4.同じ公爵令嬢
さすがのミネルバも、驚きの表情で令嬢たちを見上げた。
バルコニーへ凝視の目を向けている下位貴族たちが意識された。誰もが、この出来事を絶対に見逃すまいとしている。
「バルコニーから謝罪するのは礼儀に反するわ。なにはさておいても、まず下へ行かなければ。あなたたち、私についてきて!」
デメトラが言葉と同時に、軽快な足取りで階段へ向かう。令嬢たちも後をついて行く。
(ニューマンを撃退した直後に、こんなことになろうとは……)
ミネルバは姿勢を正して、こちらに歩いてくるデメトラと令嬢たちを待ち受けた。様々な思いが頭の中を駆け巡る。
婚約式の直前、カサンドラと三人の令嬢は共謀して策略を巡らせ、嫌がらせを仕掛けてきた。ミネルバのいないところでソフィーを窮地に追いやろうとしたのだ。
ソフィーが責め立てられるところを、ミネルバは千里眼で見ていた。外出を制限される清めの期間でなかったら、中央殿まで走って行って受けて立つことができたのに。
悔しい思いをしたことでさらなる透感力が開花し、ソフィーと心を繋げることができたわけだが。酷く消耗したことで倒れてしまい、ルーファスが烈火のごとく憤ったのだ。公爵令嬢たちのことが許せないと。
いつかみんなが自分の価値を理解してくれる日がくると信じたい。そんな日が来るように、とにかく死ぬ気で努力したい──ミネルバは必死の思いでルーファスを宥めた。
(そういった経緯があるとはいえ。皇族に次ぐ身分の、令嬢の中の令嬢を見世物にするわけには……)
公爵令嬢が公衆の面前で謝罪すれば、必ず噂になる。この場にいる下位貴族たちが目と耳を駆使して情報を集め、噂好きな社交界の人々を喜ばせることは間違いない。
(ニューマンの場合は狙い通りだったけれど……。やっぱり、公爵令嬢たちを好奇の目に晒すわけにはいかないわ。彼女たちをしかるべき場所へ連れて行こう)
ミネルバはそう心に決めた。
デメトラと三人の令嬢たちが前に進み出て、深々とお辞儀をする。顔を上げたデメトラの手を取って、ミネルバはにこやかに言った。
「ようこそいらっしゃいました。思いがけず皆様をお迎えできて、とても嬉しいわ。個室が空いておりますから、そちらへ移動しましょう」
「いきなり押しかけたのに、この子たちの立場を尊重してくださるのね。でも、御心配には及びません」
デメトラが真剣な表情で令嬢たちを見据える。
「いまのこの子達では、ミネルバ様にもてなしていただく価値がないの。いい機会だからこの場で謝罪して、心から反省していることを皆様にも伝えなければ」
プライドの高い公爵令嬢が、皆が見ている場所で自ら進んで恥をかく──そのような話はいままで聞いたことがない。しかし令嬢たちの表情は真剣そのもの、すでに覚悟を決めていることがわかる。デメトラの言う通り、心から反省していなければできないことだ。
「……わかりました。皆さんがご希望なら、そうしましょう」
それが令嬢たちの誠意ならば、受け取らなければならない。ミネルバは優しくうなずいた。
彼女たちがソフィーを糾弾し、汚いやり方でミネルバを侮辱したことは貴族たちにも伝わっている。特殊能力のことをつまびらかにするわけにはいかず、ソフィーがひとりで立ち向かったことになっているが。
カサンドラが令嬢たちの顔を心配そうに見つめている。ソフィーは戸惑い気味だ。
いまこの瞬間、ルーファスと二人の兄がどこかに潜み、耳をそばだてていることはたしかだ。
彼らがニューマンのときに動く気配を見せなかったのは、きっとミネルバたちを信頼してくれていたから。いま息を押し殺しているのは、令嬢たちの謝罪の言葉を遮らないためだろう。
「ミネルバ様、そしてソフィーさん。本当に申し訳ありませんでした。私たちはあのようなことをするべきではありませんでした」
モーラン公爵家のベルベットが真剣なまなざしを向けてくる。
「ミネルバ様の経歴を聞いただけで、すべてを知ったつもりになって……負の感情にすべてが覆いつくされてしまいました。愚かな自分が恥ずかしいです」
キャメロン公爵家の双子の姉、リオナが申し訳なさそうに両手をぎゅっと握り合わせた。
双子の見分け方は、例の一件の後ソフィーから習っていた。髪が右肩にかかっているのが姉で、左肩なのが妹だ。
「皇帝陛下をお支えすることを第一に考えるルーファス殿下が、皇弟妃にふさわしくない女性を選ぶわけがないのに、あのような暴言を……心よりお詫び申し上げます」
妹のメイリンの目に、罪悪感が揺らめいている。
すでに謝罪の済んでいるカサンドラが、彼女たちと一緒になって反省している気配が伝わってくる。
ミネルバがルーファスの婚約者に決まったという一報が飛び込んできたとき、デメトラですら憤慨したという。カサンドラたちがどう思ったかは、手に取るように想像できた。
属国の人間が皇弟妃になることは、まさに異例の大抜擢。その上婚約破棄歴まであるというのだから、稲妻を食らったような衝撃だったはずだ。
異世界から舞い降りてきたセリカのことをミネルバが信用できなかったように、公爵令嬢たちが反射的に警戒し、感情が拒絶の方向に高ぶってしまったのも無理はない。プライドの高い女性にとって、格下の相手よりも弱い立場になるのは屈辱的なことだ。
「メイザー公爵が拘留された後、私たちは何もできなくて。こちらの信用にまで影響が及ぶからと、父から接触を禁じられてしまったんです。カサンドラがミネルバ様から庇護されたと聞いたときは、嬉しかった……」
「ミネルバ様ほど優しくて、寛大で、勇気のある女性はいません。あの身の毛もよだつような後見人からカサンドラを守ってくださって、ありがとうございます。ご尽力に感謝するばかりです」
「あの男は、あくまでもカサンドラを利用するつもりでしたし。これほど迅速に動いてくださらなかったら、きっと取り返しのつかないことになっていました。本当に良かった、本当に……」
三人が口々に言い、目に涙を浮かべる。カサンドラの目からも涙が溢れ出した。
(ああ、彼女たちの間にも本物の友情があったのね……)
全員公爵令嬢で、優秀で、ずば抜けて美しくて。一見すると友情が存在しないライバルのような関係でも、温かな思いを常に胸に秘めてきたのだろう。
アシュラン王国には七つほど公爵家があるが、たまたまミネルバと同年代の令嬢がいなかった。同じ立場ゆえに分かり合える存在というものが、とても羨ましく思える。
(彼女たちはニューマンのような卑劣な人間とは違う。済んだことにこだわっていては駄目だわ。大切なのはこれから先のことなのだから)
ミネルバは心からの笑みを浮かべた。社交用の、実際の年齢よりも大人びて見えるものではなく、十八歳の娘らしい笑みを。
「謝ってくれてありがとう。ここまでの誠意を示してくれたあなたたちに、怒り続けるなんてできない。私たち、初めからやり直しましょう。きっといい友達になれるんじゃないかと思う。だから、いつでも自由に翡翠殿に遊びに来て」
泣き止んでほしくて言ったのに、カサンドラと三人の令嬢はさらに激しく泣き出してしまった。
カサンドラの化粧が剥げてしまう懸念があったので、急いで顔を隠せる大判のハンカチを手渡そうとしたら──胸にすがりつかれてしまった。
「こんなに……嬉しいことって……他にないわ。ありがとうミネルバ、ありがとう……」
自然に敬語が外れていて、より関係が深まったのだと実感できた。
「私にとっても、こんな嬉しいことはありませんよ。生まれた国は違っても、同じ公爵令嬢です。あなたたちの友情は、必ずやグレイリングの役に立つでしょう」
デメトラはそう言って、扇を揺らしながら楽しげに笑った。




