3.得体の知れない不安
それからミネルバたちは意見を出し合い、メイザー公爵を救うための計画を練った。
アイアスやおじいさんたちが見つけてきた、聖なる剣や彫像など数多くの触媒を試してみた。それぞれのアイデアを加えて、結果をすべて検証する。
ほとんど満足いくものではなかったが、少しでも望みが残っている限り、希望を失わずに頑張った。
やがてルーファスは『黒翡翠』という、心を惹かれる触媒を見つけた。古代遺跡から発見された、目標を成功に導く力のある石であるらしい。
「私たちの特殊能力は光寄りで白く見えるが、召喚聖女の遺物の力は漆黒の闇だ。こちらが影をまとうことができたら、事を有利に進めることができるかもしれない」
「影を操って、こっちも身を隠すってことですね!」
ロアンがぽんと手を打つ。そしてルーファスは、黒翡翠を制御するために力の限りを尽くした。
彼は三日で影をまとえるようになった。ミネルバの特殊能力を包み込んで、メイザー公爵の心に巣食う黒い霧に紛れ込み、相手に気づかれずに動き回ることができるようになったのだ。
召喚聖女の遺物が発する声に邪魔されなくなったおかげで、ぼんやりとだがメイザー公爵の心の声が聞こえる。それはロアンが浄化すべき場所を導き出す手がかりとなった。
一週間が過ぎるころには、ロアンが『煙水晶』を操れるようになった。やはり古代遺跡から発見された、悪魔を追い払う力のある石らしい。
派手な光のシャワーのようだった彼の浄化が、穏やかで優しい暖炉の炎のようなものに変わり、メイザー公爵の体への負担を大幅に軽減できた。
「ルーファス、座って。あなたには休息が必要よ」
十日目の夜も更けたころ、ミネルバは滋養強壮剤の入ったグラスをルーファスの手に握らせた。
彼は人一倍辛抱強い。だから絶対に「疲れた」などと口にしない。
一日中ミネルバとロアンのために結界を張り続けたのに、ルーファスはいつも通りの完璧な雰囲気を漂わせている。それでもミネルバは、彼の目に浮かぶ疲労の色に気づいていた。
「ありがとう」
穏やかな目でミネルバを見ながら、ルーファスは大人しく椅子に座った。
「毎日毎日、あなたが一番睡眠時間が短いわ。本当は長時間眠ってほしいけれど……短い時間でもぐっすり眠れる薬を、エヴァンに作ってもらいましょうか」
「ちゃんと眠っているから心配はいらな──」
「ミネルバ様と一緒なら熟睡できると思いますよ!」
夜食のパンを頬張りながら、ロアンがにっこり笑う。
「からかってるわけじゃなくて、本気です。添い寝じゃなくて膝枕でいいんですよ。ほら、セリカのときに王宮で膝枕してもらって、すごーく癒されたって、殿下言ってたじゃないですか」
そういえば、そんなこともあった。ミネルバとルーファスは顔を見合わせ、ほとんど同時に微笑んだ。
「じゃあ、後で少しだけお願いしようかな」
「ええ」
ロアンの軽口は、すべてに完璧さを求めて厳しく己を律しているルーファスの、がちがちに凝った肩をほぐしてくれる。
「召喚聖女の遺物の力はまだ追い出せてないけど。メイザー公爵の体調は上向きになってきましたね」
山盛りのパンをぺろりと平らげたロアンが、お腹をさすりながら言う。
浄化の力が注ぎ込まれているおかげで、狡猾な声はメイザー公爵を精神的に追い詰める機会が減っている。こけた頬が多少ふっくらしてきたし、顔色の悪さも改善されつつあった。このまま浄化を続けていれば、日中は起き上がっていられるほどに回復するだろう。
「こっちを吹き飛ばすくらいの反撃をしてくると思ってたけど、しょぼい精神攻撃をしかけてくるだけでしたね。朽ちずに残ったとはいえ、やっぱ力が弱まってたんですよ。作り手の召喚聖女はもういないし、ロバートは牢獄だし。さらなる力を注ぐ人間がいないんだから、勝ったも同然です。メイザー公爵の体力がもうちょっと回復したら、召喚聖女の遺物の息の根を止めてやりましょう!」
ロアンが拳を握りしめる。
「たしかにロアンの言う通りだし、そうとしか考えられないのだが……」
ルーファスが指先で眉間を揉む。
「ルーファスも感じるの? 怖さというか……時折掻き立てられる不安を」
「君も落ち着かない気分なのか?」
質問すると、ルーファスも質問を返してくる。ミネルバは胸の前で両手の指を組み合わせた。
「どうしてなのか、自分でもよくわからないの。私たちは朝も昼も夜も、休日も潰して問題の解決に力を注いできた。体力は削られるけれど、怪我をするようなことは一度もなかったわ。そのことには、すごくほっとしてる。ルーファスのこともロアンのことも、全身全霊で信じてるから、失敗するはずがないって思うのよ。それなのに……」
立ち上がったルーファスが、ミネルバの両手をそっと包み込む。
「私もまったく同じだ。安堵しているのと同時に、あっさり行き過ぎだとも思っている。これから何かが起こるという確信があるわけではないんだ。ロアンの言う通り、召喚聖女の遺物はわずかに残った力を燃やしているだけだと思う。この不安は、私たちの用心深すぎる性格からくる取り越し苦労なんだろう」
ルーファスに「きっとそうね」と答えながらも、ミネルバの心の中で不安がまだ渦巻いていた。
胸につけたベレーナのブローチに毎日力を注いでいるけれど、その強大な力はミネルバには与えられていない。やはり自分は、純聖女の遺物を扱えるような特別な人間ではないのだ。
そのこともあって余計に不安になっている。召喚聖女の遺物の力が、消されようとする瞬間に足掻かないという保証なんて、どこにもないのだから。
「ルーファス殿下もミネルバ様も、とりあえず食べましょ?」
ロアンが残っている夜食を搔き集め、皿を差し出してくる。
「僕たちは運がいいって信じましょうよ。向こうは焦ってると思うし、その不安も精神攻撃のひとつかも知れないですよ。消滅の寸前まで追い詰めたら、イタチの最後っ屁みたいなことはしてくると思います。でも三人なら乗り越えられるって、僕は信じてます!」
ロアンの取り柄である明るさに、救われたような気持ちになる。ミネルバとルーファスは笑みを交わし、椅子に腰を下ろすと残り少なくなった夜食を口に運んだ。