5.ニューマン一家と女官たち
「あまりにもお美しくて、圧倒されそうだ……」
「うっとりするほどお綺麗ね……」
「遠巻きにお姿を見たことはあるけれど、間近でお目にかかれるなんて……」
控え室にいる人々が崇拝の眼差しでミネルバたちを見つめている。
何人もの下級貴族とその配偶者たち全員の名前を、ミネルバは正確に思い出すことができた。
うやうやしく拳を胸に当て、頭を垂れるオベール子爵。深々と膝を曲げてお辞儀をするパーマー男爵未亡人。ミネルバはゆっくりと歩み寄り、彼らと握手をしたり社交辞令を交わしたりした。
控え室は社交の場でもあるので、これはごく当たり前の行為だ。ニューマンとの約束の時間に遅れているわけでもない。
人々の関心がこちらに向けられている中、ミネルバはちらりとニューマン一家を見た。彼らの反応は、ミネルバの予想した通りだった。
ついさっきまで自分たちが燦然と輝いていたのに、いきなり主役の座を奪われてしまった。それが癪に触ってならないのか、いまにも爆発寸前といった表情だ。彼らは腹立たしげな足取りでこちらに歩み寄ってくる。
ニューマンが人々の視線を遮るように、ミネルバたちの前に割り込んできた。
「こ、困りますなあミネルバ様、まず最初に私たちのところへ来ていただかないと! こちらは緊急の用件で来ているのですよ。何より次期公爵が相手なのですから、道理をわきまえて……」
「おだまりなさい。道理をわきまえるべきはあなたのほうです」
ソフィーがぴしゃりと遮る。カサンドラが厳しく冷たい表情を作り、さらに言い添える。
「あなたはまだ公爵の身分ではありません。ミネルバ様に何かを要求できる立場ではないのです」
「な……っ」
ニューマンが怒りで顔を赤くする。しかし二人の女官が言ったことは事実だ。彼女たちはニューマン一家に、自分たちがこの場の誰より低い立場にあることを思い出させたのだった。
周囲の人々がざわつく。誰もがカサンドラの驚くべき変貌ぶりに衝撃を受けているようだ。
少し前までミネルバと敵対していたはずなのに、どこから見ても有能な女官そのものだし、お揃いのドレスにもミネルバの臣下であることがはっきりと打ち出されている。
ニューマンの娘のサリーアンが、険しいまなざしでカサンドラの全身を値踏みするように眺めまわした。そして、瞳に小ばかにしたような光を浮かべる。
「素敵よ、カサンドラ。でもそれ『リヴァガス』のドレスじゃないでしょう? あなた、子どものころからあそこのメインデザイナー、リヴァガス・ケントン夫人がデザインしたドレスしか着ないって決めてたんじゃなかった?」
カサンドラが静かに答える。
「いまの私には、女官としてふさわしい装いをすることが重要なの。それにこのドレスはエレガントで独創的だわ。ディリエラ・トッドという新進気鋭のデザイナーの作品よ」
サリーアンが「聞いたこともないわ」と小声で言う。
「ちょっとシンプルすぎるんじゃない? 私はもっと高級感のあるデザインがいいと思うわ。ほら、私のこのドレスはリヴァガス・ケントン夫人の最新作よ。私のほうが遥かに目立つわ」
そんなことを言いながら舐め回すようにカサンドラを見ているのだから、こちらのドレスが素晴らしい出来だと認めているようなものだ。
ミネルバもソフィーも同じドレスを着ているのだが、サリーアンの目には入っていないようだ。うぬぼれの強い彼女は、常にカサンドラに勝っていないと気が済まないらしい。
「サリーアン。ディリエラさんはリヴァガス・ケントン夫人の弟子の中で、一番優れた人なの。リヴァガスを背負って、ミネルバ様のデザイナーに応募してきたのよ。これがどういうことか、あなたにわかるかしら?」
カサンドラはにっこり微笑んだ。
サリーアンがきょとんとした顔になる。言葉の意味がぴんとこないらしい。後ろにいた母親のリリベスが、慌てたように彼女の手を引っ張った。
「ちょっとお母様、私はまだカサンドラと話が──」
「いいから、あなたは黙っていなさい。ドレスのことは言っちゃ駄目!」
リリベスの叱責に、サリーアンはむっとした顔をした。彼女はもう二十歳になるというのに、いつも周囲を困らせている我儘娘であるらしい。
さらに何かを言おうとするサリーアンの口を、リリベスが手で塞いだ。
(ディリエラさんはリヴァガス・ケントン夫人の秘蔵っ子。つまり、私たちのドレスを貶すことは、偉大なリヴァガスを貶すのと同じこと。ここにいる淑女で、リヴァガスもしくはリヴァガスを模倣したドレスを着たことのない人はいないものね)
つまりテイラー夫人はミネルバのために、誰も貶すことのできないデザイナーを選んだのだ。貶せば自らの装いまで否定することになってしまう。
サリーアンは不満そうな表情を隠そうともせず、母親を睨みつけると奥のソファへと走り、どざっと腰を下ろした。
ソフィーが呆れたように肩をすくめる。遠くから「あれが次期公爵の娘とは信じられない」という、誰かの小さな声が聞こえた。
マナーを重んじるなら、ここでサリーアンの無礼を責めるべきだが──皆の目の前で、こちらの都合よく動いてくれているので不問とする。
「ニューマンさん。私たちもあちらに座りましょうか?」
ミネルバは尋ねた。あの状態のサリーアンを移動させるのは至難の業に違いない。案の定、ニューマンが決まり悪そうな笑みを浮かべる。
「え、ああ……そうですな」
「これから意見を戦わせることになりますし。どちらが第三者の支持を得られるか、わかりやすくていいかもしれませんね」
ミネルバの言葉に、ニューマンがなるほどという表情を浮かべた。
彼の近くにいるモリッシー男爵、セルマー男爵は興味津々で好奇心丸出しだ。そして、ニューマンに取り入りたくてうずうずしている。
モリッシー男爵がずる賢そうな声で「よいではないですか」とニューマンの背中を押す。
セルマー男爵も「世間の目にどちらが正しく映るか、はっきりさせましょう」と猫なで声を出した。
「うむ、そうだな。他人の家のことにくちばしを挟むのがどれほど非常識なことか、ここにいる皆にも知ってもらう必要がある。ではミネルバ様、私たちもあっちのソファへ行きましょう」
へつらいの笑みを顔に貼り付ける取り巻きに励まされ、ニューマンが悦に入っているのがうかがえた。マナーなどという彼にとってささいな問題は、頭から吹き飛んでしまったらしい。
ニューマンはリリベスを伴ってソファーへと足を進め、すでに座っているサリーアンの右と左にそれぞれ腰を下ろした。
「ミネルバ様より先に座るのは失礼に当たります。未来の皇弟妃様の前では礼儀を守っていただきたいわ」
釘を刺すソフィーの声は凍りつきそうなほど冷たかった。
「次期メイザー公爵を名乗るなら、礼儀正しくすることにも慣れたほうがいいでしょう。いますぐ立ってください」
カサンドラが容赦のない厳しい声で言う。
ミネルバの頼もしい女官たちは、必要とあらば牙をむく。無礼を寛大に見逃すつもりはないのだ。
その圧倒的な威圧感の前にニューマン一家が息を呑む。はねつけることはできないが、プライドが邪魔をしたらしく、三人はのろのろとした動きで立ち上がった。
ミネルバは優雅な身のこなしで、ニューマン一家の向かい側のソファに座った。ミネルバの右側にソフィー、左側にカサンドラが腰を下ろす。
控え室付きの使用人がティーワゴンを運んできた。テイラー夫人がお茶の給仕をするため、ポットに手を伸ばした。
揃ってむっとした表情を見せるニューマン一家も、再度ソファに身を沈める。全員にお茶が行き渡ったことを確認し、ミネルバはにこやかな笑みを浮かべて口を開いた。
「それでは、話し合いを始めましょう」