5.親近感と決意
「素晴らしく綺麗だ……」
ジャスティンがうっとりと目を細める。自制心のたがが外れ、さっきまで泣きじゃくっていたカサンドラは、呆然と首を振った。
「あの。私、涙で化粧が完全に崩れてますよね?」
おどおどした目つきで見られて、ミネルバはちょっと戸惑った。だが、正直にうなずく。目元の化粧が落ちたカサンドラは──いつもとはだいぶ違った。
「私の目、なんていうか地味で。うんざりするくらい垂れているから、幼く見えるし。だから化粧の魔力で、クールで隙のない顔立ちに変えてたんです……」
そう言ってカサンドラは、頬から首筋、さらにはドレスの襟元からのぞく胸のあたりまで真っ赤になった。
もちろん彼女が不器量というわけではない。むしろその反対で、正統派の美人だ。『あいくるしい』とか『子犬っぽい』とか言いたくなるような。
「愛らしいです。とても魅力的だ」
ジャスティンが力強く言う。女神に向けるような熱っぽいまなざしを向けられても、カサンドラにとっては嬉しくないことらしい。
褒められるほど惨めになるのか、彼女は「やめてください」と両手で顔を覆った。
「お願いですから……もうやめて」
つんと取り澄ました妖艶な美女の姿など、もうどこにもなかった。完璧な化粧と、スタイルのいい体を包む大胆なドレスは、彼女にとって鎧だったのだ。
<わかる、わかるわ、そのコンプレックス……!>
ミネルバはカサンドラとは逆に、つり目気味のきつい顔立ちだ。
侍女たちは『うらやましいほど完璧で、申し分のない美人』などと褒めてくれるけれど、これさえなければより輝けるのに──なんて思ってしまう。一から十まで完璧になりたい女心は複雑なのだ。
<わかる、わかるぞジャスティン。突然心の壁の中に閉じこもった相手に、反応できずにおろおろしているんだな>
ルーファスがため息をつく気配が伝わってきた。
<あのね、女のコンプレックスって厄介なの。下手に褒められると逆に傷つくし、怒っちゃうの>
<そうして男はダメージを最小限に食い止めようとして、墓穴を掘るんだな>
実際ジャスティンは、カサンドラのあまりに気落ちした声を聞いて動揺している。
だてに四人兄妹の一番上ではないから保護本能を掻き立てられているのだろうが、ここは自分が介入するべきタイミングだ。
ミネルバはジャスティンに目配せをして黙らせた。
「カサンドラさん、疲れたでしょう。メイザー公爵が拘留されて、心にもプライドにも多くの傷を作っただろうし。泣くことで、ずっと抑えていた感情を発散できるけれど。それってとても、体力を使うから」
「ミネルバ様……」
カサンドラは顔から手を離した。そして、目に涙をためてうなずいた。
ミネルバは温もりのこもった声で続けた。カサンドラの心をしっかりと包み込みたいと願いながら。
「放心状態だとは思うんだけど。いま一番強く感じている気持ちを教えてほしい。あなたの置かれた状況を考えると、迅速に動かなければならないわ」
カサンドラの顔色はずいぶんよくなったが、まだ本来の色ではない。目の下にある隈が、彼女の心痛を物語っている。
「ゆっくり深呼吸してみましょう」
ミネルバが促すと、カサンドラは素直に深呼吸をした。
「私……私が女官になってもいいのでしょうか。ソフィーさんは許してくれるでしょうか」
「私とソフィーとカサンドラさんが全員で努力すれば、上手くいく方法がきっと見つかるわ。『ごめんなさい』と『ありがとう』の言葉があれば、人は歩み寄れる。腹を割るために議論する必要があるなら、徹底的にやってみましょう。あなたの体力が回復した後で」
カサンドラは目を瞬いて笑みを浮かべた。まだ不安そうだが、心は決まったらしい。
「私の庇護を受けたいというのが、いま一番強い気持ちね?」
「はい、ミネルバ様。私はあなた様の庇護を切に望んでいます。私が支援を求めることのできる唯一の人だからというだけではなく……心から尊敬し、女官としてお役に立ちたいという気持ちがあるからです」
「わかりました。それでは私は庇護者として最善を尽くします」
ミネルバは背後に控えるエヴァンのほうを見た。
「エヴァン。私がカサンドラさんを庇護したと、宮殿の内外に発表してください」
「仰せの通りにいたします」
エヴァンが頭を下げる。ミネルバはジャスティンに視線を向けた。
「ジャスティン兄様は翡翠殿の侍女頭と連携をとって、カサンドラさんに必要なものをすべて用意して。衣装は今日のところは市販の物で、テイラー夫人が雇った腕のよい裁縫師がすぐに直してくれるから」
「あ、ああ! それについては私が責任を持とう。カサンドラさんが快適に過ごせるようにしないとなっ!」
ジャスティンが張り切った声で答える。
「カサンドラさんはここで一休みしたら、翡翠殿に移動しましょう。私はこれから、皆に事情を説明します」
ミネルバは笑顔で言いながらも、心の中でため息をついた。事情をすべて話せば長くなるし、皆が一斉に質問を浴びせてくるのは間違いない。
<ミネルバ、それについては心配無用だ。私は君のように周囲の人間に映像を見せて、声を聴かせることはできないが。君と心を繋げてわかったことやこれまでの会話を、すべて紙に書き出して皆に見せてある>
<さすがルーファス……っ!>
ミネルバは笑顔を浮かべたまま、内心で舌を巻いた。そう、いつもルーファスが助けてくれるのだ。
彼は誠実で優しくて、どんなときもミネルバを気遣い、何が一番必要かを考えてくれる。
「カサンドラさん、ゆっくり休んでね。起きたころには、あなたの安全はしっかり確保されているわ」
ミネルバは力強く言い切った。庇護したからには、カサンドラのためになんでもするつもりだった。




