5.様々な問題
「大前提として、僕らが触媒に力を込めても、不在の状態では効果が長くは続きません。そんでもって魅了とか催眠とか、自分の発する命令で他人を操るときは、標的に近寄る必要がある」
「お、おう。だからロバートが力を保存できる新種の触媒を見つけて、メイザー公爵の近くに仕掛けてるんじゃないかって推測してたよな」
「そうです。でも触媒が召喚聖女の遺物となると……こっちの世界の法則が通用しない。『術者』と『触媒』と『標的』の三つが遠く離れた違う空間にあっても、きっと成り立ってしまう」
ロアンがそこで口を閉ざした。マーカスが考え込むような顔つきで「つまり」とつぶやく。
「触媒のありかを探し、証拠を押さえる仕事はルーファス殿下やロアンの肩にかかっているのに、難易度が爆上がりしたってことか」
「そうです。さらに悪いことに、残された時間が限られてる」
緊迫した口調でロアンが言った。
「永久凍土の中で冷凍されてた古代動物みたいに、召喚聖女の遺物が何らかの方法で封じ込められていたとして。取り出して使い始めた時点で、消滅までのカウントダウンが始まっている。僕らが見つけられなければ、物的証拠が一切残らない」
マーカスがまたごくりと息を呑む。
「つまり俺たちは、ロバートが力を使っているさなかを押さえることも、触媒がメイザー公爵に影響を及ぼしている現場も捕らえることもできない。召喚聖女の遺物が消えてしまえば、証拠は何もなくなる。傍目には、単にメイザー公爵の気が触れたように見えるだけ……」
「召喚聖女の遺物が消滅するまで、メイザー公爵が生きていられたらですけど。このままだと彼の精神状態はますます悪化します。魅了は心を支配して、体にも影響を及ぼしますから……命を落とす可能性もある」
カサンドラが「そんな」とつぶやく。華奢な体が、息をし続けるのが難しそうなほど震えているのがわかった。
ロアンが彼女を見て、申し訳なさそうな表情になる。カサンドラは「大丈夫です」とロアンを見返した。
「あなたは単純に事実を──厳しすぎる現実を述べただけ。私は知る必要があります。どうか続けてください」
「ありがとうございます。とにかく急ぐ必要があるから、遠慮なく続けます」
いつもは悪戯っ子のようなロアンが、美しいオッドアイに知性を漂わせている。グレイリングの誇る天才児は、大人びた顔つきで再び話し始めた。
「メイザー公爵を救えるかどうかは、多分僕の浄化の腕にかかっている。怖気づいてるとかじゃなくて、これも単に事実として聞いてほしいんですが……基本的に浄化って、恐ろしく危険な仕事なんです。術者も触媒も、消されまいと抵抗してきますんで」
「お前、すごく簡単にやってるように見えたけど……そりゃそうだよな。敵意に溢れている相手と戦うんだよな」
マーカスが目から鱗が落ちたような顔で言う。
「そうなんですよ。だからほんのささいな失敗でも命に関わるんです。まあ僕は天才なんで、これまで失敗したことないんですけど」
ロアンは小さく笑って、すぐにまた厳しい表情になった。
「簡単にやっているように見えて、事前準備はしっかりしてます。相手のことを前もって調べて、正しい触媒を選択します。セリカの魅了は国王夫妻の体からだだ漏れでしたから『あ、こいつ僕より弱いな』って心の準備ができたんですけど。でもロバートは召喚聖女の遺物を隠れ蓑にしてます。そして召喚聖女がどんな力を持っていたのかも、僕は知らない」
「つまり、揃えておくほうが望ましい情報がまったくないってことか」
「そうなんですよね。何事にも備えが肝心だってのに。あ、でも自分の務めや責任は心得てるんで、誤解しないでくださいね。どんなに難しかろうが、戦う覚悟はできてるんで。いろんな意味で難航しそうだけど、時間とのつばぜり合いだし、すぐに取り掛からないとまずいかなって思ってます」
ロアンが胸を張る。十五歳の少年の顔に浮かぶ決意のほどが、苦もなく見て取れた。
「お前は私が守る」
ずっと何かを考え込んでいたルーファスが口を開いた。彼には結界を作る力があるので、たしかにロアンを守ることができる。
いくら彼らが特殊能力に詳しくても、何もかもを経験しているわけじゃない。召喚聖女の遺物からロアンを守るためには、ルーファスは能力を限界まで高めなければならないだろう。それでも命に関わる攻撃を受けるかもしれない。
ルーファスと婚約した瞬間から、ミネルバなりに覚悟はしていた。超常的な力から人々を守る人間は必要で、それこそが彼の仕事なのだと。だが現実として直面すると、予期していた以上の恐怖が込み上げてくる。
「私も手伝うわ。メイザー公爵の体に触れたら、千里眼で召喚聖女の遺物のありかを突き止められるかもしれない。公爵の体内に隠れているロバートの力のありかを、ロアンに教えることもできるかもしれない」
「言っておくが、体力をかなり消耗するぞ。本物の召喚聖女の力はセリカとはまったく違う。正直なことを言えば、君に手伝ってもらいたい気持ちより、安全な場所にいてほしい気持ちのほうが勝る」
「こんな状況で過保護になるのはやめて。私が大人しく引っ込んでいると思う?」
ミネルバはルーファスと目を合わせた。傍目からはにらみ合っているように見えることだろう。
「私はあなたの支えとなり、魂を分かち合う伴侶よ。グレイリングの勢力圏の人々を守るのがあなたの仕事で、それは私の仕事でもあるんだわ。竜手の訓練のおかげで、体力だったらどんな令嬢にも負けない。お願い、手伝わせて」
ミネルバは胸の前で両手の指を組み合わせた。緊張のあまり、心臓がどくんどくんと打っている音が聞こえた。