せないほど恐ろしいが、すべて頭に叩き込む。


『リリィ……』


 セリカがふらふらと祭壇へと歩いていく。彼女は膝をつき、リリィの体をぎゅっと抱きしめた。


『ごめんね、私が異世界に甘い夢を見たのが悪かったの。元いた世界の現実がつらすぎて……本を読んではあれこれと夢想にふけったわ。こっちにきて、思うがままの自由を楽しめると思ったの……』


 セリカの目に、また涙がこみあげた。しかし彼女はぎゅっと目を閉じて、こぼれないように我慢している。


『あの人の言う通りにしないと殺される……。きっとそうよ、何度もほのめかされたもの。それにフィルが好きなのは、魔力がある私なの。だから私、彼の中にある理想の異世界人でいなきゃならないの……』


 セリカがため息をついた。その息には恐怖や苦痛、後悔や怯えといった複雑な思いが入り混じっているように思える。まるで心の痛みに苦しんでいるみたいだ。いや、彼女は本当に苦しんでいるのだろう。

 セリカに向かって手を伸ばしたくなったとき、目の前の映像がすっと消えた。

 ミネルバの全身から一気に力が抜ける。次の瞬間、ミネルバはルーファスの両腕に抱きしめられていた。





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