2.テイラー夫人の采配
「それぞれの役割をきっちり演じるために、最高に美しくなってもらいます。さあ、ぐずぐずしない!」
テイラー夫人の言葉に抵抗はできず、ミネルバたちは建物内に連行された。ジャスティンとマーカス、そしてルーファスの「頑張れ」の声を背中で聞きながら。
ミネルバの私室の前の廊下で、大勢の侍女が待ち構えていた。
「皆様、入浴をご所望とか。私たちでお手伝いいたします」
にっこり笑う侍女たちは、中央殿や他の翼棟から移動してきたベテランだ。ちなみにアシュランから連れてきた二人の侍女は、昨日コリンと一緒に故郷に戻った。
新しい面々はエヴァンジェリンやセラフィーナの推薦を受けており、テイラー夫人のこともよく知っている。
迫力のある侍女に優しく手を取られて、カサンドラが盛大にうろたえた。
「あ、あの。私は汗もかいていませんし、花壇の手入れもしておりません。それに化粧も自分で済ませております。目元にこだわりがあるんです。ですから入浴の必要は……」
「ぐずぐず言っても無駄よ。テイラー夫人がこうと決めたら、私たちは抵抗できないの」
違う侍女に片方の手首を掴まれたソフィーが、諦めたように言う。ミネルバも静かにうなずいた。
逃れるすべはない──三人そろって観念して、それぞれの浴室へと連れていかれる。
先日の舞踏会準備より丁寧に洗われ、香油をすり込まれ、頭にタオルを巻いたガウン姿で部屋に戻る。最後にカサンドラがよろめきながら入ってきた。
いつもの妖艶な雰囲気とは真逆の、子犬っぽい垂れ目を見たソフィーが、あんぐりと口を開ける。
「あなた……本当に『あの』カサンドラなの?」
「ノーコメントにさせてもらえたら、本当にありがたいんだけど」
カサンドラが声を絞り出す。
テイラー夫人と髪結師と化粧師が、化粧台の前の椅子を引いた。それぞれの事情で疲れている三人は倒れ込むように椅子に座り、背もたれに寄り掛かった。
朝食もまだのミネルバたちのために、片手でつまめる軽食やフルーツのワゴンが運ばれてくる。どうやら長丁場になりそうだ。
「髪を乾かしている間に顔のパックとマニキュア、それからヘアアレンジをしてメイクに取り掛かります。とにかく、私たちに任せておきなさい」
テイラー夫人が自信満々に言った。
ミネルバたちは彼女の腕前を『魔法の杖のひと振り』と呼んでいる。美容に関しての彼女のセンスは最高だ。
髪結師と化粧師との打ち合わせも済んでいるらしく、彼女たちは巧みな手つきでミネルバたちの世話に取り掛かった。すべてが終わったときには、それはそれは素敵な姿に変身しているに違いない。
デザイナーや侍女たちも総動員で、吸水性抜群のタオルと特殊な紙を駆使して三人の髪を乾かす。同時並行で、爪をやすりで整えマニキュアを施す。三人とも同じラベンダーの花のような色だ。
テイラー夫人と髪結師が、軽やかな手つきで髪をセットしていく。緩すぎず、それでいてかっちりしすぎないお団子をソフィーは右耳側に寄せ、カサンドラは左耳側に寄せる。真ん中で纏めたミネルバを挟んで、美しいシンメトリーになっていることに気が付いた。
テイラー夫人と化粧師が、怖いほど真剣な顔でメイクにかかった。
昼に人と会うとき用に、三人とも濃すぎず自然な仕上がりに。普段は黒のアイラインを愛用しているカサンドラも、柔らかい印象のブラウンで目元を完成させる。アイシャドウはベージュ、マスカラもブラウン系で上品だ。
いつものように派手ではないけれど、ちゃんと切れ長でクールな目元になっている。妖艶さが薄くなり、凛とした美しさが漂っていた。
化粧師がカサンドラに「いかがかしら?」と問いかける。
「すごく……気に入りました。何もかも素晴らしいわ。いつもは私だけ化粧が濃すぎて、ミネルバ様やソフィーさんと雰囲気が違っていたから」
カサンドラの返答に、椅子の後ろに立つ化粧師が満足げに微笑む。テイラー夫人と髪結師もだ。彼女たちが、ミネルバたちを周囲にどう見せようとしているのかがわかってきたが、その努力をねぎらうのはドレスに着替えてからにすべきだろう。
「それじゃあ、ドレスを持ってきてちょうだい」
「はい、すぐに」
テイラー夫人の言葉に、デザイナーが答える。そして二人の侍女と衣装室の奥に消えていった。三人分の上品な風合いのドレスを、それぞれが大切そうに両腕に抱えて戻ってくる。
穢れのない美しさと、なめらかな光沢があるクリーム色のシルクだ。派手過ぎず優雅で品がある。
「舞踏会用のドレスと同じくらい気合を入れました。このドレスが上手く作用することを願いますわ」
デザイナーがにっこり笑う。ディリエラという名前の、二十代後半の女性だ。
彼女はグレイリング屈指の有名服飾店『リヴァガス』の元お針子で、テイラー夫人に選ばれるまでは無名のデザイナーだった。
ミネルバがグレイリング入りした後、大勢のデザイナーが自らを売り込みに来たのだが、テイラー夫人はディリエラのデザイン画に、大きな可能性と秘めた才能を感じたらしい。
「とにかく着てみなくては。話はそれからです」
テイラー夫人の号令で、ミネルバたちの顔にフェイスカバー用の薄布がかけられる。三人とも着付け作業を大人しく受け入れ、背中の紐がすべて編み上げられるのを待った。
「さあ。自分と、そして自分以外の二人を見てみなさい」
テイラー夫人がそう言って、ミネルバの体の向きを変えた。フェイスカバーが取り除かれ、夫人が後ろに下がる。
ミネルバはすぐに、目の前の光景にくぎ付けになった。ソフィーもカサンドラも、そして自分も──衝撃的なほど素晴らしい。
波のようなひだ飾りのついた襟元、デコルテ部分は繊細なレース、袖口にかけて広がるベルのような形の袖。
身頃と艶やかに足元まで流れ落ちるスカートには、鮮やかな蝶の刺繍が入っている。一番大きな銀の蝶と、それより小さな金の蝶と赤の蝶が、生き生きと飛び交っているのだ。
「お揃いのドレスなのね。蝶は私たちの髪の色よ。いい、いいわ。これこそ私たちに必要なドレスよ!」
こちらを見返してくるソフィーの瞳が、興奮で輝いている。
「凄いわ。本当に仲間になった気分……」
カサンドラは信じられないといった風に目をぱちくりさせ、それからうっとりした表情になった。
「ええ、完璧ね。三人ともタイプが違うのに、このドレスは全員の体にしっくりと馴染んでいるわ」
シンプルだが独創的なデザインのドレスだ。まさにエレガンスの極みといった雰囲気がある。ミネルバは肩越しに鏡を見た。体の線にきれいにフィットしていて、後ろ姿も完璧だ。
「ディリエラさん、どうもありがとう。とても素晴らしいわ。同士であり仲間であり、主と女官である私たちの制服として、ぴったりの一着よ」
ミネルバが褒めると、ディリエラが嬉しそうに笑った。
「ミネルバ様もソフィー様も惚れ惚れするほどお綺麗ですが、ドレスのテイストを合わせたらもっと素晴らしいだろうなって思っていて。そこにカサンドラ様が加わったから、よけいに」
カサンドラが納得したようにソフィーとミネルバを見る。
「たしかに、ソフィーさんは儚げ系よね。ミネルバ様は凛々しい系って言うのかしら。私は妖艶に見えるタイプだし。これだけ雰囲気の違う三人に似合うドレスって、凄いわ」
「あなた実際は子犬系だけどね」
「それは言わないで!」
ソフィーに茶化され、カサンドラが肩を怒らせる。ミネルバは「ふふ」と声を出して笑ってしまった。
メイクのテイストは統一され、ミネルバを挟んで髪型はシンメトリー、ドレスはお揃い。くすぐったい気分と心強さが入り混じる。ルーファスもきっと驚くに違いない。
「ミネルバ様とソフィーさんの分は、前からこっそり準備していたのです。カサンドラさんの分が追加になって、四日で仕上げるのは苦労しましたが、あの無礼な後見人に見せつけるために必要だと思いましてね」
テイラー夫人が満足げに扇を揺らす。
「では、効果のほどをたしかめましょうか。そこのあなた、ルーファス殿下たちを呼んできてちょうだい」
夫人が一番若い侍女に命じた。しばらく──いや、ほどなくしてルーファスとマーカス、そしてジャスティンが現れた。三人の青年たちがミネルバたちに目をとめて、はっと息を呑む。
「これは凄いな。背筋がぞくぞくするぜ」
「ああ。それぞれがうっとりするほど綺麗だが、三人揃うと……強烈な存在感を放っているな」
マーカスが目を見開き、ジャスティンが口元に手を当てる。
ソフィーはカサンドラの背中を押すようにして歩き、彼女をジャスティンの前に押し出した。そして自分はマーカスの前に立ち、彼の目の前でくるりと回って見せる。
「マーカス様、どうですか?」
「おうソフィー、とびきり綺麗だぜ! エレガントでキュートで、いつもより凛々しくて、完璧以外の言葉が思いつかないっ!」
マーカスが拳を握って身もだえする。ほめちぎられてソフィーは嬉しそうだ。
「カサンドラさん。護衛としてではなく男として言わせてください。いまのあなたもとても綺麗だと。化粧が変化したことで、ミネルバやソフィーさんと調和して……劇的な効果を及ぼしている」
「あ、ありがとうございます。いつもの私には違いないのに、こんなに自然に見えるのは初めてで」
ジャスティンがため息交じりに言い、カサンドラの頬がピンク色に染まった。
四人の様子につい口元をほころばせていると、ルーファスに「ミネルバ」と呼ばれた。急いで彼を見ると、熱い眼差しを注いでくれている。
「気が遠くなりそうなほど綺麗だ」
「ありがとう。皆が私の全身をぴかぴかにしてくれたの」
褒められたのが嬉しくて、顔が赤くなるほどの嬉しさの波に襲われる。ミネルバは感謝の気持ちを込めてテイラー夫人やデザイナー、髪結師に化粧師、侍女たちを順番に見回した。
「お揃いのドレスをまとった君たちの迫力は圧巻だな。皆の注目を集めずにはおかないだろう。君が主人で、ソフィーとカサンドラが女官であることを、周囲に一秒たりとも忘れさせない」
ルーファスはテイラー夫人の意図を完璧に理解していた。夫人が表情を和らげる。
「今日は『たまたま』面会施設に、たくさんのお客様が来られます。貴族出身の使用人の家族の面会日が『たまたま』重なっていましてね。ニューマン一家は気合を入れて着飾ってくるでしょうが──皆から憧憬の眼差しを注がれるのは、ミネルバ様たちのほうですわ」
扇で口元を隠しながらテイラー夫人が微笑む。最高に頼りになる教育係にミネルバたちは目をしばたたいた。
戦闘開始時刻が迫ってきている。いまのミネルバたちの見た目が誰にも負けないことは、疑いようのない事実だった。