6.前に向かって
ルーファスが考え込むようなまなざしを向けてくる。ミネルバの意思を尊重したい気持ちと、守りたい気持ちの狭間で葛藤しているのだろう。
ミネルバが言葉を探していると、立ち上がったルーファスに両肩を掴まれた。
<きっと、ありったけの力を振り絞ることになるぞ。君と出会う前の私なら、臆病風を吹かせたりしなかった。自分が傷つくのは怖くないから。でも君が危険に晒されることだけは……>
心を開いて共鳴状態に入ると、すぐにそんな声が聞こえてきた。ルーファスの言葉に込められた深い愛に胸が痛くなる。
<私も同じよ。あなたを守りたいと思わずにはいられない。差し迫った危険に、真っ向から立ち向かうあなたを手助けしたい。私たちは特殊能力を混ぜ合わせることができるのよ。召喚聖女の遺物が相手だとしても、上手くいくかもしれないわ>
ミネルバは彼を見上げた。漆黒の瞳に恐怖の色が浮かび、口元は苦しげに歪んでいる。出会ってから初めて見る表情だった。
<わかっている。現実問題として、君の手助けは必要だ。でもどうしても怯えてしまうんだ。愛する人が矢面に立つのがこんなに怖いなんて、知らなかった>
<あなたの愛を感じるのは、いつだって嬉しいものだわ。でもお願い、あれこれ考えないで。私を守られるだけの存在にしないで。遠慮なく頼って。あなたが責任を負っている人たち……グレイリングの人々を守ることを優先させて>
その場にいる誰もが、自分たちの横顔を不安そうに盗み見ているのを感じる。でも、これは二人にとって必要な時間なのだと、口出しを控えてくれている。
<私は……情けない男だな>
<その意見には反対よ>
ミネルバはわざと怒って見せた。お互いに長い間恋を知らず、出会ってからようやく人生を楽しめるようになったのだ。慣れない感情に振り回されるときだってある。
ルーファスが小さく微笑んだ。そしてミネルバの肩から手を離す。
「ミネルバの千里眼の手助けが必要だ。よろしく頼む」
ルーファスが力強く言う。二人の兄もソフィーもカサンドラも、そしてロアンも安堵の思いに包まれたのがわかった。
「ロアンの話を聞きながら思案していたのだが。ひとつ、ピンときたことがある」
いつもの冷静沈着な声で言い、ルーファスは椅子に腰を下ろした。
「ロバートが召喚聖女の遺物をどこで手に入れたか。その答えはディアラム領にあると思う。ミネルバの勘が部分的に当たっていたんだ」
「ミネルバ様の勘……。もしかして、銀と鉛の鉱山ですか?」
ロアンがテーブルの上に勢いよく身を乗り出した。
「たしか鉛は、特定の波長を遮断できるんでしたっけ。だから召喚聖女の遺物が朽ちなかった?」
「それもあるが、一番の理由はあの土地特有の自然エネルギーだと思う」
ミネルバは「あ」と声を上げた。ロアンもほとんど同時に口を開いていた。
「自然のエネルギー、つまり地熱! ディアラム領は有名な温泉地だっ!」
ロアンの興奮が目に見えて高まった。ルーファスが「そうだ」とうなずく。
「古代の人間も、召喚聖女の遺物を長持ちさせる方法を探したことだろう。鉛は古くから利用されている金属だから、実験に用いられたとしても不思議ではない。だが、鉛だけでは成功しなかったはずだ」
「手に入りやすい金属ですし、上手くいったんなら似たような装置を作ったはずですもんね。そんでもって、召喚聖女の遺物も後世に残ったはず。ないってことは鉛だけじゃ駄目なんだ」
「けれど鉛鉱山に、自然の強力なエネルギーが掛け合わされたら話はまた別かもしれない……」
ミネルバは口元に手を当てた。ソフィーが「たしかに」とつぶやく。
「ディアラム領の温泉地は施設こそ老朽化しているけれど、グレイリングいちの湧出量を誇っているわ。あの土地が、他の場所に比べてエネルギーが高まっていると言われても納得できる。古来より人々の傷や心を癒していた名湯で、神秘的な雰囲気があるもの」
マーカスが小さく口笛を吹いた。
「鉛が強い自然エネルギーと合体することで、超常的な力を持ったってことか。そんな環境を人工的に作り出すことは不可能だ。ロバートと召喚聖女の遺物という、悪魔的な組み合わせが誕生した説明がつく。よっしゃ、これでちょっと光が見えてきたぞ。ディアラム領をくまなく捜索したら、ロバートが召喚聖女の遺物を発見した場所を押さえられるはずだ」
ルーファスが「そうだな」と応じる。
「証拠がひとつ手に入る可能性が、かなり高い。ミネルバの進言のおかげで、ジミーが仲間内のかなりの人数をディアラム領に送り込んでいる。早速ハルムを飛ばして、昼夜を徹して捜索に取り組んでもらう」
おじいさんたちが「興奮するのう」「興味深いのう」などとうなずきあっている。アイアスが眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
「ガイアル陣営は恐らく、召喚聖女の遺物のことは知らないのでしょう。ロバートが道を踏み外した要因は金ですから、真の価値を知っていたら絶対に売り渡したはずです。術者がレベル1のロバートでなかったら、もっと大変なことになっていた。ガイアルは遺物の力を存分に使って、縄張りを拡大しようとしたに違いない」
「あいつは狡猾でずる賢いだけの小物ですからね。よくわからないまま、自分自身の邪悪な目的に利用したんでしょう」
マーカスの口元が軽蔑もあらわに歪む。
ずっと黙っていたジャスティンが「殿下」と口を開いた。
「ミネルバの勘のもう一端……ロバートとニューマンに繋がりがあるというのも、当たっているのではないでしょうか。カサンドラさんがメイザー公爵に付き添っている間、私をそちらの捜査に回していただけませんか」
カサンドラがはっと息を呑んだのがわかった。そして「私にも手伝わせてください!」と叫ぶように言う。
「メイザー公爵邸のことを一番よく知っているのは私です。あの人たちが何かを隠しているとしたら、見つけられるのは私しかいません」
ジャスティンが首を横に振った。
「カサンドラさん、それは危険──」
「あの人たちは私の素顔を知りません!」
カサンドラが勢いよく立ち上がった。
「リリベスとサリーアンに、ドレスや宝石は取り上げられてしまったけれど。二人とも使いかけの化粧品には目もくれなかったんです。だから化粧だけは完璧にしていました」
カサンドラは胸の前で両手の指を組み合わせた。ルーファスと見つめあったときのミネルバのように。
「使用人たちもきっと力になってくれます。ジャスティン様、どうか私を有効活用してください。ミネルバが……大切な友達が、私のために力を振り絞ってくれるんです。私も精一杯のことをしなくちゃいけません。少しでもミネルバの助けになりたいんです!」
「カサンドラさん……」
ジャスティンが言葉を失う。
彼女の言葉に、ミネルバは深く感動していた。そこまで言ってくれて嬉しいと思う。涙がこみ上げてきそうなほどに。
じっと見つめ合う二人を、ルーファスが交互に見た。
「ニューマンに的を絞って調べてくれと、ジャスティンにはこちらから頼みたいところだった。わずかな時間も惜しいいま、カサンドラ嬢は大きな助けになる。ジャスティン、彼女を守れるか?」
「守ります」
ルーファスの問いに、ジャスティンが即答した。
「アイアスと爺様たちは、翡翠殿からすべての触媒を運んできてくれ。私とミネルバ、そしてロアンはメイザー公爵のところへ戻る。マーカスとソフィーには、私たちの執務の肩代わりと、名代としての社交行事への参加を頼む。全員一丸となって、召喚聖女の遺物の力に打ち勝つぞ」
ルーファスの言葉に、その場にいる全員が「はい!」と大きな返事をする。どれほどの苦労が待ち受けていたとしても、皆と一緒ならば頑張れる。ミネルバはそう強く思った。