3.予期せぬ客
ニューマンが「世間知らずの小娘がっ!」と小声で毒づく。
「あなたがどれほど愚かか、わかるくらいには知っています。無礼も度が過ぎると、さらなる報いを受けることになりますよ」
ミネルバが静かに答えると、ニューマンの傲慢な顔が歪んだ。
「ど、どうすることが一番得か、よく考えた方がいいですぞ。属国出身のミネルバ様には支持者が必要でしょう。私はメイザー公爵家の人間だ。いずれ公爵になるんだ。あなたにとって、頼りになる支持者になりますよ。カサンドラに肩入れして、愚かな決断をするべきじゃない」
ニューマンの猫なで声には白々しい響きがこもっている。
「支持者は自力で増やします。属国出身だからこそ、皇弟妃の重責を担う能力があることを証明しなければなりませんから。それに価値観が合わなければ、長続きする良好な関係は生み出せません。あなたのような人間は、私の人生の邪魔になるだけです」
ミネルバはきっぱりと言った。ニューマンは舌打ちし、媚を含んだ視線をカサンドラに向ける。
「カサンドラ、温室の花のように育てられたお前に、自立なんて無理に決まってる。リンワース子爵に嫁げば、女官よりずっと行動の自由があるぞ。どうしても嫌なら、違う男を探してやろうじゃないか。それに本当は、自分よりも出自が卑しい女に頭を下げるなんて嫌なんだろう?」
「いまの私は、ミネルバ様に崇拝の念を抱いています。私のために勇気ある行動を起こし、未来を開いてくださった。知性のレベルは私と互角にやり合えるほどですし、心の美しさは私など足元にも及ばないほどです」
カサンドラから賞賛の眼差しを注がれて、ミネルバは心から嬉しく思った。彼女の言葉にふさわしい人間にならなければ。
ソフィーが厳しい目でニューマンを見つめながら、彼に口を開く隙を与えずに言葉を発する。
「私たちはミネルバ様の女官であることに、大いなる誇りを抱いています。いずれこの国のすべての人間が、ミネルバ様の価値を知るでしょう。心から尊敬するでしょう。ここにいる貴族の皆様は、すでに同じ思いのようですが」
ニューマンが「なんだと?」と目をきょろきょろさせる。次の瞬間、彼は全身を稲妻に貫かれたかのようにぎくりとした。ようやく自分が危険な状況に置かれていることに気づいたのだ。
「な、なぜそんな目で私を見るんだ……」
いまや全ての貴族がミネルバの側に立っていた。
彼らがニューマンに注ぐ視線は、軽蔑すべき類の人間を見るものだ。モリッシー男爵のおかげで、ニューマン一家の卑劣で愚かな行為がよく伝わったらしい。
誰もが視線で彼らを非難している。リリベスとサリーアンが、恥ずかしさと悔しさに身もだえしている。さんざんお山の大将を気取っていた一家だから、軽蔑のまなざしがよけいに強烈になっているのだ。
下位貴族の前で何かが起きれば、それはすぐさま上位貴族の耳に入る。万事休す、サリーアンの社交界デビューも絶望的だろう。
「次にカサンドラの周囲に現れたら、腕の立つ護衛が相手をします。何を言われても、私の気持ちは揺るがない。これ以上恥をさらす前に帰りなさい」
ミネルバは威厳のある強い声を響かせた。目にも力を入れる。こちらの力には対抗できないと悟らせなければならない。
ソフィーとカサンドラの全身にも力がみなぎっている。同じドレスの三人がにらみを利かせる光景は、迫力に満ちていることだろう。妃と女官だけが発することのできる威圧感だ。
「こ、これで終わりではないからな……っ!」
ついにニューマンが、こちらの視線の強さに負けた。捨て台詞を言い、小走りに扉に向かう。
逃げていく彼を見て、リリベスとサリーアンはパニックに襲われたようだ。二人して同じ方向に逃げ出そうとして体をぶつけ、激しく床を踏み鳴らした。
息を切らし、髪を振り乱して走るニューマン一家の姿があまりにも強烈だったので、彼らが姿を消した後も、控え室はしんと静まり返っていた。
ミネルバがほっと安堵の吐息をついた次の瞬間、大きな歓声が上がり、拍手が響き渡った。
「ミネルバ様、期待通りの素晴らしさだったわ!」
見上げると、バルコニー席でしきりに拍手をしている老女がいる。
「デメトラ様!?」
驚きのあまりミネルバは小さく叫んだ。それは『世話焼きおばさん』ことロスリー辺境伯夫人デメトラだった。
どうやら高位貴族用のバルコニー席から、こっそり下の様子を窺っていたらしい。バルコニー席は巧みに設計されており、下からは見えにくいが、上からは見渡せる構造になっている。
ミネルバは「いらしたんですか」と笑みを浮かべた。
「ええ、ひっそりこっそりね。だって、何ひとつ見逃したくなかったんですもの。名目上は親友のグヴィネスに会いに来たんだけど」
グヴィネスというのは、前侯爵の妻であるテイラー夫人の名前だ。二人は同年代だし、いかにも頑固そうなところがよく似ているし、親友だと言われたらすんなり納得できる。
「あなたの教え子はとても立派だったわねえ、グヴィネス。ここまで教育したのはさすがだわ」
「まあ、厳しくは躾けたけれど。でもね、私が教える前から実力があったのよ」
テイラー夫人が顔をほころばせる。滅多に褒めない人から褒められて、ミネルバは目を輝かせた。
色鮮やかな扇を揺らしながら、デメトラも微笑んだ。
「グヴィネスにここまで言わせるなんて、ミネルバ様は本物だわ。カサンドラさんもソフィーさんも、実に勇敢だったわよ。見事なまでに落ち着いていたわね」
「ありがとうございます」
「立派にふるまえたのは、ミネルバ様が側にいてくれたおかげです」
ソフィーとカサンドラが誇らしげに答えた。ミネルバは感謝の目で彼女たちを見た。彼女たちの顔にも同じ表情が浮かぶ。
「立派な主と、献身的に尽くす女官。あまりにも素晴らしくて、感動しないではいられないわ。グヴィネスは他にも若い友人を招いてくれたんだけど──彼女たちもとても感動したみたいよ」
デメトラは温かな声で『若い友人』というところを強調した。
「さあ、あなたたち。出ていらっしゃい。ミネルバ様たちを見習って、しっかりと謝罪をやってのけるのよ」
誰かがおずおずと出てくる、小さな足音がした。その姿を見た途端、カサンドラが大きく目を見開く。
「あなたたち、どうして……」
キャメロン公爵家の双子のリオナとメイリン。モーラン公爵家のベルベット。予期せぬ客は、かつてカサンドラと結託していた公爵令嬢たちだった。