5.新しい未来のために
朝になると、カサンドラの瞳は燃え立つほどに輝き、頬は薔薇色に染まっていた。そんな彼女を見て、ジャスティンがとろけたような甘い笑みを浮かべている。どうやら望ましい方向に進み、ちゃんと両想いになったらしい。
幸せそうな二人に、マーカスがにやりと笑みを向けた。
「嬉しいぜ。二人が結ばれる運命にあることは、俺にはちゃんとわかっていたけどな。さくっとロバートをぶん殴って、みんなで祝杯を挙げようじゃないか!」
ロアンが「いやいや」と手の甲でマーカスの肩を叩く。
「見抜いていたのはマーカスさんじゃなくて、デメトラ様ですし」
ジャスティンがぎゅっとカサンドラの手を握りしめた。
「カサンドラ。一緒にロバートをぶん殴ったら、デメトラ様に会いにいこう。あの方は『きっかけ』をくださった大恩人だ。彼女がいなかったら私は一生、君との素晴らしい可能性に気づくことができなかった」
「いや、初めての共同作業がそれってのはどうなんですかね?」
ロアンはジャスティンに向かって言いながら、なぜか再びマーカスの肩を叩いた。
頬をピンク色に染めたカサンドラを、ミネルバは見つめた。
「おめでとう、カサンドラ。どれほど嬉しく思っているか……とても言葉にならないわ」
「ありがとうミネルバ。私、幸せなの。こんなに人を好きになったのは……生まれて初めて」
カサンドラの初々しい言葉を聞いて、ソフィーがにこやかな笑みを浮かべる。
「好きな人の心に自分の場所があるって、凄く素敵で幸せなことだものね。本当によかったわ。でも、女官の後輩がいなくなっちゃうのは寂しいな」
「あら、私は女官をやめるつもりはないけれど」
カサンドラが不思議そうな顔をする。ソフィーも「え?」と不思議そうな顔になった。
「アシュラン王国にお嫁入りして、王妃になるんじゃないの?」
「そうだけど、ミネルバとルーファス殿下の結婚式が先よ。ミネルバたちはこれから外遊に出かけるでしょう? 結婚式に向けて、他国にある四つの大聖堂で祝福を受けなければならないから。私は語学が得意だし、他国の王族と面識もあるし。私がいなきゃ二人とも困るじゃないの」
カサンドラは細い腰に両手を置いて、ちょっと偉そうに言った。
「随分可愛くなったと思ったけれど、カサンドラはやっぱりカサンドラね……」
あっけにとられるソフィーを見て、カサンドラがにこりと笑う。
「ジャスティン様と一緒にいたいわ。でも、ミネルバと離れる心の準備は、一生できそうにないの。それを伝えたら、王妃と女官を兼業してもいいって言ってくださったのよ。外遊が終わったら、基本的にはアシュランで暮らすことになるけれど」
ジャスティンが大きくうなずき、カサンドラの肩を抱き寄せる。
「キーナン王とオリヴィア王妃はご高齢ですが、セリカが残したダメージからは回復している。少しくらいは婚約期間を楽しんでも大丈夫でしょう。私たちの結婚式だって国を挙げてのもので、おまけに即位と同時になるから、準備にも時間がかかりますし」
ルーファスが「ふむ」と口元に手を当てた。
「ジャスティンは皇帝の顧問官として、私たちの外遊に同行しないかと兄上から打診されていたな。カサンドラ嬢が女官として一緒に行くなら、未来のアシュラン国王と王妃のお披露目にもなる」
「はい、せっかくなのでお引き受けしようと思います。コリンには負担をかけてしまいますが……」
マーカスが「心配ないって」と明るく笑った。
「グレイリングとの関係がさらに強固になるんだ、文句を言うような馬鹿野郎はいないさ。とはいえコリンもひとりぼっちで寂しいだろうな。次にこっちに来たら、デメトラ様に相性ぴったりの娘を探してもらおうぜ!」
ロアンが「それはいい考えですね」とマーカスの肩を叩いた。これで三度目だ。
「でも、デメトラ様はきっかけだけ作って、後はご自分たちどうぞって感じだからなあ。コリンさんも奥手だし、カップル成立までには紆余曲折ありそう」
「いずれにしても、若い人たちの未来が輝いていて嬉しいですよ」
穏やかな表情で話を聞いていたメイザー公爵が言う。
「ロバートの元へ行く皆さんをここで待つのは、落ち着かない気分になりますが。私の大事な娘をよろしく頼みます、ジャスティン」
「アンガス様は本当に留守番でいいのですか?」
「正直なことを言うと、もうあの男の顔は見たくないんだ。それに、君たちを信じているからね。すべてをゆだねるよ」
公爵はそう言って、にっこりと笑った。彼とアイアスとおじいさんたちに見送られながらミネルバたちは馬車に乗り、牢獄に向かって出発した。
刑務官の出迎えを受け、ミネルバたち女性陣は前回と同じ薄暗い通路の先の『秘密の空間』に入った。すぐにロバートが姿を現す。
彼は疲れた顔をしていた。瞳には生気がなく、目の下には濃い隈ができている。髪は乱れ、顎は強張り、大きな苦悩にさいなまれているのがひと目でわかった。
扉が開く音を聞いて、ロバートの体はたちまち緊張した。そのまま勢いよく扉が開き、横の壁に叩きつけられる。
「よう、気取り屋の大馬鹿野郎」
入ってきたのはマーカスだった。
ロバートがあんぐりと口を開ける。神経に触る尊大さで、さんざんこちらを馬鹿にしてきた男が、近寄ってくるマーカスを見て恐怖におののいている。
「な、なんでお前が……」
マーカスのがっしりした体格も、顧問官の黒づくめの格好も、ロバートを怯えさせるのにうってつけだ。拳闘の達人で有名な彼は、ハンサムだけれど強面の部類に入るから。
「嘘とごまかしだらけの悪党を、一発ぶん殴ってやろうと思ってな。明確な罪は、もちろん法にのっとって対処する。だけどお前のせいで、どれだけの人間が幸せを奪い取られ、人生を狂わされたか。俺のソフィーがどれだけ苦しんだか。そういった表に出ない部分を、この拳できっちりお返しさせてもらうぜ」
「いいい、意味が分からないことを言うな!」
ロバートは後ずさりながらも、マーカスを苛立たしげに睨みつける。
「僕はグレイリングの有力な侯爵家の息子だぞ。そんな僕を属国の人間が殴るなんて、許されるわけが──」
次の瞬間、ロアンが元気いっぱいに部屋に飛び込んできた。
「ざーんねん、ルーファス殿下のお許しは出てますっ!」
黒いマントを翻し、ルーファスが後に続く。
「その通りだ。特殊な力を使えば、代償があるのがこの世界の決まり。癒しの力でもない限り術者は体力を消耗するし、場合によっては命を削る。お前は召喚聖女の遺物を偶然手に入れ、代償もなく、証拠も残さずに人を操る力を得た。悪党をそうやすやすと逃すつもりはないから、きっちり証拠を掴んだが。代償のほうは、私たちで補う必要があるのでね」
「な、なんのことだか、僕にはさっぱり……」
ロバートが後ずさる。黒い箱を手に持ったジャスティンが入ってきた。
「観念するんだな。ルーファス殿下や我が妹ミネルバ、そして優秀な諜報員や専門家たち。どんな人間を相手にしているのか、甘く見ていたお前の負けだ。ここに動かぬ証拠がある」
「証拠? そ、それは一体……」
ロバートは黒い箱を見てから、問いかけるようにルーファスたちを見回す。マーカスがふんと鼻を鳴らした。
「とうとう見つけたんだよ、お前の邪悪な仕打ちの証拠をな!」
マーカスが言うと同時に、ジャスティンが箱の蓋を開ける。そこに入っているのは、もちろん召喚聖女の遺物だ。特殊な鉛に遮断されていたまがまがしい力が漏れ出し、ロバートはさっと顔色を変えた。
「残念だったな。こいつはもう、お前の言うことを聞いて姿を隠す便利な道具じゃねえ」
マーカスはにやりとした。
「お前、ごくわずかだが人の心を操る才能があるんだろ。否定しても無駄だぜ、こないだの爺さんたちはそういったことを調べる専門家なんだ。お前は娘を思うメイザー公爵の気持ちに付け込んで情報を売った。クレンツ王国との関りがバレた後は、公爵に暗示をかけ、偽りの自白するよう仕向けたんだ。証拠を捏造し、たとえ公爵が死んでも不名誉な罪人となる運命を免れないようにした」
「嘘だ! そんなことあり得るわけがないじゃないか! 僕に魔法じみた力なんてないし、そんなおかしな道具を使った証拠なんてどこにもないはずだっ! 何を調べたのかは知らないが、普通の役人が納得するわけがないだろうっ!?」
「これが隠されていた屋敷の住人は、ろくな抵抗もしないでお前の愛人だと白状したらしいぜ。すべてが上手くいったら侯爵夫人にしてやると言われてたんだと。お前、いったい何人の女を不幸にしたら気が済むんだよ。血も涙もなさすぎるだろ」
マーカスは呆れたように肩をすくめた。
ルーファスが一歩前に踏み出す。ひしひしと伝わってくる威圧感に、ロバートがびくりと肩を震わせた。
「ロバート。普通の役人を納得させるに足る、立派な証拠は他にもあるぞ。私の部下は、指紋から個人を識別する研究を進めていてな。この箱の中身から、首尾よくお前の指紋が採取できた。かくれんぼが得意なこいつがあれば、この世のすべては意のままだと思ったんだろうが、詰めが甘かったな」
「あ、ああ……」
「ディアラム領の地下洞窟も、私の部下がたちまち突破したよ。異世界人召喚に使われた古代の祭壇があると知っていて、お前は兄上や私に報告しなかった。それだけでも大きな罪だ。お前に倫理の欠片でもあったら、そこで見つけた物を自分のために使うなんてことは、絶対にしなかっただろうがな」
「ああ、ああああああっ!」
ロバートが狂ったように髪を掻きむしる。
「てめえでやったことなんだから、誰も責めることはできねえぞ。ニューマンって低俗な商人と繋がりがあったこともバレてんだ。あいつは薄汚くて強欲で、金儲けのためなら何でもする。奴がバルセート王国の宝石店で贋作を売ってたことも、ちゃんと調べがついてるんだ。利害が一致する者同士、意気投合して卑劣な企てをしたんだろ? ニューマンは偽物作りが得意だから、メイザー公爵を陥れる証拠を偽造してお前に渡した。うちの優秀な『覆面捜査官』が公爵邸に潜入して、たっぷり証拠を見つけてきたぜ」
実際の『覆面捜査官』であるジャスティンが、ロバートを睨みつける。
「お前もニューマンも、あと少しでまんまとやりおおせるところだったが、謎はすべて解明された。悪人どもが罪を免れ、メイザー公爵がその罪を被るなんて許されることではない。お前が生きて牢獄を出ることはないと思え、ロバート」
「ありえない、ありえない! 僕は悪くないっ! 温泉地の再開発には、多額の資金が必要なんだ。そう、すべては領民のためだったんだ。僕のせいじゃないっ!!」
ソフィーが「最低の男」とつぶやく声が耳に入った。ロバートが経営者として失格だったことも調べがついている。
ルーファスが眉間にしわを寄せ、さらに一歩前に踏み出した。
「ロバート・ディアラム。お前は恥を知るべきだ。私も様々な悪人を見てきたが、これほど情けない男は初めてだ。もはやお前に自由になる道はない。一生日の当たらない場所で、己がしでかしたことへの真の報いを受けるがいい」
マーカスが肩を回しながらにやりと笑う。
「そんじゃ、一発ぶん殴りますか。召喚聖女の遺物を操った代償だ。たっぷり味わえよ」
「ひいっ!!」
手首を掴まれて、ロバートは飛び上がった。彼は必死に抵抗し、傷だらけでごついマーカスの手を振り払おうとしている。
「甘くみんなよ、俺は世界一の拳闘士なんだぜ」
マーカスはそう言うなり、ロバートの顎に拳を繰り出した。衝撃に耐えられず、ロバートの体が吹っ飛ぶ。体を壁に叩きつけられ、勢いあまって床に倒れ込んだロバートは顔面を強打し、その場に長々と伸びてしまった。
「あ、気絶した。ちょっとマーカスさん、最初は手加減して殴って、ミネルバ様たちをこっちに呼ぶ手はずだったでしょっ!?」
「いやちゃんと手加減したんだよ。こいつ、びっくりするくらい弱ええええっ!!」
あちらとこちらを隔てる透視鏡に向かって、マーカスが「ごめん」と言わんばかりに拝み倒している。ルーファスとジャスティンの口元が緩んだ。
ソフィーがくすくす笑う。ミネルバはカサンドラと顔を見合わせ、そして二人同時に笑い出した。
終わったのだ、本当に。後に待つのは、ただひたすらに明るい未来だけ。そう思った途端、ロバートを殴りたい気持ちなんかどこかへ行ってしまった。
ミネルバは手を伸ばしてソフィーとカサンドラの手を取り、走り出した。ルーファスたちのいる部屋へと向かって。新しい未来へと向かって。




