1.試行錯誤
ミネルバたちはメイザー公爵の元へ戻り、召喚聖女の遺物の力についての情報を集めることに労力を集中した。
本当はロバートの力もろとも、いますぐ追い払いたい。しかし相手がどれほどの力を持っているかわからない以上、用心に用心を重ねなくてはならないからだ。
「うーん、難しいなあ。アシュランの国王夫妻のときは、フル稼働中のセリカの力が感じられる場所に、一点集中で浄化力を叩き込めばよかったんだけど。召喚聖女の遺物の力は、ロバートの力の隠れ蓑になると同時に、自分のことも上手く隠してる。メイザー公爵の体のどっかに引きこもってるんだ」
制服の上着を脱いでシャツとズボン姿になったロアンが、両手で頭を掻きむしる。
強い浄化力を長時間注ぎ込むのは、メイザー公爵の体への負担が大きいらしい。だから力を極限まで弱くして、公爵の頭のてっぺんからつま先まで少しずつ注いでいく。
もどかしさで胸が締め付けられるほど長い時間がかかり、ようやく作業を終えたのは夜もかなり更けたころだった。
「結局、どこに隠れているのかはわからなかったけど。浄化に対する相手の出方はわかりましたね。精神攻撃を仕掛けてくるなんて、生きてるころの召喚聖女はロバートに負けず劣らずの嫌なやつだったはずですよ」
エヴァン特製の滋養強壮剤をぐっと飲み干し、ロアンは盛大に顔をしかめた。そして冷肉にフォークを突きさす。
ロアンは特殊能力を使うとお腹が空くタイプだ。精細な力の制御が必要な作業だったものだから、よけいに食欲旺盛になっている。
食料は医療スタッフの青年が、拘置所の食堂から調達してきてくれた。ロアンがひっきりなしにおかわりを要請するので、彼はいろんな意味で悲鳴を上げていた。ミネルバがエヴァンに指示して、食材の仕入れ強化と応援要員を手配したから、明日には解放されるだろう。
「メイザー公爵の頭の中……ぐちゃぐちゃだったわ」
グラスを握りしめて、ミネルバはため息をついた。自分も竜手の訓練のときに着るシャツとズボンという格好だ。てんやわんやになるのは目に見えていたから、とにかく動きやすさを重視した。
「あの不快な状態を、メイザー公爵がどうして耐えていられるのかわからないくらい」
メイザー公爵の体内で何が起こっているのか。それを千里眼で見るのは大変な作業だった。
繭のようなルーファスの結界に包まれた状態でベッドの端に腰かけ、眠り続けるメイザー公爵の手を取った。感覚を鋭くしても、ほとんど何も見えなかった。
視界を覆う黒い霧のようなものに邪魔をされて、いつものように感じ取ったものを球体に映し出すこともできなかった。
不安や悲しみ、痛みや憎しみ、恨みや怒り──黒い霧は負の感情で満ちていた。あまりにも不吉な世界だった。逃げられるうちに逃げたほうがいいと、ミネルバですら恐怖に屈したくなるほどに。
「召喚聖女の遺物はこう言っているみたいだった。『私に従え、さもなければ恐ろしい結果が待っている』って。精神力の弱い人だったら、すぐに偽りの自白をしてしまうと思うわ」
「生まれつきの精神力の強さもあるのだろうが。メイザー公爵の場合は、カサンドラ嬢をひとりにしたくないがゆえの必死の抵抗なんだろうな。専用に調合した香りで意識レベルを下げているが……いずれ神経がぼろぼろになることは間違いない」
ルーファスはそう言って、滋養強壮剤をぐっと飲んだ。
目の前にいるルーファスは落ち着き払った表情で、ちっとも疲れていそうに見えない。でもミネルバには、彼が無理をしているのがわかっていた。
召喚聖女の遺物を相手に、ミネルバにもロアンにも守りが必要だ。必ずルーファスと二人ひと組になる必要がある。
ほとんど休む時間がなかったのに、ルーファスの結界は最後まで完璧だった。疲労が激しいだろうに、まったく表情を変えない彼の姿を見ていると、切なさと愛しさで胸の奥がきりきりと痛む。
「ミネルバはもう休むといい。君が『見て』くれたおかげで、方向性がわかってきた。私とロアンはこれから、爺様たちが持ってきた新しい触媒の制御と運用について研究する」
ルーファスが笑みを浮かべる。いかなるときもミネルバを労わるのは彼の特徴のひとつだが、うなずくわけにはいかない。ミネルバは断固として己の意思を通すことにした。
「私も手伝うわ。疲れているのは体じゃなくて神経のほうだから、気分転換できたほうがありがたいの」
本当は無理をしていても、子どものころから感情を封じ込める訓練をしたせいで、決してそうは見えない──ルーファスはそういう人だ。
自分にとって何よりも大切な人が苦労しているときは、少しでも近くにいて助けたい。
「私からすると、ルーファス殿下もミネルバ様もロアンも、緊急に休息が必要に見えますが……」
アイアスが心配そうな顔でため息をつく。
彼は翡翠殿から触媒を持って戻ってきたあと、ミネルバたちの作業に立ち会い、懸命にメモを取っていた。
おじいさんたちは早寝早起きなので、一足早く休んでもらっている。拘置所の空き部屋を急遽宿泊用に改造したため、ベッドの寝心地はあまりよくないだろうが。
ロバートの協力者──ミネルバの勘が正しければ恐らくニューマン──に気取られては困るため、メイザー公爵を拘置所から運び出すことはできない。所内の人々に害が及ばないよう、現在では使われていない半地下の部屋ですべての作業を行っている。
「僕ら三人とも、一旦こうと決めたら引かないし、諦めないんで仕方ないですよ。時間がない中で新しい触媒を試さなきゃならないから、睡眠不足は覚悟の上です。それにエヴァンさんの強壮剤、本当によく効くんですよ。僕の保証付きです。アイアスさんも飲みます?」
ロアンが新しいグラスを手に取り、ピッチャーから強壮剤を注ぐ。
グラスを差し出されたアイアスは「得体の知れないものを飲むのは……」と顔をひきつらせた。エヴァンが魔女の薬草を用いて調合した薬は、普通とはひと味違う。
きっとミネルバたちを思って、効果を高めてくれたのだろう。いつもの強壮剤よりもずっと、おどろおどろしさが増していた。
「信じられないかもしれませんが、美味しいですよ。ソフィーさんのアイデアを取り入れて、改良されているんで」
「そ、そうですか……それじゃあ、勇気を出して飲んでみます。長い夜になりそうですしね」
アイアスが半信半疑といった顔でグラスを受け取り、目をつぶって一気に飲み干す。目を開いた彼の口元に笑みが広がった。
「本当だ、すごく飲みやすい。これでもうひと頑張りできそうだ」
肩を回しながら意気込んでいるアイアスを見て、ミネルバは思わず微笑んだ。彼もまた、己が定めた目標に向かって努力を続けることができる人だ。
そんな彼にどうしても聞きたいことがあったので、ミネルバは口を開いた。
「あの、アイアスさん。私の記憶が正しければ、翡翠殿に到着なさった日に『ルピータ神殿でとんでもなく凄いものを見つけた』とおっしゃっていたと思うのですが。それは純聖女と関連のあるものなのですか?」
「関連があるというか、ずばり純聖女の遺物そのものなんですが……残念なことに、取り扱いが非常に困難なんです」
真っすぐにミネルバを見ながら答えるアイアスの眉間に、深い皺が刻まれた。




