3.フィルバートの提案2
己の寛大さをありがたく思えといわんばかりだったフィルバートが、不思議そうに顔をしかめた。
「なんだその目は、嬉しくないのかミネルバ。ここは感謝の言葉を述べるところだろうが」
ミネルバは頭が痛くなり、指先でこめかみを揉み解した。
「あなた様のお申し出の理由は推測できます。例のお茶会のあとに、国王王妃両陛下から厳しい叱責をお受けになられたそうですね? 次の日には、セリカ様に王太子妃らしい振る舞い方を仕込むために、何人もの教師が雇われたと聞いております」
頭の痛さに耐えながら、ミネルバは尊大な仕草でくいと顎を上げた。
「しかしながら、二、三日でみんな逃げ出してしまった。お金の力に物を言わせてなんとか後任を見つけても、すぐに辞めてしまう。引き受けてくれる人材がもはや見つからないのでしょう?」
内情を言い当てられて驚いたのか、フィルバートの顔からさっと血の気が引いた。ミネルバはますます厳しい表情で彼を睨みつけた。
「驚いていらっしゃるようですね。私が社交界から締め出されたとはいえ、バートネット公爵家がすべての貴族から交流を絶たれたわけではありませんよ」
そう、公爵である父サイラスはかつて政治の中枢にあり、他の貴族からとても尊敬されていた。だから数は少ないものの、以前と変わらぬ交流を続けてくれる人々が残っている。
そんな父までも悪者扱いされた忌まわしい記憶がよみがえり、腹の底から怒りがこみあげてきた。
フィルバートとセリカによってミネルバの評判が貶められたことで、両親や兄たちまであらゆる憶測や誹謗中傷の標的となってしまった。このことは絶対に許すことはできない。
しかしながら『セリカを虐めた』という汚名を着せられたミネルバが、セリカが望むように断罪されたわけではなかった。バートネット家が称号や財産を没収されたわけでもない。
フィルバートとセリカは『明確な罪』だと主張したが、王宮西翼の使用人たちがミネルバを庇う証言をした上に、そもそもが刑罰が科されるような行為ではないからだ。
もちろん、 虐めなどただの言いがかりに過ぎない。
しかし王太子夫妻に睨まれることを恐れる貴族たちは、ミネルバを罪人のように扱った。
自分たちの評判まで汚されては困ると警戒し、ミネルバを社交界から遠ざけようというフィルバートの主張を支持した。老い先短い国王夫妻より、王太子夫妻にすり寄ったほうが利益が大きいと考えたのだろう。
淑女にとって社交界からの追放は、罪に問われるのと同じこと。挽回の余地はないも同然だった。
「でもきっと、私の推測は間違っておりますわね。あなた様からすれば私は、不誠実で道徳観念がない人間。たいした知識もなく、セリカ様のお側にいるのは相応しくない。そんな私に、もう一度セリカ様の教育係を務めろなどとおっしゃるわけがありませんもの」
ミネルバはあざけりを込めて言った。フィルバートの顔が紫色になり、唇がわななき始める。
普通の目で見れば、フィルバートはかなりの美男子だ。しかしその美しさには知性も誠実さもない。
「お……お前、自分がえり好みの許される立場だと思っているのか? み、身の程をわきまえろ! お前さえ上手くやれば社交界に戻してやるつもりなんだぞ、栄えある名誉だと喜べ!!」
「まあ驚いた、私の推測は当たっていたようですね」
ミネルバは氷のようなまなざしをしてみせた。フィルバートが乱暴に足を踏み鳴らす。
「よくもそんな口がきけるものだ。お前はやっぱり礼儀知らずな上に分別に欠ける!」
「そのお言葉、そっくりそのままお返しいたします」
ミネルバは冷たい声で丁重に言った。そして言葉を続ける。
「私は何度も何度も、セリカ様を甘やかしすぎだと申し上げました。厳しく接する人間が必要だと。行儀が悪く横柄で、2歳児よりも手に負えない。間違いを正せば、虐められたと泣きわめく。教師が誰ひとり居つかないのも当然ではないですか」
心の中で、かつて感じたことのない凄まじい憤怒が燃え上がる。
「私は教育係だった3か月間、絶えずセリカ様を指導し、淑女らしい振る舞い方を仕込もうとしました。でも──あの方は異世界人ですから、この世界の常識を知らない。育ってきた背景や教育歴も具体的に明かそうとしない。知能検査や心理テストも拒む──そんな人を淑女に変身させるなんて、できるはずがないではありませんか」
ミネルバは冷ややかな目を和らげることなく、さらに言いつのる。
「セリカ様はご自分と同じで、頭ごなしにあれこれ指図されるのがお嫌い? 教育係がまるで役に立たない? 選ぶ教材が的外れ? この世界に慣れたらやる気が出るに違いない? あなた様がそうやって庇ったから、結婚してからの一年間セリカ様は教育を免除され好き勝手し放題。怠けた者にはそれ相応の報いがあって当たり前ではないですか。あなた様はいま、自分がしたことの結果に向き合っているだけです」
「お、お前──……」
「乗馬中に捕まえたのは、ひと目のある場所では話しづらい内容だという自覚がおありだからでしょう? つまり国王王妃両陛下の許可を受けたわけではなく、あなた様がよく考えもせずに口にした一案に過ぎない。違いますか?」
「お前、お前は──」
「はっきり申し上げます。何を言われても、セリカ様のために何かをするつもりはありません」
「お前は! なんて無礼なんだっ! 厚かましい、王族に対する尊敬心に欠ける!! いいか、セリカの祝福の力は本物だ。彼女には聖女としての才能があるんだ。実際に降臨の地で『奇跡』が確認されている!! お前はじい様とばあ様が莫大な教育費をかけたおかげで、多くの知識を身につけた。ならば国のために尽力するのが当然だろうがっ!!」
フィルバートが唾を飛ばす。ミネルバはきっと唇をひきしめた。
3人の兄たちが殺気を纏い、ほとんど同時に前に進み出た。ジャスティンが低い声を出す。
「お帰り下さい王太子殿下。これ以上我が妹を侮辱したら、私たちが何をするか保証できません」
兄たちから発せられる骨まで突き刺さるような怒りの圧力に、フィルバートがわずかに後ずさった。
「な、生意気な女め。必ず後悔することになるぞ、ミネルバ!」
あくまでも冷たい表情を保つミネルバを睨みつけ、フィルバートは馬に飛び乗った。まっすぐに王宮に向かって疾走し始めた彼を、2名の側近たちが慌てて追いかけて行った。




