4.ジャスティンとカサンドラ
穏やかな表情でジャスティンが一歩前に出る。彼の装いもまた完璧で、精悍だった。妹であるミネルバも思わず目を奪われるほどだ。
ジャスティンはバートネット公爵家の嫡男として生まれ、王位に就く可能性は皆無に等しかったのに、アシュランの未来のために新王太子という重圧に耐えている。優しくて誠実で、道義心溢れる性格が、騎士服の下からにじみ出るようだ。
ジャスティンはカサンドラの真正面に立ち、うやうやしく頭を下げた。
「トリスタン陛下より、カサンドラさんの護衛隊長の役目を仰せつかりました。私はアシュランの騎士団で厳しい訓練を受け、前王太子の側近として十四年近く務めました。腕には自信があります。アシュラン王国の代表として、また皇帝陛下の顧問官として、全身全霊をかけてお守りします」
ジャスティンの声は優しかった。穏やかにほほ笑む彼に、カサンドラも笑みを返した。笑い方はかなりぎこちなかったが。
トリスタンの名前が出た以上、カサンドラに護衛を断るという選択肢はないのだ。
ひとりで出歩くのが危険なことは、高貴な女性なら誰もが理解している。おまけに後見人のニューマンが、何もしてこないとは言えない状況だ。
「お引き受けいただきありがとうございます。ジャスティン様の助けがあれば、身の危険に悩まされることなく拘留中の父に会いに行ける。でも、私の個人的なことに巻き込んでしまうのは、とても申し訳なく感じます……」
「いまのあなたは、お父様のことが何よりも大切でしょう。そんなことで気に病まないでください」
ジャスティンがにこやかに言葉を継ぐ。
「身体能力の高さや、瞬時の判断力には自信があるんです。必要とあらば、どんな手を使ってでもお守りします。もちろん可能な限り暴力なしで、とは思いますが。大切な人を守るためなら、私はためらわない」
「大切な人……」
カサンドラの小さな声に、ジャスティンの顔が急激に赤くなる。
「い、いや! 大切な護衛対象という意味でっ!」
「ええ、そうですよね」
カサンドラがほほ笑んだ。そして伏し目がちに「まさか、そんなわけがないもの」とつぶやく。動揺しているジャスティンはそれに気づかなかったようだ。
「カサンドラさんを守り切らないと、妃の庇護が上手くいかないというか。その、ミネルバの評判にも悪影響を与えてしまいますから。皇帝陛下の顧問官は大変な名誉ですし、私にとっては箔をつけるいい機会でもあるんですよ!」
「わかっています、すべてはミネルバ様のため。ご迷惑をかけないように、決してうかつな行動はしません。それに……ジャスティン様がよきパートナーに巡り合うために、周囲を誤解させるような行動も慎まなければ。昨日は個人的な事情を事細かく打ち明け、弱いところを見せてしまいましたが。これからは控えますね」
「あ、いや。それは見せてもらっても……」
我が兄ながらなんて不器用な──ミネルバはそう思いながら、あれよあれよという間に誤解が生じていく様を眺めていた。
コリンが「くっ」とじれったげな声を漏らし、肩を上下させて息をつく。そして彼はミネルバに近寄ってきて、小さな声で囁くように言った。
「カサンドラ嬢が抱えている事情はともかくとして、ジャスティン兄さんが彼女に好意を抱いていることは間違いないんだ。まじめすぎて異性関係が欠如しまくってる兄さんが、恋愛という大きな壁を飛び越える大ジャンプをするかと思ったけど。永遠に無理そうな気がしてきたよ」
真面目なタイプで異性に免疫がないのはコリンも同様だ。マーカスも加えて三人で、子どものころからフィルバートに振り回されてきたせいで、女性とはあまり縁のない生活を送ってきたのだ。
ジャスティンは王位に就くために結婚しなくてはならず、女性と接することを避けて通ることが難しい。
グレイリングでも人気のある独身男性だから、こっちに残っている間は令嬢たちがまとわりついてくるはずで──なんだかひと悶着ありそうな気がする。
ミネルバがそんな風に思っていると、コリンがちょっと困ったような声で続けた。
「デメトラ様の相性診断のことは、カサンドラ嬢には言わないでくれってさ。護衛騎士たるもの、守るべき相手の心を惑わすようなことをしてはならないんだって。カサンドラさんは傷心中で、いまの自分に肯定的な感情を持っていないだろうし。これじゃ恋愛関係にはなりそうにないなあ」
「うん……」
ミネルバは小さくうなずいたものの、ジャスティンとカサンドラの未来に対する気持ちは、デメトラからオーラについて教えられた時点とは違ってきている。
相性がいいし、すばらしい夫になることもわかっているからといって、カサンドラがジャスティンを愛せるとは限らない。
ジャスティンには自力で、カサンドラを委ねることのできる男になってもらうしかない。彼女の心を掴めなかったら、それは当然ながら自分自身の責任だ。
ミネルバが視線を戻すと、華麗な外見と奥手な性格の落差が激しい二人は嚙み合わない会話を続けていた。
「ジャスティン様には本当に感謝しています。父さえ拘留されなければ、申し分ないお相手をご紹介できたのですけれど、いまは皆から距離を置かれていて。でも女官になれば、これまでとは違った観点から令嬢たちを見ることができますわ。素敵な女性を見つけるアドバイスができるよう、頑張りますね」
「いえ、お気遣いなく。紹介もアドバイスも、一秒たりとも欲しいとは思いません!」
「では、その。すでに意中の人がいらっしゃると。いやだわ、私ったら余計なことを」
「ああ、ええ……ちが、いや、ちがわ、うう……」
ジャスティンが頭を抱えている。壁際のロアンは好奇心いっぱいの顔つきで二人を眺めていた。
「僕が思うに、ジャスティン様は自分の嫁探しのことは置いておいて、護衛隊長としての職務に邁進したいってことなんですよね?」
「そうそう、そうなんです!」
ロアンの助け舟に、ジャスティンがぱっと目を輝かせた。
「いざというときに対処するのが護衛ですが、そのためにはカサンドラさんのことを詳しく理解しておかなければなりません。ただひたすら職務のために、カサンドラさんに精神を集中させてください!!」
「は、はい」
ジャスティンの謎の勢いにカサンドラが目を見張り、身をこわばらせる。ミネルバはこめかみをさすりながら、二人の間に割って入った。
「衣食住に護衛、カサンドラさんの安全のために必要なものが満たされたことだし。そろそろ次に移りましょうか」
「ああ。ニューマンについての情報を、ジミーが持ってきたんだ。まずは報告を聞こう。そのあとで、共有しておかなければならないことがたくさんある」
ルーファスもさりげなく、ジャスティンの視線に入る位置に移動する。まるで少女のように頬を染めていたジャスティンが、即座に冷静さを取り戻した。
「外国で暮らしていたニューマンの情報をたった一晩で集めるとは、さすが凄腕諜報員ですね」
ジャスティンが感嘆の声を上げたとき、書類の束を小脇に抱えたジミーが部屋に入ってきた。
「お褒めに預かり光栄です。こういう仕事は年中無休、二十四時間営業ですのでね。大概は情報を一番多く持っている者が勝ちますから。スピード勝負というやつですな」
肩をすくめてジミーは笑い、早速報告書を配り始めた。