1.元気の源
「ここから先は、純粋な力比べです。負けるわけにはいきません。必ずこいつを叩きのめし、滅ぼしてやる!」
ロアンが決然たる表情を浮かべ、右腕をぐるぐる回す。
「こいつは僕たちが疲労困憊するまで、ずっと隠れて大人しくしてたけど。浄化で痛手を負っていることは間違いない。いよいよ余裕がなくなって、メイザー公爵の魂を人質に取ったんだ」
左右の色が違うロアンの美しい瞳に、たしかに疲労感が見えた。彼には休息が必要だった。一番邪魔してほしくなかったタイミングで最終手段に出るあたり、召喚聖女の遺物はやはり性格が悪いと思う。
十五歳の少年の細い肩には、大きすぎる重荷だ。けれど彼は絶対にへこたれない。
「セスさんとぺリルさんが『本体』のところへたどり着くまで待ってたら、メイザー公爵は本当に死んでしまうかもしれない。だから気合を入れなくちゃ。僕は繊細にはほど遠い性格だけど、外側から上手いこと削って、しつこく粘って、まずは公爵の魂を取り出してやる!」
ルーファスがうなずき、天井付近の黒い霧を見上げた。それは蛇のようにとぐろを巻き、圧倒的な存在感を放ちながらこちらを睥睨している。
「こんな時間だから、本体の近辺にほとんど人はいないだろう。朝までに回収できないと困ったことになるが……セスとペリルなら、大騒ぎになる前に処理できるはずだ」
本体が隠されている場所はすでに特定できていた。ミネルバが千里眼を使わなくても、遺物の力がうごめいている場所の上空が不気味な色を帯びて輝いているから。
帝都からそれほど遠くもないが、近くもない。特殊な鉛で作った本体を回収するための箱を持ち、セスとぺリルが必死で馬を駆っている。
エヴァンはひとり、扉の外で待機してくれている。彼が煎じる薬はミネルバたちの命綱だ。
(ルーファスは結界を維持し続けなければならない。彼も肉体的には疲れ切っているけれど、絶対に持ちこたえるはず。私が心配してやきもきしても何もいいことはない。私にできることは、ただひとつだけ)
公爵の体のケアを、いまは医療スタッフに頼むわけにはいかない。必然的にミネルバがやることになる。アシュランでの王太子妃教育で叩き込まれた知識が、きっと役に立つ。
「メイザー公爵の呼吸や体温、血圧や脈拍は私がしっかりチェックする。異変があればすぐに言うから。彼は私に……忠誠を誓ってくれたの。このまま死なせたりなんか、絶対にしたくない」
「頼んだぞ、ミネルバ。私もロアンも、残りの力を総動員することになるだろう。異世界人が残したでたらめな力で、この世界の人間が命を落とすことを許すわけにはいかない」
ルーファスは穏やかな黒い瞳で、じっとミネルバを見つめた。
「ロアン、一瞬だけあいつを見張っていてくれ」
「あー、何するかわかっちゃった。いいですよ、いまのこいつに攻撃に力を割り振る余裕はないし」
次の瞬間ルーファスは、黒い結界を自分とミネルバの頭に被せた。新しく得た影をまとう能力で、二人の姿がロアンから見えないように包んだのだ。
ミネルバが言葉を発する隙もなく、ルーファスが口づけをしてくる。
「これが私の元気の源だ。もう一度してもいいか?」
「私にとってもそうだから、何のためらいもないわ」
ルーファスの望みを叶えないでいることは不可能だ。ミネルバは彼のたくましい体にぴったりと寄り添い、心を込めて口づけを返した。
「無事にメイザー公爵を救ったら……あなたが望むだけ、飽きるまで何度だってキスしてあげる」
「それは楽しみだ。でも、私が飽きる日は永遠に来ないよ」
結界が元のようになり、気を利かせて耳を押さえているロアンの姿が見えた。彼はミネルバたちを見て、目をぱちくりさせた。
「わあ、ルーファス殿下の力、前より増してる。すっごい効果だなあ」
ロアンがいたずらっぽく微笑む。
「ミネルバ様、僕思ったんですけど。メイザー公爵が謝罪して忠誠を誓ったってことは、ミネルバ様のことを心から信頼したってことです。そこに絆が生まれたわけで、彼の心に通じる道ができたんじゃないですかね?」
ミネルバははっとして目を見開いた。
「そうね。ソフィーのときみたいに、彼の心に繋がれるかもしれない。やってみるわ」
黒い霧が不気味であることはたしかだが、意志の戦いで負けるわけにはいかない。公爵の魂を無事に救い出すためなら、何だってする覚悟だ。
「あんなものの中に閉じ込められて、メイザー公爵は恐怖や不安、苦しみや悲しみに一気に襲われているはずだもの。彼を力づけ、励まさなくては」
ミネルバはベッドの端に腰かけ、横たわる公爵の手に、そっと左手を重ねた。
(頑張ろう。メイザー公爵のために、カサンドラのために、自分のために。私はこの人を失いたくない)
右手の指を、胸元のベレーナに滑らせる。人間に絶望しているベレーナの力を引き出せるかどうか自信はない。これまでのことを考えたら、恐らく無理だろう。
しかしルーファスもロアンに体力的な限界が近づいているいま、どんな小さな可能性でも諦めるわけにはいかなかった。
<メイザー公爵、お願い。私の声にこたえて>
左手のトパーズと右手のベレーナ、どちらにも『メイザー公爵の心へ導いてほしい』と祈った。
左手全体が熱を持ち、まばゆい光を放ち始める。右手のベレーナは反応してくれない。それでもミネルバは力を込め続けた。想いが届くことを願って。