3.二組のカップル
カサンドラが落ち着いて眠れるように侍医のジェムが薬を処方してくれたので、翌日の朝には彼女は元気を回復していた。顔に血の気が戻ったし、涙の消えた瞳には明るい輝きがある。
「翡翠殿の使用人はみな親切ですね。お一人お一人にお礼をしたいので、早くお名前を覚えなくては」
ミネルバの執務室でほほ笑むカサンドラは、昨日とは別人だ。完璧に施された化粧以外は。
髪はアップにし、少し斜めの位置でまとめている。豪華な赤毛を下ろしていない彼女を見るのは初めてだ。
ドレスはベージュのシンプルなデザインで、襟が大きく開いているわけではないし、袖も手首まである。かつての女らしい曲線を強調するセクシーなドレスとは雰囲気がかけ離れているが、よく似合っているし、より輝いて見える。
「お互い、こんなことになるとは考えてもみなかったわよね。私たちが女官仲間になるなんて」
ソフィーがひょいと肩をすくめた。カサンドラが申し訳なさそうな顔つきになる。
「ソフィーさん……この前のこと、本当にごめんなさい」
カサンドラがソフィーに向き直って頭を下げた。心からの「ごめんなさい」であることが伝わってくる。
「あなたは何一つ悪いことはしていなかったのに。すべてはミネルバ様を受け入れられなかった、私の狭い心のせい。あそこまで無礼なことをして、許してほしいだなんて図々しいけれど……」
「いいわ、許してあげる。私たちの間に起きたことを蒸し返したって、何の得にもならないし。過去に戻ってやり直すことができない以上、これから良くしていくことを考えましょう」
ソフィーが細い腰に両手を置いて、ちょっと偉そうに言う。
「後輩ができるのって、思ったより嫌ではないわ。私はミネルバ様のスケジュールを組む作業に当たっているの。各国の要人から届いた手紙や招待状を、素早く翻訳してくれるスタッフが欲しかったのよ。めそめそした気分に浸っている暇なんてないくらい忙しいわよ。でも、保証するわ。翡翠殿での仕事は、夜会や舞踏会よりはるかに楽しいって!」
カサンドラがしげしげとソフィーを見た。
「ソフィーさんって、儚げな人っていう印象だったけど。実はタフな性格だったの……?」
「生まれ変わったのよ。ミネルバ様の女官として働くなら、タフでなければね。摩訶不思議というか、胸が張り裂けそうなほどびっくりすることの連続なんだもの。あなたもそのうちわかるわ」
「まだよくわからないけど、心が鍛えられるのは大歓迎よ」
ソフィーの茶目っ気を帯びた声に、カサンドラもつられたように笑顔になった。おしゃべりの種を無理やりひねり出す必要がないほど意気投合している。
そんな二人の様子に安堵し、ミネルバは深呼吸してから言うべきことを告げた。
「皇帝陛下のご意向で、カサンドラさんには『いざというとき』に対処する護衛がつくことになったの。後見人のニューマンは、妃の庇護を不快に思うでしょうから。腕の立つ安全な人よ。ええっと、あなたも多少知っている、押しつけがましくなくて横暴なところのない男性なんだけど。もうすぐここに来るはず──」
察しがついたらしいカサンドラが、はっと息を呑むのがわかった。次の瞬間ノックの音が響き、壁際に立っていたロアンが「はいはーい」と軽快な足取りで扉を開けに行く。
入ってきたのはルーファス、ジャスティン、マーカスの三人だった。それぞれが後光を放つような麗しい姿で歩いてくる。
「ああ、なんて素敵なの! マーカス様かっこいい、かっこよすぎ、よすぎてクラクラしちゃう……っ!」
ソフィーが悲鳴のような声を上げる。実際にそれは──目を見張るような光景だった。
三人は完璧な正装で、最上級の仕立ての黒い騎士服に、皇族の血筋や皇帝の顧問官の地位を示す勲章や肩章をつけている。
ジャケットもスラックスもブーツも漆黒で、どこもかしこも頑丈で男らしく見える。
肩が広く、足が長く、均整の取れた非の打ちどころのないスタイルを持つルーファスを見て、ミネルバは感嘆のため息を漏らした。
カサンドラは目を大きく見開いてジャスティンを、ソフィーはうっとりとマーカスを見つめている。
三人ともおとぎ話に出てくるような、いや、それ以上に凛々しくて魅力的な姿だ。
「たまげたなあ。普段は忘れがちだけど、マーカスさんって本物の二枚目ですよねえ」
ロアンが笑いながらマーカスを見る。
「おう。山ほどある俺の美点のうちのひとつだな」
マーカスが片手で顎を撫でて、照れくさそうに言った。
「たしかにマーカス様は二枚目よ。騎士服姿は初めて見たけれど、とっても凛々しいわ!」
ソフィーの興奮は隠しようもなく、顔が火照って真っ赤になっていた。そんな彼女を見て、マーカスが嬉しそうな表情になる。
「そうか。かっこよく見えるんなら、よかった」
「よいどころじゃないわ。とびきり男らしくて、エレガントで、堂々としていて、ハンサムで、セクシーで、目がくらむほど素晴らしいものっ!」
「そ、そんなにか?」
言葉を尽くして褒めずにはいられないソフィーに、マーカスがうろたえたような笑みを返す。
微笑ましい二人の様子を眺めていたルーファスが、大股でミネルバに近づいてきた。
贅肉のない体にまとう漆黒の騎士服は、彼が皇帝の名代として動く際に着用する特別なもの──二人が初めて出会った、アシュランの元王太子妃セリカ主催のお茶会でも身に着けていたものだ。
「私まで着替える必要はなかったんだが、ミネルバが喜ぶと兄上が言うものだから」
「うん……かっこいい……」
ミネルバは顔が熱くなるのを感じた。この姿を見るのは久しぶりで、ときめかずにはいられない。
「なんていうか……えっと、あの日を思い出して、背筋がぞくぞくしちゃうというか。私を救うために、神様が使わしてくれた漆黒の天使様だと思ったわ。あの日の一瞬一瞬が私の宝物だから、またその姿を見られて嬉しい……騎士服が力強さを引き立てていて、本当にかっこいい」
もじもじしないよう努めても、到底無理だった。あの日ミネルバを救ってくれた皇弟殿下と婚約して、こうして幸せに暮らしているなんて夢みたいだ。
たくさんの言葉を費やすよりも、真っ赤になったミネルバの顔の方が、熱い心のうちを雄弁に物語っているに違いない。
「そこまで褒められると、照れる。でも、素晴らしく感動するな」
ルーファスも頬を赤く染める。有能だが冷酷な、漆黒の皇弟殿下──周囲からそんな風に言われている彼の可愛いところを見て、なおさら胸がきゅんきゅんした。
「あー暑い暑い。この部屋の気温、急上昇してません?」
ロアンがからかうような声で言った。いかにも彼らしく、面白がっているのを隠そうともしていない。
違う場所から咳払いが聞こえた。慌てて目をやると、戸口の近くにコリンが立っている。後からこっそりと入ってきていたらしい。
「二組のカップルに、集中してイチャイチャしてほしいのは山々なんだけど。ジャスティン兄さんの正式な自己紹介がまだなんだよね」
コリンがにこやかに言う。二組のカップル──ついつい自分たちの世界に浸っていた四人は、ますます顔を赤らめた。
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そして大雨や強風に見舞われている読者様が、どうか何事もありませんように。いろいろ大変な状況だと思いますが、被害が最小限にとどまってくれるよう祈るばかりです。