4.ミネルバの武器
ミネルバたちの警護には、ジェムやエヴァン、ロアン、そして普段はルーファスについているセスとぺリルが総がかりで当たることになっている。
ルーファスはもちろん、ジャスティンもマーカスも待つのは耐え難いだろうが──あいにくニューマンには、皇弟やその婚約者の身内が直々に会ってやるほどの値打ちはない。何より『妃の庇護』は、ミネルバが上手く処理しなければならない問題だ。
ミネルバが歩き出そうとしたとき、テイラー夫人がごほんと咳払いをした。彼女は女官の総取締役でもあるので、もちろん付いてくるべきなのだが。
「扇を部屋に忘れてきました。私は三分ほど席を外します。戻ってから出発しましょう」
「ええ……テイラー夫人。じゃあ後で」
夫人は返事代わりにひらひらと『扇』を揺らした。状況を把握できていないカサンドラとジャスティンが首をかしげている。
「あのばあさんも、ずいぶんと身近に感じられるようになったなあ」
「ええ。厳しい教育係以上の存在だわ。実の祖母ほど甘くはないけれど、作り物じゃない温かみを感じる」
テイラー夫人が出ていくと、マーカスとソフィーはあっという間に二人の間の距離を縮めた。そして鼻と鼻が触れ合うほど顔を近づける。
「マーカス様、行ってきます。私たちに何かあったら来てくださいますよね?」
「当たり前だぜ。ソフィーをどんなものからも守ってやるために、毎日鍛えてるんだからな!」
溢れ出る愛が止まらないかのような二人を見て、ジャスティンが「なるほど」とうなずいた。礼節が守られているかどうかの監視人が、三分間の猶予──いちゃいちゃするための時間を与えてくれたことがわかったらしい。
「しかし、恋というのは人を変えるな。あんなに女性の扱いが下手だったマーカスが……」
「本当に。ソフィーさんって控えめで、人前ではしゃぐタイプじゃなかったのに……」
「ジャスティン兄さんもカサンドラさんも、恋したら変わるさ。ほら、三分を上手く使えよ!」
マーカスに背中を押され、ジャスティンはカサンドラと見つめあうしかなくなった。
「あ、あの。私にとって大事なのは、あなたの身の安全です。中央殿の騎士と連携して、陰からしっかり目を光らせておきます。何かが起きたとして、すぐさま駆けつけられる場所にいます。ニューマンと対峙するのは疲れるでしょうが、頑張ってください」
「はい……怖いことがあったら、すぐにお呼びしてもいいですか?」
「もちろんです」
ジャスティンがおずおずと、でも心を込めてカサンドラの手を握った。護衛騎士としての熱意以上のものを感じたのか、カサンドラが顔を火照らせる。
ミネルバはルーファスの方へ顔を向け、にっこり笑った。
せっかくのドレスやメイクを崩さないためだろう、ルーファスがミネルバの肩にそっと手を置く。
「ミネルバ。君が誰の期待も裏切らないことはわかっている。未来の皇弟妃としての素晴らしさを、ニューマンにとことん見せてやれ」
これ以上嬉しい言葉はなかった。ミネルバが口を開こうとしたとき、ルーファスに左手を握られた。
彼は手の甲に口づけを落とし、さらに手を返して手のひらにも口づけを落とす。
「しかし必要なら、私を武器にしてニューマンをぶん殴ること。いいね?」
つまり、必要ならルーファスの権力と影響力を最大限に利用しろということだ。これについては遠慮してはだめだと、いつも言われている。
「賢く使って、ベストを尽くすわ」
もうすぐテイラー夫人が戻ってくる。ルーファスが放してくれた手を、ミネルバは自分の胸に当てた。
しっかりと見つめあう。愛と尊敬が宿る目で。
壁際で遠い目をしていたロアンが「きっかり三分」とつぶやいたとき、テイラー夫人が部屋に入ってきた。
身も心も準備が完了したのだから、そろそろ対決しようではないか。
ミネルバたちは馬車で中央殿に移動し、十五分後には面会施設の廊下まで来ていた。ルーファスたちは最短距離を馬で駆けるので、五分もかからないはずだ。ヒーローたちは、きっと陰から見守ってくれている。
何かをまくしたてている声がかすかに聞こえてくる。どうやらニューマンは、控え室にいる皆の注意を引くことに、無上の喜びを感じているらしい。何をわめいているのかは、容易に想像がついた。
「あらら。ニューマンは大いに楽しそうね」
廊下を歩きながらソフィーが言うと、カサンドラはため息をついた。
「あの人、目立つことが大好きなのよ。居合わせた人には同情を禁じ得ないわ」
下級貴族たちは、次期公爵を名乗る人間に相応の敬意を持って接しているようだ。表面上だけのことかもしれないが。
「普通の面会であれば、見物人はいないに越したことはないのだけれど。今回は問題解決の役に立つと確信しているの。さあ、中に入りましょう」
ミネルバの言葉を合図に、ロアンとエヴァンが両開きの扉を大きく開く。ソフィーを右に、カサンドラを左に、そしてテイラー夫人を背後に引き連れて控え室へと足を踏み入れた。
ざわめきがぴたりとやむ。椅子に腰かけていた人々が慌てて立ち上がる。全員の視線がミネルバたちを追う。あんぐりと口を開ける人がいる。まぶしい陽光を見るように目を細める人もいる。
いまのミネルバたちは格別綺麗だ。三人並ぶと、どうにも無視しようのない強い磁力のようなものが出ているはずだ。見る者たちの反応から、どういった感想を抱いたのか読み取れるくらいの社交経験は積んでいる。
皆の注意を自分たちに引きつけながら、洗練と気品を絵にかいたような完璧な歩き方で控え室の中央まで進んでいく。
足を止めたミネルバは、混雑した控え室を極めて冷静に見渡した。
ニューマンはすぐに見つかった。
貴族的ではないのは彼だけだったからだ。つむじが薄くなった髪、脂ぎった顔には貪欲さと狡さが浮かんでいる。
派手に飾り立てた上着とズボン、妙な光沢のあるシャツにメイザー公爵家の紋章入りのクラバットという姿からも、公爵の位を継いだ未来しか思い描いていないことがわかる。
彼のすぐ近くに、唇を真っ赤に塗った二人の女性がいる。妻のリリベスと娘のサリーアンに違いない。不自然にカールさせた茶色の髪も、厚塗りのメイクもそっくりだ。香水の濃すぎる香りが、ミネルバたちのいるところまで漂ってくる。
彼女たちは、社交界をあっと言わせてやろうという野心に満ちたドレスを着ていた。恐らく『リヴァガス』のメインデザイナーが手掛けた特注品だろう。
現メイザー公爵の娘として、カサンドラが当然使えるはずだったお金をすべて取り上げておいて、こうまで豪華絢爛な衣装でやってくるとは──さすがに酷すぎる。
一歩前に踏み出すと、周囲の人々がミネルバの動きを追うように頭を動かす。自分が簡単に丸め込めるような小娘ではないことを、ニューマンにわからせる必要があった。




