1.専門家
ニューマンを撃退した日の夕方から翌日にかけて、特殊能力を専門にしている学者や研究者たちが続々と翡翠殿に到着した。
ミネルバは翡翠殿の女主人だから、使用人たちに応対を任せてのんびり過ごすなんて考えられない。ソフィーとカサンドラも客人の接待に奔走し、力強い支えになってくれた。
大会議室の名にふさわしい広々とした部屋は、最高の盛り上がりを見せていた。普段は『触媒』の探求のために方々に散っている専門家たちが一堂に会したのだ。うんとにぎやかになるのも当然だろう。
「いやー、これだけの古代遺物が一箇所に集まると、熱気がすごいですねえ」
ロアンが顔を輝かせる。彼の言う通り、大理石のテーブルが古代の遺物の収集品で埋め尽くされていた。
神話の勇者が戦闘に用いたとの言い伝えがある、銘文の刻まれた剣。失われた王国の女王が神から賜ったという首飾り。山の中の洞窟で発見された千年近く前の巻物。海に沈んだ難破船から回収した世界最古の金貨。古代遺跡から発掘したという彫像や、きらきら光る宝石、女神を象った模様が刻まれた腕輪。
「すごいわ。特殊能力がない私でも、不思議なエネルギーが感じられる」
「どれも歴史的に意義のある、貴重なものだわ。こういったものが『触媒』になって、特殊能力を高めてくれるのね」
ソフィーもカサンドラも目を丸くして、それらをじっと見つめている。いまではカサンドラも、ミネルバの尋常ならざる能力について詳しく知っていた。
「実際には触媒として使えないものもありますし、能力者との相性もあるんで、どんなものからでも簡単に力を借りられるわけじゃないんですけど。ふさわしい触媒を使いこなせれば、きっと成功します。それに専門家がこれだけいるんですし、力を合わせて解決策を練ってくれますよ」
ロアンが少年らしい笑みを浮かべる。彼は本当に不思議な子で、なぜかみんなが気を許してしまう。励まされたカサンドラは、弟を見るような目で「ありがとう」とつぶやいた。
専門家は老若男女を問わず大勢いた。彼らは常にチームで動いているらしい。
それぞれチームのトップにいる人々が、かなりの老齢であることがひと目で見て取れた。百戦錬磨のおじいさんたちは元気そうで、揃って声が大きい。
「ぼうずが書いた聖遺物についての論文、ありゃあよかったのう。はて、ぼうずはいまどこにいるんじゃったか」
げじげじ眉の老人が、長年の調査で傷だらけになった手を振り回しながら問う。
「たしか、ルピータ神殿じゃなかったか? 上陸の難しさから、近年まで誰も足を踏み入れなかったスロニエ島にある古代神殿じゃよ。ぼうずは伝説の『純聖女』との関連を確認しに行ったはずじゃ」
ふさふさとしたひげの老人が、目を輝かせながら答えた。
「スロニエなら伝書鳥もたどり着くのに苦労するじゃろうよ。こりゃあ、ぼうずは欠席かのう」
白髪頭で腰の曲がった老人が残念そうに言う。
歯がほとんど残っていない老人が「いやいや」と首を横に振った。
「ぼうずは謎が大好きじゃろう。来ないわけがあるまい」
老人たちが「そうさなあ」とうなずき、わいわい言い合うのを聞きながら、ミネルバは思わず首をひねった。『ぼうず』が誰なのかも謎だし、『純聖女』というのも初めて聞く言葉だ。
「ねえロアン、ぼうずって……?」
ミネルバはこっそりロアンに話しかけた。おじいさんから見た『ぼうず』が中年なのか青年なのか言葉通りの少年なのか、まったく想像がつかない。
「ええっと。それは後のお楽しみということで!」
明るく答えるロアンは、見るからにわくわくしていた。この様子だと、かなり面白い人物が来るに違いない。
ルーファスは専門家と順番に言葉を交わしている。ミネルバもそれからしばらくの間、客人たちの要望に対応した。
そうこうするうちに、翡翠殿の使用人が新たな客人の到着を告げた。扉の向こうから現れたのは、細くしなやかな体つきの青年だった。
くせのある茶色い髪と緑の瞳、優しい顔立ちに丸眼鏡をかけている。
(ニコラスさん!?)
ミネルバはびっくりして目をしばたたいた。
ニコラス・フィンチ──アシュラン王国に駐在しているグレイリング帝国の特命全権大使で、伯爵の爵位も持っている人物だ。会うのは数か月ぶりだが、すぐにわかった。
彼は単に顔見知りというだけではなく、ミネルバにとっては恩人だった。かつての婚約者フィルバートから危害を加えられそうになったときに、治外法権の大使館内で保護してもらったのだ。
ニコラスが丸眼鏡越しに、やさしい眼差しを向けてくる。ミネルバは思わず駆け寄りそうになったが、彼の歩き方を見てはっと我に返った。
(いいえ、あの人はニコラスさんじゃない)
外見はニコラスそのものだが、歩き方や仕草が微妙に違う気がする。
「こら、ぼうず。年寄りを待たせるなと、前にも言ったじゃろ」
「遅刻癖は、ガキのころからまったく変わらんな」
「すみません。でも、ルピータ神殿でとんでもなく凄いものを見つけたんですよ。先輩方が腰を抜かすような」
「ぼうず、その言い訳は上手くない。まったく上手くないが、凄いものってなんじゃ?」
おじいさんたちに捕まっているニコラス似の青年は、到着が最後になった後ろめたさなど欠片もなさそうな顔だ。そういうところも、記憶にあるニコラスとは違う。
(でも、まるで生き写しみたいにそっくり。双子みたいに……双子?)
双子というのはありえない話ではないし、ロアンがわくわくしていたのも合点がいく。いたずらっ子の彼のことだ、ミネルバが見破れるかどうか試したかったのかもしれない。
おじいさんたちを振り切った青年が、ミネルバの前に立つ。
「はじめまして。ようこそお越しくださいました」
ミネルバは青年に、淑やかに笑いかけた。青年が丸眼鏡の奥の目をぱちくりとさせる。
ニコラスと彼が双子かどうか、いきなり不躾な質問をすることはできないと思った。貴族名鑑に双子という記載がないということは、幼いころに養子に出された可能性が高いからだ。
「ミネルバ様、お会いできて光栄に存じます。兄が言っていた通り、あなたはなんとも鋭い方ですね。グレイリング貴族はともかく、事情を知らない人にひと目で見抜かれたのは初めてです」
「じゃあ、やっぱり……」
「はい。ニコラス・フィンチの双子の弟、アイアス・カーターと申します。カーター家はフィンチ伯爵家の親戚筋で、学者を多く輩出する家系でして。双子は縁起が悪いということで、赤ん坊のころに養子に出されました。私はただ研究ができればいいので、いまでは幸運だったと思っています」
重たいことを言いながらも、アイアスはにこにこしている。
「あ、兄弟仲が悪いわけじゃないので、そこは心配いりません。真っ先に慮ってくださってありがとうございます。兄も言っていましたが、本当に優しい方なんですねえ。双子であることを秘密にしていた兄と、ルーファス殿下とロアンを怒らないであげてください。どんな人間が来るのか、あえて伏せておいてもらったんです。私の特殊能力的に、そっちの方が助かるというか。ええっと、能力ついては後でゆっくり話しますね」
アイアスはどこまでも穏やかな口調だった。ニコラスと違って、ちょっと浮世離れした人という感じがする。でもニコラスと同じで、信頼できる人だという気がした。




