5.メイザー公爵の現状
「ジェイコブ・ニューマンというのは、どうしようもない俗物ですな。妻のリリベス、娘のサリーアンも同様に、自分のことしか頭にないタイプです。グレイリングでも指折りの名家、メイザー公爵家の血縁だとはとても信じられませんよ」
ミネルバたちが椅子に腰かけると、ジミーはさっそく報告を始めた。ニューマンとリリベスはミネルバの両親と同年代で、サリーアンは21歳──そろそろ行き遅れと言われる年齢だ。
「ニューマンは南の属国バルセート王国で宝石店を営んでいますが、あまり成功していませんね。資金繰りが苦しいのか、仕入れのために出向いた鉱山で安く値切って買おうとしまして。物の価値を正しく見分けることのできない男だと、業界内では悪い評判が立っていたようです」
「鉱山……」
ミネルバは口元に手をやった。ロバートが悪だくみをしていたディアラム侯爵領には、温泉地のほかに鉱山があったはずだ。
「ソフィー。ディアラム侯爵領にある鉱山からは、銀と鉛が採れるんだったかしら」
「え、ええ。かつては領民に豊かな生活をもたらしたけれど。鉱山の収益性は年々減少し、かなりの勢いで衰退しているらしいわ」
ソフィーがこわばった声で答える。ロバートを思い出させてしまったことを申し訳なく思いながら、ミネルバはその事実を噛み締めた。
「宝石鉱山ではないから、ロバートとニューマンに繋がりがあるというのは……きっと私の考えすぎね」
「いや。ミネルバの勘は尊重すべきだ。調べる価値はある」
ルーファスはそう言ってジミーを見やった。ジミーが満面の笑みでうなずく。
「前回もミネルバ様の読みが的中しましたからね。私の仲間たちが、ロバートの行状を必死で掘り起こしてますし。過去にニューマンと接点があったかどうか、ついでに調べさせましょう」
「ありがとうジミー。前のはまぐれかもしれないし、今回は勘違いかもしれない。無駄足を踏ませたら申し訳ないけれど、どうしても気になるものだから」
ミネルバは浅く息をつき、ジミーに向かって微笑んだ。そして報告書に意識を戻す。
「それにしても後見人の立場にある人間が、こんなにも卑劣な仕打ちをするなんて……」
気分が悪くなるような文章を、ミネルバは目で追った。
メイザー公爵の拘留後、ニューマンと妻子が「これで金に苦労せずに済む」と喜び勇んで屋敷に乗り込んできたこと。
彼らがすぐに派手な散財を始めたこと。使用人たちへの恫喝、カサンドラの食事を抜き部屋へ監禁したこと……そのすべてで、使用人から証言が取れている。
「これに加えて、メイザー公爵家の会計士の証言も取れました。カサンドラ嬢の日常生活用の手当てのみならず、持参金となるはずの金まで横領しています。ニューマンは悪い意味で手先が器用なようで、小切手のサインを偽造したようですな。カサンドラ嬢の財産がこれ以上目減りしないよう、そちらの銀行口座は凍結の手続きを頼んでおきました」
ジミーの言葉に、ジャスティンが安堵の息を漏らした。
「これだけの証拠があれば、いくら後見人でも優位に立つことはできないな。宮殿の侍医の診断書もあるし、こちらは妃の庇護の正当性を主張できる。カサンドラさんを金持ちの老人に嫁がせて利用することは、絶対にできない」
「ええ。ニューマンが宮殿に押しかけてきたら、追い払うだけね」
ミネルバが明るく答えると、ジャスティンの隣に座っているカサンドラが感動の面持ちでつぶやく。
「こんなに迅速に動いていただいて……」
彼女は報告書をぎゅっと抱きしめて、上半身を折り曲げた。
「ルーファス殿下、ミネルバ様、そしてジミーさん。本当にありがとうございます」
そう言って体を起こし、カサンドラは呼吸を整えた。
「次は、父の現状についての報告ですよね。私にとっては聞きたくないことかもしれませんが……覚悟はできています」
ニューマンによって屋敷に監禁されていたのだから、メイザー公爵の現状を詳しく知っているはずがない。しかしカサンドラは、問題が深刻であることに気づいているようだ。
ジミーは黙ってうなずき、報告書のページをめくった。
「メイザー公爵は、自らにやましいところはないと言っております。ロバートがなぜ作り話をするのかわからないと。ただ現状では、裁判で無罪を勝ち取ることは難しいでしょう。なにしろ、不利な証拠がいくつもありますのでね」
カサンドラは動揺を見せず、じっとジミーを見つめている。
ロバートによれば、メイザー公爵が彼を脅して、ギルガレン城の地下通路の秘密を盗ませたというのだ。公爵はルーファスが皇帝になることを望んでいた。だからトリスタンに反旗を翻そうとしたのだと。
そしてロバートは法廷に提供できる証拠を残していた。公爵からの手紙、公爵とのやり取りを事細かに記した日記、クレンツ王国の諜報員と公爵が密会していた現場の目撃者……報告書を読む限り、公爵は言い逃れのできない状況だ。
「これだけ目に見える証拠がたくさんあるにも関わらず、未だにジミーが動いているということは……背後に探るべき真実があるということね? 舞踏会でも、特殊能力を使った調査に入ると言っていたし」
ミネルバはルーファスを見つめた。
「たしかに、妙な点が多い。まず第一に、合理的な疑問のない証拠が『多すぎる』んだ。なにしろ裏帳簿を極めて狡猾に、用心深く暗号化していたロバートだからな。メイザー公爵を人身御供にするために、わかりやすい証拠を偽造した可能性は捨てきれない。相手がありきたりの悪党ではない場合、ジミーのような特殊な能力を持つ人間が動くことになる」
ありきたりではない、一筋縄でいかない事件といえば、アシュランで起きた国王夫妻殺人未遂がある。実はジミーもアシュラン入りしており、セリカの尾行や、偽物と本物両方のレノックス男爵の情報を収集する役目を担っていたらしい。
「二つ目の妙な点は……メイザー公爵の精神が非常に不安定ということだ。拘留によって大きなストレスに晒されているから──というだけではなく、特殊能力が原因で起きる精神の異常が現れている」
ルーファスが眉間にしわを寄せる。ミネルバは口元に手を当てて考えをめぐらせた。
「誰かが特殊能力を使って、メイザー公爵の精神に働きかけているということ? でもそれって……ありえるのかしら。公爵は拘置所にいて、そういう意味ではとても安全なのに」
魅了の能力を持つ異世界人のセリカが国王夫妻を殺そうとしたとき、自分の魔力をこめたものを王宮内のあちこちにしかけていた。そして、魔力の切れたものはこっそり回収していた。
つまり特殊能力の持ち主が不在の状態では、効果が長くは続かないのだ。それに天才のロアンですら、標的に近づかなければ力を使えない。ミネルバの場合は多少離れた場所からでも心を繋げることができるが、長時間は無理だし、相手は信頼しあっている人物に限られる。
「警備の厳しい拘置所に、特殊能力を持った犯罪者が頻繁に出入りしているなんて、考えられないわ」
「そう。そこが妙なところなんだ。拘置所の職員は身元のたしかな人間ばかり。そして、強力な特殊能力は持っていない。ニューマン一家の面会には必ず職員が立ち会っているし、持ち物も厳しく見分される。万が一彼らに特殊能力があったとしても、そういった芸当ができる隙などない」
ルーファスが指先で眉間を揉みほぐした。ジミーが小さく肩をすくめる。
「いまわかるのは、メイザー公爵のまとう空気がおかしいということだけでして。うまく説明できないんですが、とにかく気味が悪いんですよ。特殊能力に影響されている兆候はあるのに、それが誰の力で、どこから来ているのか、まったくわからないんです。我が国の誇る天才のロアンですらね」
ミネルバは息を呑んだ。ロアンは強力な浄化能力を持っていて、国王夫妻がセリカの力に影響されていることを一瞬で見抜いたのに。
「悔しいことに、そうなんですよねえ。特定できないなんて初めての経験です」
ロアンが悔しそうに口をへの字に曲げる。
「メイザー公爵は日を追うごとに、不安定どころか正常ではなくなってきています。しきりにおかしなことを言っていますし」
「あ、あの。父はなんと?」
カサンドラが耐え切れないといった表情で身を乗り出した。
ルーファスの部下たちが特殊能力──人知を超えた不思議な力──の持ち主であることは、事前にざっと説明してある。ロアンやジミーは、特殊な事件に対応できる専門家なのだと。
「ええっとですね……」
ロアンが複雑そうな表情になる。自分の不甲斐なさに対する嫌悪感と、カサンドラへの同情が入り混じったような顔つきだ。
「その……『声が聞こえる』と、しきりにそう言っています。妄想癖があるとか、神経症とか、そういうのじゃなく……誰かによる催眠暗示の可能性があると、僕は思っています」
ロアンの言葉に、カサンドラが大きく目を見開いた。