4.ルーファスからの援護
「ミネルバ様とご兄弟様に向かってあのような言い方を……見当違いの中傷をしてしまった私が愚かでした。心よりお詫び申し上げます……」
執事は低い声でうめいた。
「あなたを非難することはできないわ。私たちに関してはさまざまな噂が飛び交っていたでしょうし。くだらない中傷が根拠のあるものかどうか、キーナン様とオリヴィア様に寄り添っていたあなたに、たしかめる時間があったはずがないもの」
ミネルバの穏やかな声に、執事はよけいに涙を誘われたらしい。
雇われの身では、フィルバートがどれほど見当違いなことを言っても信じるしかない。彼の言いつけにそむいたら、国王夫妻に害が及んでしまうと思っていたならなおさらだ。
ずっと歯切れのいい声で話していたミネルバだが、次の言葉では声量を抑えることにした。
「中に入ったら、何でも話してくれていいのよ。私たちはあなたの力になるし、できる限りのことをする。あなたはきっと悩み事から解放されるわ」
「はい……はい、ありがとうございます。我が主人の行く手にはわびしい未来しかないのかと、すっかり絶望しておりました……。フィルバート様に不忠だとみなされたら、私は排除されてしまう。本意ではありませんでしたが、従うほかなかったのです……」
「誰もあなたを責めないわ。忠実な家臣だっただけですもの」
執事が涙で喋れなくなる。
ルーファスがそっと、しかし強い力でミネルバの手を取った。
「我が婚約者は最高の女性だ。心やさしく、とても思いやりがある。これほど美しく、機知に富む女性と結ばれる私は、なんという果報者だろう」
ルーファスは上体をかがめて、ミネルバの手の甲に唇を寄せた。そして真っ直ぐに笑顔を向けてきた。
周囲の群衆からどよめきが漏れる。それは主に女性陣の声で、ほとんど悲鳴に近かった。
普段は目つきが鋭くて、凄みを感じさせる人の見違えるような表情の変化が、彼女たちの胸をときめかせてしまったらしい。
そもそもルーファスは威圧的とはいえ端整な面差しで、一度見たら忘れられない容貌の持ち主なのだ。彼がミネルバしか見えないといった様子で微笑み続けるものだから、恥ずかしくて鼓動が速くなる。
ミネルバは表面上は落ち着き払って、ルーファスを見上げて微笑みを返した。でも内心ではあたふたしていた。彼の笑顔に耐性があるミネルバですらこうなのだから、女性陣の顔が紅潮し、興奮しきっているのも無理はない。
(その笑顔は強烈すぎますルーファス様! う、羨ましがられるのを通り越して嫉妬されていますから、一旦しまいましょう……っ うう、すごく肌がちくちくする……)
ミネルバは視線に願いを込めた。
ルーファスが目標のひとつとして掲げていた『ミネルバが愛されていることを印象付ける』は、笑顔ひとつで十分すぎるほど達成されている。
「それでは行こうか、愛しい人」
ミネルバの手を引いて、ルーファスが歩き出す。とたんに人々が脇によけ、前に道が開けた。割れた人垣の先に見える階段を、東翼の執事と使用人たちが素早い足取りで上がっていく。
ルーファスの手に自分の手をあずけ、ミネルバは優雅で気品に満ちた身のこなしで階段を上がっていった。
豪華絢爛な装飾が施された両開きの扉が、執事たちの手によって開かれる。
階段を上りきると、ルーファスが立ち止まった。彼から「振り返ろう」と小さく耳打ちされたので、ミネルバは群衆のほうに向き直った。
「皆すみやかに持ち場に戻るように。私たちの結婚式には、アシュランの貴族をひとりでも多く招待したいと思っている。主人のいる者は、そう伝えておいてくれ」
群衆がまたざわめいた。
グレイリング帝国の皇弟の結婚式ともなれば、各国からの賓客が参列する。アシュランの社交界に連なる面々にとって、そこに招かれないのは不名誉なことになるだろう。
ルーファスはこうして宣言をすることで、部下や兄たちの調査が円滑に進むようにしたのだ。
貴族たちはグレイリングや各国の権力者と繋がりを持ち、恩恵や利益を得たいと願うはずだ。そして王宮内で働く人々のほとんどが、そんな貴族たちの縁故や推薦で入っている。
ルーファスの部下や兄たちの不興を、好んで買いたいとは思う者はいないだろう。進んで調査に協力する者も出てくるに違いない。
ミネルバは階段下にいる兄たちを見て、小さくうなずいた。もう誰も彼らに無礼な態度を取ったりしないと思うと嬉しい。
状況が一変したとはいえ、兄たちは必要以上に居丈高な態度を取る人間ではない。もちろん必要なときには遠慮なくそうするだろうが。
もう一度体を反転させて、巨大な玄関を見上げる。群衆が四方に散っていくのを背中で感じながら、ミネルバはルーファスと一緒に、本宮殿の次に古い歴史を持つ東翼の中に入った。




