2.マーカスとソフィー
「さて、目下の最優先事項は、カサンドラの後見人ニューマンについての情報を集めることだな」
「はい、兄上」
トリスタンの言葉にルーファスがうなずく。
「ジミー・ルウェリンに任せれば、短時間でかなりの情報を得られるでしょう。メイザー公爵とロバートの調査も、何か進展があったらお知らせします」
ジミー・ルウェリンは特殊な能力のある諜報員で、どんな人間にもなりすませる。鍵を開けるのも非常に上手く、たいていの扉を通り抜けることができる。
特別な扱いを要する事件を捜査する人材の大半は、何らかの特殊能力を持っているのだ。彼らの活躍の舞台は世界中のあらゆる場所に及んでいる。
「では、今日はここまでにしよう。ミネルバ、カサンドラのことは任せた」
「はい。焦らずじっくりと、彼女と友情を築いていきたいと思います」
ミネルバは力強く答えた。カサンドラはひどく心細いに違いないが、翡翠殿の使用人は大家族のようなものだ。彼女もすぐに自分の居場所がある安心感、守られている安心感を得ることができるだろう。
中央殿から翡翠殿へと戻る馬車の中で、ミネルバとルーファスは今後のことを話し合った。
「カサンドラがある程度落ち着いたら、メイザー公爵とロバートの現状を共有する必要があるわね」
「そうだな。私たちの特殊能力についても触れる必要があるだろう。ロバート逮捕に、既存の科学では説明できない力が使われたことを。戸惑うだろうが、真実を知るためには受け入れてもらうしかない」
同乗しているマーカスとソフィーが顔を見合わせる。
「ロバートのことを思い出すたびに、拳で殴りつけてやりたくなるな」
「もう一度あの人と会う勇気は、私にはないわ。本音を言えば、マーカス様も関わってほしくない。どうしようもない男だし……投獄されてほっとしたもの」
ソフィーの美しい顔が歪んだ。
「あんなうさんくさい男と婚約していたなんて……恥ずかしいし、悔しい」
「ソフィー、もう思い悩むな。あの男は口が上手いし、外見も完璧だ。金のためなら危ない橋を渡る男だなんて、見抜けなくても仕方がない」
マーカスは安心させるようにソフィーの肩を抱いた。
人間が持つべき倫理観がロバートに欠如していることは、彼がソフィーの妹のミーアに手を出したことで明らかになっている。
ソフィーと、いまは修道院にいるミーアが生まれたギルガレン辺境伯家の城の地下には、大がかりな地下通路がある。
天才と呼ばれた職人が生み出した非常に複雑な仕掛けが施されており、詳細を知るのは辺境伯とその妻子、そして皇族だけだ。
ロバートはこの地下通路の情報をミーアから聞き出し、クレンツ王国──グレイリング帝国と敵対しているガイアル帝国陣営の国──に売ろうとしていたのだ。
ギルガレン城の地下通路を手掛けた職人は、同盟国であるルシンディア王国の王城にも似たような仕掛けを残していた。ガイアルはギルガレン城の仕掛けを分析して、ルシンディアを侵略するのに役立てるつもりだったらしい。
「ロバートは鼻先に金をちらつかせられたら、平気で後ろ暗いことに手を出す奴だ。ミネルバの千里眼が事件を暴いてくれて、本当に助かった。野放しにしていたら、何をしでかすかわからない危険な男だからな」
「千里眼で情報を得た後の、ジミーさんの行動は早かったものね。秘密裏にグレイリングに潜入していたクレンツの諜報員の居場所を、ミネルバが見せた映像をヒントにあっという間に突き止めた。ちょうどロバートと密会しているところで、現行犯逮捕できたのよね」
「ロバートはぎょっとして凍りついたらしいぞ。俺もその顔が見たかったな。何しろ国際的な陰謀が絡む事件に加担したんだ、一生牢屋から出られないかもしれない」
「千里眼がルシンディア王国の民も救ったのよね。ミネルバはきっと、生まれながらの救済者なんだわ」
ソフィーの言葉に、ミネルバは「大げさよ」と微笑んだ。それから隣に座るルーファスに視線を向ける。
「ねえルーファス。捕らえられたクレンツ王国の諜報員は、ガイアル帝国にとっては使い捨ての駒なのよね?」
「ああ。実際、ガイアルの思惑については大して知らないらしい。多少の情報は得られるだろうが、ガイアルの上層部まで行きつくとは思えないな。しかしそれでも、一定のダメージを与えたことは間違いない」
ルーファスが指先で眉間を揉みほぐす。
「くだんの天才職人が残した仕掛けについては、グレイリングとルシンディアで共同研究することになった。最新の科学技術もかけ合わせて、セキュリティレベルをさらに向上させる。いくらガイアルといえども、簡単には突破できないだろう」
「そのことは、本当によかったわ」
ミネルバはしみじみとつぶやいた。人々の暮らしが侵略や戦争から守られたことが、心の底から嬉しい。
「ロバートはともかく、一国の公爵が諜報員と会っていたというのは驚きですね。ロバートの野郎は、首謀者はメイザー公爵だとわめいているんでしょう?」
マーカスがルーファスを見ながら口を開いた。
「そう主張しているな。実際ロバートは、メイザー公爵とクレンツ王国の関連を結びつけるような証拠を揃えていた」
ルーファスが口元を手で押さえ「揃いすぎているくらいに」と小さな声で言う。
「いずれの証拠も、現在精査中だ」
「建国にも携わった名家の当主が、祖国を支配されても構わないと考えるなんて、腑に落ちないものがありますね。メイザー公爵は、貴族たちが漏らした噂話をロバートから買ったことは認めているんですよね?」
「ああ。それだけなら、法に触れるような行為ではないが」
「恐らく、娘の社交活動を有利にしたかったんでしょうね。カサンドラ嬢はそんなこと望んでいなかっただろうに。メイザー公爵には彼女しかいなかったし、彼女にも父しかいなかった。ロバートみたいなろくでもない男と関わらなければ……」
マーカスが目を細める。面構えが違って見えるのは、皇帝の顧問官に任命されたからだろう。
かつてマーカスは、王太子フィルバートのために尽力するやり手の側近だった。どうやらその時代の勘を急速に取り戻しつつあるらしい。
プライベートでは騒がしいが、仕事中は落ち着いていて、器用で、何でも有能にこなす人だ。マーカスの頼もしい横顔を、ソフィーがうっとりと眺めている。
馬車が翡翠殿のエントランスに到着した。三階建てで、地下室まで備えた立派な翼棟には、数えきれないほどの部屋がある。
建物内では、執事や侍女頭をはじめとする使用人たちが忙しく立ち働いていた。カサンドラのための部屋を用意しているのだ。
ソフィーの部屋と同じ並びにある広々とした部屋は調度品も豪華で、一国の王女でも快適に過ごせそうだ。
「私もここでしばらく暮らしているけれど、使用人の働きぶりも申し分ないし、食事も美味しいし。テイラー夫人のお小言さえなければ、天国なんだけどなあ」
ソフィーがこっそり耳打ちしてくる。ミネルバは思わず声を上げて笑ってしまった。
今日のところは、カサンドラには部屋でゆっくり休んでもらおう。そして明日になったら女三人で、ゆるやかに友情を育んでいこう。ミネルバは心の中でそう決めた。




