6.旅立ち
それから一か月、ミネルバはこれまでの人生で経験したことがないほど楽しい時間を過ごした。
ルーファスとミネルバ、マーカスとソフィー、ジャスティンとカサンドラ──三組のカップルの幸せに暗雲が立ち込めるようなことはまったくない。
ちなみにルーファスは誕生日を迎えて二十三歳になった。ジャスティンはグレイリングでの社交に精を出した後、カサンドラを連れて帰国し、王太子としての世界に戻っていった。
ロバートは重い罪を犯した者が収容される施設に身柄を移送された。助けてほしいと涙ながらに訴え続けているそうだが、耳を貸すものは誰もいない。
ディアラム侯爵家は取り潰しとなり、その領地は皇帝の直轄領になった。そしてアイアスとおじいさんたちが意気揚々と、古代の祭壇と特殊な鉛の研究に乗り込んでいった。寂れた温泉地にも資金が投入されることになったから、遠からずかつての賑わいを取り戻すことだろう。
ニューマン一家は、なんと全員が逮捕された。カサンドラの叔父と従弟たちの相次ぐ死に関与していたことが判明したのだ。
彼女の母と兄、そして祖父母が立て続けに病死したことで、ニューマンは遠縁である自分にも公爵になるチャンスがあることに気づいたのだそうだ。彼が邪魔者を排除する計画を立て、リリベスとサリーアンが実行役となった。
家族がばらばらに高い塀の中に入れられ、恐らく一生出てくることはないだろう。
「ミネルバ、カサンドラから手紙が来たわよ」
ソフィーが執務室に入ってくる。ミネルバはペンを置いて顔を上げた。
ジャスティンの婚約者としてアシュランに乗り込んだカサンドラとは、ハルムで頻繁に手紙のやり取りをしている。王家の紋章入りの便箋に綴られた美しい文字を、ミネルバはソフィーと一緒に追いかけた。
「相変わらず、ロマンチックな婚約期間を過ごしているみたいね。舞踏会に音楽会、晩餐や観劇……カサンドラが社交界に受け入れられた存在になって、ジャスティン兄様も安心しているに違いないわ」
ミネルバが微笑みながら言うと、ソフィーも満面の笑みを浮かべてうなずいた。
「王宮内はすっかり掌握してるし、あの子に歯向かう勇気のある令嬢はいないだろうし。怖いものなしよね」
未来の王妃としてのカサンドラの役目は、ジャスティンを愛するのと同じ強さで国を愛すること。いいときも悪いときも守り抜くこと。
ジャスティンは属国の王太子で、しかも傍系出身。カサンドラは宗主国の公爵令嬢で、何年か早く生まれていたら皇妃になれたかもしれない娘だ。二人の婚約は人々の好奇心を掻き立てるだろうし、様々な噂や憶測も生むだろう。
「どんなことがあっても、カサンドラなら大丈夫。新しく生まれ変わるアシュランを強くできるわ。彼女は美しく、誇り高く、頭がよくてプライドが高い。権力と影響力を持つ地位につくために生まれてきたような人だもの」
「やっぱり似てるわ、あなたたち」
ソフィーはそう言って、腰に手を当てて背筋を伸ばした。
「あの子がアシュランに行っちゃって、私は外遊の準備に大わらわなんだから。帰ってきたらたっぷり働かせてやるわ!」
ミネルバはふふっと笑った。怒ったふりをしていても、ソフィーの眼差しは愛情に満ち溢れている。
「私たち、いずれ義理の姉妹になるのよね。なんだが不思議な気持ち」
しみじみとした気持ちでつぶやく。ソフィーとカサンドラは、ミネルバにとってかけがえのない存在。そんな大切な友人と、一生の深い絆で結ばれるのだ。
「アシュランで二度も男性に裏切られたときは、想像もできなかったわ。私の毎日が、これほど豊かで満たされたものになるなんて。私、ずっと親友が欲しかったの。それぞれの意見を遠慮なく言い合えて、喧嘩をしてもすぐに仲直りできて。お互いが生きる原動力になるような……ソフィーとカサンドラのおかげで、長年の夢が叶ったわ。本当にありがとう」
「どういたしまして。私も同じよ、あなたたちに出会えて本当によかった」
ソフィーが両腕で、ミネルバを固く抱きしめてくれる。
「そういえば、メイザー公爵がミネルバのために壮行会を開いてくれるんですって?」
「ええ。なんだかはりきっていらっしゃるみたいで」
なんといっても命の恩人なのだから、というのがここ最近のメイザー公爵の口癖だ。彼は自由の身になった後、他人を蹴落とすために情報を買ったことについて、貴族たちに謝罪して回った。
どんなに反省しているかを誠心誠意伝えると同時に、ミネルバの素晴らしさについて熱弁したらしい。その光景を思い浮かべると、ちょっと恥ずかしい。
特殊能力の部分を省いても、ロバートやニューマン一家の行いが十分すぎるほど極悪非道だったから、公爵に対する貴族たちの態度は軟化している。それはミネルバにとっても嬉しいことだった。
さらに一か月が飛ぶように過ぎ、いよいよ明日から外遊が始まる。ジャスティンとカサンドラは輝くような笑顔で戻ってきたし、コリンも見送りのためにやってきた。
壮行会が開かれる中央殿の大広間は、驚くほどの活気に満ちている。メイザー公爵が細かなことにまで采配を振るってくれたおかげだ。
内輪の集まりかと思ったら、そうそうたる顔ぶれが出席してくれていた。
皇妃セラフィーナの実家であるブレスレイ公爵家の人たちに、双子のリオナとメイリンのキャメロン公爵家、ベルベットのモーラン公爵家。デメトラと夫のロスリー辺境伯、ギルガレン辺境伯夫妻、そして社交界を引退したテイラー前侯爵──ミネルバも初めて会う、テイラー夫人の旦那様だ。
皇帝トリスタンと皇妃セラフィーナ、先代のグレンヴィルとエヴァンジェリンももちろん参加しているから、とても豪華で賑やかな壮行会になった。
「ルーファス殿下とミネルバ様に乾杯!」
メイザー公爵の乾杯の音頭に合わせて、全員がグラスを宙に掲げる。
「二人のお兄様と、女官兼親友と一緒に外遊に行けるなんて羨ましいわ。きっと、わくわくするようなことがいっぱいあるわよ。たくさんの思い出を作ってきてね」
セラフィーナがにっこりしながら言った。トリスタンがルーファスに向かってにやりと笑う。
「テイラー夫人の厳しい目があるから、お前の影をまとう能力が大活躍しそうだな。私たちの婚約時代にそれがあったら、体力を削ってでも多用したに違いない」
「間違いなくそうしたでしょうね」
「な。影に隠れてキスをしまくるんだ」
ミネルバとルーファスは同時に赤くなった。こっそり影に隠れてキスをするということを、実は何度かやっていた。テイラー夫人が離れた場所で歓談してくれていて本当に助かった。
「ね、ねえカサンドラ、アシュランはどうだった?」
ミネルバは慌てて話題を変えた。カサンドラが心得たとばかりにうなずく。
「私はキーナン王とオリヴィア王妃が好きになったし、お二人も私を気に入ってくださったようだわ。令嬢たちとも『上手く』やっていけると思うの」
「カサンドラさんはどんなときでも落ち着き払った態度だからね。さすがミネルバの親友だ。あらゆる意味で強いから、対抗してくる令嬢なんていないよ」
コリンが胸に手を当てて言う。感動が抑えきれないといった様子だ。
「本当に、デメトラ様には感謝しかない──」
「あら、私のことをお呼びになった?」
デメトラが扇を揺らしながら近づいてくる。テイラー夫人も一緒だ。
「デメトラ様への感謝の念が、堰を切ったように溢れ出したところだったんです。兄とカサンドラさんを結び付けてくださって、本当にありがとうございます」
「私はきっかけを作っただけよ。実際に舞踏会の後は出る幕がなかったし。ところでねコリン様、私はあなたにも特別なプレゼントを考えているのだけれど」
デメトラが迫力たっぷりに笑う。
「コリン様にも本当の幸せを見つけてほしいのよ。でも、ジャスティン様の代わりに留守を守らないといけないでしょう? だから私がアシュランに行こうかと思って。息子夫婦がね、そろそろ家のことは任せて好きなことをして生きろというものだから」
「え? は? デメトラ様がアシュランに?」
しどろもどろのコリンを見て、カサンドラが「いい考えかもしれませんわ」と口元に手を当てた。
「今年社交界にデビューした中に、骨のありそうな娘が何人かいましたわ」
「そうだな、デビューしたてならミネルバに酷い態度をとったわけでもないし。善良で心優しい令嬢がたくさんいるだろう。コリンお前、自分でも驚くほど幸せになれるかもしれないぞ、この私のように」
ジャスティンが目を輝かせてコリンを見る。新たな縁結びをしようとしているデメトラを見て、テイラー夫人は呆れ顔だ。でもきっとコリンも、ミネルバたちと同じくらい幸せになるに違いない。
マーカスがコリンの肩をバンバン叩いて激励している。ミネルバたちは明るい笑い声を上げた。
ふと違う方向を見ると、公爵家の当主とその家族たちが近づいてくる。
「ルーファス殿下、ミネルバ様。大変な困難を乗り越え、メイザー公爵を救ってくださったお二人に、私たち一同感謝の言葉もありません」
ブレスレイ公爵が深々と頭を下げる。
「私たち公爵家の人間は、ミネルバ様を心からお慕い申し上げます。今後は全力でお支えすると約束します。私たちは永遠にミネルバ様の忠臣でございます」
モーラン公爵が言い、残りの人々も頭を下げた。
「ありがとう。貴族のトップである君たちが、ミネルバを真に受け入れてくれた。心から嬉しく思う」
ルーファスがまぶしいほどの笑顔になって、ミネルバの手を取った。
メイザー公爵を救うことで、互いの愛とその強さを証明できた。こうして受け入れられるまでの道のりは生易しいものではなかったけれど──いまとなっては、すべてがいい思い出だ。
「人前でこんなにリラックスしたカサンドラを見るのは初めて。いつも自信たっぷりの令嬢を演じていたのに。障害を吹き飛ばしてくれたミネルバのおかげだわ」
ベルベットがハンカチを目に押し当てながら言った。
「喜びも悲しみも分かち合える人を見つけて、自分らしくなれたのね。ああ、どれだけ嬉しいか上手く説明できない。ミネルバは私たちの救いの女神よ」
リオナが目に涙を浮かべて微笑む。
「ミネルバもカサンドラもソフィーも、幸せになってね。私たちもきっと素晴らしい相手を見つけるわ!」
メイリンの目にも、みるみる涙が溢れた。
ミネルバは思う存分、大切な人たちとの交流を楽しんだ。美味しい料理をたっぷり食べて、軽いお酒を飲んでおしゃべりをして──翌朝、ミネルバたちは馬車に乗って外遊に出発した。
これから長い旅が始まる。道すがら打ち合わせをする必要があるとルーファスが主張したので、港までは彼と二人きりだ。
隣に座ったルーファスがミネルバの肩に手をかけ、自分のほうへと引き寄せる。
「ルーファスったら。打ち合わせをするんじゃなかったの?」
「するさ。お互いをどれほど愛しているか、きちんと伝え合っておかなくちゃならないからね」
ルーファスはミネルバの顔をしっかりと両手で抱えた。
「君は僕のすべてだ。愛してる、ミネルバ」
ミネルバはルーファスと額を合わせた。
「愛しているわルーファス、あなたは私のすべてよ」
いまや彼は自分の体の一部だ。それがなければ生きていけない、大切なもの。ミネルバは胸の中の熱い思いを伝えたくて、ルーファスを強く抱きしめた。
彼と一緒に、これまで精一杯やってきた。残りの人生もそうするだろう。二人の前には長い人生が伸びている。お互いが人生の灯となって、未来を明々と照らすだろう。
「私が君と見つけ出した愛は、永遠に変わることがない。これから先も、二人でいろんなことをしよう。私たちは二人でひとつだ。どんなことがあっても、決して君を離さない」
それこそ自分の望みだと答えたかったが、言えずじまいだった。ルーファスが頭を下げて深いキスをしてきたからだ。唇だけでなく、魂まで結ぶようなキス。誰にも壊せない強い絆を感じた。
ミネルバの胸で揺れるベレーナが、二人の未来を祝福するかのように虹色の輝きを放っていた。
連載開始から一年半、こうして完結を迎えることができたのは応援してくださった読者様のおかげです。本当にありがとうございました。
Webでの連載は終了となりますが、素敵なコミカライズも準備していただいております。それにミネルバやルーファスは私の頭の中で生き続けていますから、そういった意味では物語が完全な『了』となることはないでしょう。またどこかで彼らをお見かけの際は、手に取ってみていただけると嬉しいです(新しい情報が出ましたら、活動報告やツイッターにアップします)。
この場をお借りしまして、ひとつお知らせを。
「お前を愛することはない」が口癖の皇帝陛下が、傷心令嬢に言いました「惚れた。全力でお前を愛していいか?」
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