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5.城塞の中

 ミネルバの心から雑念が消えた瞬間、トパーズの独特の赤色が深みを増して光を放った。懐中時計に置いた左手全体が熱を持ち、そこから広がった橙色の光が円を描く。

 触媒を使って千里眼を発動するのは二度目で、本来ならまだ不安があるはずだが、ルーファスが側にいてくれるから怖くなかった。

 清らかで美しい光の球体に向かって、ミネルバはもう一度「導いて」と祈った。次の瞬間、自分の意識が体から飛び立っていくのを感じた。


「は、速い、なんて速いの……っ!」


 数秒もしないうちに、ミネルバの意識はどこへ続いているのかもわからない道を疾走していた。

 見えるはずのないの風景がどっと押し寄せてくる。視界にぱっと映っては消えていく風景を、ミネルバは必死の思いで言葉にした。体のほうにも意識は残っていて、ルーファスが素早くメモを取っている様子が伝わってくる。


「丘の上に大きな建物が見えてきたわ。背後に山があって、地形を生かして要塞みたいになっている。高くそびえる城壁はところどころ傷みが目につくし、全体的に寂寥感を漂わせているけれど、近づくほどに人の悪意を……怨念みたいなものを強く感じる。四隅と中央、五本の塔がある。中央の塔に旗がはためいていて……深緑色の布地に描かれているのは二頭の獅子と二本の剣……私の記憶が間違っていなければ、レノックス男爵家の紋章よ」


 城壁の最上部に見張りの歩哨がいるが、ミネルバから見られていることに気づく気配は微塵もない。

 ミネルバの意識は速度を落として跳ね橋を通り抜け、回廊を渡り、薄暗い階段を上った。自分が見た順路をつぶさに語ると、ルーファスがすかさずメモを取る。

 やがて、どっしりとした鉄の扉を見つけた。ミネルバの心臓がびくんと高鳴った。ここだ、と思った。

 非常にわかりにくい位置にある、明らかに隠されている部屋だ。下位貴族のものとは思えないほど大きな城塞だから、普通の人間ならどこから探せばいいのか戸惑ったに違いない。


「レノックス男爵……いえ、フィルバートの従叔父がいる部屋に入ります」


「決して無理をしないでくれ。慎重に、用心深くいこう」


 ルーファスが静かに言った。

 ミネルバはうなずいた。集中し続けているせいで、体がうっすらと汗ばんでいる。意識が分厚い鉄の扉をすり抜けた。次の瞬間、邪悪な波動のようなものに包み込まれ、ミネルバはびくりと体を震わせた。

 室内は悪意に満ち、険悪で、瘴気のようなものに満ちている。部屋のほぼ中央に立っている男の顔を、ミネルバは凝視した。

 茶色い髪と茶色い瞳という、ありふれた色彩の持ち主だ。眉目秀麗ではあるが、利己的な雰囲気が漂っている。表情が読み取りにくいせいか、極めて薄情そうな人物に見えた。

 ミネルバは過去に一度、この顔を王宮内で見かけたことがある。

 そのときと同じく一般的な貴族の衣装を身に着けているし、気高さや上品さが感じられるものの、彼が平民であることは疑いようがなかった。

 従叔父の持ち物からレノックス男爵の城塞に辿り着いたのだから、二人が入れ替わっているという推測は正しかったのだ。


『くよくよ考えている暇などないぞ、セリカ』


 優しさのかけらもない声がした。最初に千里眼を使ったときは声や音はまったく聞こえなかったのに、耳のそばで囁かれたかのようにはっきり聞こえた。


「ルーファス、声が聞こえたわ! 室内に従叔父とセリカと……あともう一人誰かいる。しばらく集中して会話を聞いてみる。できる限り記憶しておくから」


 指先が震えるのを感じながらそう言うと、ルーファスが「わかった」と答えて、ミネルバを抱き寄せる左腕に力を込めた。早鐘を打っている心臓が少し落ち着く。


『新しい召喚陣を完成させる以外に、私たちに生き残る道はないんだ。国王夫妻にしかけた術も、フィルバートの胸に埋め込んだ護符も、もはや何の反応も示さない。この城塞も完全に包囲されてしまったようだ。これでは、なぜ計画が失敗に終わったのか調べに行くこともできやしない。かといってこのまま、なすすべもなく捕縛されるのはお前だっていやだろう?』


 従叔父の冷酷な視線が、少し離れた場所にいる人物の顔に据えられた。セリカだ。


『で、でも……私にはもう力なんて残ってないし……』


 セリカが絶望するような声を出した。彼女が従叔父に向ける視線には、いつもの無邪気さは微塵もない。

 ミネルバはセリカの瞳に、怯えと苦痛、疲労と諦めといった種類の色を見た。


『だから、新しい生贄を捧げて力を増強しようと言っているんじゃないか。あの女神のように美しいミネルバ・バートネットが手に入ったらよかったが……身分が高い上に、賢くて勇敢な娘を捧げれば、異世界の神もさぞ喜ばれただろうに。残念だが、手近にいる人間で間に合わせるしかない』


『だからってリリィを生贄にするなんて……。こっちの世界に来て、初めてできたお友達なのに……』


 セリカが再び絶望的な声を漏らす。

 ミネルバは悲鳴を漏らしそうになった。自分が生贄にされるかもしれないという推測が当たっていたのだ。不気味な恐怖が体にまとわりついてくる。


『心配するな、殺しはしない。少しばかり血を貰うだけだ。私が積み重ねた研究を信じろ、必ず完璧な聖女にしてやる』


 従叔父の視線が、部屋の奥に設けられた祭壇のような場所に移る。そこに、うつろな目をした娘が座り込んでいた。

 それはメイドのリリィ──ミネルバが二度目の婚約をするはずだった、モートメイン侯爵家の嫡男ジェフリーの秘密の愛人だった娘だ。

 セリカの手引きでレノックス男爵の養女となったリリィを見て、ミネルバはぶるっと体を震わせた。





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